ヴァレンティノとアタッシュケース
「ありがとうございました!またのお越しを!!」
この日もリモーネは客の入りが多く、カフェタイムの最後まで多くのお客さんがそれぞれの時間を楽しんでいた。3頭とビアンカは最後のお客さんを送り出し、閉店作業に入ろうとしていた。
「先に閉店作業しててくれ。」
ヴァレンティノは、店に戻ってゆくアルロ、ルッカ、ビアンカにそう投げかけると、一頭どこかへと向かっていった。
「はーい!」
ビアンカはヴァレンティノにそう返すと、テラス席の片付けと庭の手入れを始めた。
暫くした後、ビアンカがレモンの木に水をやっていると、店の裏の方から何やら声が聞こえてきた。ビアンカはレモンの木の隙間から声のする方を覗き見た。そこには何やら難しそうな顔をして考え込むヴァレンティノと、見知らぬ男性がいた。
「…ああ。分かった。」
「…ありがとうございます。それでは…ですね。」
ビアンカは息を潜めながら様子を伺った。少し離れているため声は途切れ途切れにしか聞こえない。
「…是非…の店に来てください。…お願いします。」
「…それは…だな。…考えておく。」
その後ヴァレンティノと男性が握手する姿が見えた。
「え?」
かろうじて聞こえた途切れ途切れのやり取りと、料理人の勘からビアンカはピンと来てしまった。
「大変だ…。」
ビアンカは小声で呟くと、急いで店の中に入った。
「「はあ!?引き抜き!?」」
ルッカとアルロは素っ頓狂な声をあげた。
「しー!!!ヴァレンティノさんに聞こえてしまいますよ!」
ビアンカは急いで二頭を嗜めた。
「しかし…何でまたそんなことになったんだ?」
アルロは怪訝そうにビアンカに尋ねた。
「分からないですけど、ちょっと会話が聞こえたんです。でも料理人界隈では無い話でもないです。レストランも有名になっていますし、ヴァレンティノさんを他のレストランが欲しがるのも当然です。」
ビアンカは声を顰めた。
「だが…あいつがそれに応じるか?」
ルッカは最近のヴァレンティノの言動を思い返しながら考えた。
「私もそう思いますが…二人で握手している姿が見えたので。」
ビアンカは少し俯きながら深刻そうに答えた。その時、店の入り口からのそのそとヴァレンティノが店内に入ってきた。
「…!」
アルロ、ルッカ、ビアンカはヴァレンティノの姿を見るなり押し黙ってしまった。
「…なんだ?」
ヴァレンティノは怪訝そうに固まる彼らを見つめた。
「い、いえ!なんでも!」
ビアンカは視線を外し、すでに拭き終わっているテーブルを再び拭き始めた。アルロとルッカもその話題には触れず、閉店作業を再開させるのだった。
その次の日から、アルロ、ルッカ、ビアンカはヴァレンティノの様子をやや気にしながら仕事をこなしていた。
「これ、六番卓な。」
「…はい!」
ビアンカは配膳をしながらヴァレンティノの様子をちょっと伺ったが、いつもと変わった様子はないように感じた。
「ちょっと出かけてくる。」
ヴァレンティノはその日の閉店作業前に再びどこかに出掛けていった。ビアンカがそれとなくヴァレンティノの後を視線で追うと、店を出て市場の方へと向かって行った。
「出かけていきましたね。」
ビアンカがそう投げかけると、二頭の白熊たちはヴァレンティノが出て行ったドアの方へと視線を向けるだけであった。
その日の夜、ヴァレンティノがリモーネに戻ってきたのは深夜になってからであった。
その次の日、またその次の日もヴァレンティノは決まって閉店作業前に店を空けた。
「今日も出て行きましたね。」
ビアンカは二頭に投げかけた。
「んー。まぐれだろ?」
ルッカはそう答えたが、
「だが、そう言われれば最近ため息が多かったり、葉巻の本数が増えたりしてる気もするな。」
と、アルロはヴァレンティノの言動をやや気にしているようであった。
次の日、ヴァレンティノは通常通りレストラン営業とカフェ営業をこなし、閉店作業時間にはキッチンの片付けと調理器具のメンテナンスをしていた。
「今日はいますね。」
ビアンカは小声でアルロに耳打ちした。アルロは黙ってヴァレンティノを見つめている。
暫くして、閉店作業も終わりビアンカも含めて皆んなで夕食を取りゆっくりしていた時、ヴァレンティノは徐に席を立った。
「ちょっと出かけてくる。」
