第三翔

「よう、嬢ちゃん、おはよう!」




 肩を叩かれ振り向いた先にいた人物が誰なのか、シャーロットは一瞬わからなかった。だが、シャーロットをこう呼ぶ無礼者は一人しかいない。




「おはよう。ふむ、随分とすっきりしたではないか」




 シャーロットが褒めるとランスはニヤリと不敵に笑った。


 その口元を覆っていた無精ひげは全て剃り落とされ、ボサボサだった髪も整えられている。


 着ている騎士服も昨日までのボロではなく新品で、糊がきいてピシっとしていた。




「まあ、大勢の前に出るしな。鞍上があんまりひどいとアロンダイトの恥だろう?」


「違いない。今のおまえなら文句なしだ」




 お世辞ではなく、本心からシャーロットは言った。


 事実、身嗜みを整えたことで、ランスの男ぶりは格段に上がっていた。


 見た目もかなり若返っている。シャーロットと同じか一つ上といったところだろう。




 第一印象でも目鼻立ちは整っていると思っていたので、きちんとすれば化けると思ってはいたが、想像以上であった。


 何よりシャーロットが気に入ったのは、その髪の色だ。


 昨日は埃で黒くくすんでいたが、今やサラマンダーの鱗のような鮮やかな緋色だった。




 竜騎士寮プリズンのエントランスは、多くの人で賑わっていた。


 みなドラゴンレーシングの関係者で、見知った顔がほとんどでもある。




 と言うより若い女の子が珍しいのか、ドラゴンレーシング関係者の間でシャーロットとリュネットはちょっとしたアイドルだったりした。


 ランスを呼び出して待っている間も何度も声をかけられたものだ。


 もう少しランスが来るのが遅ければ、さすがに煩わしくなっていたかもしれない。




「きちんと睡眠はとれたか?」




 シャーロットとしては、やはり愛竜に乗る竜騎士の体調が何より気になった。


 この男はアロンダイトに入れ込み過ぎているきらいがある。


 興奮で眠れないなんて事もあり得ると思ったのだ。




 竜はかなりの速度で飛ぶ為、かなりの重圧が身体にかかる。


 徹夜で乗ろうものなら、最悪、意識を失いかねない。




「ん? ああ。すっげーよく寝れたよ。やっぱベッドってたまんねえよな。このところ野宿ばかりだったからよ」


「本当にどういう生活を送ってきたんだ、おまえは?」


「山で鳥とか獣を狩ってだな、肉は食糧に、皮は売って路銀に……」


「ああ、言わんでいい。言わんでいい。リュネ」


「はっ」




 有能なる侍女はそれだけで主の言わんとしている事を察したようだった。


 財布の中から硬貨を一枚取り出し、ランスに手渡してくる。




「おい、これ金貨じゃねえか。いいのか貰っても?」




 金貨一枚あれば、ごくごく平均的な四人家族が一カ月は遊んで暮らせる。多くの庶民にとってはほとんど縁のないほど高価な貨幣であった。




「貴公は昨日から我がロックウェル家のお抱え竜騎士になったのだ。あんまりさもしい真似をされては、ロックウェル家の沽券にかかわる」


「それ、猟師を馬鹿にしてないか?」


「猟師は屋根のあるところで寝るだろう」


「ちがいねえ」


「どうせだから金の話を済ませておくか。我がロックウェル家としては、貴公のお抱え料として給金を毎月金貨五枚支払うつもりだ。その一枚は契約料に進呈しよう」




 年若いとは言え貴族の家に生まれ、人を使ってきたシャーロットである。


 金銭の問題はしっかり明確にしておかねば後々こじれるということを経験から知っていた。




 竜騎士養成学校出たての新人は、大抵どこかの厩舎に所属するのだが、そのお抱え料は銀貨三〇枚が相場だ。


 銀貨百枚で金貨一枚と言うレートであり、一〇年以上ロックウェル家に仕えてきたウォルターで金貨三枚だった。


 いかにシャーロットがランスを高く買い、厚遇しようとしているかがわかる額である。


 てっきり驚きつつも喜ぶと思っていたのだが、予想に反して、




「ああ、それでいいぜ。別にこれ一枚でも十分すぎるんだけどな」




