浮き足立っている空間

 早いもので、二週間が過ぎ去ってしまった。

 自堕落な生活を送っていたいつもとは違い、忙しない日々。

 授業に内容の把握、アイリスの機嫌取りにカルラとの魔法探求。

 受けている任務の進捗は、残念ながらあれから目ぼしいものはない。

 おかげさまで毎日の時間の経過が早く感じ、クロは珍しく時間のありがたみを覚えていた。


 そして、現在———


『私、新しい水着を新調したんです』

『えー、いいなぁー!』

『そういえば、今回はカルラ様もいらっしゃるんだよな?』

『この機会にお話をさせてもらえればいいんだが……』


 などなど。

 一年生の教室でそんな浮足立った声が聞こえてくる。

 今回は「たまには自習させよ」ということで、久しぶりにサボり意欲を発揮したクロ。

 浮足立っている生徒達を見ながら、教壇の前に座って頬杖をついていた。


「そんなにいいもんかね、臨海授業は?」


 あと二週間後、魔法の授業を受けている生徒は臨海授業というイベントが行われる。

 王国最大のアカデミーが所有する海沿いの施設で、学年問わず同時に一泊二日の授業を受けるのだ。


「それはそうですよ、先生」


 その横で自分の書き連ねたノートを見ながら予習していたミナが口を開く。


「アカデミーの所有する施設と敷地は豪華で景色もいいみたいです。毎年遊ぶ時間も設けられているらしいので、ちょっとした遠足気分になるのも仕方ないかと」

「なるほどな……って、ミナ。ここの過程の仮定が違う。これだとそもそも事象が成立しない」

過程かてい仮定かてい……」

「ギャグじゃないぞ?」

「知っていますが?」


 首を傾げるミナであった。


「それで、遠足って話か……遊ぶために行くんじゃないって教師らしくキメ顔で言った方がいい感じ?」

「私は先生の学生時代を知らないのですが……恐らくその発言はブーメランなのでは?」


 違いない、と。

 大きなイベントで速攻昼寝スポットを見つけて学生時代、爆睡していたクロは苦笑いを見せる。


「あと、一年生や二年生にとってはこの機会はチャンスなんですよ」

「チャンス?」

「はい、滅多に作れない縁を築ける場でもありますから」


 アカデミーは思った以上に上級生と下級生の関りが薄い。

 授業が合同になるとしても同じ学年内であり、授業を受ける棟も違う。

 そのため、こうしたイベントごとでしか上級生と関りを持つ機会がないのだ。

 ここに在籍している生徒はほとんどが貴族。

 縁を結んで、これからの人生に活かそうと教育されているのは言わずもがなである。


「今回はカルラお姉様やアイリス様も参加されるのですよね? であれば、浮足立っているのも仕方ないのでは?」

「そんなもんか?」


 毎日のように見ている顔に珍しさもクソもないが、他の子供達はそうでもないらしい。

 クロは改めて教室を見渡し、その様子を窺った。


「ちなみに、私も楽しみにしております!」


 ふふんっ! と、唯一クロの横に座ってきたミナが可愛らしく胸を張る。


「まぁ、カルラの授業を受けられるもんな」

「それもそうですが……先生と初めての遠出ではありませんか!?」

「俺?」

「はいっ!」


 どうして自分との外出が嬉しいのだろう?

 よく分かっていないクロは思わず首を傾げてしまった。


「私も、その……今回のために、水着を新調しまして……」

「うーむ……」


 ミナはカルラと似て愛らしくも美しい少女だ。

 普段とは違う格好、露出の多い服。ミナであればどんな水着でも似合うとは思うのだが―――


「ははっ、男子勢は大喜びだな」

「先生もですか!?」

「ん? そりゃ、まぁ」


 可愛らしい女の子が可愛らしい恰好をしてくれるのだ、喜ぶのは間違いない。

 それが鼻の下を伸ばすほどのものになるかは分からないが、とりあえずクロは肯定する。

 すると、ミナは頬をほんのりと染め「カルラお姉様達に負けないようにしないと」と、何やら決意を新たにしていた。


「っていうか、そうか……臨海授業は海でやるから、アイリスも水着を新しくしていたのか」

「アイリス様が、ですか?」

「あぁ」


 ミナと同じで正直何を着ても似合うと思っているクロであるが、アイリスはそれをよしとしなかった。

 クロの脳裏に「これはどうですか、兄様!?」と、試着に二時間も付き合わされた記憶が蘇る。

 それだけで、自然と頬が引き攣ってしまった。


(学生の頃はあんまり意識していなかったが……)


 どいつもこいつも楽しそうにしている。

 あの時は単に生徒の一人として参加していたが、今回は違う。

 こうして楽しそうな生徒達を眺める側。それらを引率する役目。


(落胆させないように配慮しながら授業とか……面倒くさい)


 と言いつつ、そう考えている時点で自分も教師としての自覚が芽生えてきたのだろう。

 ここに来て約一ヶ月。

 自分がこれからもこの仕事を続けるかどうか……恐らく、それはないだろう。

 いつかは辞める。

 だが―――


(まぁ、こいつらが卒業するまでの四年はいてもいいって思っちゃうんだよなぁ)


 本当に面倒くさい、と。クロは頭を掻く。

 すると、横に座っていたミナがノートをこちらに向けて尋ねてきた。


「先生、一つ質問があるのですが。水魔法の根幹理解についてです」

「ん? あぁ、そういえば授業中だったな」


 クロはミナの質問に答えていく。

 教室の雰囲気は、相変わらず浮足立ったまま。

 そんな中で、クロは今日も今日とて生徒に魔法を教えていくのであった。

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