もしも現代日本で吸血鬼と人間が超現実的に共存していたら

糸冬

もしも現代日本で吸血鬼と人間が超現実的に共存していたら

神宮寺旭は吸血鬼を父に持つダンピールだ。

吸血鬼だからといってみんながみんな空を飛んだり念動力を使ったり催眠術を操り変身したり出来るわけではない。

それは個人の資質次第。人間でいう所の運動神経抜群で個人競技を極めオリンピック選手になるとか、リズム感抜群で歌がとびきり上手くて歌手デビューする等といった特別な才能を持った選ばれし者の話。

多くの吸血鬼は耳が尖っていて牙があり、夜目が効いて日光が苦手で夜型なこと以外は人間とさして変わらない平凡でありふれた個体が多い。

吸血鬼の多くは夜に活動し、夜勤のある仕事に就いていることが多い。その為、人間を昼の者、吸血鬼を夜の者として区別する俗称もある。

現代、人間と吸血鬼は概ね友好的な関係を築いており、吸血鬼の血液の確保方法は時代の流れと共に変遷していった。

血液は人体から採取するいわば臓器に準ずるものであり、倫理的な面を配慮し、血液の確保は原則献血が基本とされている。また法律で有償採血、同意のない吸血行為を禁止している。

過去に肝炎、エイズ等、血液由来の感染症が問題になったことから現在では好き好んで直に吸血行為をしたがる吸血鬼はよほどの物好きとされており、ほとんどの吸血鬼が国から支給される吸血鬼カード(通称Vカード)を自動販売機にかざすと買うことが出来る血液パックで必要な血液を確保している。

今時珍しい何代遡っても純血の吸血鬼である旭の父はいつも「いやー、便利な時代になったものだね」とスパウトパウチに入った血液パックを飲みながら文明に感謝している。

半分人間である旭は人間と同じものを食べるが、日光が苦手で日傘が手放せず、日中は疲れやすいのでエナドリ感覚で血液錠剤を服用している。

子供の頃、父に「美味しいから飲んでみなさい」と勧められ一度だけ血液パックをひと口飲んでみたことがあるが、身体に合わず吐いてしまった。

青白い肌。尖った耳。鋭い牙。

空を飛び、念動力を使い、催眠術を操り、変身することができる父とは違い、ダンピールである旭は見た目も普通の人間とほとんど変わらない。

耳は尖っていないし、肌の色も健康的だ。牙だけは父の遺伝なのかそんじょそこらの吸血鬼よりも立派だが、普段普通に会話をする分にはほぼ見えない。

一応人間と比べれば若干夜目が効き、ほんの少しだけ物を浮かせることが出来るが、物凄く疲れて三日三晩寝込むので滅多に使わない。

巷で言われるような吸血鬼を探知する能力も一応あるにはあるが、外国語を嗜むものが身近な人間の日本語の発音の中に微かな外国語特有の子音の立て方や母音の深さの違いを感じ取り「帰国子女だったりする?」と気付くようなレベルのもので、あくまで身内に吸血鬼がいるせいで吸血鬼の特徴に気付きやすいというだけの至って地味なものだ。

ダンピールにも夜の血が強く出る者と昼の血が強く出る者がいる。

旭のように昼の血が強いダンピールは人間として育てられ、人間に擬態して暮らすことを選ぶものが多い。夜の者として生きるには旭はあまりにもか弱かった。

人間として暮らすには昼に活動することが求められる。その為、日中は日傘とマスクと血液錠剤が手放せないがそれさえあれば別段不便は無い。

父専用の血液パックが冷蔵庫に常備され、家の中をコウモリの姿の父が飛び回り、学校に遅刻しそうな時に自家用車の代わりに父に抱えられて空を飛ひ駅まで送ってもらうことがある以外、旭の生活は一般人間家庭と大差は無かった。

地球温暖化の影響による連日の猛暑で日傘男子も市民権を得てきたし、健康の為にサプリメントを飲むことだって珍しくはない。

吸血鬼は世間一般的に家系能力を保全すべく純血主義の者が多く同族との混血を繰り返す傾向にあり、ダンピールの存在は極めて希少だ。

旭はダンピールであることを隠しているわけではないが、あれこれ詮索されたり色眼鏡で見られるのが煩わしく自ら吹聴することはなかった。

それが現代を生きるダンピールの処世術なのだ。

「ねぇ旭くんってダンピールなの?」

うららかな昼休み。男子高校生特有の気持ち良い食欲で母特製三段弁当で昼食を済ませた旭は、同じクラスの佐藤ノエルに藪から棒にそう問われ、ほとんど反射的に「違うけど?」としれっと答えながら血液錠剤を噛み砕いた。

「それ、血液錠剤だよね?」

「いや普通のサプリメントだよ。ちょっと鉄分不足なんだ」

「旭くんと同じ中学の子が旭くんのお父さんは吸血鬼だって言ってたもん!」

めげないノエルにしつこく詰め寄られ、旭は思わず舌打ちしながら「誰がバラしやがった……」と口の中で呟いた。

「やっぱり!旭くんってダンピールなんだね!」

「佐藤さん、声が大きい」

「ノエルでいいよ」

ノエルが気さくに笑いながら旭の前の席の椅子に腰掛けると、旭は深々とため息を吐きながら食事中外していた愛用の黒マスクをポケットから取り出し着け直した。

「あっ!牙見せてよ!」

「嫌だよ」

「なんで?!」

「……歯磨きしてないし、恥ずかしいじゃん」

「そういう理由?旭くんおもしろーい!」

テンション高く迫ってくるノエルに辟易し、旭がさっさと会話を切り上げようと「……確かに僕はダンピールだけど、それが何か?」と渋々認めると、ノエルは天使の輪が光る艶やかな長い髪を片手で抑えてサイドに流し、真夏の太陽のように眩しく微笑んだ。

「私を噛んで!貴方達の仲間にして!」

「は?」

ノエルと旭は同じクラスのクラスメイトだ。

しかし、高校入学から一年。同じクラスになってから半年、旭とノエルがまともに話したのは今日が初めてだ。

可もなく不可もなくそれなりに友達が多く真面目で地味な旭と違い、目の上ギリギリで前髪を切り揃え長い黒髪をハーフツインにしてゴスロリカスタムした改造セーラー服に身を包む量産型地雷系JKであるノエルは友達も少なく、クラスでも一際目立って浮き上がった存在だった。

旭は二年に進級してからというもの、意識的にノエルとは距離を置いていた。

というのもノエルは自他ともに認める厨二病、吸血鬼マニアであり、ダンピールであることがノエルにバレればあれこれ質問責めにされるのが目に見えていたからだ。

実際吸血鬼の同胞(厳密には同胞ではないが)達に突然突撃してとんでもない発言をしたらしいという被害報告は数えられないほど聞いていた。

学校内の人間と吸血鬼の比率は八対二。ダンピールは旭一人きりだと聞いているが、ダンピールは自らの存在を他人に悟られるのを嫌う為、本当かどうかは定かではない。

マイノリティは徒党を組む。佐藤ノエルの蛮行は夜の者の間では有名で、あいつには気を付けた方が良いとブラックリストの上位に名を連ねていた。

ダンピールである旭は夜と昼の狭間の者であり、吸血鬼以上のマイノリティだ。

夜の者の中には旭を半端者と嘲り良く思わない者もいると聞いているが、多くは友好的だ。本来旭に届かないはずのブラックリストも裏から手を回して流してくれたり、こっそり忠告してくれたりと何かと親切にして貰っている。

