第九翔


「皆も知っての通り、今日の新竜戦にて、我が厩舎は記念すべき初勝利を挙げる事が出来た。これもひとえに若輩者で至らぬわたしを蔭に日向に支えてくれた君たちのおかげだと思っている。その感謝を表すため、ささやかながら宴席を用意した。今夜は大いに楽しみ、次の戦いに向け英気を養ってくれ。では、乾杯!」

「「「かんぱーいっ!」」」


 キンキンキンと甲高く硬質で、それでいて澄み切った音が幾重にも重なった。

 そして皆、杯を傾け喉を鳴らしていく。

 部屋の奥には大きく垂れ幕がかかり、部屋中央に置かれた長机には、所狭しと色取り取りの料理が並んでいた。


 シャーロットはと言えば、赤紫の液体が注がれた自分の杯を難しい顔で凝視していた。

 一八歳になったばかりの彼女は、まだあまり酒を呑み慣れていないのた。

 祝いの席などで何度か口にしてはいるのだが、どうも美味しいと思えない。

 むしろまずい。


 だが、やはり宴の主が最初の一杯も呑まないとなれば、みなが酒を頼みにくいには違いない。

 いつまでも固まっているわけにもいかず、覚悟を決めて一気に杯を呷る。

 冷やしておいたはずなのに熱い液体が喉元を通り過ぎていく。


「む? 美味しい……。なるほど、これが勝利の美酒というやつか」


 今までシャーロットは赤葡萄酒特有の苦みや渋みがどうにも好きになれなかった。

 しかし今日に限っては、勝利を得るためこれまで積み重ねてきた苦い経験や我慢、そう言ったものと重なり何とも言えない味わい深さを感じた。

 もっと味わって呑めば良かった、と一気に呑んでしまった事を少し勿体なく思う。


「おお、嬢ちゃん、なかなかいい呑みっぷりじゃねえか。ほれ、もう一杯」


 ランスが酒瓶を掲げて近寄ってくる。


「うむ、頂こう」


 シャーロットは鷹揚と頷いて、ランスのほうに杯を差し出す。

 お付きのメイドであるリュネットは、当然ながらシャーロットが酒が苦手であった事を知っている。

 なみなみと注がれていく液体を見つめ、心配そうに囁く。


「姫様、よろしいのですか?」

「よい。今日の酒は、抜群に美味い」

「それはようございました」


 無表情の中にもわずかな喜色を浮かべて、侍女は一礼して下がった。


「それにしても初勝利なのかよ。随分な弱小厩舎だったんだな」


 杯を傾けつつ、ランスが皮肉な笑みを浮かべた。

 リュネットが一瞬ムッと顔をしかめたが、もはやこの男の態度は何を言っても直らないと諦めたらしく、短く溜息をついて無言を通した。

 シャーロットに至っては全く気にした風もなく胸を張って答える。


「そうだ。今年開業したばかり、所属している竜もアロンダイト一頭と言う弱小厩舎さ」


 ロックウェル家が競翔竜を預ける厩舎は、別にある。

 ドラゴンレーシングは大衆には娯楽であっても、貴族にとっては決して遊びではない。家の面子が掛かっている。

 いかに可愛い孫娘とは言え、所有竜を全て若干一八歳の今年免許を取得したばかりの新人調教師に預けるほど、老当主も無謀ではなかった。


 シャーロットにしても、年端もいかぬ子供の頃から実家で竜たちと接してきたとはいえ、知識もこの一年必死に勉強して頭に叩き込んだとはいえ、本格的な調教を施すという経験は皆無だった。

