回想〜優しい兄様〜
アイリス・ブライゼル。
クロの両親が「女の子がほしいから」という理由で孤児院から引き取った少女。
ただ、これはクロも知らない話なのだが……彼女は、別にそのような理由で引き取られたわけではない。
昔、ブライゼル公爵家に幼い頃から仕えていた使用人。
彼らが事故によって命を落とし、クロの父親である当主が遺されてしまったアイリスを引き取ったのだ。
どうしてそれを言わなかったのか? 単に、アイリスに気を遣うことなく家族として受け入れてほしいという願いがあったから。
しかし、それは当初はマイナスな方向へと作用してしまう―――
「おーい、飯だって。聞いてんのか?」
「…………」
「なんだよ、こいつ……」
引き取られたばかりの頃。
アイリスは生気を失ったかのような人形であった。
まぁ、それも当然だろう。何せ、八にも満たない子供が唯一の肉親を失ったのだから。
だが、知らないクロは「愛想が悪いやつだな」と、アイリスにいい印象は持っていなかった。
(……まぁ、別にどうでもいいか)
自分は忙しいのだ。
教養にマナー、剣術に魔法。立派な公爵家の当主となるために、自分は努力しなければならない。
得体も知れず、不愛想な義妹に構っている暇などないのだ。
―――この時のクロは、十二歳。
社交界に本格的に顔を出し始め、貴族としての責任を持ち始めた頃。
子供らしさは、もうあまり残っていない。
王族に次ぐ公爵家の次期当主として、役目を果たさなければ―――
(……楽しく、ない)
一方で、アイリスの心は沈んでいくばかりであった。
平民であり、決して裕福な家庭ではなかったが、毎日両親に囲まれて楽しい日々を送っていた。
両親から聞く公爵様の話は面白かった。
いつか、自分も両親と同じように使用人として公爵家の一員として務めるのだと、一生懸命勉強して―――
(……死にたい)
しかし、現実は予想外で非情なものであった。
両親のようになるのだと意気込んでいた結果が、違う形で公爵家の一員となってしまった。
周りを見渡しても、笑いかけてくれた両親の姿はない。
あんなに輝いて幸せ色に染まっていた日常は、もう残されていない。
(……死にたい)
両親が亡くなって四日。公爵家に迎えられて三日。
幼いアイリスの心は、ついに限界を迎えてしまった。
こんな場所にいても楽しくない。
私に幸せ色を見せてくれていた両親のところへ逝こう。
そう思ってその日、アイリスは一人こっそり抜け出して屋敷の近くにある森へと足を運んだ。
確か、昔両親と一緒にピクニックに来た時、高い高い崖があったはず―――
「馬鹿、野郎……ッ!」
アイリスの背中を誰かが引っ張る。
自然と足を運んでしまっていた崖から遠ざけるように、一人の少年が自分の体を抱き抱えた。
「何考えてんだ、お前!? 危ないだろ、死ぬ気か!?」
誰だろう? と一瞬思ったが、初日以来話したことがなかった兄だと、アイリスは理解した。
その少年が、焦りを滲ませた顔で自分を強く抱き締めている。
「……死にたい」
「あァ!?」
「楽しくない、お父さん達がいない世界で、生きたくない」
自然と、アイリスの瞳から涙が零れてくる。
それは、自分の口から「お父さん達」というワードが漏れてしまっただろうか? 流れてしまった涙は自然と嗚咽へと代わり、風が肌を撫でる静かな森の中で、アイリスのすすり泣く声だけが響いた。
「………………」
先程まで怒っていたクロは、何も声を発しなかった。
自分の背中を優しく擦り、アイリスが泣き止むのを待った。
ただ、一瞬だけ。アイリスの耳に「ごめん」という言葉が聞こえたような気が―――
♦♦♦
結局、あの日のことは誰にも知られることがなかった。
クロは「アイリスと遊んでいただけ」と、森に行ったことを伝え、「子供だけで行く場所じゃない」と怒られたのだが、それ以外は特に特別何かがあったわけではなかった。