「……どうして、僕が佐藤さんを噛まないといけないの?」

「私、吸血鬼になって永遠の時を生きたいの!」

「僕が噛んでも佐藤さんは吸血鬼にならないよ」

「えッ、そうなの?!」

吸血鬼マニアの癖に現実の吸血鬼事情の基本の基すら押さえていないらしいノエルはグレーのカラコンがよく映える大きな目を溢れんばかりに見開いた。

「吸血鬼が吸血によって同族を増やすのは映画やアニメの中だけ。吸血鬼が人間を吸血しても吸血された相手が吸血鬼化することはないよ」

「え、じゃあ吸血鬼が動物に血を分け与えて眷属にするのも?!」

「フィクションの世界だけだよ。吸血鬼がその血族を増やせるのは繁殖によってのみ。人間や動物と変わらないよ」

旭は嘘を吐いた。

その他大勢、有象無象の一般吸血鬼はそうだが、高貴なる古き血の吸血鬼である旭の父は動物に血を分け与え眷属にすることが出来るし、その気になれば吸血した相手を吸血鬼にすることも出来る、らしい。

しかし転化には複雑な条件があり、ただ吸血しただけではそうはならない。

そんなことをわざわざ頭のネジが飛んだイカれた吸血鬼マニアに教えるほど旭は愚かではない。一般的に出来ないとされているのだから出来ないと答えておけば良いのだ。

「それに僕はダンピールだよ。頼むなら純血の夜の者に頼めば良いのに」

「総当りしたけど断られたの」

「あ、そう」

道理でブラックリストに載るわけだと考えながら、旭は昼に飲む分の血液錠剤を噛み砕いた。

ダンピールの旭にまで頼んできたということは藁にもすがる思いだったのだろう。

それにしても誰か一人くらい吸血しても人間を吸血鬼化させることは出来ないと教えてあげても良さそうなものなのに、よっぽど鬱陶しかったのだろうか。

旭が思わず生暖かい同情の眼差しを送っていると、ノエルはがっくりと肩を落とし「……吸血鬼になれないなら生きていても仕方がない」と呟いた。

「大袈裟だなぁ」

「太陽に焼かれて灰になって死にたい」

「意外と日光平気な吸血鬼も多いよ。うちの父さんなんて日光浴が趣味だよ」

「じゃあ心臓に杭を打たれて死にたい」

「それは人間でも死ぬと思うな」

絹糸のように細い髪もカーテンのように顔の周りに垂らしたノエルの厨二病全開発言に旭がいちいちツッコミを入れると、ノエルは半狂乱になり「さっきから何なの?!人の夢を壊さないでよ!」と涙目で旭を睨み付けた。

「夢を見るのは勝手だけどさ、君が大好きなフィクションの中の吸血鬼と現実を生きる吸血鬼は全然違うんだよ。佐藤さんはこれからもフィクションの中の吸血鬼を崇拝し続ければいいじゃないか」

旭が淡々とした口調でそう言うと、ノエルはぐうの音も出ないのか見るからに怯んだ。

ノエルが黙り込んでしまい手持ち無沙汰になった旭はノエルがいつも着けている多層レースのクロスした細い鎖の先に十字架がぶら下がったデザインのチョーカーをまじまじと見た。

何かチョーカー着けてるなぁとは思ってたけど、吸血鬼マニアなのに何故十字架?と旭は思わず鼻の上に皺を寄せる。

「……ちなみに、吸血鬼に十字架が効くっていうのも個人差があるよ。あれはクリスチャンの吸血鬼が信仰心を想起されて自分の行いを悔いて苦しむってだけの話だから」

「もうやめて聞きたくない」

「吸血鬼マニアなのにどうして十字架のチョーカーなんて着けてるの?嫌がられるとは思わなかったの?」

「だってこれ、凄く可愛いから」

「あ、そう」

現代のフィクションにおいて十字架もニンニクも恐れない吸血鬼は最早お約束だ。

吸血鬼転化願望のあるノエルは十字架もニンニクも恐れない吸血鬼のコスプレをしているのでは?と思い辺り、旭がそれとなく尋ねるとノエルは力無く頷いた。

夜の者達に嫌われるはずだ。

実際に十字架が効くかどうかについては個人差があるが、初対面の吸血鬼の前では十字架のアクセサリーを外し、宗教上の理由等でどうしても着けたい場合は確認をとるのがマナーとされている。

そもそもいきなり「私を噛んで!」と頼み込むのはマナー違反以前の問題なのでチョーカーを外していた所で結果が変わったとは思えないが、もう少しまともに取り合って貰えたかもしれない。

「余計なお世話かもしれないけど、吸血鬼と友好的な関係を築きたいならそのチョーカーのデザインは良くないかも。別に十字架は平気だけど相手が十字架着けてるってだけで喧嘩売られてるって感じる夜の者も多いって聞くから」

あまりにも吸血鬼について無知なノエルが不憫になり旭がやんわりとそう指摘すると、ノエルは「……どうしよう。私、吸血鬼のこと何も知らなかった」と真っ青な顔をして頭を抱えた。

ここまでくると最早気の毒である。

「あのさ、佐藤さん」

「何?」

「良かったら、教えようか?その、現実の吸血鬼について」

「えっ!良いの?!」

「あ、うん。同胞達も君の奇行に迷惑してるみたいだから」

「えっ、そうなの?!」

この日、わざわざ自分から申し出てしまったことを後々旭は心底後悔することになる。


* * *


「へぇその子、そんなに吸血鬼が好きなんだ~」

旭の父である古の尊き血の吸血鬼、神宮寺晃はスパウトパウチに入った血液パックを飲みながら紅い瞳を輝かせた。

「パパが学校に会いに行ったら喜ぶかな?ファンサっていうんでしょそういうの」

「絶対にやめて」

念動力で宙に浮いたまま悠然と脚を組み、器用に指でハートを作ってウインクする晃を旭が毛虫を見るような目で睨めつける。朝の光がこれでもかと差し込むダイニングでも平気な顔をしているが、正真正銘純血の吸血鬼だ。

「でも旭くんが学校のお友達のお話をしてくれるなんて珍しいね。パパ嬉しいよ」

「別に友達じゃないけど……」

旭が四つめのおにぎりを味噌汁で流し込みながらぶっきらぼうに答えると、晃は「でも、百年前ならいざ知らず、今時そんな前時代的な吸血鬼観を持った子って珍しいよね。義務教育でも習うんじゃなかった?」と顎をさすった。

