初授業が終わって

「兄様、アカデミーの壁は意外とお高いのです」

「はい、すみません」


 さて、戻って寝ようか! と思っていた矢先。

 アイリスに捕まり、教師が在中する棟ではなくまたしても生徒会室に連れてこられたクロは、妹の前で正座をさせられていた。

 ちなみに、まだまだ生徒会室はどこぞの誰かさんのせいで風通しのよすぎる部屋のままだ。


「可愛い妹の気持ちは複雑なのです。兄様が凄いことを知れて歓喜しているのに、小遣いから捻出した結婚資金を費やしたくはありません」

「本当にすみません……って、結婚資金? 誰の?」

「私と兄様に決まっているではありませんか」

「決まってねぇよ」


 兄妹の関係という壁を越えて着々と貯めていた資金。

 容認もしていないのに、もう結婚式とハネムーンを考えているあたり……流石はアイリスとしか言いようがない。


「いくら公爵家の人間だとしても、当主になっていない現状では使えるお金も限られます。兄様の素晴らしさを皆に知ってもらうのは妹として嬉しいこの上ないのですが、そういうのは訓練場で行っていただけると」

「ぐうの音も出ません」


 ぺこりと、公爵家の人間とは思えない清々しい土下座を披露するクロ。

 アイリスは「こ、この姿も意外とアリなのでは……!」と、頬を染めて何やら新境地を見出していた。


「ごほんっ! ま、まぁ……無事に授業が終わったようで何よりです」


 ソファーに座り、アイリスが自分の膝をぽんぽんと叩く。

 それが何を意味しているのか理解しているクロは、起き上がってそのまま膝の上に頭を乗せた。


 一応言っておこう。

 別に、クロは別に妹の膝枕が好きで率先して頭を乗せたわけではない。

 ただ、今はアイリスに迷惑をかけてしまったので逆らえないというか。かなり寝心地がいいし落ち着くからとかそういう理由は一切なく仕方がないという感じなわけでしてッッッ!!!


「俺はまだ屈していない……ッ!」

「兄様は何を仰っているのですか?」


 義妹いせいの壁は越えてはいけないと、理性で戦っている兄であった。


「どうでしたか、兄様? 初めての授業は」


 アイリスがクロの頭を撫でながら尋ねる。


「ん? あぁ、別に大したことはしてない。所詮は一年生の授業だからな、教える内容も比較的初歩中の初歩だ」


 ただ、案の定色々反発はあったわけだが。

 とはいえ、後半は皆ちゃんと聞いてくれていたので、成功と言えば成功だろう。

 特に、一番反発していたミナが最後はあのように話しかけてきたのだ。概ね、アイリスの期待には応えられたような形ではある。


「ふふっ、ミナがいたので当初少し心配していたのですが……流石は兄様です、杞憂でした」

「ん? あいつって問題児だったのか?」

「そのようなことはありませんよ、優秀児です。ただ、真面目というか、憧れへの意識が強いと言いますか」

「そういえば、カルラに憧れてるって話だったなぁ」

「いいえ、兄様……彼女が本当に憧れているのは、ですよ」


 アイリスの言葉に、クロは首を傾げる。


「彼女は以前、王国魔法士団の第七席───『英雄』に、命を助けられたことがあるようです」


 頭を撫でながら、アイリスは口にする。


「その時、彼女は『英雄』の背中に憧れました。自分もいつか、自分がしてもらったように誰かを守るのだと。彼にとっては助けた内の一人で、彼にとっての当たり前の延長線にいたかもしれませんが、ミナにとっては憧れるに相応しい瞬間だったのだとか」

「…………」

「そのため、『英雄』の正体を知って幻滅しないか心配だったのです。本質は優しく、とても素晴らしい方だと妹の私は知っておりますが、表面しか知らない人間にとっては落胆する要因かもしれません」


 助けてくれた相手が、クズ貴族と呼ばれるぐらいのダメ人間だった。

 憧れていたからこそ、その事実はとても受け入れ難いものだっただろう。

 だからあんなに反発してきたのか、と。クロは思わず頬を掻いてしまう。


「ちなみに兄様、彼女を助けた記憶は?」

「待ってろ、今必死に記憶のストレージを確認するから……」

「ふふっ、助けた人間の数が多すぎて覚えていられないのですね」


 そんなことはないと否定したいところだが、本当に思い出せないので何も言い出せない。

 クロはバツが悪そうに目を伏せ、アイリスはその姿を見てもう一度笑みを浮かべた。


「まぁ、聞くところによれば反応も上々……兄様の授業は素晴らしかったと、色々お声もいただいております」

「なぁ、さっき授業が終わったばっかりなのになんで知ってるわけ?」

「あら、情報に聡くないとアカデミーの生徒会長は務まりませんよ?」


 流石は王国一のアカデミーとでも言うべきか。

 そのトップに座っている人間の情報網は凄まじかった。


「……反応がよかったのはよしとしよう。でも、まだまだ反発の声があるのは間違いないんだろう?」

「えぇ、カルラ様とは違ってまだ兄様をお認めにならない阿呆な生徒も阿呆な教師も多くいます。ですので、妹としては兄様のご活躍を期待するばかりです♪」

「はぁ……程々に頑張るよ」


 ふぁぁっ、と。クロは欠伸を一つ見せる。


「お休みになられますか?」

「二時間後に起こしてくれ」

「ふふっ、かしこまりました」


 耳元で、アイリスの優しい声が聞こえる。


「おやすみなさいませ、愛おしい兄様」


 そうして、クロは微睡みの中へと潜っていったのであった。

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