 ランスの態度は非常にあっさりとしたものだったので肩すかしを食う。


 まるで興味がないらしい。


 この男は本当に竜で空を飛ぶことしか頭にないのだ。




 浮世離れした男だ、とシャーロットは思う。


 自身の収入に関わることだと言うのに。




 本人の性格によるところもあるのだが、それだけではない気がした。


 何と言うか奇妙な「ズレ」を感じるのだ。


 そう、例えるなら違う時代を生きているかのような。




 昨日のサラマンダー談義にしてもそうだ。


 シャーロットとあそこまで話が合うのは、聖戦を経験してきた老人たちで、ドラゴンレーシング全盛時代に生まれた若者たちとは正直話が合わない。




 若者たちの中にもサラマンダー好きは確かにいる。


 だが、それはどこか薄っぺらく借り物の知識な感じがどうしてもしてしまうのだ。


 それがこの男にはまるでない。


 さも間近で見てきたかのようなリアリティがあった。




 昨日、ランスをプリズンに送り届けてから、シャーロットはリュネットにランスの事を早急に調べさせた。


 あんな規格外の新人を見落とすなど不手際もいいところだ。


 いったい竜騎士養成学校でどんなとんでもない逸話を残していたのか、気にもなった。


 そうしてわかった事実は、どんな逸話があっても驚かないぞ、と覚悟を決めていたシャーロットをして、呆気にとらせるものだった。




 竜騎士養成学校に、ランス=スカイウォーカーなる人物の在籍記録はなかったのである。


 念のためリュネットが似顔絵を描いて職員に確認してみたが――後でシャーロットが確認したら瓜二つの出来だった。


 多芸なメイドである――誰もこんな生徒に記憶はないと言うのだ。




 しかし、ランスがプリズンに入寮する時に見せた竜騎士免許は間違いなく本物である。


 ならば試験を担当した監督官ならその騎乗ぶりを知っているだろうと探したが、遠方で行われるG1レースに出張中だと言う。


 そう、つまり、何もわからなかったのだ。




「貴公、いったい何者だ?」


「あん? 昨日自己紹介したじゃねえか。竜騎士だよ」


「ふふっ、なるほどな」




 シャーロットは苦笑するしかない。


 こちらが正体を訝っていることに気づきながらこんな答えを返すふてぶてしさもさることながら、その呼称ほどこの男を称するに相応しい言葉も他になかったからだ。




 ふとシャーロットはその視界に因縁ある男の顔を捉えた。


 ウォルターである。


 彼も今日のレースに出翔するのだから、ここにいるのは当然と言えば当然だった。




 目線が合うと、ウォルターはぎょっと顔を強張らせた。


 なぜシャーロットがここにいるのかわからないとでも言いたげだった。


 アロンダイトに乗れる騎手が自分しかいない以上、出翔を取り消しているとばかり思っていたのだろう。




「おお、ウォルターではないか」




 すでにシャーロットの中にはこの男に対する未練も恨みもない。


 気安く声をかけると、さらにウォルターは落ち着かない様子になる。


 しかし返事しないわけにもいかなかったらしく、




「お、おはようございます、姫様。昨日はその、申し訳ございませんでした」




 恐縮そうに、居心地悪そうに、謝罪の言葉を述べた。




「ああ、気にするな。おまえの代役が見つかったからな。新たなアロンダイトの竜騎士ランス=スカイウォーカーだ」


「……この男が、ですか?」




 シャーロットが上機嫌にランスを紹介すると、ウォルターは訝しげに顔をしかめた。


 ランスが竜騎士免許を取得したのは昨日と言う話なので、当然ウォルターもランスの顔は知らないだろう。


 こんな無名の若造にアロンダイトが乗りこなせるわけがないと顔に書いてあった。




「姫様、今更私はこんな事を申せる立場ではございませんが、それでも諫言させて頂きます。今日のレース、キャンセルなさってください。大恩ある姫様が衆人環視の中、恥をかかれるのを見るのはさすがに忍びませぬ」


