リモーネ、お料理教室。

 平日のリモーネの昼過ぎは比較的落ち着いているが、主婦層が遅めのランチやコーヒーブレイクを楽しんでいる。

「お待たせしました。カプチーノ二つとモンブランコーヒー一つ、それからレモンジェラートにレモンタルトです。」

ルッカはコーヒーカップやドルチェプレートをテーブルに置きキッチンへと下がった。

「わあ、このジェラート美味しい!」

「このタルトも本当に美味しいわ!食べてみて!」

「本当だ!家で作ろうと思ってもなかなかこうはならないわよね。」

三人組でリモーネにやってきた女性客たちはドルチェプレートを囲みながら何やら盛り上がっている。

「アルロ、これ五番卓な。」

ヴァレンティノはレモンパスタを盛ったプレートをルッカに手渡した。

「これ六番さん。」

ルッカはレモンジェラートの盛られたグラスをビアンカに託し、バタバタと調理に戻る。


そんな白熊たちのやり取りを、三人の女性客はひそひそと話をしながら見ていた。

「なんだ?」

アルロが何やら視線を感じ、怪訝そうにその女性客たちをチラッと見やると、彼女たちは視線をパッと逸らしたり、困ったように笑ったりするのだった。


「はい、モンブランフラッペお待ち。」

ルッカがカウンター席に座る男性にフラッペを提供するその姿を、主婦たちはやはりチラチラと見ている。

「あの背の高い彼かしら。」

「キッチンに張り付きっぱなしの彼の方じゃない?」

「きっとそうね!」

「あなたが聞いてよ。」

「ええ?私が?」

女性客たちは食事を済ませてお会計に立ち上がると、カウンターで調理を済ませたルッカがレジカウンターの操作を始めた。

「合計で18ユーロです。」


「あ、あの。」

一人のオレンジ色の髪の女性がルッカに声をかけた。

「はい?」

ルッカはなんとなく間の抜けた返事をしてしまった。

「あの料理を作っているのは、あなたですか?」

彼女は外国の出身なのか、ちょっとカタコトのイタリア語を話している。

「ああ、ドルチェは俺だが?」

ルッカは女性の問いかけの真意が掴めずポカンとしている。

「あのドルチェ本当に美味しかったです。あの、それで…」

オレンジ色の髪の女性はなんだかもじもじとしながら、一緒に来ていた他の女性たちに後押しされている。

(これは…もしや…)

ルッカは心中、俺にもついに春が…という思いがよぎった。そして、その女性は意を決したように口を開いた。


「私たちにイタリア料理の作り方を教えてください!!!!!」

女性客たちは一斉に頭を下げた。


「…は???」

ルッカは言葉の意味が理解できず、目をぱちくりとさせた。


 オレンジ色の髪の女性はマリア。彼女はイタリア人男性との結婚を機につい最近アメリカからこっちへ引っ越して来たらしい。

彼女はイタリアに関しては不慣れなことが多く、旦那のためにイタリア料理を勉強中なのだという。彼女と一緒にいた友人たちも、国は違えどイタリアへ移住してきた人たちで、同じ悩みを抱えているようだ。

