ビアンカと潮風 前編

ある日の昼食時過ぎのリモーネは比較的客の入りは落ち着いていた。そんな中、カウンター席からはなんだか賑やかな話し声が聞こえている。

「私この間帰ってから早速マリネ作りました!旦那も美味しいって言っていました!」

「私もよ!旦那の実家に行ってピザを焼いたわ。お義母様に褒められちゃった。」

「私は職場の集まりでティラミスを作ったわ。」

話をしていたのはリモーネお料理教室に参加していたマリアとその友人たち。

「それはやった甲斐があったってもんだな。」

カウンターで話を聞いていたヴァレンティノはパスタを取り分けながら鼻を鳴らした。

「また第2弾を楽しみにしています!」

マリアが会計のために席を立ちながらそう伝えると、

「次から会費取らなきゃなあ。」

とレジに立っていたルッカがおどけるのだった。


「「「ありがとうございました!またのお越しを!」」」

三頭の白熊はマリアとその友人を店の外まで見送った。その時、マリアたちとすれ違いで、買い出しに行っていたビアンカがこちらにやってくるのが見えた。ビアンカは見慣れないスーツを着込んだ男性を連れて、何やら話をしながらこちらへやってくる。

「ん?あれは誰だ?」

アルロは怪訝そうにそのスーツの男性をじっと見ている。

「あ!お疲れ様です!今帰りました!」

ビアンカは三頭が店先に出ていることに気がつくと、おーいと呼びかけながら手を振った。すると、横にいた男もにこにことしながら会釈をした。

「おお。遅いから迷子にでもなったのかと思ったぜ。…それで…?」

ルッカはビアンカにそう声をかけると、チラッとスーツの男の顔を見やった。

「この方はステファノさん。市場でレモンを買ったんですけど途中で紙袋が破れてしまって、ここまで運ぶのを手伝ってくださったんです。」

ステファノという男は依然としてにこにことしている。

「そうだったのか。そりゃあどうも。」

横で話を聞いていたヴァレンティノはステファノから荷物を受け取ると礼を言った。

「いえ、とんでもない。」

ステファノは腰の低い態度で会釈をすると、

「では、私はこれで。」

と立ち去ろうとした。

「あ、もしよかったらうちでコーヒーでもどうですか?荷物運んでくださったお礼を…」

ビアンカが慌てて引き止める。

「いえいえ、本当に大したことではないです。困っているレディを助けるのは当たり前ですから。本当にお気になさらず。」

ステファノはそう丁重にお断りすると、颯爽と市場の方へと戻っていった。

「そうですか…本当にありがとうございました!」

ビアンカがステファノの背中に向かって投げかけると、彼は軽く会釈を返した。ビアンカは彼が角を曲がるまでその姿を見送った。



「…おーい。お嬢さーん。」

その日の閉店作業中、ルッカはぼーっとしているビアンカににやにやしながら声をかけた。

「は、はい!!!」

「ステファノのことか?」

ルッカは面白がってちょっかいをかけ始めた。

「違います!からかわないでください。」

ビアンカは慌てて否定する。

「なんか…腹の読めねえ男だったな。」

近くでグラスを片付けていたアルロが呟いた。

「え?そんなことないですよ。紳士的な方でした。」

ビアンカは口を尖らせながらアルロの言葉を否定した。

「…どうだかなあ?」

アルロは肩を竦めながらなんとなく興味なさそうに返した。


その翌週のカフェタイム、お昼のピークを過ぎビアンカが一人店番をしていると、一人の男が店内に入ってきた。

「いらっしゃいませ…あ、ステファノさん!先日はどうもありがとうございました。」

「やあ。ちょっと近くまできたから。」

ステファノは洒落たハットを取ると、暑そうにパタパタと扇いだ。

「ゆっくりしていってください。」

ビアンカはゆっくりできそうなソファ席へと彼を通そうとしたが、ステファノは辺りを見まわし、人の少なそうなカウンター席を指差しながら、

「ここに座っても?」

とビアンカに尋ねた。

「ええ、もちろんです。」

ビアンカは笑顔でそう返した。

「じゃあ、何か冷たい飲み物でも頂こうかな。君のおすすめで。」

ステファノが席に着くなりそう告げると、ビアンカは元気に返事をし、キッチンで作業を始めた。


「お待たせしました。当店自慢のMont Blancコーヒーです。」

ビアンカがステファノの前にグラスを置くと、ステファノは目を丸くした。

「これは…また斬新なコーヒーだね。君が考案したのかい?」

ステファノはビアンカに問いかけた。

「ええ。ここのレストランはなんというか…ストーリーにこだわったメニューが多いんです。…ソーダとかの方が良かったですかね。」

ビアンカは、大人なステファノに意気込んで自分の作ったドリンクを出したことをちょっと後悔した。しかしステファノの反応はビアンカの思ったものとは違っていた。

「いや、すごいよ。こんなメニューを考えられるなんて。君は素晴らしいシェフだ。」

ビアンカはステファノの言葉に頬を赤らめた。


「すみません。お会計を。」

その時、レジから一人の男性客の声が上がった。ビアンカははっと我に帰り、

「はい!ただいま!」

と慌ただしくレジへと向かった。ステファノはその姿をじっと見つめていた。


「いやー、本当に美味しいドリンクだった。これはお代ね。」

ステファノはレジで会計を済ませると、スマートな立ち居振る舞いで店の外へと出た。

「またいらしてくださいね。」

ビアンカが見送ると、先週の時と同じように颯爽と水路の街中へと消えていった。


ビアンカが店の中へ戻ると、さっきまでステファノが座っていた席に一枚の紙が置かれていることに気がついた。

「なんだろう?」

ビアンカがその紙を手に取ると、とある場所の住所と『今度の日曜日19時にここで待つ。ステファノ』と書かれていた。ビアンカはその文字を見るなり目を見開き、服の心配や美容室の予約、はたまたタチの悪いおじさんたちに悟られないようにする方法を一所懸命に考えるのだった。

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