 多くの竜を預けられたところでとても満足に仕上げられる自信はない。

 そこで仮親として世話してきたアロンダイトのみを祖父から譲り受け、自身の厩舎で鍛える事にしたのだ。


「随分と誇らしげに言うんだな」


 ランスが苦笑しながら言う。


「別に誇らしいとまでは思っていないさ。だが、見栄を張っても仕方なかろう。それに、いつまでも弱小に甘んじているつもりもない。差し当たっては……」


 シャーロットはそこでいったん言葉を切り、期待のこもった視線をランスに向け、トンと軽くその胸を叩いた。


「貴公がこれから勝ち星を稼いでくれるのだろう?」

「まあ、俺も負けるのは好きじゃないな」


 ランスはいつものように自信に満ちた不敵な笑みを返して、杯を一気に呷った。

 シャーロットは満足げに微笑むも、すぐにその笑みを消して真剣な顔になる。


「で、そろそろ種明かしをして欲しいんだ」

「あん? なんのだよ?」

「とぼけるな。今日のレースのことだ。前半の超ハイペースで、アロンダイトの体力は尽きていたはずだ。なのになぜ、ラスト二ドラン、あれほどの翼が使えた?」


 特に最後の一ドランの時計は一〇秒七。

 それまでのアロンダイトのベストタイムである一一秒二から、実に〇・五秒も縮まっている。


 コロッセオにいる時は勝利の感動で心がいっぱいでそんな事を考えている余裕などなかったが、厩舎に戻り興奮も収まってくるとその事しか考えられなくなった。

 そして、考えて考えて考え抜いて、結局、何もわからなかったのだった。


「あの時、アロンダイトの身体が赤味を帯びていた。やはりそれと何か関係があるのか?」

「そうだな。別に教えてやってもいいが……」


 ランスは少し意地悪そうに笑って、自らの杯を掲げる。

 意味を察せぬほどシャーロットも鈍くない。


「これは失礼した。酌を受けたら、返すのが礼儀だったな」


 シャーロットは机に置かれた近くの酒瓶を手に取り、「そんな、姫様が手ずからなど!?」とリュネットが悲鳴をあげる中、ランスの杯に葡萄酒を注いでいく。


「まったくだ。目の前に可愛い女の子がいるってのに、何が哀しくて手酌で呑まなきゃならねえんだか」


 ドキンっと、シャーロットの胸がひときわ強く高鳴った。

 カーッと顔に血が昇ってくるのが自分でもはっきりとわかった。

 可愛い、綺麗、そう言った言葉を言われる事には、慣れているつもりだった。

 しかも単なる軽口にすぎないとわかっているのに、なぜ自分はこうも動揺し、嬉しいと思っているのだろう?


「……な、なんだ、貴公の目にわたしは可愛く映っていたのか?」


 何とか平静を装いつつ、シャーロットは尋ねる。口調はぶっきらぼうだったが、その声はわずかに上擦っていた。

 杯を傾けつつ、ランスが苦笑する。


「そりゃそうだろう。あんたが可愛くなかったら、世のほとんどの女が可愛くない事になるぜ?」

「そ、そうか。ほら、もう一杯呑むといい」


 シャーロットは華が咲いたような満面の笑みを浮かべ、再びランスの杯に酌をする。

 その後ろではリュネットが刃のような冷たく鋭い殺気をランスに向けていたが、上機嫌のシャーロットが気づく事はなかった。

 さすがにランスは気づいているようで、杯を受けつつも苦笑いを浮かべている。


「んで、話の続きだが」

「おいおい、そんなに褒めても酒以外何もやらんぞ?」

「あん? レースの話が聞きたかったんじゃないのか?」

「え? あ、ああ! そうだったそうだった」


 当初の目的がすっかり頭から抜け落ちていたシャーロットであった。

 こんな事では調教師失格だ、と自責の念に苛まれる。

 苦悶するシャーロットを無視して、ランスは話を続ける。


「そうだな、嬢ちゃんが一ドランほど全力疾走して、その場に寝っ転がってもう立ち上がれないってぐらいくったくたに疲れていたとする」

「これでも鍛えているからな。一ドランぐらいじゃそこまでの醜態は晒さんぞ」

「じゃあ一〇ドランでもいいさ。んで、そのぶっ倒れているところに、魔族が現れた。嬢ちゃんはどうしてると思う?」

「そうだな……」


 シャーロットはランスに言われた状況を頭の中に思い浮かべてしばし考え、


「飛び起きて腰の剣を抜いて斬りかかっているんじゃないか?」

「って逃げろよ」


 思わず苦笑するランスである。

 まったくもって勇ましい姫君であった。


「そう、疲れてもう動けねえって思っていても、いざって時には身体が動くもんだ。しかもそんな時に限って、いつもよりとんでもない力が出せたりする。まあ、いわゆる火事場の馬鹿力ってやつだな」

