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「うちの新入りに渡すマニュアルだ。これを読めば大体の事は分かるだろ」

「X」の部屋から早々に追い出され、小屋とやらに案内される。

「ありがとうございます」

 案内役の男は茶々をじっと見つめた。

「今、この地下に女はお前だけだ。用心するんだな」

 それだけ吐き捨てる。小屋の前で鍵を投げて寄越し、立ち去った。

「疲れましたね」

「ああ。だが順調だ」

 鍵を差し込み、戸を開いた。


「結構綺麗ですねえ。それこそ、犬小屋みたいなのをイメージしてました」

 質素だが暮らすには十分だ。

「とりあえず、マニュアルに目を通すぞ」

 一冊しかもらえなかったそれを手に、埃のないソファーへ身体を沈ませた。

「①バディと行動すること、なんですかこれ」

「②意味のない殺しはしないこと、なんだこれ」

 ざっくり見た感じ、組織の統制を取る為の真っ当すぎるマニュアルだった。

「くだらんな」

 灰さんは興味を失ったようだ。パラパラと会議書類のようにホッチキスで留められたページをめくる。

「あ、これは大事かもしれませんよ」

 一番最後のページに、、*tokyo chika wifi*の記載がある。

「地下ネットワーク。地上の全ての電波をジャミング。それなのに、ネットバンキングの利用は可能!だそうです」

「へえ」

 スマホを取り出し、圏外になっていたことに気づく。地下ネットワークに接続すると、普通に端末は作動し始めた。

「銀行も止められてませんね。これでお金には困らないでしょう」

「みたいだな。…服でも買いに行くか?」

「そうしたいです。ずっとお借りするのも申し訳ないですし」

 サイズの大きすぎるパーカーをつまんだ。


 バイクを適当に走らせ、着いたのは屋台が並び立つ市場のような場所。騒がしい。こんなにも地下に人が暮らしているのかと思うほどの人の量だ。

「おい、そこの」

 バイクにまたがったまま、目についた店主に声を掛ける。

「服屋はあるか」

「ああ、それなら3軒隣だ」

 親切だ、と少し不気味に思った。ここにいるのは皆犯罪者。同族意識からなのか。

「どうも」

 ポケットに入っていた札を投げ、進んだ。

「らっしゃっせー!」

 ラーメン屋のような気合の入った服屋があった。

「ラーメン屋のテンションですね」

「…そうだな」

 茶々は物言いは丁寧だが、意外に頭の中は面白い奴だ。バイクにチェーンとロックを掛け、店内に入った。

「小綺麗ですね」

「それは褒めているのか?」

 地上のファストファッションと変わらないような洋服が並ぶ。

「女性用の服は取り扱いありますか?」

 店主は驚いた顔をした。

「ないない、てか、あんた女か。どこかの女装男かと思ったわ!」

 けらけら笑っている。

「欲しいなら、この通りの一番端にある服屋に行くと良い。そこにならあるし、そこにしかねぇよ」

「そうですか、ありがとうございます」

 茶々は丁寧に礼をした。

「会計頼む」

 俺は適当に見繕った服を何着か差し出した。

「気ぃ使わせて悪いね、兄ちゃん。毎度アリー!」

 だからそれはどこのラーメン屋なんだ。


「お手数かけてすみません」

 女性はよほど珍しいのだろう。今までの話を総合するに、女性ものを取り扱うお店も男性が運営している。バイクが走れる道ではどうにも無さそうな為、降りて歩く。

「後で夜飯を奢ってくれればいい」

 私の性格を理解し始めたようだ。他人に迷惑はかけたくない、と。チャラにしようとしてくれたのだろう。

「何にします?」

「和食」

「いいですねえ」

 地下のご飯は美味しいのだろうか。食べ物は食べれればそれでいいが。

 かれこれ歩いていると、人は減り、屋台街も終わりに向かっていた。

「ここですかね」

 ぱっと見た感じ、先ほどの店と同様、大きなサイズの服が多いようだ。

「すみません、女性用の服が置いてあると伺ったのですが」

 中に入り、店員に声を掛ける。こちらの店も一人で回っているようだ。まあ、犯罪者同士上手くやっていけるなんてこれっぽちも思わない。私たちは別だ。

 店員ははっとしたように、顔を見てくる。

「何か?」

「ああ、いえ、すみません。珍しいお客様なので…」

 そう言って、奥へ案内された。灰さんも付いてくるようだ。

「おお」

 奥の空間は非常に可愛らしく、綺麗にされていた。雑多な表とは似つかない。

「ここのものは売り物じゃないんです。お好きなものをどうぞ」

「どういうことでしょう」

 服屋に置いてある洋服が売り物ではない、とは。

「連れが遺したもので。必要とする方も少ないですし、お譲りしているんですよ」

