回想〜英雄〜
本当に偶然で、単に不幸な話であった。
「クソッ! こんなところまで
「静かにしろ! 今ならまだやり過ごせる! 姫様だけでも無事に帰さねば……ッ!」
「どうやって!? 応援は呼びましたけど普通なら見捨てられますよ、こんな状況!」
艶やかなプラチナブロンドを見せる少女の目の前で、護衛の騎士達が言い争っている。
少しだけ大きな洞穴。薄暗く、ハッキリ見えるのは日が照らした入り口から見える外の景色ぐらい。
先には、綺麗で絢爛だった馬車が踏み潰された無惨な光景と───止まる気配のない、魔獣達の群れ。
少しでも視線がこちらに向けば、逃げ場のない自分達は間違いなく食い物にされるだろう。
(怖い……!)
まだ、この時少女は十歳。
王族に名を連ねる三女として生を受け、この日は使節のために国中を巡回していた。
本当は、今目の前にいる護衛の騎士二人だけでなく、多くの護衛と共に使節していたのだ。
ただ、今は一人。
どうしてそうなったのか……それは言わなくてもいいだろう。
「チューズも、バランも、ジャックもロイだっていなくなってしまいましたよ……俺達をここまで逃がすために」
「………………」
「お、俺だって姫様を生かすためなら、アイツらと同じように命を散らしてやります。でも、俺の命でどうにかできる状況じゃねぇって言ってるんですよ……」
上司と思われる男は何も言わない。
というより、言い返せないのだろう。
何せ、部下の言う通りなのだ───応援があったとしても、目の前に広がるのは
いくら王族と言えど、見捨てれば被害が出ないであろう状況で薮を突くという考えには至らないと思われる。
何せ、王族の血は大事だが、上にも下にも子供はたくさんいるのだから。
「…………ッ!」
その不安が少女にも伝わったのか、泣き出しそうな涙を堪えて俯いてしまう。
しかし、それで状況が好転するわけでもない。
今、この場で……最も足でまといなのは何もできない自分だ。
であれば───
「……げ、て」
「ミナ様……?」
「わ、わたっ……私のことはいいから、逃げて……」
自分を守るという役目がなくなれば、二人は自由に動ける。
どうせここにいても時間の問題なのだ、であれば少しでも可能性が高い方にベットした方がいい。
「な、何を仰っているのですか、ミナ様!?」
「そうですよ!」
「でも、このままだと皆死んじゃう……ッ!」
この言葉を口にする勇気は、どれほどのものだっただろう?
たった十歳。王族の責務を課せられただけの、どこにでもいる女の子。
そんな少女が、自分が死ぬから生き延びてと、死を許容して言い放ったのだ。
これがどれほど勇気ある言葉だったのか……言わずとも分かる。
二人は拳を握り、部下の男は大きく息を吐いた。
「……どうせベットするなら、俺が先に行きますよ」
「お前」
「じゃなきゃ、いい顔してアイツらに会えないですからね」
男は決意する。
己の責務を、自分達を気遣ってくれた女の子のために最後まで果たそうと。
だが、それは少し遅くて。
部下の男が拳を握った瞬間───洞穴の上部がごっそりと持っていかれた。
「「ッッ!!??」」
何事かと思わず頭上を見上げる。
そこには、腕を振り抜いた禍々しいほど巨体なトロールが、ニヤリと笑いながら立っていた。
(あ、あぁ……)
遅かった。
もう少し、早く自分が勇気を振り絞って二人に逃げてもらえれば。
こんな結末にはならなかった。
自分達の姿が露見し、魔獣の視線を一身に浴びた瞬間……結末など決まったも同然。
(お姉ちゃん……お母さん……)
堪えきれなくなった涙が、一斉に溢れ始める。
覚悟を決めたはずなのに、こうして死を目の当たりにして体が震えるだけで思うように動かない。
(私がいるから、皆死んじゃった)
トロールは嘲笑うかのように口元を歪めながら、ゆっくりと腕を振り上げる。
「ごめんなさい……ッ!」
そして───
「なんでお前が謝るんだよ」
───トロールの巨体が、地面へと倒れた。
「……へ?」
何が起こったのか分からなかった。
本当に気がつけば、あの見上げるほどの巨体は地面に倒れていて。
岩石ほどの頭にはいくつもの土の槍が刺さっていて。
その上に、いつの間にか見たことのある紋章が縫われたマントと、黒いお面をつけた一人の青年が座っていて───
「悪いのは全部こいつらだろうが。何を勝手に可愛い女の子が悲劇に
その青年は、ゆっくりと三人の前へと降り立つ。
すると、少女の前に立って笑いながら小さな頭を乱雑に撫でた。
「でも、よく頑張ったな。そういう
安心させるような笑み。
青年は少女の頭を撫で終えると、庇うようにして前に立つ。
トロールが死んだからといってお終いではない。
今は
終わりの見えない魔獣の猛威が、降り注がれる場だ。
故に、少女は思わず叫んでしまった。
「どうしてッ!?」
「ん?」
「どうしてきたんですか!? 黙って見過ごせば、あなたも死ぬことはなかったのに!」
ここに至るまで、何人も自分に笑ってくれた人が死んだ。
少女の心は、もう限界だったのだろう。
だって、いくらこれほど大きなトロールを倒せる実力があったとしても、数には負ける。
これ以上、自分を守るために誰かが死んでほしくない。だからずっと「どうして」と、責め立てるように青年に向かって叫ぶ。
しかし、
「馬鹿言うな」
それでも、
「誰かが泣いてんのに、命を張らない理由がどこにある?」
青年は、拳を握った。
「いいからそこで見とけ」
……その背中は、正しく『英雄』と呼べるものであった。
自分よりも、他者を優先する。
そこに命の危険があろうが、圧倒的不利な場面だろうが、泣いている誰かを見捨てることはできない。
「お前達の命だけは、
たとえ、それが名も知らぬ赤の他人であったとしても───
「
青年は地面に拳を思い切り叩きつける。
すると、この場一帯を飲み込むほどの地割れが引き起こった。
「『
何百もの魔獣達の群れが、一斉に地面へと落ちていく。
木々は崩れ、飲み込まれ、先の見えない奈落へと片道切符が配布される。
───それでも、まだ魔獣は残っている。
だからこそ、青年は叫んだ。
「さぁさぁ、始めようか木偶の坊! 遊び足りないんだろ?
獰猛に、不安など見せず、ただただ笑ったのであった。
♦️♦️♦️
この日、少女は一生の記憶を刻むこととなる。
誰もが憧れるような、あの背中を。
赤の他人ですら、泣いていたら手を差し伸べてくれる
たとえどんな脅威であっても、笑って拳を握ってくれるような───
「……あの『英雄』様の魔法、見間違えるわけがありません」
ミナはアカデミーから与えられた部屋で一人、小さく口元を緩める。
気づいていない様子だった。
でも、それでいい。
忘れてしまうほど、印象に残らないほど、自分が憧れた姿のまま見知らぬ誰かを助けて来た証拠なのだから。
「やっと……やっと、お会いできました」
いつか、自分もこの人のように誰かを助けたい。
そう改めて思ったこの時のミナの顔は、ほんのりと赤く染っていた。
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