英雄VS悪党②

 魔法に際限はない。

 ごく一般的なありふれた魔法ですら、使い方、過程の変更によって大きく事象が変わる。


 ───目の前で起こっていることを自分の認識だけで当て嵌めるのは危険だ。


 安易な決めつけが、自分の足枷になることがある。

 ただ、それは「やろう」と思ってできるものではないのは言わずもがな。

 例えば、近くに這っている生き物の見た目がネズミのような形をしていて、それを「ネズミじゃない何か」と認識するのは難しい。

 特に膨大な情報量が飛び交い、一つの失敗も許されない緊迫とした戦闘の最中だと、なおさらだ。


 つまり、何が言いたいのかというと───


「ばッ!?」


 ───ヴェントの頬に拳が突き刺さった。

 絶対に捕まらない魔法を有するヴェントが、ただの拳を喰らったのだ。

 大量に血飛沫を上げる、クロの残った方の拳を。


(あり得ない……ッ!)


 ヴェントは大きく仰け反りながら、歯噛みを見せる。


(たとえ即死じゃない傷だったとしても、その出血量だったらまともに動くことなんてできないッ!)


 加えて、腕が一本切り落とされたのだ。

 痛みに慣れている職場で働いているとはいえ、ダメージ前提で魔法を組んでいるレティでなければ顔色一つ変えないのはあり得ない。

 痛みによって動きが鈍り、まずは止血しようとするはず。

 しかし、頬に喰らった一撃は力の籠ったかなり重たいもの。


(何故ッ!?)


 一体、何が───


「…………ぁ」


 ヴェントは見ている。

 赤い液体を撒き散らしながらも立っている、クロの姿を。


「まさ、か」


 ただし、出血量を気にせず。

 落ちた腕は


「最初から顔すら出ていな───」


 地面が唐突にヴェントの体ごと押し上がった。



 ♦️♦️♦️



 この場で一人、アイリスだけは違和感に気づいていた。


「……わざと、残した」


 ヴェントのあの掛け声。

 咄嗟に頭を落とした自分より少し遅れて下げた体。

 しかし、クロであれば……自分とまともに戦闘できた兄が、咄嗟に遅れることなどあり得ないはず。

 つまり、あの動作はという証。

 捕まえられない相手の油断を誘った動作そのもの。


(兄様……あなたはどこまで想定しているのです)


 震える。

 初見の敵を相手に、数多ほどの可能性を考慮して行動を起こしてみせた想定の多さに。

 そうでなければ、二体目の土塊を登場させる必要もなかっただろう。

 もしかすれば、ナイフで頬を切られたことも、と誤認識を与えるためなのかもしれな───


「ですが、何故……血はちゃんと出ていました」


 クロが見せた魔法は、ゴーレムの完成度を高めた土人形のはず。

 だから、液体が飛び出ることなどあり得ないのに。


「……水」


 そう考えていると、唐突に横から声が聞こえてきた。

 ヴェントが天井を突き破って押し上げられ、牢屋の中だけが残ったこの場所で、新しい声が生まれる。

 アイリスは横を見ると、フラフラとおぼつかない足取りでやって来るミナの姿があった。


「起きていたのですね」

「さっき、目が覚めました……」


 まだ頭が回っていないのだろう。

 額を押さえ、ゆっくりとアイリスの横に並ぶ。


「今のは、恐らく土人形の中に水を含めただけです」

「ですが、色は赤でしたよ?」

「……色など、容易に変えられます。それこそ土を混ぜれば茶色になりますし、赤色など薔薇の花弁をすり潰せば着色できます」


 もちろん、中身が水であれば頑丈さに支障が出る。

 人は骨で形を維持しているが、土人形にそれはない。土の塊として圧縮させているからこそ維持ができている。

 そのため、中に水を入れるとなると維持が不安定になってしまうのは言わずもがな。

 つまり───


「……落として腕の部分。ではないですね、恐らく胴体にだけ着色した液体を入れていたんだと思います」


 ───すべては、一人を騙すために。

 綿密された想定通りに動くために、相手の誤認を促した。


「……流石は兄様、ですね」


 アイリスはほんのりと染まった頬を見せ、ミナを見上げる。


「起きられたのであれば、手伝ってください」

「何を、されるんですか?」


 決まっている。

 アイリスは真っ直ぐに言い放った。


「ここからこの場にいる者を連れて兄様の邪魔にならない安全圏に向かいます。なので、まずはこの地下から出ることですね」


 ───兄は兄のできることをしている。

 手を煩わせるわけにはいかない。

 英雄ヒーローの妹として、自分ができることをしなければ。


「どうせ……」


 アイリスは周囲で寝ている子供達の姿を一瞥する。


「どうせ、逃げ道ぐらいは用意しているでしょう。何せ、から」


 ♦️♦️♦️



 一方で、地面に押し上げられたヴェントは内心で焦っていた。


(クソッ、マズい……ッ!)


 隙間のない、地面と天井の圧迫。

 地面の勢いが強いせいで先程から天井を抉って進んでいるが、中に挟まれた者などたまったものではない。

 ───ヴェントの魔法は座標の移動。

 しかし、それはあくまで点を正確に認識しなければならないもの。


(こんなに押し上げられている中で、自分が今どこにいるのかなんて分かるわけがない……ッ!)


 強烈な圧迫。

 少しでも力を抜けば、体が潰されてしまいそうになるほど。

 だが、それもすぐに終わった。


「ばッ!?」


 ───天井がなくなったのだ。


 ヴェントの体は、ついに地上へと跳び上げられる。

 視界に映ったのは、夜空に浮かぶ綺麗な月。

 そして、落下の際に見えた地上には───


「さぁ、正真正銘の最終局面クライマックスだ」


 悠々と土の玉座に座って待ち構える、英雄クロの姿があった。

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