「聞いてなかったんじゃない?佐藤さん、勉強出来なさそうだし」

「ナチュラルに無礼な子だね。ノエルちゃんが可哀想だよ」

「面識の無い息子の同級生をちゃん付けするのやめて。気持ち悪い。だって今時、いくらなんでも無知過ぎるでしょ」

人間と吸血鬼が概ね友好的な関係を築いている現代。人間と吸血鬼の体の仕組みの違いについては小学校の保健体育でも教えられている。

多くの吸血鬼は耳が尖っていて牙があり、夜目が効いて日光が苦手で夜型なこと以外、人間とさして変わらないこと。

同意の無い吸血行為は法律で禁止されており、吸血鬼は人間を脅かすような危険な存在ではないこと。

吸血鬼だからといってみんながみんな空を飛んだり念動力を使ったり催眠術を操り変身したり出来るわけではないこと。

吸血鬼が無害で人間と大きく変わらない種であることがくどいほど強調され、吸血鬼が人間を吸血しても吸血された相手が吸血鬼化しないということは勿論、吸血鬼に血を分け与えられた動物が眷属になることも一般的にはありえないのだということも義務教育で教わっているはずなのだ。

「でも、身近に吸血鬼がいなければそんなものなんじゃないかしら。私達だってアメリカ人はいつもハンバーガー食べてるって思ってる所あるじゃない?」

「それは母さんだけだと思うけど」

「あらそう?」

旭が食べる三段弁当の中身を詰め終え、あら熱をとる為に団扇で扇ぎながら若干ズレたコメントをするのは旭の母である神宮寺夕子。人間だ。

青白い肌。尖った耳。鋭い牙。血のように紅い瞳に銀色の髪。空を飛び、念動力を使い、催眠術を操り、狼やコウモリに自在に変身する今時珍しい吸血鬼らしすぎる吸血鬼と結婚した特異な女性だ。

黒髪のワンレンボブが若々しく童顔である為、高校生の息子がいるようにはとても見えない。

「そういえば、父さんと母さんって将来的にどうするの?」

「どうするのって何が?」

「転化、出来ないわけじゃないんでしょ?普通にしてたら母さんの方が先に死んじゃうじゃん」

「旭くんだってパパより先に死ぬじゃないか」

「縁起でもないこと言わないでよ」

自らが賽の河原で石積みをするイメージが頭に浮かび、旭が朝の分の血液錠剤を噛み砕きながら鼻の上に皺を寄せると、晃は「同じことだよ」と涼しい顔をして飲み終えたレトルトパウチを念動力でゴミ箱に投げ入れた。

蓋付きのゴミ箱の蓋が独りでに開き、空の血液パックを飲み込みバタンと閉まる。

「今の所、転化は考えてないかな。私も夕子さんも限りある命の人の子が好きだからね」

「そう、なんだ」

吸血鬼は長寿だが不死ではない。怪我や病気で死ぬこともある。

しかし、人間の十倍近い平均寿命を誇る吸血鬼である父が母と夫婦になっておきながら母を転化させることを全く考えていないというのは旭には少し意外だった。

旭が無言で鼻歌交じりに弁当をギンガムチェックのハンカチで包んでいる母親に視線を送ると、夕子は陽だまりのように朗らかな笑顔を見せた。

「晃さんとは何度も話し合ったのよ。貴方のことも」

「僕?」

「あら、晃さんは貴方を吸血鬼にすることだって出来るのよ」

「僕を吸血鬼に?」

考えてみれば何の縁もゆかりも無い人間を吸血鬼にすることができるのだから、ダンピールである血を分けた我が子を吸血鬼にすることだって出来るのだろう。

「考えても見なかったって顔してる」

「だって、吸血鬼になる?なんて今まで一度も言われたことなかったから」

旭が思わず視線を泳がせて口ごもると、旭と夕子は顔を見合せ微笑ましそうに微笑んだ。

「旭くんはダンピールとして生まれた。私は君を人間にしてあげることは出来ないけど、吸血鬼にすることは出来る。そしてその決定権は旭くんにある」

「旭は昼の血が強いから苦労も多いでしょう。だから自分でよく考えて決めなさい」

「……そんなついでみたいに、僕の人生に関わる重要な話をしないでよ。朝ご飯食べながらする話じゃないでしょ」

ダンピールは希少種だ。旭は生まれてこの方、自分以外のダンピールに会ったことがない。ほぼ人間と変わらないのをいいことに、吸血鬼の父親がいるということ以外は周りの人間と何も変わらないという顔をして生きてきたのだ。

「私は人間として生まれたから人間として死にたいの。死ぬ時に晃さんに一滴残らず血を飲みほして貰おうと思ってるわ」

「夕子さんが死ぬ話なんて聞きたくないよ」

「うふふ、私百まで生きるつもりだからまだまだ先よ」

「やめてよ親のそういう話聞きたくないよ」

旭がダイニングテーブルにつっぷしして耳を塞ぐと、晃と夕子は声を上げて笑った。

「よく考えて決めなさい」

「返事はいつでも良いからね」

思いがけず自分の人生に関わる重大な岐路に立たされてしまった旭は呑気な笑顔の両親に盛大に見送られ、釈然としない気持ちで「行ってきます」と挨拶して家を出た。


* * *


「これが吸血鬼カード、通称Vカードだね。政府はこのカードに登録させることで吸血鬼を管理してるんだ。差別だなんて声もあるけど実際危険な吸血鬼の存在は脅威だし、僕は区別だと思ってる。血液パックの自販機はこれをかざさないと使えないし、国内ほぼ全ての吸血鬼がなんだかんだ言いつつ登録してるんじゃないかな。保険証の代わりにもなるから登録番号だけを隠すフィルムカバーに入れて使ってるヒトが多いよ」

最終下校時刻も近い夕焼け色の教室には旭とノエルの二人きりだ。

自らの机に父親のVカードを並べながら「見たことある?」と尋ねると、ノエルは元気良く「無い!」と答えた。

「へぇすごーい!こんなのあるんだね!」

「……佐藤さん、義務教育は?」

「寝てた!」

ノエルが一切悪びれもせず「神宮寺晃ってもしかして旭くんのパパ?てかめっちゃイケオジじゃない?芸能人みたい!推して良い?」と言いながらVカードを手に取ると、旭は手のひらサイズのカードの中で無駄にキメ顔をしている腹が立つほど写真写りの良い父親を「返して。触らないで。推さないで」と即座に奪還した。

