白熊と青年 後編

 「ありがとうございました。またのお越しを!!」

時刻は16時。三頭の白熊たちは最後の客を見送ると、店のサインを「close」に変え、ロールカーテンを下ろした。

「ふう。今日は平日なのに客が多かったな。」

アルロはエプロンを外しながらどかっと椅子に座り天を仰いだ。

「休んでる暇はねえ。セッティングを頼む。」

ヴァレンティノはそう指示すると、早速キッチンへと入り何やら作業を始めた。アルロとルッカもよっこいしょと立ち上がり、各々準備を始めるのだった。




 時刻は19時。リモーネの入り口の前に二人の人物が現れた。

「いらっしゃいませ。」

三頭はその人物を出迎える。

「レオナルド、ソフィア。よく来た。こちらへどうぞ。」

ヴァレンティノは二人を店内に入れた。

「お招きくださってありがとうございます。一回来てみたかったんです!」

ソフィアは嬉しそうに告げた。

「おお、それは良かった。」

ヴァレンティノとソフィアは楽しそうに話をしている。しかしレオナルドは緊張しているのか話に入っていけないようだ。

「こちらの席へどうぞ。」

ヴァレンティノがガラス戸を開けると、庭には一席のテラス席。その周りは電飾で飾られロマンチックな雰囲気となっていた。

「まあ、素敵!!」

ソフィアは声を上げた。レオナルドが呆気に取られていると、後ろからやってきたルッカにドンと押されよろめいた。

「本日は特別コースをご用意しております。少々お待ちください。」

ヴァレンティノはそう言うと、キッチンへと引っ込んでいった。

「特別コースですって!楽しみね!」

ソフィアは少女のように微笑むと、庭の飾りやレモンの木のなる花壇などを見て回り始めた。夜のテラス席には気持ちのいい夜風が吹いている。

「そうですね。」

相変わらずレオナルドは緊張しているようでなかなか話を発展させることができない。その時、アルロが二つのグラスを持って庭にやってきた。二人がテーブルにつくのを確認したアルロは口を開いた。

