第二翔
視界一面ただただ草原が続き、その先には遠く山々がかすんで見える。
人の姿も獣の姿もまるでなく、ここに立っていると世界には自分しかいないのではないかと言う錯覚に陥りそうな、壮大な景色である。
ただ冬の訪れを告げるように緑は少なく、それが少しだけ残念だった。
一方後ろを振り向けば、対照的に木造やレンガ建ての人工の建築物が無数に立ち並び、巨大な都市を形成している。
コーンウォール・シティ。
それがこの辺り一帯の地域の名称であり、都市の名称であり、施設の名称でもある。
立ち並ぶ建物はドラゴンレーシング関係者の宿舎に事務所に竜の寝床などなど、全てドラゴンレーシングに関連したものばかりだ。
地理的には円形競技場コロッセウムがある帝都キャメロットまで馬で一時間と近接しており、競翔竜たちはみなこのコーンウォール・シティに集められる。
まさにドラゴンレーシングの為だけに存在する都市だった。
空を見上げれば、抜けるように蒼く深く澄み渡っていた。
風も穏やかで、湿度もそれほど高い感じではない。絶好の飛行日和と言えた。
それを証明するように、空を飛ぶ影がいくつかあった。
鳥と言うには大きすぎるし、歪すぎた。遠目にも明らかに竜だとわかる。
「ああ、俺も早く飛びてえなぁ」
ランスが羨ましげにぼやく。
こうして自分の足で地面に立っているより、竜の背に乗っている時のほうが落ち着く自分は、きっと前世は竜だったに違いないと思う。
思い出せる一番古い記憶は、父に抱かれて赤い竜に乗って空を翔けているところだった。
肉体の故郷は大地にあっても、心の故郷は空にあるとランスは心の底から思っている。
だと言うのにこの一月というもの、自分は大地に縛られている。
昨日の試験でようやく竜に乗り空へ帰る機会を得たが、それもたった数分に過ぎず、むしろ余計に空への恋慕は募らせただけだった。
「連れてきたぞ」
「おおぉぉぉぉぉっ!」
シャーロットが手綱を引いてきた竜を見上げ、ランスが歓喜の声をあげた。
蜥蜴に蝙蝠のような皮翼を持たせたような姿形だが、体躯は実に百倍ほども違い大陸最強の生物の名に恥じない威容を誇っている。
レンガのような赤褐色の肌は大陸で五つ確認されている竜種の一つ、火竜サラマンダーの証だ。
竜種の中でも最強の戦闘力を誇り、過去の魔族との戦いにおいて大いに活躍し、帝国民に最も人気の高い竜種である。
「かーっ、たまんねえなぁっ! 凄え竜なのは遠目にも一発でわかったが、近くで見るとほんと惚れ惚れする竜体だぜ!」
「ほう、わかるか?」
先程リュネットに注意されたばかりなので、何気ない感じを装おうと努力はしたが、やはりどうしても口元がニヤつくのは止められないシャーロットだった。
「わかるさ。もうそろそろ四歳だったよな。ってことはほとんど成竜か。うん、ちょっと小柄だが、翼はそれに比して雄大だ。これはかなり迅そうだ。母父はワイバーン系か?」
竜は別種の竜とも問題なく配合できる。
棲息地域がかなり異なるため、自然には別種が交わるということは皆無だったのだが、人による竜の生産が行われるようになったかなり早い段階で、この事実は発見された。
異種配合には奇妙な法則があり、産まれた仔は必ず父親の種族を受け継ぐ。
つまり、父竜がサラマンダーの場合、母竜がワイバーンであろうとべフィーモスであろうと、産まれる仔は絶対にサラマンダーだということだ。
だが、純粋なサラマンダーかと言えば、やはりそれも違い、母方の性質も多く受け継いだ仔が産まれ易い。
例えば、ワイバーン種の牝からは、先程ランスが言ったように体格は小柄で、翼が大きく、飛行能力に長けた仔が産まれ易いという具合だ。
もっともそれを一目で見抜くには、数多くのサラマンダー種を見、相竜眼を鍛えていなければならない。
シャーロットの中で少しだけランスの評価が上がる。
「確かに貴公、少しはわかってるようではないか。続けろ」
「身体はちっちぇえのに首回りや両前足はめちゃくちゃ太え。こいつ格闘させたら絶対強えな」
「うむ、小竜の頃は群れのボスだったぞ!」
「そして首が太いってことは、当然、竜種の中でサラマンダーだけが持つ最強の必殺技、ファイアーブレスの威力も高いってことだ。それにこの凶悪な目つき、こりゃ闘争本能の塊だぜ。戦いで物を言うのは何より戦闘センスだ。どんなにパワーやスピードに恵まれたって、これがなければ始まらねえ。こいつは天性のものを持ってるよ。魔族との戦いに出陣していたら、きっと雷名が轟いていたに違いねえぜ」