「今日は特別に借りてきたけど、本当は身分証明書だから人に貸したり見せたりするものじゃないんだよ」

「あっ、そうなんだ!不用意だった!ごめんね!」

「いや、分かってくれたら別に良いんだけどね」

「てか旭くんのお父さん、身分証明書無くて大丈夫なの?職質されたら終わりじゃん?」

「一応警察官だから、いざとなれば手帳見せれば大丈夫なんじゃない?」

「その話、詳しく!」

興奮を隠しきれず前のめりなノエルとは対照的に旭は顎を反らして身体を仰け反らせた。

「えーっと」

旭が恐る恐る「……佐藤さん、吸血鬼犯罪対策課は知ってる、よね?」と尋ねると、ノエルは元気よく首を横に振った。

「世間知らずってレベルじゃないでしょ」

「難しいことは分かんなーい」

「映画にも出て来ると思うんだけど」

「私はインタヴューウィズヴァンパイアで人生の全てを学んだから」

「そっちかぁ。それが諸悪の根源か……」

「旭くん喋り方変わってんねウケる」

もしかしたら吸血鬼絡みの基本を押さえていないだけでは飽き足らず、世事一般に疎いのかもしれない。

「僕の父さんは百年くらい前にルーマニアから渡ってきた吸血鬼の末裔で、ルーマニアの吸血鬼と日本の吸血鬼の混血なんだ」

「え!旭くん、クォーターってこと?!」

「え、あぁうん。でもダンピールなのに比べたらルーマニアの血が四分の一入ってるのなんて大したことじゃなくない?」

「それは分かる」

旭が鞄の中のクリアファイルから架線のあるルーズリーフを一枚出して簡単な神宮寺家の家系図を書くと、ノエルは「おぉー!」と感嘆の声をあげた。基礎的知識に難がある以外、授業態度は真面目そのものだ。

これはノートは綺麗だけど無駄にカラフルで要点が何処か分からなくなってるタイプの馬鹿だなと旭は内心で独りごちる。

「それで、吸血鬼の中には人間を劣った種だとか何とか言って見下して敵視してるヒト達も普通にいるんだけど、我が血族は人間好きで人間に友好的なんだよね。これは吸血鬼の中でもちょっと特殊で変わり者扱いされてるらしいんだけど、人間マニアっていうか、人間が作り出す文化や人間そのものが好きって感じで、うちの父さんなんてそれが講じて人間と結婚して子供まで作っちゃったわけなんだけど、吸血鬼は血統を重んじる上に徹底した純血主義で吸血鬼の家同士で結婚をする傾向にあるからこれは相当珍しいケースなんだ」

「ふんふん」

「そしてその人間に敵意を持った吸血鬼を捕縛し、市民の安全を守るのが吸血鬼犯罪対策課なんだ。言葉は悪いけどバケモノにはバケモノをぶつけろって考え方の上創設された課でメンバーのほとんどが吸血鬼かダンピールで構成されています」

神宮寺家が筋金入りの警官家系で曾祖父、祖父、父が揃って吸血鬼犯罪対策課の幹部を務めていることをさらさらとルーズリーフに書き加えると、ノエルは「えっ!旭くんち超エリートじゃん!旭くんも警察官になるの?」と人差し指を唇に添えて可愛らしく小首を傾げた。

「いや、僕はどうかな。吸血鬼探知能力も弱いし、昼の活動には向かないけど夜型ってほど夜型でもないし色々と中途半端だから」

そう言った旭の声は極めて平坦で自嘲やコンプレックスの色は読み取れなかった。

「あ……」

不意に忘れかけていた今朝の両親とのやり取りが頭を過ぎる。吸血鬼に転化すれば自分も警察官になるという道も開けるのだと思い当たり、ルーズリーフに吸血鬼犯罪対策課創設の簡単なあらましを書いていた旭の手がぴたりと止まった。

「旭くん?」

「いや、なんでもないよ」

旭はダンピールとして生まれ、十七年間ダンピールとして生きてきた。

半端者なりに今の生活を気に入っていた旭には完全なる夜の者となる覚悟はまだ無かった。

「えーっと、あとは何か質問ある?」

「はい!どうして吸血鬼は人間を吸血しちゃいけないんですか?!」

元気よく挙手をしたノエルの質問に旭が「法律で決まっているからです」と眼鏡のブリッジを押し上げながら冷淡に答えると、ノエルはサンタクロースの正体は父親だと知らされた子供のような顔をした。

旭がかけている眼鏡は吸血鬼やダンピールが好んで使う特別製で、普通の眼鏡と見た目は変わらないが紫外線を完全に遮断する特殊なレンズで出来ており、日光から瞳を守るサングラスのような役割をしている。旭の視力自体は非常に良く、両目共に2.0だ。

「法律でそう決まっている一番大きな理由は、吸血鬼と人間が被食者と捕食者という構図になるのを避ける為だね。隣りに住んでる吸血鬼が自分の血を狙ってるって思ったら安心して暮らせないでしょう?」

「私は吸血されたい!」

「あ、そうだったね。佐藤さんはそういう人だったね」

段々ノエルに慣れてきた旭はそう言ってノエルを軽くあしらうと「僕達は肉も魚も食べるけど、自分で鶏や豚を殺したりせずスーパーで買うよね。それと同じだよ。吸血鬼も献血によって食用処理された血液パックを買って飲むようになった。その方が簡単で安全だから。これは時代の流れだね」と言って呪いの絵のような独特な鶏と豚のイラストを描きながら説明した。完全に子供扱いである。

「あー、なるほど言われてみればそっかぁ」

「あとは肝炎、エイズ等、血液由来の感染症が問題になったことも大きいかな。吸血鬼はニンニクアレルギー持ちが比較的多いし」

「え、ニンニク苦手なのってアレルギーなの?」

「うん、アレルギーだよ。だから全然平気だったり少しなら平気なヒトもいるし重篤なアナフィラキシーショックを起こすヒトもいる。あと特殊な薬を常飲している人間を吸血してアナフィラキシーショックを起こしたなんてケースもあって、今は好き好んで直に吸血行為をしたがる吸血鬼は滅多にいない。血液パックの血液しか飲んだことのない世代も増えてるみたいだよ」

「えー、現実的ぃ」

「現実だからね」

フレーメン反応を起こした猫のような顔をしているノエルを旭が冷たく突き放すと、ノエルは机に突っ伏してルーズリーフに頬を押し付けながら「……じゃあ転化とか、絶対無理なの?私は吸血鬼にはなれないの?」と切なげに呟いた。

元々無知で夢見がちな吸血鬼マニアに現実を思い知らせてやるのが目的だったが、夢破れて打ちひしがれているいたいけな少女を前にして旭は怯んだ。良心が痛んだのだ。

「……絶対に無理、ってわけでは無いよ」

旭が苦悶の表情を浮かべ渋々出来れば秘密にしておきたかった情報を開示すると、ノエルはがばっと起き上がり子供のように瞳を輝かせた。

「でも、空を飛んだり念動力使ったり催眠術を操り変身したり出来る吸血鬼って滅多にいないでしょ?」

「テレビで見たことある!」

「映画か何かかな?人間を吸血鬼に転化出来るのは特別中の特別で、古の尊き血を持つ吸血鬼の中でも限られた極小数の吸血鬼だけなんだ。あといざ転化させようってなっても勝手にやるのは認められてなくて、役所での書類上の手続きや届出も山ほど必要」