「えー、お待たせいたしました。まずは食前酒から。当店自慢のリモンチェッロです。」

アルロはそう言うとグラスを二人の前に置いた。

「まあ!ありがとう。」

ソフィアがアルロに礼を言うと、アルロはドリンクメニューを広げた。

「お飲み物は?」

「じゃあ、私はこのレモンワインを。グラスで。レオナルドさんは?」

ソフィアの問いかけに答えなければという気持ちと、初めて名前を呼ばれた衝撃とでレナルドの頭はパンクしそうであった。

「…お、同じものを。」

レオナルドはようやくそう答えると、アルロは店内へと入っていった。


「乾杯しましょう。」

ソフィアは小さなグラスを手に取ると前に突き出した。

「あ、ああ。乾杯。」

レオナルドも前にグラスを突き出し、チンという軽快な音が響いた。ソフィアはグラスを一気に傾ける。

「はあ。美味しい食前酒ね。」

ソフィアはご機嫌だ。レオナルドも意を決したように一気にリモンチェッロを飲み干した。

「本当だ。飲みやすい。」

レオナルドがグラスを置いたタイミングで、ルッカがやって来てそれぞれの前にワイングラスと皿を置いた。

「お待たせいたしました。レモンワインと、前菜(アンティパスト)です。本日は生ハムとレモンのマリネ、レモンクリームチーズのカナッペです。ごゆっくり。」

ルッカはそのままキッチンの方へと向かっていった。

「まあ!美味しそう!!」

ソフィアはキラキラした瞳でレオナルドに投げかけた。

「本当だね!早く食べよう。」

レオナルドはフォークを手に取り生ハムのマリネを口へと運んだ。

「…!美味しい!これとっても美味しいよ!」

レオナルドの様子を見て、ソフィアも一口マリネを口に運ぶ。

「本当!とっても美味しいわ。」


そんな二人の様子を影から見守る厳つい三頭。

「いい感じだな。」

「よしよし。」

「このまま続行だ。」



「お待たせいたしました。レモンクリームスープです。」

アルロはスープ皿を二人の目の前に置く。

「レモンクリーム!初めて食べるわ。」

ソフィアはスープに興味津々だ。

「ごゆっくりどうぞー。」

アルロは空になった前菜の皿を持って店内へと戻って行った。


「いただきましょう。」

ソフィアはもうスプーンを握っている。

「そうだね。」

レオナルドは彼女のそんな姿が可愛くてつい顔が綻んでしまう。ソフィアとレオナルドはスープを一口飲む。

「わあ。レモンの香りがすごい!」

「本当だね。皮も使っているのかな。」

レオナルドもソフィアもヴァレンティノの料理の美味しさに驚いていた。

「最初は料理人と聞いて、正直本当かしらと思ったけれど、本当に美味しいわね。」

ソフィアはスープを口に運びながらそう投げかけた。

「確かに、料理人には見えないね。どちらかというとヒットマンというか…マフィアみたいだよね。」

レオナルドは笑いながら答えた。

「確かに言えてる。」

二人の間には和やかな雰囲気が流れていった。


「お待たせいたしました。レモンチーズピザです。切り分けてお食べください。」

ルッカはレオナルドの方にピザカッターを置いた。

「お飲み物の追加は?」

ルッカは二人に問いかける。

「じゃあ、おすすめのカクテルあるかしら?」

ソフィアは案外お酒好きらしい。

「かしこまりました。」

ルッカは次にレオナルドの方を見る。

「じゃあ、レモンビールで!」

レオナルドは少し酒が回って来たようで、楽しそうだ。

「かしこまりました。」

ルッカはオーダーを取り終えると、店内に戻りアルロにドリンクの追加を申し伝えた。


 レオナルドはピザカッターを手に取り、ピザを切り分けてゆく。

「はい、どうぞ。」

レオナルドは取り皿にピザを1ピース乗せるとソフィアに手渡した。

「ありがとう。」

ソフィアが取り皿を受け取る時、少しだけお互いの手が触れた。

「あ、ごめんなさい。」

「あ、いやこちらこそ。」

なんだか甘酸っぱい雰囲気になってきた頃、アルロがドリンクを持ってテラスに現れた。

「はいはい、失礼しますよー。レモンビールとリモーネオリジナルカクテル『ヴェネチア』です。ジンジャーレモンのカクテルになっています。ごゆっくり。」

アルロはパッパと説明を終えると足早に店内に戻って行った。


「このレモンカクテル美味しいわ!ピザによく合う!」

ソフィアはご機嫌だ。レオナルドも美味しい料理とお酒、素敵な女性との食事に夢見心地である。


 一通り食事を楽しんだ頃、ソフィアは口を開いた。

「実は…最近ちょっと悩んでいることがあって。でも、なんだか急にどうでも良くなっちゃった。」

ソフィアは残っていたレモンのカクテルを一気に飲み干した。

「悩み?」

レオナルドは真剣な表情で問いかけた。

「そうなの。話してもいいかしら?」

ソフィアの問いかけに

「もちろん!僕でよければ。」

とレオナルドは返す。ソフィアは

「すみません!レモンワイン二つ。グラスで。」

とガラス戸の近くに立っていたアルロに申し付けた。レオナルドも残っていたレモンビールを一気に煽る。そしてソフィアは口を開いた。

「実はね、うちの父がお見合いの話を持ってきたの。街でも有名な会社の社長の息子みたいなんだけど…正直興味が持てなくて。そのお見合いが明日なの。」

「明日!?」

レオナルドは呆気に取られた。ソフィアは頷く。

「明日のお昼にセッティングされているの。私はもっと勉強したいし、仕事もしたい。」

ソフィアは遠くを見つめながら、ちょっと寂しそうに溢した。


「レモンワイン二つ。お待たせしました。」

アルロは二人の前にグラスを置いた。レオナルドは置かれたワインを一気に飲み干した。

「おいおい。大丈夫かよ。」

アルロはレオナルドを小声で諌めたが、真剣に彼女の話を聞こうとしていたので、そのまま空いたグラスを持って下がっていった。