ヴァレンティノの言葉に、アルロ、ルッカ、ビアンカは気づかれないように目配せした。
「行くぞ。」
アルロはヴァレンティノが店を出たタイミングでルッカとビアンカに指示した。
ヴァレンティノは静まった夜の水路の横道を、葉巻を吸いながらゆっくりと進んでゆく。
「どこに向かっているんでしょうか?」
「さあな。散歩じゃねえか?」
「いや、違うだろ。」
ビアンカと二頭はヴァレンティノの姿を見失わないように、夜の闇に紛れながら追いかけた。ヴァレンティノは数分歩いた後、ある建物の中へと姿を消した。
「…ここは。」
ビアンカは青ざめながら二頭の顔を見上げた。
「「…」」
二頭は黙ったまま、ヴァレンティノの入って行った建物を睨んでいる。その建物の入り口には、『レストラン&バー』の文字。
「近くに行きましょう。」
ビアンカは息を潜めながら、黙り込む二頭に向かって促した。
二頭とビアンカはゆっくりとレストランの裏庭に入り込み、生垣に身を潜め、窓から中の様子を伺った。
「…あ。」
ビアンカは窓から見えた光景に短く声を上げた。そこには数日前にリモーネに来ていた例の男と話し込むヴァレンティノがいたのだ。アルロとルッカもその光景をじっと見ていた。
例の男とヴァレンティノは何かの紙を一緒に確認し、ヴァレンティノがサインを書いた。そして例の男は頑丈そうなアタッシュケースをヴァレンティノに渡した。その光景を見た瞬間、全員の体が先に動いていた。
「「「引き抜き反対!!!!!!」」」
例の男は突然横にあった窓がバンと開き、厳つい白熊と人間が大声を出しながら現れたので、当然驚いている。
「…お前ら…。こんなところで何してるんだ?」
ヴァレンティノも呆気に取られながらも、何やら必死な二頭とビアンカに問いかけた。
「何してるも何も…リモーネにはヴァレンティノさんが必要なんです!!ヴァレンティノさんは渡せません!!!」
ビアンカは涙目で訴えた。
「…ん?」
ヴァレンティノの前に座っていた男は状況が読めないといった顔で困惑している。
「何の話だ?」
ヴァレンティノも眉間に皺を寄せながら二頭とビアンカを順番に見た。
「しらばっくれるな。お前、リモーネ辞めるんだろ?」
アルロはヴァレンティノに詰め寄った。
「は?何言ってるんだ?俺がリモーネを辞める?なんでそんな話になってるんだ?」
ヴァレンティノは立ち上がりアルロに詰め寄った。
「あの…」
男は突然の言い争いにおろおろと青ざめている。
「引き抜きですよね…?ヴァレンティノさんをリモーネから引き抜いてこのお店で雇うんですよね?」
ビアンカはちょっと寂しそうに男に告げた。
「…いいえ?違いますよ…?」
男はポカンとしながら答えた。ヴァレンティノはなんとなく状況を理解したらしく、深いため息をついている。
「お前ら…。」
ヴァレンティノは再び椅子に深く腰掛けると、口を開いた。
実際の話としては、ヴァレンティノの旧友が、知人からベネチアでバーを開店させたいと相談を受けた。友人は、べネチアでレストランをやっている知り合いがいるからとヴァレンティノを紹介したらしい。
ヴァレンティノはリモーネの閉店後に不動産屋さんを紹介し、いい物件が見つかるまで手伝っていたのだ。
「このお金は何だったんですか?」
ビアンカは男に投げかけた。
「ああ、ヴァレンティノさんが教えてくれた不動産屋さんでいい物件が急遽空いて。人気物件だったもので、その場で抑えることにしたんですが、手持ちが足りなくてヴァレンティノさんが貸してくださったんです。それの返金を…。」
男はなんだか申し訳なさそうに答えた。
「…そ、そうだったんですねー…。」
ビアンカは三頭のじっとりとした視線を受け、冷や汗をかいている。
「お前の早とちりじゃねえか。」
「あいつが誰かの下につくなんて有り得ねえと思ったぜ。」
アルロとルッカはビアンカを小突きながら口々に漏らした。
「まったく。俺がリモーネ辞めたらどうやって店回すんだよ。」
ヴァレンティノは葉巻を吸いながらなんだかニヤニヤしながらビアンカに問いかけた。
「すみません…。でも、ヴァレンティノさんが辞めなくてよかったです!」
ビアンカはなんだか小っ恥ずかしい気持ちでそう答えた。
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