「……まあ、おまえが何を言いたいのかは、わかる。よ~くわかる。だが安心しろ。この男はおまえより遥かに上手く、アロンダイトに乗れるんだ」


「はあ……」




 ウォルターが重い溜息をつく。


 負け惜しみを言っていると思われているのは明白だった。




 それも仕方がない。


 アロンダイトの気性の悪さを最も知っているのはこの男だ。


 あるいは仮親であるシャーロットより知り抜いているかもしれない。


 そう理性ではわかっていても、この同情のこもった生温かい視線にはどうしても胸がムカムカするシャーロットであった。




「頑固な姫様にはこれ以上申しても無駄でしょうな。そこの君、恥をかく前に今のうちに降りたほうがいいぞ」


「はっ。いつも恥をさらしているおまえに言われても説得力がねえなぁ」




 ウォルターとしては心から心配しての言葉だったというのに、返ってきたのは痛烈な侮蔑の言葉だった。


 痛切にその顔を歪ませた後、静かに首を振る。




「……そうだな。確かに私は裏切り者だ。ロックウェル家の者たちにそう言われても仕方がないな」


「あん? 何を言ってるんだよ。おまえの騎乗ぶりがヘボすぎるって言ってんだよ。全然乗りこなせてねえじゃねえか。あんな良い竜に一番格下のレースで黒星三つもつけてよ。俺だったら恥ずかしくて竜騎士を引退するね」


「なっ!」




 裏切り者という汚名に冠しては甘んじて受けようと覚悟を決めていたウォルターであったが、自身の騎乗技術への矜持を捨てたつもりはない。


 一瞬で頭に血が上った。




「良い竜、だと!? 確かに聖戦時なら歴史に名を残すぐらいの名竜だったろう。だが、今はドラゴンレーシング全盛時代で、必要なのはなにより速さだ。速さでサラマンダー種はワイバーン種にはるかに劣る。


 確かにサラマンダー種は戦えば最強だ。今、我々がこうして平和を享受できているのも彼らのおかげだろうよ。吟遊詩人が歌う英雄譚ではいつも主役さ。『魔王殺し』ガラハッドの直系が因縁あるダービーを制覇する、そんな光景は俺だって見たいさ。