「そうだろうそうだろう! 実はわたしもそう思っていたんだ! だってな、一歳の時に二歳のサラマンダーと喧嘩して勝ってしまうんだぞ! こんな竜はまずいないぞ」
「うお、一つ上を倒したのかよ!? そりゃたまんねえなぁ!」
ランスも感嘆の声をあげる。
竜の一歳は人間で言えば、六~九歳ぐらいに当たる。
二歳は一〇~一三歳ぐらいだ。体格の事を考えても、この時期の一歳の差は極めて大きい。それを覆したというのだから確かに非凡としか言いようがなかった。
「最初は止めようとしたんだがな、その戦いぶりについ見惚れてしまったものだ。勝った瞬間には感動で涙が止まらなかったぞ」
「ほう、そいつは俺も見たかったぜ」
「凄かったぞ! 最後はこう、前脚で相手の顔面を張り倒してだな」
シャーロットはその時の光景を再現するように、平手を勢いよく振って――
コホン。
竜談義に熱中する二人の背後から、非常にわざとらしい咳払いが響く。それではっとシャーロットは我に返った。
「姫様、時は有限でございます。早々に試し乗りを済ませてしまいましょう」
咳の主であるリュネットが、務めて事務的な口調で告げる。
「あ、ああ、そうだったな。確かに時間がないんだった。しばし待てランス、今おまえを乗せてくれるようアロンダイトに頼んでやる」
「へえ。部下じゃなくて嬢ちゃんが直々に連れてくるからもしやと思ってたんだが、やっぱりあんたが仮親だったのか」
「ああ、そうだ。わたしが彼の仮親だ。さ、アロンダイト、わたしのお願いを聞いてくれ」
シャーロットはアロンダイトの頬を撫でながら話しかけ始めた。
生物には「刷り込み(インプリンティング)」という本能行動を持つ種が少なからず存在する。
生まれて初めて見た動く物を「親」と認識するというもので、自分とはまったくかけ離れた生物だったとしても、問題なく適用される。
アヒルで行われた実験ではバネ仕掛けの玩具でも親と認識するという結果が出ている。
そして竜にもこの「刷り込み」の習性があるのだ。
でなければひ弱な人間に、地上最強の種である竜を支配することなどできるはずもない。
親という特別な存在としていろいろ教え込み、人間に馴らしていくのが、仮親の役目だ。
「よし、頼みはしたぞ。しかし、気をつけろよ。貴公には言うまでもなさそうだが、アロンダイトはサラマンダーだ」
アロンダイトとの話を終え、シャーロットがランスの方を振り返る。
その口調は重々しく、先程までとは打って変わった緊張感を漂わせていた。
地竜べフィーモスや風竜ワイバーンは、仮親と同じ姿をしている為か人間を仲間と思い仮親以外の人間の指示にもすぐに従ってくれるようになるのだが、火竜ワイバーンはちょっと違った。
あくまで「特別」なのは仮親だけで、他の人間はむしろ敵と認識してしまうのだ。
仮親が真摯に頼み込めば、一応、敵扱いはしなくなってくれるのだが、プライドが高くなかなかその背にまでは乗せようとはしない。
あまりにしつこく乗ろうとすると、仮親の指示も無視して攻撃してくる場合も多々あった。
溢れる闘争本能の裏返しと言われ、『魔王殺し』の名竜ガラハッドの血を引く竜は、特にこの傾向が強い。
この辺りが、多くの竜騎士がサラマンダー種を敬遠する由縁だった。緊急の騎乗依頼など特に嫌われていた。
一カ月~二ヶ月という期間をかけ、少しずつ竜騎士に馴れさせその背に乗る事を許すように持って行く、というのがサラマンダーへの一般的な騎乗方法だ。
しかし、この方法でも実際に乗れるようになるのは十人に一人といったところで、かなり高度な技術を要する。
事実、ロックウェル家は竜騎士を五人ほどお抱えにしていたが、乗る事が出来たのはウォルター一人だけだった。
とにかくそういうわけで面倒極まりない竜種なのだ。
戦時の英雄たちなどは、初対面のサラマンダーにも一日で騎乗できるようになったと言うが、それをまだ若いランスに、しかも竜騎士免許を昨日取ったばかりのズブの新人に要求するのは酷と言うものだろう。
「まあ、散々な結果に終わるだろうが、それでも諦めずまだ乗りたいと熱意を示すなら主戦に起用してやるとするか」