 よく見れば、全て一点物だ。着用感は無いが、どれも趣味が同じ。同一人物が選んだものなんだろう。

「そうなんですね。大切な形見ではないんですか?」

「…置いておくのも、辛いもので」

 連れか。こんなところまで付いてくるとは、相当だったのだろう。端に積まれた段ボールから子供服が覗いているのを見つけてしまった。

「…他に選択肢もないので、お言葉に甘えさせていただきますね。相応の御礼はさせて下さい」

「結構ですよ。申し訳ないですが、私はもう貴方と顔を合わせません。好きに選んでそのまま出て行ってください」

「えっ、ちょっと…」

 店員は姿を消してしまった。思わぬ対応に呆気に取られてしまう。

「私、何かしちゃいました?」

「問題は無かったように思うが」

 灰さんも良く分からない、という表情だ。

「女の人に拒否反応があるんですかねえ」

 良い状態で保たれた衣類たち。お連れの方に強い思いがあったのは確かだろう。何か、残酷な亡くなり方でもしたのだろうか。

「分からないことは分からない。…外で待っている」

「はい」

 ラックに掛けられた服を手に取った。


「なんか盗みを働いているみたいですねえ」

 殺し屋が今更何を気にしているんだ、とは言わなかった。茶々は既に着替えている。

「…なんか、チャラい服だな」

「ああ、やっぱりそう思います?」

 記憶に新しい茶々の服装はあのドレスだ。今身に着けている服も露出が多い。タンクトップにパーカーを羽織っただけで寒くないのだろうか。

 と、ここで一つの事実に気が付く。

「地下に入ってから、随分と快適な気温だな」

「ええ」

 薄着でも問題ない、と言わんばかりの様子だ。色々思うことはあったが、腹が減ったのでどうでも良くなった。


 店を出ようとすると、外が騒がしいことに気が付く。先程まで今いる端の方は人が少なかったと思うが。

「なんでしょうか」

 灰さんが前を歩くが、途中でぴったりと足を止めた。ぴりついた空気が触れる。

「どうしました?」

 柄に手を掛けながら問うと、灰さんのバイクに腰かける男が見えた。

「…おい、それに触るな」

 聞いたことのないトーンで告げる。

「やっと来たか。ちょっとお話があってさあ、聞いてくんない?」

 男の周りには取り巻きのような男が数人。その一部は他の男と揉めていた。

「もう一度言おう。バイクに触るな」

 灰さんは銃を構えた。

「おお、怖い怖い」

 男はまだバイクから離れない。じっとその様子を見つめたまま、前に進む。灰さんの銃を下ろし、自分の刀を抜いた。一瞬で男の命に指がかかる。

「私は、私の為に人を殺すことを覚えたんです。やめましょ?」

 仕事道具にべたべた触られるのは非常に不快だ。私にとっての刀がそれで、灰さんにとってはバイクだ。それだけ。

「いい度胸してんじゃねえか、お嬢さん」

 ゆっくりと両手を上げ、バイクと刃から離れた。刀を仕舞う。

「俺たちに何の話だ」

 灰さんも銃をしっかり下げた。

「勧誘だ」

 そう言ったすぐ後、人混みの中からもう数人が飛び出してきた。

「俺も、勧誘に来た」

「仲間にならないか」

 二人で顔を見合わせる。

「ちょっとこれは」

「面倒だな」


 とりあえず、最初の男の話を聞いてやることにした。

「簡単だ、俺たちの組織と契約してくれ」

「それで、俺たちになんのメリットがある」

 茶々は店の迷惑になるからと場所の移動を提案した。屋台街から外れた空地へ。バイクの横に座り込み、小腹が空いたとチョコレートの包み紙を開いている。

「簡単だ、俺たちの仲間になれる!」

 予想外すぎた返答に思わず「は?」と眉根を寄せた。

「だから、そのことになんのメリットがあるのか聞いている」

「いやいや、ここで一二を争う組織に入れるんだぞ?メリットじゃないか」

 馬鹿だ。

 まず、ここへ入るゲートを管理しているのが「X」の組織。ということは今のトップは間違いなく「X」だ。確かにこいつはそこと争えるほどの実力があるのかもしれないが、この阿保さ具合で行くと差は大きそうだ。

 既に「X」との面会は済ませた。わざわざこっちへ与す必要はない。

「断る。既に{X}と話をつけてあるんでな」

 場がざわついた。茶々もその様子に気が付く。

「…なんだと!くそっ、遅かったか!」

「じゃあこいつら敵じゃねえか!」

 徐々に場は二人を敵対視し始めた。それでいい。

「そうだ、俺たちはあんたらの敵だ。今からやるか?」

 ホルダーから銃を取り出す仕草で脅す。

「ちょっと待ってください」

 と、止めたのは茶々だった。


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