 だがな、ロマンで勝てるほどドラゴンレーシングは甘くねえんだよ!」


「っ!」




 捲し立てられたウォルターの言葉に、表情が凍ったのはランスではなく、ウォルターの元雇い主であった。


 はっとウォルターの昇っていた血が急速に下がり、すぐにウォルターも言いすぎたと後悔する。


 無名の新人に馬鹿にされた怒りでつい心に溜めていた不満までぶちまけてしまった。


 特にダービーに関するくだりは完全に失言であった。




 だが、偽らざる本音でもある。


 撤回はできない。


 ここで嘘を重ねることは、大恩ある相手に対するさらに酷い侮辱に他ならないからだ。




「あ、その、では私はコロッセウムへ向かうのでこれで」




 ウォルターは気まずそうな顔でペコリと頭を下げて、そそくさと足早に去っていた。


 何とも言えない空気の中、周囲の喧騒だけが耳に響く。


 しばらくして、




「……ロマンで勝てるほどドラゴンレーシングは甘くない、か」




 ボソリとシャーロットが呟いた。


 父親を含め、親戚一同からよく言われた台詞だった。




 特に父は祖父のサラマンダー種偏重の方針に強く反対していた。


 貴族の間では、今やドラゴンレーシングで結果を出す事が今やステータスになっている。


 ロックウェル家は帝国内でも有数の名門公爵家でありながら、ここ十年、一つのG1も獲れないでいた。


 時代錯誤と陰で笑われてもいる。


 これが父には我慢ならないらしい。




 手に持っていた丸めた紙の束を開く。


 今日行われるレースのプログラムだった。


 出翔竜の情報も微細に書き込まれている。それをパラパラとめくっていく。




「どいつもこいつも、ワイバーン種だな」




 たまにべフィーモス種の種牡竜を父に持つ竜もいたが、一割にも満たない。


 サラマンダー種に至ってはアロンダイト一頭だけという有様だった。




 タイムも確認する。


 今日出翔するレースは七頭立てで、アロンダイトのタイムは四番目とちょうど真ん中だった。


 今日、他にも行われている新竜戦も調べる。


 アロンダイトのタイムは概ね中の下といったところだ。




 これでもサラマンダー種としては破格の速さだと言うのに、ワイバーン種が相手では新竜クラスでもその程度でしかない。


 これがアロンダイトを取り巻く、いかんともしがたい現実であった。




 ポンっと不意に何かがシャーロットの頭を押さえる。次いでわしゃわしゃと髪の毛をかき乱し始める。




「何をする!?」




 シャーロットは乱暴にそれを跳ね除けた。


 見れば予想通り、ランスの手だった。




「そうそう、そういうツラのほうがまだましだ。さっきのような顔はあんたにゃ似合わねえよ」




 もしかしなくても、一応、慰めてくれているらしかった。


 子供扱いされているようで少々癪ではあったが。




「なあ、ところで一つ聞いていいか? ガラハッドの直系とか言ってたけど、やっぱりアロンダイトってガラハッドの父系を継いでいるのか?」




 ランスはシャーロットから視線をそらして、遠くを見つめながら訊いてくる。


 飄々としたこの男には珍しい、何かを期待しているような、それでいて恐れているような、そんな複雑な顔だった。




 竜産の世界においては、父系以外は直系と認められない。


 竜種は父方の種族を受け継ぐからだ。




 言いかえれば、アロンダイトの父方祖先は、全てサラマンダーということである。


 ゆえにこそ、その血の歴史を絶やさぬよう、シャーロットは執念を燃やしているのだ。




「なんだ、知らなかったのか? それで惚れこんでいるのだとばかり思っていたぞ」




 シャーロットは意外そうに目を見張らせ、ついでニヤリと口元を綻ばせる。




「アロンダイトはガラハッドの曾孫だ。加えて言えば、三×四のインブリードも持っている、まさにガラハッドの“血”の結晶だ」




 インブリードとは良竜生産のための配合理論の一つだ。


 父竜と母竜で同祖先を持つよう意識して交配させる、いわゆる近親交配である。


 アロンダイトの場合、父方の曽祖父と母方の曾曾祖父が同じガラハッドと言うことになる。




 種牡竜となる竜は、当然ながら優れた能力を現役時に示している。


 その血を重ね濃くすることで、重ねられた種牡竜の性質をより強く顕在化させるのだ。


 中でもこの三×四のインブリードは『奇跡の血量』と言われ、血の濃さによる弊害から当たり外れは大きいが、一方で名竜を誕生させる可能性も高いと言われていた。




「そっか……」




 呟いて、ランスは何とも言えない笑みを浮かべた。


 嬉しそうで、それでいて寂しそうで、そして懐かしそうな、不思議な笑みを。




「嬢ちゃん、確かにロマンだけじゃ竜は飛ばねえが、知ってるだろ? 竜は『血』で飛ぶんだ。安心しな。あんたの愛竜は、たまんなく良い竜さ。それこそ曾じいちゃんのガラハッドにも負けない、な。俺が太鼓判を押してやるぜ」


「ふん、貴公のような得体のしれないヤツの太鼓判などアテになるものか」


「違いねえ。じゃ、結果で証明するしかねえよな」


「結果、だと?」


「勝つ」




 ランスは力強く宣言して、もはや彼のトレードマークになりつつある不敵な笑みを浮かべた。

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