白熊と青年 中編
市場で青果店を営む青年の名はレオナルド。小さい頃からヴェネチアの街で育ち、数年前に祖父から店を継いだ。
レオナルドの営む青果店の隣は長い間空き地であったが、数ヶ月前に小さな公園が作られた。そこには色とりどりの花が植えられた花壇、噴水と小さなベンチがあり、背の高い木が木陰を作っている。その公園は青果店の窓から眺めることができるのだが、夕方になると毎日のように一人の娘がやって来る。その娘は18歳くらいの美しい顔立ちの上品そうな娘で、いつもベンチに座り小一時間くらい本を読んで帰っていくという。レオナルドは夕暮れ時になると、店の作業をしながら公園を眺めるのが日課となっていた。
ある日の夕暮れ前、その娘はレオナルドの営む青果店にやってきた。
「こんにちは。りんご一ついただけますか?」
娘はりんごが積まれた箱を指差し、レオナルドに告げた。
「…は、はい!」
レオナルドは突然のできごとに緊張しつつも、りんごを紙袋に入れ手渡した。
「ありがとう。」
娘は紙袋を受け取り、笑顔で店の入り口を出ると隣の公園のベンチに移動し、いつものように本を読み始めた。しばらく経った後、レオナルドがこっそり公園の方を垣間見ると、彼女は先ほど買って行ったりんごを齧りながら読書に没頭していた。レオナルドはその姿に釘付けになった。
その翌日以降も娘はちょくちょくレオナルドの店にやって来るようになった。天気の話や最近できたカフェの話など他愛もない話をしてはりんごを買い公園に向かうという流れとなっていった。
しかしその数日後、レオナルドは彼女にお見合いの話が上がっていることを他の客から耳にした。お見合いの相手は、ヴェネチアンゴンドラを作る会社の社長のご子息。彼は街でも有名な一家の長男で頭がよく、実家は金持ち。さらにイケメンの大人の男ときた。レオナルドは呆然と立ち尽くすしかなかった。
「名前も知らねえ女に惚れるとは…若いな。」
ルッカはレオナルドを肘で小突きながら投げかけた。
「一目惚れだったんです。」
レオナルドは差し出されたコーヒーをちびちび飲みながら答えた。
「だったら尚更諦めるのは早え。まだお前は何もできちゃいねえんだぞ?それでいいのか?」
ヴァレンティノは葉巻の煙をふうっと吐き出し問いかけた。
「よくないです。でも、相手は大きな会社の社長のご子息。俺なんかと比べものにならない。その人と結婚すればあの娘は社長夫人だ。将来は安泰でしょう。」
レオナルドは小さな声でそう返した。
「あ゛?お前はその歳で立派に店守ってんだろうが。自分のことを卑下して何になるってんだ。」
アルロは眉間に皺を寄せレオナルドにくってかかった。
「男なら欲しいもんは自分の力で手に入れるもんだ。」
ルッカはレオナルドの横に座り、肩に腕を回してそう投げかけた。
「…!」
レオナルドは二頭の言葉に押し黙ってしまった。そして、拳をギュッと握り締め
「…俺にも!チャンスはありますかね!?」
と声を上げた。
「さあな。」
ヴァレンティノはソファにもたれかかりながら、わざと意地悪く返した。そして葉巻の煙を天井に向かって吐き出すと、
「お前次第だな。」
と言い、葉巻の先端をレオナルドの方に向けた。
「俺次第…か。」
レオナルドは小さく呟いた。
「俺たちが手伝ってやるからさ。」
ルッカは楽しそうだ。
「ただ、その娘に関する情報が少なすぎるな。まずは相手を知るところからじゃねえか?」
アルロは頬の傷をぽりぽりと掻いた。
「だな。とりあえず…攫ってくるか。」
ヴァレンティノの不穏な言葉にレオナルドは焦った。
「攫う!?やめてくださいよ!」
レオナルドは制止したが、
「大丈夫だって!俺たちに任せろ。」
と、ルッカに宥められた。
「ちょ、ちょっと…。」
レオナルドは半ば強引に押し切られる形で「ある計画」に参加することになってしまった。
翌日の夕方ごろ、娘は青果店に寄ってりんごを買い、例の如く公園のベンチでりんごを齧りながら本を読み始めた。その姿は夕陽に照らされ、栗色の髪がキラキラと夕陽を反射していた。レオナルドは作業をしながら公園の方に視線を投げる。
