ビアンカと潮風 後編
「なあ、あいつ…。」
「だよな。」
「いや、絶対そうだ。」
強面白熊達はキッチンで作業しながら何やらこそこそと噂話中。彼らの視線の先にはチャキチャキと仕事をこなすビアンカの姿があった。しかし、いつもとどこか様子が違う。髪はいつも以上に艶々と輝き、メイクも少し濃いめ。見たことないおニューの服を着ている。
「お客様お帰りです!」
ビアンカのいつもに増して元気な声が店内に響いた。三頭の白熊たちはキッチンからのそのそと出てくると、お客さんを見送りに店の外へと出た。
「「「「またのお越しを!」」」」
三頭とビアンカは深々と頭を下げ、お客さんが見えなくなるまでじっとその背中を見つめた。
「よし、戻りましょうか。」
ビアンカがそう言いながら三頭の方を振り返ると、三頭はなんだかニヤニヤしている。
「ん?なんですか??」
ビアンカはくるっと上がったまつ毛で三頭をじとっと見上げたが、
「…何がだ?」
「さあ?」
「なんの話かなー?」
と三頭はおどけて見せるだけだった。
閉店作業中、ビアンカはソワソワと落ち着かない様子であった。
「お疲れさん。ビアンカもう帰っていいぞ。」
そんなビアンカに声をかけたのはヴァレンティノであった。
「え?でもまだ掃除も終わってないですし。」
ビアンカはキッチンの様子を確認しながら困惑した。
「もう終わるから大丈夫だ。」
「お疲れさんでしたー。」
テーブルを拭いていたアルロとキッチンで皿洗いしていたルッカもなんだか怪しげな笑みを浮かべている。デートの約束がバレてしまっていることにビアンカはがっくりときたが、早く店を出られるに越したことはないと思い、ヴァレンティノの言葉に甘えることにした。
「ありがとうございます!お先に失礼します。」
ビアンカはエプロンを外し、三頭の白熊たちの気が変わらないうちにさっさと店を出た。三頭の白熊たちは、いそいそと店を出ていくビアンカを生暖かい目で見守った。
時刻は18時30分、ビアンカは約束の場所に到着した。ビアンカは風邪で乱れた前髪をちょいちょいと直しながら、辺りをキョロキョロと見まわした。
「流石にまだ来てないか。」
辺りにはカップルや家族連れなど多くの人々がそれぞれの時間を楽しんでいる。ビアンカはその様子を眺めながら、頭の中では今後起こりうる展開を妄想して一人でにやにやしては、その思考を振り払うを繰り返していた。
「ビアンカさん。お待たせしてしまい申し訳ない。」
振り返るときっちりとスーツを着こなしたステファノが薔薇の花束を抱えてやってきた。
「ステファノさん!お疲れ様です。」
ビアンカは薔薇の花束を受け取ると、ぱあっと目を輝かせた。
「来てくれて嬉しいよ。」
ステファノは手慣れた手つきでビアンカをエスコートすると、予約していたレストランへと入っていった。
「ここって…」
ビアンカはソワソワ落ち着かない様子で小さくなりながらステファノの後について入店し、席についた。辺りを見回すと、綺麗なドレスを身に纏ったグラマラスなお姉様とかっちりとしたスーツの紳士が食事を楽しんでいる。ステファノは常連なのか、手慣れた様子でオーダーを済ませている。ビアンカはなんだか場違いな場所に来てしまったと萎縮しながらその様子を見ていた。
「ここは事業家の間でも有名なお店でね。そんな緊張しなくていいよ。」
オーダーを終えたステファノはビアンカの様子を伺いながら笑った。
「もっとちゃんとした服を着て来るべきでした。」
ビアンカは自身の可愛らしいワンピースを見下ろしながら頭を抱えたが、ステファノは、気にしなくていいと優しく宥めるのだった。
暫くするとステファノがオーダーした料理が運ばれてきた。
「旬の野菜のバーニャカウダとタコとトマトのカッペリーニキャビア添えです。」
「ホタテとサーモンのセビーチェです。」
「アクアパッツァです。」