「うわ、現実的ぃ」

現実だからねと言うのは心の中だけに留め、旭が「吸血鬼に転化を望むのは吸血鬼の伴侶がほとんどで愛する人と共に生きたいって理由が大半なんだ。逆に言うと佐藤さんみたいに吸血鬼になりたいっていうファンタジーかつ厨二病な理由では申請段階で却下されることが多いんだよ」と説明すると、ノエルは「どうして?」と猫のような大きな瞳を丸くした。

「後悔するからだよ。実際喜び勇んで吸血鬼になってみたものの、空は飛べないし目からビーム出せないしで思ってたのと違う!ってなる人が多いんだって」

「へぇ、そうなんだぁ」

「あと吸血鬼になると人間の食事がとれなくなるヒトも多いんだ。吸血鬼は血液パック飲むのが普通だけど転化した人間には結構味とか心理的にも抵抗があるらしいよ。どんな能力が発現するかも運みたいな所もあるし。吸血鬼に転化することは出来ても元に戻すことは出来ないから、改宗する時くらい、いやそれ以上にしつこくしつこく意思確認されるし、何十時間も延々と転化する人用の講習ビデオ見せられるんだって。少なくとも現代日本ではそんな数々のハードルを乗り越えた人にしか転化認められていない」

淡々と確実にノエルの夢とロマンを打ち砕いていく旭の言葉には一切の嘘は無かった。自分の家系がその特例中の特例であることは敢えて話さなかったが、ノエルも勘づいてる様子は無かったし、わざわざ教えてやる義理はないと判断する。

「……がっかりした?」

さぞ意気消沈しているかと思いきや、意外にもノエルは憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしていた。

「ううん!私の為を思って教えてくれたんだよね!ありがとう!旭くんの言う通り、現実は現実、二次元は二次元で推していくよ!これからもずっと吸血鬼は大好き!」

「あ、そういう感じなんだ」

「でも現実の吸血鬼の皆さんにはご迷惑をかけないようにするね!」

「分かってくれて嬉しいよ」

そうこうしている内に最終下校時刻になり、旭がスマートフォンの通知をチェックして「送ってくよ。危険な吸血鬼が逃走中みたいだからさ」と申し出るとノエルは「え、旭くん紳士ー!思春期なのにそういうことがさらっと出来ちゃうのはルーマニア式なの?」と大袈裟に茶化したが「そういうのいいから」と一蹴し、有無を言わせず駅まで送ることにした。黄昏時の若い女性の一人歩きは危険なのだ。

「危険な吸血鬼ってどんなの?てかなんで旭くんのスマホにそんなお知らせが来るの?パパから?」

「危険吸血鬼情報アラート、登録してないの?吸血鬼マニアなのに?ていうか緊急地震速報と同じで普通デフォルトで設定してあるよね?」

「嘘!何それ!」

「……スマホ貸して」

旭が偉大なる吸血鬼を父に持ちながらコンプレックスを拗らせずにのびのび育ったのには自身がダンピールであるという理由に寄る所が大きい。ライト級とヘビー級では試合にならないから実質別競技でしょ理論だ。

もしも父と同じ吸血鬼として生まれていたら、空も飛べずコウモリにも変身できず念動力も極めて弱く少し使うだけで三日三晩寝込む脆弱で無能な我が身を恥じただろう。

人間に対してもそうだ。

日光は苦手で日傘が手放せず、日中は疲れやすい割りには昼の者達の中で自分はよくやっている方だと思っていた。

旭は昼と夜の狭間の半端者であること自体をアイデンティティに、周りと自分を一切比較せずに生きて来たのだ。

「……ねぇノエル、もし僕が吸血鬼になったらさ」

「え、いきなり呼び捨て?!」

「ノエルで良いよって言ったじゃん」

「佐藤さんから一足飛びにノエルはビビる。ルーマニアの血マジやばい」

「そういうの差別だから」

「ごめんごめーん!で、なんだった?」

突然名前を呼び捨てにされた衝撃で後半が耳に入らなかったらしい。

改めて言い直す気にもなれず、旭が「やっぱり良い。ノエルはもう少し勉強した方が良いよ。常識無さすぎ」とバッサリ切り捨てると、ノエルは「えー、じゃあ旭くん勉強教えてよー!頭良さげじゃーん!」と眉を八の字にして馴れ馴れしく泣きついた。

ノエルのチョーカーについた十字架が揺れる。

血のように真っ赤な夕陽が二人を照らしていた。


* * *


成り行きで一緒に下校したのをきっかけに旭とノエルは時々登下校を共にするようになった。

ノエルに懇切丁寧に現代吸血鬼事情についてレクチャーした日の帰り道、二人は今まで行きも帰りも大体同じバスに乗り合わせていたことを知った。

二人共基本的に他人に関心がなく各々読書をしたりスマホでパズルゲームに熱中していた為、同じバスにクラスメイトが乗り合わせていることに全く気が付いていなかったわけだが、知ってしまったからには目につくし、目が合ったのに無視するというのもおかしな話だ。

「……おはよう」

「おはよー!」

朝に弱い旭が半分眠ったままぎこちなく挨拶をし、朝から元気いっぱいのノエルがぶんぶんと手を振りながら旭の隣の席に座り込む。

「ここ座っていい?とか聞きなよ」

「座っていい?」

「……いいけど」

「旭くんめんどくさーい!」

急にノエルと一緒に行動することが増えたので旭は恋バナとゴシップ好きな数人の同級生から「お前あの不思議ちゃんと付き合ってんの?」とひやかされたが、旭は「ありえない。方向一緒なだけ」と完全否定した。

しかしどれだけ否定しても、神宮寺旭と佐藤ノエルが付き合いだしたらしい!ダウナーダンピールと吸血鬼マニアのカップル爆誕?!とまことしやかに囁かれているのを旭は知っている。

知ってはいるが、害は無いので放置している。

「寒いねー!」

「そんなに脚出してるからじゃない?見てるだけで寒い」

「旭くんそれセクハラーだよ?黒タイツ無敵論だから」

「何それ」

毎朝待ち合わせをしているわけでもなく何となく同じバスに乗り合わせ、学校に着くまで軽口を叩き合う。朝が弱く午前十時まではほぼ病人状態の旭だったが、ノエルは相槌を打たなくても勝手に喋るので不都合がなかった。

「そのバッグチャーム、可愛いねぇ」

青白い顔をした旭が大事そうに抱え込んでいるバックパックにぶら下がっている太陽と月が絡み合うようにデザインされたキーホルダーに気が付き、ノエルが黒いマニュキアに彩られた指でツンっとバッグチャームをつつくと、旭は「……あぁ、これはダンピールマーク」と如何にも気だるげな声で言った。

「ダンピールマーク?」

「ダンピールです。日中は気分が悪くなることもあります。道端で倒れてたら日陰に運んで救急車呼んでください。学生なのに朝から座ってすみませんみたいな意思表示をするマークだよ。マタニティマークやヘルプマークと似たような感じかな」