「それでね、私は何度も断ろうとしたんだけど。一回会ったら気も変わるかもしれないって言うのよ。でもどうしてもそんな気になれなくて。私明日のお見合いを…」

その時、ガタンという大きな音が辺りに響いた。

「…ちょ、ちょっと!?レオナルドさん?大丈夫!?しっかりして!」

なんとレオナルドは椅子に座ったまま後ろにひっくり返ってしまったのだ。

「おいおい。言わんこっちゃねえ。」

近くにいたアルロが二人に駆け寄る。キッチンで作業していた二頭も様子を見に来た。

「おい!しっかりしろ。」

アルロがレオナルドの頬をピシピシと叩くが意識は戻らない。

「アルロさんヴァレンティノさん!レオナルドさんを店の中のソファに寝かせてください。ルッカさんはお水を持って来ていただけますか?」

ソフィアは三頭にテキパキと指示をし、レオナルドをソファへと移動させると水を飲ませた。

「レオナルドさん!聞こえますか?レオナルドさん?」

ソフィアの言葉にレオナルドはうっすらと目を開けた。

「…んー。自分の…人生なんだから…自分のやりたいこと…やらないと…もったいないだろう…。んんん。」

レオナルドは呂律の回らない口でモゴモゴとうわごとを言うと、そのまま深い眠りについてしまった。

「はあ。良かった。」

ソフィアはそう呟き、三頭はため息をついた。


「随分と手慣れてるな。」

ヴァレンティノはソフィアに問いかけた。

「私は医学部生なの。」

ソフィアは微笑みながら答えた。

「医者の卵か。それはすごいな。」

ルッカは感心している。

「肝心な時にこいつは…。まあ、そのうち目を覚ますだろ。」

アルロはぐうぐう寝ているレオナルドの額をピシッと弾いた。

「そうね。」

ソフィアは笑いながらレオナルドを見つめた。


「そう言えば、ドルチェがまだだが…食べるか?」

ルッカはソフィアに問いかけた。

「ええ!甘いものは大好きよ!」

ソフィアはそう言うと、近くにあった椅子に腰掛けた。


「それではディナーコース最後のメニュー。ドルチェ盛り合わせです。」

ルッカは綺麗にドルチェの盛られたプレートをテーブルに置いた。

「わあ!美味しそう!」

「本日のドルチェは、レモンジェラート、ティラミス、レモンタルトです。」

ルッカの説明を一生懸命に聞いているソフィアの手にはすでにスプーンが握られている。

「いただきます!」

ソフィアは食い気味にそう言うと、美味しそうにドルチェを食べ始める。レオナルド用のドルチェプレートは3頭とソフィアによって綺麗に平らげられたのであった。




レオナルドが目を覚ましたのは22時半。レオナルドはガバッと起き上がり辺りを見回すと、三頭はキッチンや店内の清掃をしていた。

「おお、目え覚めたか。」

ヴァレンティノはキッチンから彼に投げかけた。


「あれ、あれ?俺どうしちゃったんだ?」

レオナルドは状況がよめていないようだ。もちろんそこにソフィアの姿は無い。

「彼女ならとっくの昔に帰ったぞー。」

ルッカはちょっと意地悪そうにレオナルドを小突いた。

「…そんな。やってしまった…。もう終わりだ。」

レオナルドは青い顔でブルブルと震え出した。

「せっかくセッティングしてもらったのに…。」

レオナルドは床を見つめながら、蚊の鳴くような声でそう漏らした。

「ドンマイー。」

「あーあやっちまったなあ。」

ルッカとアルロはそんなレオナルドにニヤニヤしながらヤジを飛ばす。レオナルドはさらに肩を落とした。

「おい。レオナルド。」

ヴァレンティノが一枚の紙切れを手渡しながら呼びかけた。

「え?なんですか?これ。」

すっかりしょんぼりしてしまったレオナルドはその紙を受け取る。

「彼女からだ。」

ヴァレンティノの言葉に、レオナルドの瞳が見開かれた。そこには、


『今日は一緒に食事をしてくれてありがとう。

明日の夕方、あなたのお店に行きます。

ソフィアより。』


と、綺麗な字で書かれている。



 次の日の夕方ごろ、ソフィアはレオナルドの青果店にやって来た。

「こんにちは!レオナルドさん!」

ソフィアが挨拶するなり、レオナルドはソフィアの元に走り寄ってきた。ソフィアは白いレースのワンピースにパールのアクセサリーを着けている。

「ソフィアさん!昨日は本当にすみませんでした!!リモーネの方からソフィアさんが介抱してくださったと聞いて!本当に…お恥ずかしい!!」

レオナルドは直角に頭を下げ、早口で陳謝した。

「いいのよ!頭を上げてレオナルドさん。」

ソフィアはレオナルドの肩に手を置き、頭を上げさせた。

「それより聞いて!私やったわ!」

ソフィアは嬉しそうに瞳を輝かせている。レオナルドは頭に疑問符を浮かべながら話の続きを待った。

「昨日の話覚えてる?今日お見合いだったんだけどね。」

ソフィアの言葉に、レオナルドははっと息を呑んだ。レオナルドはお見合いのことをすっかり失念していたのだ。

「実はね…」

レオナルドはソフィアの言葉を固唾を飲んで待った。

「例の人、思いっきり振っちゃった!」

ソフィアの言葉にレオナルドはポカンとしている。

「実際に会ってみたんだけど、話もつまらないし、勉強も仕事もしたいって言ったら、結婚したら家に入って欲しいとか言われるし…ありえないわ!」

ソフィアは口を尖らせながらそう話した。

「そ、そうだったんですか…。」

レオナルドは内心ガッツポーズをしながらそう返した。

「レオナルドさんのおかげよ。ありがとう。」

ソフィアはレオナルドの手をとった。

「え?…俺は何もしてないですよ!」

レオナルドは焦りながらその手を震わせた。

「…もしかして…」

ソフィアはそう言うと、ちょっと考えて吹き出した。


レオナルドは何も覚えていなかったのだ。










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