どの料理も高級食材がふんだんに使われており、盛り付けも細部まで拘られていた。
「どれも僕のお気に入りだ。さあ、好きなものを食べて。」
ステファノがそう投げかけると、ビアンカは目を輝かせながらフォークを手に取った。
しばしの間二人はいいムードの中美味しい料理を食べながら、お互いの身の上話や趣味の話などを楽しんだ。
「本当に美味しい料理でした。」
「気に入ってもらえて良かった。」
一通り料理を楽しみ、食後のデザートワインを嗜んでいたところでステファノは口を開いた。
「…ところで、君はなぜあの…個性的なレストランで働いているんだい?」
ステファノは三頭の厳つい白熊シェフを思い浮かべながら問いかけた。
「前のレストランでちょっとしたトラブルがあって…。オーナーのヴァレンティノさんが私を雇ってくれたんです。皆さん本当に良い方で。」
ビアンカは当時のことを思い出しながら答えた。
「なるほど…。」
ステファンは微笑んだ。そして一枚の資料をビアンカの前に提示した。
「君には料理の才能がある。」
ビアンカはその資料を手に取ってよくよく見てみた。そこにはローマのレストランの給料などの労働条件が書かれていた。さらに『契約者』の欄には既にビアンカの名前が記入されていた。
「今の所よりもやりがいがあるし、給料も良い。君にとってはいい話だと思うんだが。」
ステファノはビアンカの目をじっと見ながらワイングラスを傾けた。
「えっと…よく分からないのですが…これは?」
ビアンカは恐る恐る尋ねた。
「勤務は来月頭からで契約一時金は月給一ヶ月分で前払い。残りの契約金に関しては給料から1割天引き。それから引越し費用なんかは一部こっちで負担できるから要相談で。」
どんどんと話を進めていくステファノに混乱していくビアンカ。
「…ちょっと待ってください!私はリモーネを辞める気はありません。それにこれって…」
ビアンカはステファノの顔を見るなり青ざめて言葉を切った。
「チッ。ハズレか。」
ステファノは先ほどとは打って変わってビアンカから興味を無くしたかのように悪態をついた。
「失礼します。」
ビアンカが小走りで店から出ると、外は少し肌寒かった。ビアンカは怒りと悲しみの入り混じった感情のまま、夜の街へと消えた。
ビアンカは履き慣れないハイヒールで靴擦れしながらもずんずんと歩みを進めたどり着いたのは自宅ではなくレストランリモーネであった。時間的には店は閉まっているはずだったが、一階の明かりがついている。
「…ただいまです。」
ビアンカが店のドアを開けると三頭の白熊たちは晩酌中であった。
「おお。ビアンカじゃねえか。」
「何か用かい?」
「こんな時間にどうした?」
三頭の白熊たちはビアンカのことがなんだかんだ心配で帰りを待っていたようだが、みんなしらばっくれている。
「なんか、ちょっと飲みたくなって。」
ビアンカは涙目で笑いながらハイヒールをポイっと脱ぎ捨てると、三頭の座るソファの横に腰掛けた。
「今日は帰ってこないと思ってたぜ。」
ルッカはすでに酔いが回っていてビアンカに絡み出した。
「…。」
ビアンカはさっきのステファノとのことを思い出して黙ってしまった。三頭は目配せしたり肩をすくめたりしている。
「騙されました!彼詐欺師だったんです!」
ビアンカは無理して明るい声でそう言い放った。
「お前は本当に男運がないんだな。」
「もう大人しくしとけ。」
「足、絆創膏貼っとけ。」
三頭なりにビアンカを励ましているようだ。
ビアンカはその後、レモンワインを瓶のまま煽りながら真夜中までステファノのことを三頭の白熊たちにぶちまけた。
そして数日後、ステファノは何者かの通報によって詐欺罪で逮捕されたのだった。
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