幽霊が内見に来た

佐遊樹

幽霊が内見に来た

「内見に来ました」


 新生活を始めて一週間後の土曜日、急にドアを開けて玄関に上がり込んできたスーツの女は、営業スマイル全開の表情でそう言った。

 からりと晴れた昼の1時のことである。


「…………」


 俺は箸を片手に持ったまま、座椅子の上で硬直した。

 アレンジレシピと称してカップ麺にあらん限りの調味料をかけた結果、期待していた旨味のオーバーフローではなく絵の具全部混ぜた泥色みたいな味を生成してしまい、処理に苦悶の声を上げている真っ最中だった。


 玄関とリビングを仕切るドアは開け放っていたため、女性の背後には透き通るような青空が小さく切り取られた形で見えていた。近所の公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえてくる。

 間違いなく、世界は正常に運行を続けている。

 しかしこの六畳一間だけが異常事態に凍り付いていた。ていうかドアの鍵、閉めてたはずなんだけど。


「あの、えっと、何ですか?」

「あ、少々お待ちください、内見希望者の方をご案内しますので」


 なんとか搾り出した震え声の疑問に、女性が首を横に振る。

 なんか後回しにされた。家主俺だよね? あれ?


 ……いやいや、いやいやいやいや。

 明らかに、これはおかしい。

 だってこの部屋には、既に俺が住んでいる。まだ一週間の新参者だが、ここは確かに俺の城だ。


 だがその時、一つの可能性が思い浮かんだ。

 もしかして、俺は幽霊なんじゃないか。

 何かの映画で見た。自覚していないだけで実は死んでおり、他人からは見えない主人公がいた。

 俺はここに住んでいると勝手に思っていただけで、本当は誰からも見えない幽霊になっているのか?


「どうぞお入りください」


 こちらが愕然としている間にスーツの女が一歩横にずれる。

 向こう側、つまり開け放たれているドアから玄関に入ってきたのは、顔の左半分が醜く焼けただれた上に左肩から先のない、焦げたカーキ色の服を着た男だった。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……」