ランスに聞こえないように、シャーロットはぼそりとひとりごちる。
数ヶ月みっちりしごけば、この男はウォルターよりはるかに好ましいアロンダイトのパートナーになってくれるように思えた。
残念ながらダービーは諦めるしかないが、ダービーだけがドラゴンレーシングでもない。
そしてアロンダイトの競翔生活はダービー後もずっと続くのだ。
調教師たるもの、長期的なことも考えて計画を立てねばならない。
「んじゃ行ってきますか」
ランスは特に気負いもなく、軽い足取りでサラマンダーへと近寄って行く。
「ふふふ、見物でございますね。あれだけの大口を叩いて無様を晒すのは、さぞ滑稽でしょう」
シャーロットの傍ではリュネットが冷笑を零していた。いつの間にやら彼女の中ではランスの印象がさらに悪化しているらしかった。何かあったか、と首をひねるシャーロットである。
「よぉ、アロンダイト。俺はランスってんだ」
ランスは片手を上げ、実に気易そうに、そして無防備にアロンダイトに声をかける。
「あ、阿呆ですか! いきなりサラマンダーの目の前に立つなんて! 食い殺されたいのですか!? 姫様の愛竜に人食いなどという不名誉を与えなどしてみなさい。地獄の底まで追い詰めて殺して差し上げます!」
普段の彼女からは有り得ないような物騒な言葉の連発だった。
というかアロンダイトに食われた時点で即死だし、地獄の底にいる時点でもやっぱり死んでるんじゃないか? とシャーロットは思ったが、やはり口にはしなかった。
とりあえず、そんなことより――
「問題ない。アロンダイトは特に怒気を発していない。ほら、威嚇もしていないだろう?」
「はあ、まあ、確かに……」
「つくづく面白い男だ。人間相手には無礼なくせに、竜相手にはまず仁義を通すか」
くつくつと心底楽しそうにシャーロットは笑う。
そんな様子がますます侍女の機嫌を損ね苛立たせていることに、彼女は全く気付いていなかった。
「おまえ、あの嬢ちゃんの事が大好きなんだろ? 親だもんな。ンでおまえのこと心から可愛がってくれてるみたいだもんな。そりゃあ大好きに決まってるわな」
ポンポンと人間で言えば肩を叩くように、アロンダイトの厚い胸板を叩くランス。アロンダイトは黙ってそれを受け入れている。
「運がいいようですね。どうやら今日のアロンダイトは機嫌がよろしいようです」
「確かに今は機嫌がいいな。さっき厩舎にいた時はいつも通り機嫌が悪かったのだが」
気難しくてそう簡単に機嫌を直すような竜ではなかったはずだが、とシャーロットは小首を傾げる。
少女二人が話している間も、ランスはシャーロットの話題を一方的にアロンダイトに振っては、「そうだよなぁ」とうんうんとひとり頷いていた。
「竜を相手に何を世間話しているんですか、あの男は。さては怖じ気づきましたかね?」
「いや、あれはあれでなかなか上手いやり方さ」
竜の知能は人間にはかなり劣る。
だが、犬猫よりははるかに高い。人間の言葉も完全にではなくとも、ある程度は理解できている節がある。
そして、ランスはアロンダイトが最も好みそうな話題を振っていた。
アロンダイトもいきなり自分の背に乗ろうとしてくる輩より、好感を持っているはずだ。
などと冷静に分析できていたのはここまでだった。
「俺と話してる時の嬢ちゃん、楽しそうだったろ? わかるだろ? 俺はおまえの味方だ」
「食えない男だっ!」
自らの膝を思いっきり叩き、シャーロットは吐き捨てた。
自分は完全にあの男に手玉にとられ利用されたわけである。
いいツラの皮だった。
だが、不思議と怒りは一向に湧いては来なかった。
なるほど、アロンダイトの機嫌がいきなりよくなったのは仮親である自分が楽しそうにしていたからか、と思い至り、むしろ恥ずかしくなった。
思い返せばここ最近、アロンダイトの前では不機嫌な姿をよく見せていた気がする。
「昨日までおまえの鞍上に乗ってたヤツは、ヘボだったな。おまえのことをまるでわかっちゃいなかった。おまえだってそんな奴に従いたくはねえよなぁ」
ようやく本題に入ったようだった。
アロンダイトがまるでランスの言葉に同意するかのように、グルルと短く喉を鳴らす。
「あんなヘボヤローにおまえはもったいねえよ。あいつを乗せるぐらいなら、俺を乗せとけ。あいつよりよっぽど気持ちよく飛ばしてやる。今はおまえは俺のことをまるで知らねえし、俺もおまえのことが計りしれねえ。だが、いつか……そう、いつか絶対……」