「家の近くのお料理教室を覗いてみたんですが、なんだか中級者向けというか。ピザブン回せる前提で話が進んでいって、私ついていけないと感じてしまって。」

マリアは困ったように俯いた。

「どんな料理教室だよ。」

ルッカは怪訝そうに眉を顰めた。

「それで、ここの料理を食べて、こんな楽しい料理を作れるようになりたいと思って。お願いできませんか?」

マリアはルッカの手を取り懇願した。

「私からもお願いします!」

友人たちも口々に頼み込むのだった。


「何の騒ぎだ?」

キッチンでパスタを茹でていたヴァレンティノが様子を見に来た。

「なんか。料理教室?をやって欲しいらしい…。」

ルッカとマリアが一連の流れを伝えると、ヴァレンティノはちょっと考えて、口を開いた。

「…分かった。ただし条件がある。」

「条件…ですか。」

マリアたちは固唾を飲んで次の言葉を待った。ヴァレンティノは少し屈むと、マリアたちの耳元で何かをボソボソと呟いている。

「…等価交換だ。文句はねえな?」

ヴァレンティノが鈍く目を光らせると、マリアたちは黙って頷いた。



「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」

マリアとその友人たちは翌週の店休日に大荷物を抱えてリモーネにやって来た。

「おはようございます!どうぞ入ってください!」

ビアンカは3名を中へ入れると、店内ではすでにエプロンを身につけて準備万端の三頭が待ち構えていた。

「よお。」

「いらっしゃいー。」

「本当にやるのか?これ。」

アルロだけはお料理教室がピンと来ていないらしい。


「では早速だが、今日の流れを。」

ヴァレンティノはアルロに指示してプリントを配らせた。

「レストランリモーネ特別お料理教室。」

マリアは可愛く檸檬や白熊のイラストがあしらわれたプリントに目を通した。

「今日は基本のマリネにピザの焼き方。ドルチェはティラミスにご要望のあったフリッテッレ。それから割って使えるフルーツシロップを作る。以上だ。」

ヴァレンティノは簡潔に説明を済ませた。

「こんなにたくさん作れるのかしら?」

「そうよね…。」

マリアとその友人たちが不安そうに呟いた。

「作り終わるまで帰れねえぞ。」

ヴァレンティノは指をぼきぼきと鳴らしながらドスの効いた声で圧をかける。

「ひい。」

「いいな?」

「…はい。」

「声が小せえぞ?いいな!?」

「はい!!!!!!!!」

マリアたちは青ざめながら大声で返事をした。

ヴァレンティノはこのお料理教室を『白熊たちのスパルタお料理教室』というテーマでやっていこうと考えているらしい。


ヴァレンティノは…

「まずはマリネだ。」

「はいっ!」

「ビネガーとブラックペッパーと岩塩を混ぜる。やってみろ。」

「はいっ!」

マリアたちはメモを取りつつ、ガラスのボウルに調味料を入れてゆく。

「玉ねぎのスライスだ。これくらいの薄さで切って水につける。」

「はいっ!」

マリアは包丁を持ち玉ねぎをスライスしていくが薄く切ろうとすればするほど時間がかかる。

「薄さはそれくらいでいい。スピードは練習が必要だな。」

「ありがとうございます!」


「次はピザ生地作りだ。」

「はいっ!!」

「もっと腰入れろ!!!」

「はいっ!!!」

「弱い!叩きつけろ!もっとだ!!」

「はい!!!」

「伸ばせ!飛ばせ!」

「はい!!!!!」


ルッカは…

「次は生クリームを泡立てる。はいやってみろー。」

「はいっ!」

「遅いぞー。日が暮れる。」

「すみません!」

「おいオーブンの余熱やってないぞー。」

「はい!今すぐに!」


アルロは…

「好きなフルーツを切って、はちみつやハーブと一緒に数週間漬ける。氷砂糖でも可!以上だ。何か質問は?」

「大丈夫です!!」

まるで軍隊さながらの激烈指導にマリアたち三人は必死に食らいついた。


「はあ…はあ…できました…!」

マリアたち三人は午前中から料理を作り始めて、昼過ぎには全ての料理を完成させた。

「「「いただきます!」」」

マリアたちは自分たちの作った料理を口に運んだ。

「美味しい!!」

「ピザサクサクだ!」

「ティラミス最高!!」


「なかなかの出来だ。」

ヴァレンティノはスパルタだが、褒めるところは褒める。マリアたちは嬉しそうに達成感に浸りながら料理を頬張った。

「食ったら後片付けだ。そこまでが料理だぞ。」

「はい!!」

マリアたちは元気に返事をした。


「それじゃあ以上だ。ご苦労さん。で、忘れてねえよな?」

一通り片付けが終わった頃、ヴァレンティノはマリアたちの前に立ちはだかり、眼を光らせた。

「…もちろんです!」

マリアたち三人は目配せすると、鞄から紙を一枚ずつ取り出しヴァレンティノに手渡した。

「確かに。」

ヴァレンティノは3枚のメモを確認し、満足そうに頷いた。



「今日は本当にありがとうございました!」

「また教えてください!」

「またご飯食べに来ます!」

三人は嬉しそうに手を振りながら帰っていった。

「…で、何もらったんだ?」

「何だその紙切れ。」

アルロとルッカはヴァレンティノの持つメモを覗き込んだ。


そこには

「アメリカの家庭料理バッファローウィングと万能グレイビーソースの作り方」

「おばあちゃん直伝!オマール海老のビスクとカリもちカヌレのレシピ」

「秘伝!!痺れる麻婆豆腐ととろける杏仁豆腐の作り方」

の文字。

「「お前…。」」

二頭は、嬉しそうにメモを見つめながら店内に戻ってゆくヴァレンティノの背中を黙って見つめた。


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