アイリスも、死ぬことはなかった。
しかし、その日から明らかに変わったことがある―――
「おい、アイリス! 見ろよ、新しいゲームを買ってみたんだ!」
クロが毎日のようにアイリスの下へ遊びに来たのだ。
「……これ、なに?」
「ん? 俺もよく分からないんだが……とりあえず、遊んでみれば分かるだろ!」
知らないゲームを持って来ては、無理矢理付き合わせる。
「よし、街へ遊びに行こう! 大丈夫、護衛がいれば怒られることはない!」
「……昨日も行ったけど」
「まだまだ行ったことも遊んだこともない場所がある! 気にするな!」
時には着替えさせられて街や森へと連れて行かされる。
そんな気分じゃないと言っても、クロはアイリスの手を引っ張り続けた。
「いいか、アイリス。二度寝こそが至高なんだ……陽が昇って昼食時になるかならないかぐらいまで寝ると、とても気持ちがいい」
「……お勉強は、しないの?」
「ハッハッハー! サボってなんぼだ、嫌なことからは目を背けるスタイル最高!」
クロは変わった。
アイリスの目から見ても真面目だった子供が、いきなりだらしなく自堕落な生活を送り始めたのだ。
両親から、教師から怒られようとも関係ない。
アイリスの下へ足を運んでは、貴族らしくもない自由な姿を見せている。
「いいか、
……あぁ、分かっている。
流石の自分も、どうしてクロがこのようなことをし始めたのか分かっている。
あの日、死にたいと思っていた私が漏らした言葉を、この少年は払拭しようとしているのだ。
人形から、人間へ。
失ったと思っていた幸せな時間を、クロは別の形で取り戻そうとしてくれている。
好きなように生きて、楽しいことをする。
そんな当たり前のことを自らの性格を曲げてまで、自分に教えようとしてくれている。
「……ぷっ、あははははははっ!」
「……へ?」
「ば、馬鹿じゃないですかっ、兄様は!」
そうしていくうちに、自然とアイリスの顔から笑みが生まれた。
「あの……どうして泣いてるの、兄様?」
「ば、ばっか泣いてないわい……ちくしょう、マジでさ……不意はヤバいって」
この瞬間がクロにとってどれだけ嬉しかったことか……アイリスは知る由もない。
ただ、今の笑顔を境に―――アイリスの心は、自然と溶けていってしまった。
(あぁ、兄様……)
もしも、自分が人形のままだったら。
きっと、この先の人生で一度も笑顔を浮かべることはなかっただろう―――
♦♦♦
「あの時、どれだけ私が救われたか……きっと、兄様はご存じではないのですよね」
「ん? いきなりどうした? っていうか、しれっと俺と同じベッドで寝る妹へツッコミは入れてもいいのか?」
一緒にお風呂に入ったあと。
就寝準備を済ませ、勝手に兄と同じベッドに潜り込んでアイリスが唐突にそんなことを言ってきた。
「ふふっ、好きなことを好きな時にやる……兄様が教えてくださったことではありませんか♪」
「都合よく改竄されているような気がせんこともないんだが……」
そうは言いつつ、クロはアイリスを引き離すことはしない。
まるで、妹のやりたいことを尊重しているかのような———
(相変わらず、お優しい兄様)
アイリスはそっとクロの腕に抱き着き、目を伏せて優しい温もりを味わう。
(今の私があるのは、兄様のおかげです)
自堕落で、節操がなくて、怠け者だけれど。
間違いなく絶望めいた瞬間に光を当ててくれた
自分は、兄が素晴らしい人だということを知っている。
今はもうすっかりクズ貴族として染まってしまったが、やっぱり根っこの部分は変わらない。
(兄様、私はあの時から……クロ様を、お慕いしております)
アイリスは昔のことをもう一度思い出し、いつものように兄の温もりを感じながら深い眠りへとついたのであった。
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