そこでランスはいったん言葉を区切り、ピッと人差し指を天にかざす。
その顔に浮かぶのは不敵な、それでいて自信に満ち溢れた笑み。
「おまえだけじゃ見れねえ空を、見せてやる!」
その言葉にこもった熱に突き動かされるように、アロンダイトはシャーロットたちが驚嘆するような行動をとった。男の前で四肢を折り、地面に伏せたのである。
それはすなわち――
「これは幻か? アロンダイトのほうから乗れと言っているぞ!」
何度も己が目をこするが、視界に映る光景は変わる事はない。
自分以外にアロンダイトが膝を折るなど、シャーロットは今まで見た事がなかった。
一年もコンビを組んでいたウォルターが乗る時も、アロンダイトは直立不動でいるのが常だった。暗に自分は貴様なんか認めていないぞ、と抗議するかのように。
前述したように、サラマンダーの背に乗るのは、超一流の竜騎士でも一日がかりである。
だというのにこの男はわずか五分でたらしこんだのだ。
非常識にも程があった。
単に言葉が上手いというだけでは説明がつかない。
それだけでどうにかなるなら誰も苦労はしない。
自分の背に乗せてやってもいいか、と思わせる何かをこの短い会話の中にアロンダイトは感じたのだ。否、感じさせたのだ。
「いったい何者だ、あやつ……」
ようやくこれが現実だという認識が湧いてくると、今度は当然の疑問が頭をもたげてくる。
そんな周囲の驚愕の視線など意にもとめず、
「おーい、嬢ちゃん。んじゃちょっくら行ってくらぁ」
ランスはひらりと実に慣れた動きでアロンダイトの背に飛び乗り、ほんの一瞬だけ手綱を引く。
いや、引くと言うのは正確ではないかもしれない。
釣りの名人が竿を引くときのような、細やかで繊細な動きが織り交ぜられていた。
それに呼応するかのように、聞く者の身体の芯まで響くような低い雄叫びとともにアロンダイトが立ち上がり、大きくその翼を広げた。
バサッと翼を数回羽ばたかせると、魔力を帯びた風が周囲に巻き起こる。
ダンと地響きを鳴らしつつアロンダイトが大地を蹴る。
ふわりとその巨躯が重力の影響を忘れたかのように軽やかに宙を舞った。
「おおっ……」
シャーロットの口から感嘆の吐息が漏れる。
ゾクゾクッと背筋に震えが走る。目頭も熱かった。
アロンダイトが自分以外の誰かを認めた事を寂しく思う気持ちもないではないが、それをはるかに上回る感動が、シャーロットを襲っていた。
人間で言えば竜騎士養成学校の卒業式に出席した親の心境、そう、子の成長を祝う親の心境だった。
スピードはまるで出ていない。
人間で言えばほとんど歩いているようなレベルだ。
それでも遠目にも一目でわかった。
人竜ともに気持ちよさそうに空を楽しんでいる、と。
「さて……」
ためらいがちに、シャーロットは指を口元にもっていく。
もうしばらく楽しませてやりたいところだったが、あいにくと時間がない。
あの男がアロンダイトに乗れるとなれば、なおさらである。
シャーロットは口の中に指を二本詰め、指笛を甲高く響かせた。
途端、アロンダイトが方向転換し、シャーロットのほうへと羽ばたいてくる。
鞍上の男は慌てた様子で手綱を操り指示を出すものの、聞き入れてもらえないようだった。
シャーロットは心の中に生まれる優越感を満喫する。
いかにあの男が稀代の竜たらしとは言え、初対面の人間に負けては仮親の沽券に関わる。
「リュネ、馬を用意しろ! センターへ行く。あの男の出翔登録を行うぞ!」
「は、ははは、はいぃっ!」
冷静で職務に忠実なリュネットには非常に珍しく、主の声に完全に意表を突かれたようでその返事はどもりまくっていた。
冷静沈着を旨とする彼女も、あまりの自体に呆けていたらしい。
スカートの両端を掴み、慌てて厩舎のほうへ駆けていく。
実はドラゴンレーシングは国民全員が熱狂する娯楽であると同時に、どの竜が勝つかを賭ける「公営ギャンブル」でもある。
帝国の重要な資金源であり、ゆえに不正行為には極めて厳しい。不正防止のため、出翔する竜騎士は前日の三時までに、コーンウォール・シティ中央の専用寮プリズンに入っていなければならない決まりだった。