旭がボールチェーンを弄びながら不明瞭な発音でぼそぼそと説明すると、ノエルは「そっか、旭くん朝はしんどそうだもんね」と言って軽く眉根を寄せた。

「なんか旭くんと話してると私って全然世界のこと知らなかったんだなーってびっくりする」

「奇遇だね、僕もだよ」

「朝の旭くん、ちょっと皮肉強めで気だるげだから映画の吸血鬼っぽいよね。推していい?」

「ただの日光アレルギーだから。やめて」

ツッコミにもキレが無い。朝の旭は覇気がなく弱々しい。

「ウケる。ところで日光アレルギーって?」

「日光を浴びると疲れやすかったり、肌が火傷したみたいに爛れたりする症状のこと。吸血鬼やダンピールに多い」

「え、灰にはならないの?」

「ノエルは映画の見過ぎ」

旭がぴしゃりとそう言うと、ノエルは聞いているのかいないのか最近旭の真似をして食べ始めたミントタブレットを掌に取りバリバリと噛み砕いた。

口の中にレモンとミントの清涼感が広がる。

ノエルがケースをシャカシャカと振って「食べる?」と聞くと、旭は無言で首を振った。

「旭くんはさぁ、そんなに朝弱いのに夜間の吸血鬼が通う学校に行こうとは思わなかったの?日中しんどくないの?」

ノエルが兼ねてからの疑問を口にすると、旭はズレてもいない黒マスクを直して車窓の外に目をやった。

「しんどいよ。でも僕はダンピールの中でもかなり人間寄りというか、吸血鬼っぽい弱点のある人間みたいな存在だから、そっちでは多分絶対やってけないと思う。あそこは吸血鬼のフィジカルエリート、吸血鬼の中の吸血鬼が集まる所だから」

旭は物憂げにそう言うと制服のポケットから頓服用の血液錠剤を出し、無心でガリガリと噛み砕いた。今朝は一際日光アレルギーの症状が重いようだ。

「ああいう学校は、カリキュラムも特別で吸血鬼としての能力が特に優れてないと厳しいんだよ。人間で喩えるなら音楽科とか体育科みたいな。生まれながらに特別な才能があって物心ついた時から特別な訓練を受けた精鋭しかそもそも受からないんだよ。うちの学校にも吸血鬼がそれなりの数いるでしょ。みんな僕みたいに自分は夜の者の中では勝負出来ないと判断したか、受験はしたけど落ちたんだと思うよ」

「へぇ、何か世知辛いね」

「吸血鬼として生まれたからってさ、みんながみんな、華々しい人生を送れるわけじゃないよ。そこは人間だって同じでしょ」

同じバスの中に吸血鬼の同級生や先輩後輩の姿がちらほら見えるのに配慮して旭が声を潜めて説明すると、ノエルはそれに気付いた様子もなく「考えてもみなかった……」と半ば独り言のように呟いた。

「そして夜の者専用の学校の中でも御三家と呼ばれる進学校に受かった精鋭達は在学中に飛行、念動力、催眠術、変身能力等を磨き上げて仲間達と切磋琢磨し卒業後は吸血鬼犯罪対策課に就職するヒトが多いよ」

「あっ、そうなんだ。職業訓練校的な?じゃあ旭くんのパパも?」

「あのヒトは変だからうちの学校の卒業生です」

「あ、そういえば太陽平気なんだっけ。日光浴趣味なんだもんね」

「全然平気。そもそもショートスリーパーであんまり寝ないから昼も夜も起きてて無駄に元気。ていうか迷惑」

「どうして旭くんのパパは夜の者、……ゴサンケ?に行かなかったの?」

旭は同じ制服を着た生徒が乗客の半分を占める車内で落ち着きなく周りをきょろきょろと見渡すと、バスの走行音で掻き消されそうな小さな声で「……母さんと、同じ学校に行きたかったんだって」とノエルに耳打ちした。

「え、ラブコメ?乙女じゃん」

「馬鹿なんだよ。そもそもうちの父さんは吸血鬼が持っていそうな能力は大体持ってるし何でも出来ちゃうヒトだから夜の者御三家に行って鍛えて貰う必要がなかったんだよ。生まれた瞬間に吸血鬼犯罪対策課行きが決まっていたようなもんだし。血統採用ってやつ」

「チートだねぇ」

「なろう系主人公を地で行くんだよあのヒトは」

旭がため息混じりにそう言うと、ノエルは「そう言う旭くんもやれやれ系主人公っぽいよ」とメタいツッコミを入れた。

「……あー、しんどい。今日はもう帰ろうかな」

旭が窓から射し込む朝の日差しを疎ましげに睨みながらそう呟くと、ノエルは「え、大丈夫?一人で帰れる?送ろうか?」と血相を変えて早口に捲し立てた。

「もうすぐ学校着くし、職員室行って先生に直接欠席連絡したら母さんに迎えに来て貰う。あ、ダメだ。母さん今日仕事だ。タクシー呼ぶ」

「えー、大丈夫?」

「大丈夫、ただの昼酔いだから」

ちなみに昼酔いとは吸血鬼やダンピールが昼に活動して時差ボケのような症状になることだよと旭が掠れた声で補足すると、丁度バスが学校の最寄りの停留所に着き、後方のドアが開いた。

「具合悪い時まで私に知識を授けなくて良いから!」

「いや、ノエルに知識を授けるのは最早僕の使命みたいなものだから」

旭が大きく広げた指の隙間から妙にキリッとした目を覗かせて厨二病っぽいポーズを取ると、ノエルは「具合悪い癖に笑かそうとしてくんのやめて」と込み上げてくる笑いを堪えながら旭に肩を貸して慎重にバスを降りた。

「水買ってくるから待ってて!」

「いらない。大丈夫だから」

結局バス停に降りた途端木陰に座り込んでしまい一歩も歩けなくなってしまった旭は、目と鼻の先に学校があるにも関わらずスマートフォンで欠席連絡を済ませると、アプリを使ってタクシーを呼んだ。

ブレザーを脱いで頭から被り日傘を差してぐったりとしている旭にノエルが小走りに駆け寄り、自販機で買ってきたペットボトルの水を差し出す。

「大丈夫?」

「……大丈夫。稀によくあるから」

旭が息苦しさから黒マスクを外し、結露したペットボトルに頬を寄せながら「ごめん、お金明日払うから僕が忘れてたら言って」と言うと、ノエルは「そんなん気にしなくていいから。本当に救急車とか保健の先生呼ばなくていいの?」と落ち着きなく視線をさ迷わせた。