「ふむ、その火事場の馬鹿力を、アロンダイトは使った、と言うことか?」

「まさに然りだ」

「しかし、その力はそう自由自在に操れるものではないだろう?」


 いざという時にしか出せないから「火事場」と言うのであって、シャーロットが今それを使おうと思ってもどうやればいいのか皆目見当もつかない。

 自分の身体ですらままならないと言うのに、異種族である竜をその状態に仕向けるなど到底出来るとは思えなかった。


「サラマンダーにとっての、いざ、ってのはなんだと思う?」

「ふむ……それはやはり戦いだろうな」


 少し考えてシャーロットがそう答えると、ランスは満足そうに頷く。


「正解だ。一〇〇年以上の長きに渡り、サラマンダーは魔族たちとの死闘を演じてきた。その環境への適応だろうな、サラマンダーの中には闘争本能が一定以上に高まると、この力を自然と発揮できるようなヤツが時々生まれるんだ。名竜はほぼ間違いなくこの特性を備えている」

「初耳……というわけでもない……か」


 シャーロットは悔しそうに唇を噛み締めた。

 祖父をはじめ、聖戦を生き残った勇士たちから、何度も話を聞いた。


 サラマンダーは戦いの中でこそ、その本領を発揮する、と。

 戦っている時のサラマンダーが、最も動きがいい、と。

 言い換えるなら、戦っている時のサラマンダーの能力は、普通にドラゴンレーシングを行っている時より高いということになる。

 それがあの一ドラン一〇秒七という自己ベストに繋がったのだろう。


「後は、タイミングを合わせて竜の闘争本能を高めてやればいいって寸法だ。種さえわかってしまえば簡単だろ?」


 言い終えて、ランスはグッと杯を呷る。

 一方、シャーロットはと言えば、いや、聞き耳を立てていた厩舎スタッフ全員、驚愕を顔に貼りつけて唖然としていた。

 ごくりと生唾を呑みこんで、シャーロットが口を開く。


「それを簡単と言えるのは、おまえぐらいだ」


 理屈は、わかる。

 だが、サラマンダー種のことをよく知っていればいるほど、ランスの言っている事は机上の空論どころか、ただの暴論にしか聞こえなかった。


 スタート直前に闘争本能を全開にしておく、と言う事はやりようによってはできるだろう。

 だが、初っ端から限界を超えた力など発揮しようものなら疲労で後半とてももたない。

 ラストスパートの段階で発揮させねば、意味がないのだ。


 サラマンダー種には、背に乗るだけでも一苦労だ。

 名手ライオネルにしたところで、ある程度言う事を利かせる事が出来るといったところで、自由自在に乗りこなすなど、おそらくできない。

 その上さらに精神状態まで巧みにコントロールするなど、サラマンダーに乗り慣れている戦時の英雄たちとて出来ないに違いない。


 ただ一人を除いて。


(だが、ランスがあの方であるはずがない)


 遺体は見つかっていないが、四〇年近く昔に亡くなったとされている人物である。

 例え生きていても五〇代半ばの老齢のはずだ。

 ランスはどう見ても十代の若々しい青年である。


「貴公、本当に……何者だ?」


 以前と同様の問い、しかし今再びそれを発するシャーロットは、背筋が寒くなるような畏怖を覚えずにはいられなかった。

 ランスは意味ありげな笑みを浮かべつつ、やはり以前と同じ答えしか返してこなかった。



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