 違ったこれ向こうが幽霊だった。

 逆だ逆。俺が内見に来たときにいろよ。あっ違う内見が終わって住み始めた後に化けて出てこいよ。

 なんだこれ立場も順番もめちゃくちゃじゃねえか。


 人間は怖いものを見ると無自覚に記憶を改ざんしてしまうと怖い話でよく見るが、俺の状況はまったくの逆だった。

 あまりにも目の前のものが鮮明過ぎて、まったく記憶が改ざんされる気配がない。これ以上なくばっちりと見えている。


「では内見を始めさせていただきますねー」

「ちょちょ、待ってくださいよ。僕の家ですよ」


 カップ麺をローテーブルに置いて立ち上がる。

 そうすることでやっと、玄関に立つ二人の脛あたりから先がすーっと透明になっていることに気づいた。


「うわあ幽霊だ……なんで幽霊がうちの内見に来てるんだ……人の家を内見に来るなよ……」

「人の家と言われましても、我々は幽霊なので(笑)」

「何笑ってんだお前」


 さっきからずっと、スーツの女の態度が悪い。

 流石に恐怖を超えて怒りといら立ちが出てきた。勝手に上がり込んでるのはそっちなのに『はいはい仕方ないですねー』みたいな振る舞いをするな。


「ではお客様、どうぞお履物を……って我々足がないんでしたっけね。たはー」

「うるせえよ。幽霊あるあるジョークみたいなので盛り上がるなよ。唯一の生者が気まずいだろ」


 スーツの女と半分焼けてる男が、額に手を当ててのけぞる。

 それ幽霊の間で鉄板なのか? きわめて不愉快だ。でっかい内輪ネタじゃん。日本のテレビかよ。


「ではこちらの物件、六畳一間の1HKでして……」

「1HK? 1Kじゃなくて?」


 聞きなれない言葉に、思わず疑問がこぼれる。

 うちの間取りは確かに1Kだが、Hってなんだよ。

 スーツの女は、いちいち口出ししてくんなよと言わんばかりの表情で嘆息した。


「自覚がないんですか。Humanです」

「間取りの表示に俺が含まれてるのか……!?」


 リビングとダイニングとキッチンと俺である。

 部屋とワイシャツと私よりも一貫性のない、俺だけがめっちゃ浮いてるラインナップになってしまった。


「え、じゃあもしかして、ここは俺が住み始めたから、幽霊の内見対象になったってこと……?」


 因果が逆なのではなく、もしかして俺たち人間側の認識が逆だったのだろうか。

 部屋の設備を見て回っている男性幽霊(こいつ風呂入っていきやがった! 勘弁してくれ!)の様子を伺いながら、スーツの女が口を開く。


「まあその、我々も元々人間だったので、気持ちは分かるんですけど」

「はい」

「事故物件って言うと人が来ないじゃないですか」

「まあ……はい」

「なので先に人間を入れちゃおうかな~と」

「オイ」


 思っていたよりも悪質な商法だった。

 気まずそうに冷や汗を浮かべた後、何をトチ狂ったのか、スーツの女は舌を出して自分の側頭部を小突いた。

 腹立つ。生首の幽霊にモデルチェンジさせてえ。


「そんなんじゃなくて本気で蹴りに行っていいすか」

「やめてください、私だって仕事でやってるんですから」

「ていうか今の動作古いしムカつくんで二度とやんないでくださいね。死んだ時代がバレますよ」

「は……? 古くないですけど? え? 古くないですよ? 私流行とか意外と知ってるんで、古くはないですよ?」


 こいつ生前もクソダルかったろうな。

 必死に自分は最先端の流行もきちんと知っていると抗弁するスーツの女から、視線を逸らす。

 ちょうど風呂場から、半分ぐらい焼死体になっている男が出てくるところだった。

 今更だけどお前のその姿は事故物件に出てくるタイプではなくない?


「おっと、一通り見て回られたみたいですね。どうでしょうか」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……」


 低くくぐもった声を上げながら、男は唇らしき箇所をもごもごと動かし始めた。

 ああ、とかうう、とかしばらく唸った後。


「……やっぱり祟り甲斐のある物件かどうかを大事にしたいんですけど」

「急にスラスラ喋るじゃん」

「自分はスピード系なので、設備人間とタイプがかぶってるのが気になるんですよね」


 幽霊から勝手にスピードタイプ扱いされた。

 お前は全然スピードタイプに見えないよ。どっちかっていうとパワー系じゃない?


「スピード系ってことは、お前そのビジュで走って追いかけてくるのか? めっちゃ怖いな……」

「いえ、自分は発火能力の方を主としています」

「燃やされた側じゃねえのかよ」


 能力の暴発とかで死んでないかこいつ?


「ていうか炎使いの幽霊でスピード系ってどういうこと? 統一感がなさすぎるというか、とっ散らかってるよな?」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……」


 こいつ都合が悪くなると呻き声しか出さなくなるの、最低すぎないか?

 逃げ足だけはスピード系だな。


「ちょっと! 黙って聞いていればピチピチパチャパチャ、私のお客さんに失礼なことを!」

「お前やっぱ流行について行けてねえよ。微妙にミスってるし。浅瀬で遊んでるときの擬音じゃん」

「またそうやってクレームですか!」


 スーツの女が割って入り、キッと視線を鋭くする。

 彼女の片手にはバチバチと音を鳴らすスタンガンが握られている。


「お前何持ってんの!?」

「この怨念スタンガンが火を噴きますよ!」

「怨念スタンガン!?!?」


 護身用品が火を噴いちゃだめだよ!