「今日も綺麗だ。」
レオナルドは無意識にその言葉を口にしていた。
「そうだなあ。」
その時どこからともなく野太い声が降ってきた。
「わ!?」
レオナルドは驚きすぎて、手に持っていたレモンの籠をとり落としそうになった。
「おいおい。大丈夫か?」
その声の主は厳つくてのっぽな白熊、 ルッカであった。
「え!?ルッカさん?なんでここに…レストンランは?」
レオナルドは額の冷や汗を拭いながらようやく投げかけた。
「ちょっと様子を見に来た。うちの店は16時までだからな。」
ルッカは店に並べられた果物や野菜を吟味しながらそう返した。ルッカは相変わらず楽しそうだ。その時、レオナルドがふと窓から公園を覗くと、彼女の姿はもうなかった。
「様子を見にって…。一体どんな作戦なんですか?」
レオナルドがそう投げかけた時、店の入り口付近で話し声が聞こえた。
「ここよ。」
「ほお、ここか。」
「ええ、この店のりんごとても美味しいの。」
「そうですか、どうもありがとう、お嬢さん。」
「ソフィアよ。」
「ソフィア。いい名だ。」
レオナルドが店の入り口の方へ視線を向けると、そこには二頭の厳つい白熊に囲まれたあの娘がいた。しかも楽しげに話をしている。
「い、いらっしゃいませ。」
レオナルドは顔を引き攣らせながら挨拶をする。
「公園でソフィアが美味しそうなりんごを食べていてなあ。俺たちはレストランを経営しているから気になって。彼女に教えてもらったんだ。」
ヴァレンティノは何も知らないというような素振りでそう説明した。
「りんごを一つもらえるかな?そのままでいい。」
ヴァレンティノはりんごの盛られた籠を指さした。
「は、はい。」
レオナルドがりんごを一つ手渡すと、ヴァレンティノはそのりんごをまじまじと観察し香りを嗅いだ。そしてアルロに手渡すと、アルロは胸ポケットから小さなナイフを取り出し、りんごを一欠片器用に切り分けヴァレンティノに手渡した。さすが、マフィア時代にナイフを使った接近戦が得意であったアルロのナイフ捌きは華麗であった。
「うん。うまい。」
ヴァレンティノは頷きながらそう呟き、胸ポケットを漁り始めた。そして、二枚のチケットをソフィアとレオナルドに手渡す。
「これはうちのレストランの特別招待券だ。日時は裏に書いてある。じゃあな。」
ヴァレンティノはそれだけ言うと、ルッカとアルロを連れ立って帰って行った。
「あ、ありがとうございました!」
レオナルドは三頭の背中に向かって深々と礼を言った。
「公園でりんごを食べながら本を読んでいたら声をかけられたの。そのりんごはどこで買ったのか教えて欲しいって言われて。それで連れて来たの。」
ソフィアはちょっと困ったように肩をすくめてみせた。
「そ、そうだったんですね。」
レオナルドは「これが作戦か」と思いながら、平常心を保とうと必死だ。
「でもこのレストラン!ずっと行ってみたかったのよ。人気店なんでしょ?私時間が合わなくてまだ行けてなかったの。」
ソフィアは貰ったチケットを見ながら嬉しそうに声を上げた。
「ああ、そうなんですね。」
レオナルドは変な汗をかきながら、気の利いた返しができない自分に嫌気がさしていた。
「じゃあまた明日。この店で。」
ソフィアはチケットを掲げながら嬉しそうに店を後にした。
「ま、また明日。…明日!?」
レオナルドは慌ててチケットの裏面を確認した。そこには、
『レストランリモーネ ディナー特別招待券 19:00PM OPEN』
の文字と明日の日付。そして
『ちゃんと寝て来い。』
との手書きのメッセージ。レオナルドはふっと笑った。
「明日…か。ん?あのレストラン、ディナーとかやってたっけ?」
レオナルドが不思議に思っていると、
「すみません。ラフランス一つちょうだい。」
店の入り口から婦人の声が聞こえた。レオナルドはチケットをポケットにしまうと
「はーい!」と返事をした。
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