三時を過ぎてしまえば明日のレース直前まで何者も出入室が出来なくなり、外界から完全にシャットアウトされる。シャーロットが太陽の位置を確認すると、かなり刻限が迫っていた。
「おいおい、なんで呼び戻す!? これからだろうが。まだ全然俺の技量を見せてねえぞ!」
着陸したアロンダイトの背から飛び降りて、声を荒げてランスがシャーロットに詰め寄ってくる。
あれほどの物を魅せておいて、まだ何も見せていないと言う。シャーロットは自分の頬が緩んでいくのを止められなかった。
「合格だ。満点だ。言うことなしだ。続きは明日のレースで見せてくれればいい」
「あん? 随分と低い合格水準だな?」
現役竜騎士全てを敵に回すような鼻持ちならない台詞である。心底そう思っているのがわかるあたり、さらにタチが悪かった。
「馬を用意してまいりました」
リュネットが三頭の馬とそれを引っ張る男たちを引き連れて戻ってきた。
はあはあと息を切らし、顔を高揚させている。
あるいは貴族のシャーロットより優雅に振る舞う侍女には実に珍しい醜態だった。
だが、何が今一番重要かわかっている者の姿でもあった。
「よし、ランス、乗れ。センターへ向かうぞ」
自分専用の白馬に飛び乗りつつ放たれたシャーロットの檄に、ランスは再びアロンダイトに乗ろうとして――
「このド阿呆! ボケてる場合ではない。馬に乗るのだ!」
「えっ?」
ひくっと、これまでひょうひょうとしてどこか余裕があった男の顔が初めて引き攣る。
「いや、馬より、竜のほうが早いだろう?」
「シティ部上空は飛行禁止区域だっ! ええい、ほんとに時間がないのだ。グダグダ言ってないでさっさと馬に乗れ!」
その言葉に、ランスの顔がさらに引き攣っていく。
だが、すぐに観念したのかポリポリと頬を掻きながら、
「いや、俺、馬って乗った事ねえんだよ」
「な・ん・でっ! 竜に乗れて馬に乗れないんだっ!? 馬で練習してから竜に乗るものだろう普通はっ!」
「仕方ねえだろ! 竜にしか乗れなかったんだよ!」
「どういう環境で育ったんだ、おまえは!?」
シャーロットは苛立ち、その金色の頭を掻き毟る。
竜に乗れるのだから、馬にも少し練習をすればすぐ乗れるようにはなるだろう。
だが今は、そのわずかの時間すら惜しかった。
シャーロットはランスのほうに手を伸ばす。
「仕方がない。わたしの後ろに乗れ!」
「い、いいい、いけません、姫様! そのような下衆を後ろに乗せるなど! 抱きつかれるのですよ? 密着するのですよ? 清らかなお身体が穢れてしまいます!」
「ええい! 抱きつくとか密着とか言うな! 恥ずかしくなるだろうが!」
「あ、そうです。ジョンも馬に乗れます。あの男に運ばせましょう」
リュネットがパンと手を打ち、馬の手綱を抑えた黒髪の青年を指差した。
「えー、俺、男に抱きつく趣味ないんだけどなぁ」
余裕を取り戻したランスがニヤニヤと茶々を入れる。
「だまりなさい!」
「リュネット、落ちつけ。この中で一番良い馬はわたしの愛馬だし、一番馬術に優れているのもわたしだ。時間もない。なら、合理的に考えてわたしが乗せるのが一番だ」
「うう、ううううっ!」
シャーロットの弁に理があることは認めざるを得ないが、感情がどうにも許さないようだった。
リュネットが涙目でうなる様など見るのはシャーロットも初めてである。
どうにもこの男を前にすると調子が狂うらしい。天敵なのかもしれない。
「ま、んじゃ宜しく頼むわ。嬢ちゃん」
シャーロットの手を握り、それを支えにランスは軽やかにシャーロットの後ろに飛び乗った。
乗った事がないと言う割に様になっているのは竜に乗るのと要領は同じだからだろう。
ランスの両腕がシャーロットの腹部を押さえる。
竜騎士だけあって、逞しい腕である。
先程握った手の感触も思い出す。
ゴツゴツとしたタコだらけの、竜騎士の手だった。
家族以外の異性に抱きつかれるのは、シャーロットにとって初めての経験だ。
先程リュネットが抱きつくとか密着とか言ったせいで、余計に意識してしまう。
自らの心臓の鼓動が聞こえた。
「どうかしたか?」
「い、いや、なんでもない! では行くぞ」
シャーロットはわずかに頬を赤らめながら、愛馬の手綱を引いた。
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