「……ありがとう、大丈夫」

「そう?じゃあ、タクシーが来るまで一緒にいるね」

気遣わしげなノエルの声からは旭を心から心配しているのは伝わってきたが、哀れんだり見下している様子は微塵もなかった。

旭が酷い昼酔いで動けなくなると人間も吸血鬼も口には出さずとも皆、旭を哀れな出来損ないを見るような目で見た。

「可哀想に」

「どっちつかずっていうのは不憫だね」

「劣等種」

「昼の者と夜の者で子供を作るなんて親は何を考えてるんだ」

「そんな不自由で半端な身体、見切りをつけて転化すればいいのに」

今まで浴びせられて来た心無い言葉達が頭の中で渦を巻く。

「……僕だって、好きでダンピールなんかに生まれたんじゃない」

しかし、夜の者達の中で生きていくにはあまりにもか弱く、太陽には嫌われている我が身を一番哀れんでいるのは他でもない旭自身だった。

「旭くんごめんね、私吸血鬼になれば人生変わるって単純に考え過ぎてた」

旭が酷い頭痛と吐き気に苛まれながら「……ノエル、こんなのいつものことだからもう行きなよ。遅刻になっちゃうよ」と地を這うような声で言うと、ノエルは「そんなんいいから」と怒ってるような口調で言って旭の背中をさすった。


* * *


佐藤ノエルはどこにでもいるごく普通の女子高生だ。

平凡な会社員の人間の両親の間に生まれ、蝶よ花よとすくすく育った。

ノエルが生まれ育ったのは吸血鬼との共存に懐疑的なカルト宗教の信者達が住む集落で、住人のほとんどが人間で構成された前時代的独立特区だった。

この世界には人間と吸血鬼が共存していると聞かされても教師も同級生も人間ばかりで吸血鬼は一人もおらず、吸血鬼を見かけるのはテレビのニュースくらい。

ノエルにとって吸血鬼とは、何処かファンタジーで自分とは無関係な遠い存在だった。

生身の吸血鬼とほぼ接することなく無菌状態で育ったノエルの吸血鬼のイメージを決定づけたのは十歳の時に母の部屋で見付けたDVD、映画インタビューー・ウィズ・ヴァンパイアだった。

時は現代。アメリカ、サンフランシスコ。

とある建物の一室で、記者のダニエルがルイという名の青年にインタビューを始める。テープレコーダーを回して職業を尋ねると、ルイはごく真面目な口調で「ヴァンパイアだ」と答える。

そしてルイは二百年以上前から始まった自らの数奇な運命について語り出す。

十八世紀末、アメリカ。

妻と子を失い絶望の淵にいたルイは自らの死を望んでいた。そんな彼に興味を持ったのが、レスタトという名のヴァンパイアだった。彼はルイに近づき、首に噛み付いた。

「選ぶのはお前だ。このまま死ぬか、それとも俺と来るか?」

レスタトにそう問われ、ルイは「行く」と答えた。レスタトは自らの腕を切ってルイの口元に血液を垂らした。

そうしてレスタトの血を飲んだルイは人間の生き血を飲み永遠に生きるヴァンパイアとして生まれ変わったのである。

映画インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアは永遠の命故の孤独や、生き血を吸う罪悪感、苦悩を描いた物語だ。

ルイは平気で人の血を吸ってはその命を奪うレスタトに反発し、非常食である動物の血を飲んで過ごしていた。しかし飢えは次第に強くなっていき、日ごとにルイを苦しめるようになる。

そんなルイをレスタトは「どうせ一週間も持たないさ」と挑発してせせら笑う。

そんなある時、ルイは両親を失った少女クローディアと出会う。怯えて助けを求める少女を思わず抱きしめたルイは、魔が差してその首筋に噛み付き血を吸ってしまう。

そこへレスタトが現れ、ついにルイが人間の血を吸ったと大喜びする。レスタトの言っていた通り、吸血をすることで得られる心の平安と甘美な快楽を感じたルイは戸惑い、自身の凶暴性に怯える。

しかし、クローディアはまだ死んでいなかった。レスタトは、このまま死なせるか、それとも自分達と同じようにヴァンパイアにするかをルイに選ばせる。

ルイには彼女をみすみす死なせることは選択できなかった。レスタトが自分の血を飲ませるとクローディアは美しいヴァンパイアの少女に生まれ変わった。

「これだ!私、これになりたい!」

多感な年頃のノエルはクローディアに、吸血鬼という生き方にすっかり魅了され、いつか自分の元に吸血鬼の紳士が迎えに来て首筋に甘く噛みつき「選ぶのはお前だ」と囁くのを夢見るようになる。

危険だと反対する両親を何とか説得し、吸血鬼と人間共学の高校に進学すると、初めて間近で見る本物の吸血鬼達の存在にノエルは大いに興奮した。

「私を噛んで!貴方達の仲間にして!」

しかし、ノエルが目を爛々と輝かせて項を剥き出しにアピールしても吸血鬼達の反応は芳しくなかった。

「え、何?」

「怖い」

「無理です。勘弁してください」

「義務教育受けた?」

おかしい。何かがおかしい。

両親の話では吸血鬼とは人間を食料としてしか見ていない凶暴な種族。同意のない吸血は法律で禁じられてはいるらしいとは聞いていたが、こちらから志願すれば合法なのだから涎を垂らし喜び勇んでむしゃぶりついてくるはずだ。

おかしい。おかしい。おかしい。

こんなはずではなかった。

学校内の吸血鬼に総当りして一切相手にされず見事に玉砕したノエルはすっかり意気消沈し、吸血鬼となり美しい少女の姿のまま永久を生きる夢を諦めかけていた。

「旭、また早退?あいつ身体弱いの?そういやよく休むよな」

「あぁ旭な。あいつ、ダンピールなんだよ。昼間起きてんのとか日光苦手みたい」

「え、マジ?知らなかったわ」

「ねぇ、今の話本当?!」

長年の夢が頓挫しかかっていたノエルにとって、神宮寺旭の存在は地獄に仏、一筋の光明だったのである。


* * *


旭が登校してきたのは早退騒ぎから三日後のことだった。

「旭くん!もういいの?」

いつもより一本遅いバスに乗り教室に入ってきた旭の姿を目敏く見付けたノエルが椅子から飛び上がって駆け寄ると、旭はグレンチェックのマフラーを外しながら「百五十円。あとこれは利子」と言ってノエルの掌に百五十円とミントタブレットを乗せた。

「えー、いいよこんなの!」

「いいから」

旭はぶっきらぼうにそう言って自らの席にどかりと腰掛けると、休んでいる間に配布されたプリントに目を通した。

「体調はもういいの?」

「うん、大丈夫。むしろ休み過ぎた。母さんが大袈裟でなかなか行かせてくれなくてさ」

「仕事から帰ったら息子がタクシーで早退してたら心配もすると思う」

「稀によくある」

旭はズレてもいないマスクを直し、机に頬杖をついてノエルの顔をじっと見つめると「そういえば、起き上がれなくて暇だったから見たよ。インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」とちょっと照れくさそうに言った。

