いなくなった二人
一日が終わった。
入浴も食事も済ませ、あとは寝て明日に備えるだけ。
といっても、明日は午前中に授業を行って午後には帰る予定だ。
クロにとっては船酔いこそ最大の敵なので憂鬱なことこの上ないが、こればかりは仕方ない。考えないようにしよう。
本来、教師は皆が就寝の準備を始めようとしている頃には予習をしなければならない。
しかし、すべての授業をカルラに任せることができたクロは、現在教師用に割り当てられた部屋でゆっくり寛いでいた。
「でもさ、野郎の部屋に入り込むレディーっていうのもどうなのよ?」
「あら、どうせ襲う気なんてさらさらないでしょう?」
クロの部屋には、ラフな部屋着に着替えたカルラが書類と睨めっこしていた。
自分の部屋ですればいいと言ったのだが、どうやら「意見聞いてもらいたい時、すぐに聞ける」とのことらしい。
別に構いはしない。とはいえ、どうにもこの子はクロが狼さんだということを失念している。
「人を鶏だと思わないでくれる? チキンじゃなくて狼なのよ、俺も。こうして平静を保っていられるのも、日頃から鍛えられた理性のおかげだと思ってほしい」
「……日頃?」
「アイリスが自分のベッドで寝てくれないからな……」
クロの理性は、日々血の繋がっていない妹に鍛えられている。
今では、ちょっとやそこらでは揺るがないぐらい逞しいのだ。本人曰く。
「はぁ……あの子も大概ね。お兄ちゃんの教育方針、間違ってるんじゃないかしら?」
「んー……でも笑ってくれるようになったからなぁ。間違っちゃいないとは思うんだが……」
「過剰な愛は過剰な愛を生むだけよ」
「深くて涙が出るご高説だこと」
クロはベッドの上に寝転がり、何も考えずにボーッと天井を見上げる。
すると、同じベッドの上に何やらのしかかったような感触が伝わってきた。
「……どったの、距離を詰めて?」
「……今日、一緒に寝てみる?」
「お前はいきなり何を言い出すんだ!?」
クロは咄嗟に体を起こし、ベッドの隅にまで避ける。
「お、おおおおおお嬢さん君は流石にアウトだろう!?」
「あら、この私じゃご不満って言うの?」
「ご不満はないけど問題はあるんだよ馬鹿野郎ッッッ!!!」
婚姻もしていない、結婚もしていない。
家族ではないそんな女性と一緒に寝て理性のタガでも外れてしまおうものなら、それはもう大問題だ。
確かに、クロとてそろそろ身を固めなければならないお年頃。
かと言って貴族がそんな安易に欲望に身を任せるわけにはいかない。そう、そこには色々と壁が存在するのだから!
「むぅ……つれないわね」
「お前は何に張り合って自ら犠牲に走るんだ……」
疲れたクロは肩を落とす。
張り合っているのが妹で、突き動かす原因が乙女心だというのを知らないクロに、カルラは苦笑いを見せた。
その時───
『あ、あのっ! 先生、いますか?』
唐突に部屋のノックがされた。
教師の部屋など、滅多に生徒は訪れない。確かに、クロ達は好奇心の対象である魔法士団の人間だが、夜分遅くという礼節ぐらいは弁えているはず。
だからこそ不思議に思い、カルラが腰を上げてドアへと向かった。
扉を開くと、そこには三年生の生徒と一年生の生徒が立っており、
「どうかしたの?」
『えーっと……その、アイリス様を見かけませんでしたか?』
『それと、ミナさんもなんですけど……』
おずおずと口にする生徒達を見て、カルラは首を傾げる。
「いないの? もう就寝時間も近いはずなのに?」
『はい、ミナさんはちょっと夜風に当たりたいって出掛けたんですけど、戻ってなくて……』
『アイリス様も、ミナさん一人は危ないからとついて行って……アイリス様なら安心だと、私達も放っていたんですが……』
戻っていない。
二人の額に薄らと汗が滲んでいることから、施設の中はあらかた捜したのだろう。
カルラはクロに視線を向ける。
それを受けてクロが頷くと、カルラは二人の生徒の背中を押した。
「教えてくれてありがとう。あとは私達で捜しておくから、あなた達はもう寝ちゃいなさい」
『で、ですが……』
「心配する気持ちも分かるけど、生徒の安全が第一なの」
カルラがそう言うと、二人は顔を見合わせる。
そして、深く頭を下げると、そそくさと廊下を走っていった。
その背中を見送り、カルラは扉を閉める。
「……どう思う?」
「どう思うって……アイリスも、ミナもルールを破るような性格じゃないだろ」
ミナは真面目だし、アイリスは生徒の模範として生徒会長に選ばれた。
そんな人間が、就寝時間を破って外を歩き回っているとは考え難い。
何かに巻き込まれたか? という心配が湧き上がる。
「でも、この島はアカデミーの所有する場所よ? 私達以外の人間がいるとは考え難いのだけれど……」
「考えられるのは道に迷ったか、あるいは俺達が知らない誰かがこの島にいるか、だな」
クロは腰を上げ、扉の方へと向かう。
そして───
「いずれにしろ、捜さなきゃいけないのは間違いない。何かが起こる前に連れ帰るぞ」
「……そうね」
二人は部屋を出て、ゆっくりと扉を閉めた。
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