英雄の来訪

「は、はは……驚いたな」


 現れたクロを見て、ヴェントの額に汗が伝う。


「一応、ここってかなり深い場所にあるんだけど……」


 それこそ、二人の魔法を使ってようやく構築した場所だ。

 にもかかわらず、辿り着いただけとはいえ額に汗すら浮かばせていないとは。

 驚くヴェント。

 しかし、クロはゆっくりと歩いて横を通り過ぎていく。

 そして、牢屋の前に立つと徐に腕を振るい、すべての鉄格子を真横に薙ぎ払った。


 ───遊人の来訪イルス・アルスロット


 その魔法に込められた願望こうりょくは、立ち塞がるあまねくすべての破壊。


「……兄様」


 目の前に現れたヒーロー

 アイリスは視界に捉えた瞬間、何故か唐突に力が抜けてしまった。

 だが、駆け寄ったクロが優しく抱き留め、そのまま優しく頭を撫でる。


「私、頑張りました」

「……あぁ、そうだな。お前は本当に凄いよ」


 あの悪党にどういった意図があったのかは分からない。

 こうして生きているのは、単に気まぐれかもしれない。

 けれども、視界に映るミナや他の子供達が無事だと窺えるのは、一重にアイリスのおかげと言っても差し支えないだろう。

 何せ、自分の妹は……見ただけで重症だと分かる満身創痍の姿なのだから。


「当然、です……私は兄様の妹なのですから」


 クロはアイリスの体を抱き抱え、そのままミナの横の壁へとそっと座らせる。

 そして、クロは己で破壊した鉄格子を越えると───


「黒幕発見、でいいのか?」

「この状況で弁明できるチャンスがあるなら、頑張って首を横に振るよ」


 言わなくても分かる。

 この場に集められた子供達。追っている任務の別件であろうがなかろうが、間違いなく目の前にいる男がこの状況を作り出した人物。

 

 夜中に出歩いている人間を探すために、クロはスイカ割りをした時に見せたのと同じように、この島一体の地面に魔力を通した。

 人が動いている際に生じる沈みを発見するために。

 しかし、見つかったのは地中にある空洞───怪しまないわけがない。

 だからこそやって来てみせたら、現れたのがヴェントだ。

 クロの中で、フツフツと怒りが湧いてくる。

 その理由は───言わなくてもいいだろう。


「にしても本当に驚いた。ド派手な演出だったけど、まさか彼女の言う通りにやって来るなんて」


 ヴェントは呑気に体をほぐし始め、準備運動をする。


「一つだけ聞きたい」

「あ?」

「君は今、どういう立ち位置でそこにいるんだい?」


 唐突な質問。

 クロは思わず眉を顰めてしまう。


「教師として? それとも英雄として? あるいは、魔法士団の人間として?」

「……何が言いたい?」

「返答によっては、僕のボルテージも変わるわけなんだけど」


 冷たい目。

 今に至るまでアイリスに向けたこともなかった鋭い瞳が、クロへと注がれる。


「……僕の時は、誰も来なかった。先生も、おとぎ話に出てくるような英雄も、誰かを守るはずの人間も」


 百日かかった、誰かがやって来るのに。

 利権と体裁と利益を考えて、守るべきはずの民を助けるために動こうとはしなかった。

 もちろん、領主達を恨むつもりはない。

 クロ達を恨むつもりもない。


 筋違いだというのは分かっている。

 これが憂さ晴らしに類似した行為なのだというのは分かっている。


「……彼女に聞いた時は、心底腹が立ったよ」


 ただ、それでも。


「何故! 今! 君は間に合ってしまう!? あの時駆け付けてくれなかった君のような存在が、どうして僕の時だけッッッ!!!」


 ───本来、魔力とは感じるものではない。

 己の中にしか存在せず、事象として世に顕現した時にのみしか顔を出すことはない。

 だが、この場で唯一目を覚ましてしまった子供アイリスは、どうしてか今のヴェントからあり得ないはずの魔力を感じた。


「ッ!?」


 肌を擦るような、胸を締めつけるような。

 感じただけで、実際ヴェントの体からは魔力など溢れてはいない。

 ただ、温厚そうな人間から垣間見られた怒気が「ただ者ではない」と、体に教えてくる。

 アイリスの心配そうな視線が兄へ向けられた。


「兄様……」


 一方で、そんな怒気と心配を一身に受けるクロだけは、態度を変えなかった。

 己も湧き上がる怒りを、ヴェントへとぶつける。


「みっともないこと言ってんじゃねぇよ」


 ザクリ、と。

 クロが一歩を踏みしめる。


「運が悪かったのかもしれねぇ、クソ野郎がクソな私利と体裁に走ったからかもしれねぇ、駆け付けてあげられなかったせいかもしれねぇ」


 だけど、それでも。

 今の発言に、物申さずにはいられない。


「俺がやって来るのは英雄って呼ばれているからなわけでも、教師や魔法士団って立場だからでもねぇ───当事者に立って、助けたいって思ったからだ」


 クロは聖人君子でも、万能な機械なわけでもない。

 助けられる人間には限度があり、助けたいと思える人間も己で選んできた。

 選んできた結果、クロはここにいる。

 すべて自分で選び、自分が拳を握って、誰かに手を差し伸べてきた。


「誰かのせい、自分は違う……そうじゃねぇだろ、! 自分の行動を無視して他人を巻き込んだ憂さ晴らしなんて、子供の我儘以上にタチが悪ぃよ!」

「…………」

「責任転嫁してぇんだったら、まずは自分が土俵に上がりやがれ傍迷惑クソ野郎ッッッ!!!」


 クロの言葉が、地下の中に響き渡る。

 少しだけの沈黙。

 ヴェントは小さく息を吐き、真っ直ぐにクロを見据える。


「……互いの御託はこれまでにしよう」


 拳を握り、腰を落とす。

 そして───


「さぁ、ろうか先生ヒーロー。君が悪党ぼくを倒さなかったら、守るべき人間は僕が殺すよ」

「言ってろ、阿呆。同じ土俵にも立ってねぇ馬鹿に、英雄ヒーローが負ける道理なんてねぇだろ」


 始まる。

 英雄ヒーローと復讐に駆られた男の相対が、今ここに。


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