「え!嘘!見てくれたの?!」

「吸血鬼に対する夢と願望が詰まり過ぎているきらいはあったけど、ファンタジー作品としてはよく出来てたと思う。暇過ぎてクイーン・オブ・ヴァンパイアも見た」

「ハマってんじゃん」

ノエルがチョーカーにぶら下がった十字架を揺らしながら笑うと、旭は照れ隠しに下がってもいない眼鏡のブリッジを押し上げた。

旭が「……ノエル、予鈴。席付きなよ」とバツが悪そうに指摘すると、ノエルは「はいはーい」と鳥のように軽やかに着席した。

「なぁ旭、お前やっぱり佐藤ノエルと付き合ってんの?」

直後にニヤケ顔の悪友達に取り込まれた旭は「付き合ってない。休んでた分のノート見せろ」と言って不愉快そうに顔を歪めた。



「差し入れー」

放課後、旭が人気のない教室で比較的字が綺麗な悪友から借りたノートを黙々と写していると、ノエルは自販機で買ったココアとほっとレモンを机に並べ旭の前の席の椅子に腰掛けた。

「ほっとレモンかココア、選んでいいよ」

「お金払うよ」

「ミントタブレット奢ってくれたし良いよ。これ実はね、旭くんに憧れて食べ始めたんだ」

「なんて馬鹿な理由……」

旭が顔中に軽蔑の色を露わにしながらほっとレモンに手を伸ばすと、ノエルは「やった!私ココアの気分!」と喜びを顔いっぱいに浮かべた。

「ならココア二本の方がノーリスクだったんじゃない?」

「旭くんが乳製品アレルギーだったら一緒に飲めじゃん?」

「ノエル、短期間で見違えるほど思慮深くなったね」

旭が嫌味ではなく心からの賛辞としてそう言うと、カーディガンを萌え袖にして熱過ぎるココアと格闘していたノエルは「えー、賢くなった?やったぁ!」とガッツポーズをした。

「はいはい賢い賢い」

「ねぇ馬鹿にしてるよねぇー?」

「うるさい。邪魔するなら帰れ」

「はーい」

さらさらと文字を書く音だけ響く夕焼け色の教室。

先に口を開いたのはノエルだった。

「……私ね、吸血鬼との共存に懐疑的なカルト宗教信者が住む集落で育ったんだ」

ノエルが「旭くん、ヒトノチカラ修道会って知ってる?○○市の」と尋ねると、旭は「え、あの吸血鬼は人間を家畜としてしか見ていない!吸血鬼との共存は不可能!って思想強めの?!っていうかあそこから通ってんの?!遠くない?!」と驚愕して刮目した。

吸血鬼との共存に拒絶し、住人全てが人間で構成された前時代的独立特区。

この世界には人間と吸血鬼が共存していると聞かされても教師も同級生も人間ばかりで吸血鬼は一人もおらず、吸血鬼を見かけるのはテレビのニュースくらい。

「何を隠そう私はそのカルト村の出身なのだ」

ノエルがイエーイと裏ピースを顎に添えて茶化しても、旭は依然として凍りついたままだった。

「……ごめん、やっぱり気分悪いよね」

「いやそうじゃなくて!ノエルは色々間違ってはいたけど吸血鬼に対して好意的だったし、あそこの人達とは違うってちゃんと分かってる!……でもだからこそ、よくあの街からノエルみたいなのが出たなって驚いて」

「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアが私を育てたんだよ!」

「それはどうかと思うけどね。……それにしても、よく親御さんが共学入るの許してくれたね」

ノートを移す気なんてすっかり失せてしまった。

旭が冷めたほっとレモンをひと口飲むと、ノエルは「うーん許して貰えてはないかな?ここしか受験しなかった。人間吸血鬼共学じゃなきゃ学校行かないって駄々こねたの」と言って旭のノートに意味もなく可愛らしいウサギとクマのイラストを量産した。

「通学に電車とバスで片道二時間半かかるんだけど、まだ周りの家が寝静まってる頃に家を出て電車の最寄りに着いてから制服に着替えるんだ。意味あるのかなーって感じだけど案の定すぐに噂が回って村八分。パパとママには悪いことしたなーって思ってる。でも後悔はしてない」

ノエルはやけに大人びた表情でそう言うと、窓枠に切り取られた真っ赤な夕焼けに目をやった。

「でもね、どうしても出たかったんだ。外の世界に。レスタトもルイも迎えに来てくれないから、私から会いに行こうって思ったの」

ノエルはそう言って慣れた様子で旭のシャーペンを器用に回しながら「私を噛んで!って頼んで回ったのは我ながら痛かったと思うけど、私外に出てよかったよ。旭にも会えたからね」とはにかんだように微笑んだ。

「……ノエル」

「ん、どした?」

「僕は、夜を生きるだけ。変化はなく空虚な日々だ」

旭が虚ろな表情でそう言って徐に立ち上がり、椅子に片膝をつき机を隔てて突然ノエルの白い首筋に歯を立てると、ノエルは驚き慌てふためき椅子から転げ落ちそうになった。

「選ぶのはお前だ」

旭の父親譲りの立派な牙はノエルの柔肌を突き破るには充分だったが、甘噛みしただけで血の一筋も流させはしなかった。

旭がペンケースからカッターナイフを取り出して歯を自らの手首に当てる真似をしながら「……このまま死ぬか、それとも俺と来るか。選ぶのはお前だ、ノエル」と言って透き通った琥珀の色の瞳でノエルを見下ろすと、我慢の限界を迎えたノエルが小さく吹き出し、それをきっかけに二人は弾かれたように笑いだした。

「ちょ、ごめん。マジ無理、限界。旭くん渾身の吸血鬼演技ほんと死ぬ」

「僕も」

「ほんとに噛むとかマジありえないんだけどこのダンピール」

「甘噛みでしょ?でも急に噛んでごめんね」

旭が弁当の入ったランチバックから除菌ティッシュを取り出し、歯型すら残っていない首筋をさっと拭った。

「ううん、全然。……ありがとう。旭くんのお陰で長年の夢が叶った」

「僕は人生で一度も人間を噛んだことなんてなかったから死ぬほど緊張した」

「ほんと笑い死ぬ」

いつまでも笑いが引かないノエルに旭が少しムッとして「笑うな。僕だって本当は恥ずかしかったんだからな」と言うと、ノエルは自分の意思とは裏腹に痙攣する身体を抱き締めて「……はー、ごめん。ほんとごめん」と涙目になり深呼吸を繰り返した。

「ありがとう。夢が叶った」

「……それはもう聞いた」

夕日のせいばかりではなく顔の赤い旭がスマートフォンの通知をチェックして「送ってくよ。危険な吸血鬼が逃走中みたいだからさ」と申し出るとノエルは「おっ、ルーマニア式?」と茶化したが「もういいから」と冷たく一蹴した。

「旭くん最高だよ。世界一のダンピールだよ」

「うるさいな。やっぱやるんじゃなかった」

「なんで?一生の思い出だよ!やっぱ歯型つけて!」

「つけない!」

ノエルが笑う度、チョーカーについた十字架が揺れる。

血のように真っ赤な夕陽の影を二人を照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もしも現代日本で吸血鬼と人間が超現実的に共存していたら 糸冬 @ito_fuyu_owaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