 俺は慌てて二人(二人……?)から距離を取って、両手を上げた。

 祟られたりしないか不安だったが、それよりも怨念スタンガンを食らいたくない。嫌すぎる。


「生きている人間ってどうしてこう陰湿なんでしょうねえ。部屋は雑多に散らかしている上に生活能力に欠けていそうなのに、自分のことは棚に上げて」

「こいつ……」


 こちらが平服の姿勢を取った瞬間に、スーツ女が眼鏡をクイッとしながら煽りを入れてくる。

 俺は思わず拳を握った。


「こっちは生きてる人間なんだよ! 生きてればゴミぐらい出るし、怠けたくなる時間だってある……! それの何が悪いんだよ!」


 魂の叫びだった。

 しかしそれを聞いたスーツ女は肩をすくめ、重い溜息をついた。


「あなた、モテないでしょ」

「殺すぞ」

「殺されてます」


 幽霊に論破された。

 終わりだ。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……」

「えっ? お客様?」


 頭を抱えそうになっていると、スーツ女が狼狽した声を上げる。

 見れば彼女の顧客、顔が半分焼けている男の体が、温かな輝きを放つ金色の粒子に包まれていった。


「え? 何?」

「ア゛ア゛……ふ、ふふ……人を殺したい……三人ぐらいは祟り殺したいと思っていましたが……我々に振り回され迷惑そうにしているあなたを見ていると、不思議と満足できましたよ……」


 眩い光の中で、男の顔がだんだんと生前のものに戻っていく。

 舘ひろしに似たナイスミドルだった。負けた気分だ。


「次があるのなら……一緒に内見してみたいですね……」

「味方フラグ立てて死ぬのやめろ。お前のガチャは引かねえよ」


 やがて全身が粒子に包まれると、そのままぱあっと光が散り、男の幽霊は跡形もなく消えてしまった。

 一緒に内見ってなんだよ。ルームシェアじゃねえか。


「成仏しちゃいましたねえ……」


 スーツ女が半分ぐらい呆然とした様子で言葉をこぼす。

 流石に幽霊が成仏する瞬間は初めて見たので、こっちも半ば夢見心地だ。


「その……もしかして、俺があなたの仕事を妨害したとかになるんですか? 祟らないでくださいよ」

「いえ、成仏させるのがノルマですからむしろ助かりました。ありがとうございます」

「え? 成仏させるのがノルマ?」


 よく分からない言葉が聞こえてきて、おうむ返しに問うた。


「もう幽霊って人口過多というか、現世に留まれるスペースがないんですよ。だから未練を晴らして……具体的に言うと人間を祟ったり殺したりして気持ちよくなってもらって、成仏してもらうのが私の会社の仕事なんです。事故物件生成はその一部門ですね」

「色々と言いたいことはあるけど、それ幽霊を成仏させるために幽霊増やしてない?」

「……だってそうしたら無限に稼げるじゃないですか」

「自覚してやってんのかよ!」


 ヤバい! 幽霊が人の命で商売をしている!


「じゃあ、ずっとあるめっちゃ危険な事故物件ってどういう……」

「まだまだ殺したりないぜグヘヘみたいなこと言ってます」

「小物過ぎる」


 そんな三下口調で本当に危険なことあるんだ。

 一気に怖くなくなってしまった。いや怖いけど。


「それにしても、死んで……コホン。怯えてもらう以外にも満足して逝かれるケースがあるんですね。正直初めて見ました」

「お前死んだときに倫理とか忘れちゃってない?」

「ですがこれは画期的ですよ。成仏件数が年々低下しつつある中、大変興味深い……」

「はあ」


 …………。


 少しの沈黙が流れた。

 俺は自分の首筋を嫌な汗が伝うのを感じた。

 スーツの女幽霊が黙っているのは、獣が獲物との距離を測っている時間としか思えなかったからだ。


「あの、すみません」

「嫌です」

「しばらく他のお客様を連れてきて、成仏するかどうか様子見てデータ取りますね」

「嫌って言ってんだろーが! なんで提案じゃなくて決定事項なんだよ!」

「正直こんなにいい物件だとは思っていなくて……ちょっと評価も改めておきます。価格査定入れなおした方がいいかもしれません」


 俺が原因で、幽霊の方が支払う家賃……家賃なのか? 何かが値上げされようとしていた。


「じゃあ今度は子供を地下水路に引きずり込むピエロの亡霊連れてきますね」

「絶対に嫌だが」


 最悪だ。

 このままでは数人でチームを組んで恐怖の冒険活劇をするハメになってしまう。


「では本日の内見はこれにて終了とさせていただきます」

「ちょ待っ――」


 呼び止める暇もなく、スーツの女はすーっと消えていった。

 部屋には伸び切ったカップ麺のよく分からない香りが漂っていた。

 一人取り残された俺は、呆然としながら口を開く。



「……その移動できるならドア開けて入ってくんなよ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽霊が内見に来た 佐遊樹 @yukari345

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