白熊と青年 前編

 レストランリモーネ本格営業開始の前日、プレオープンの時と比べ店内はさらに綺麗に整えられていた。店内の壁はアマルフィの建物を連想させるような爽やかな白色に塗り替えられ、テラス席近くの花壇にはアンナからもらった檸檬の木が3本植えられていた。


「ちょっといいか。」

ヴァレンティノはキッチンで作業をするルッカとアルロを呼びよせた。

「いいか、まず明日からの段取りから。明日は休日だから予定通り11時から終日レストラン営業とする。恐らく客の入りも多いはずだ。メニューも増えているから気い引きしめてかかれ。」

「おう。」

アルロとルッカは小さく返事した。 ヴァレンティノは続ける。

「そして二日間の休日営業を切り抜けたら、問題の平日が来る。」

アルロとルッカは黙って頷いている。

「平日は11時から14時までレストラン営業、14時からはカフェ営業。一旦これで様子を見る。それから…」


ヴァレンティノが一連の説明を終えると、再び明日の仕込みや清掃などに取り掛かったのだった。



 レストランリモーネ本格営業開始まで残り30分。店の前にはすでに数組の客が列をなしていた。

「もう並んでやがる。」

ルッカはドアにかかるロールカーテンの隙間から外を見ると呟いた。ルッカはテラス席の設営と清掃を、ヴァレンティノはキッチンで材料の確認や下準備などに余念がない。


そして時刻は午前11時。

「いくぞ。」

ヴァレンティノの声を合図にロールカーテンが巻き上げられた。

「皆様、本日はご来店いただきましてありがとうございます。レストランリモーネ、開店します。」

ヴァレンティノが挨拶を終えると、たちまち客の間から拍手が巻き起こった。


こうして男たちの『闘い』が始まったのだった。



 そこから一週間、特に休日のレストランリモーネは『戦場』であった。

「おい、3番卓のドルチェ間に合ってないぞ。」

「手が足りねえ。」

「誰かレジ行けるか?」

「アルロ、カプチーノ5杯。テラス席な。」

「リゾット3つー!6番卓。」

「お客様のお帰りだ!またのお越しを!」

「ラザニア4番卓に運んでくれ。7番卓のオーダーも頼んだ。」

「お子様ランチ2つ追加!」


プレオープンの時と比べるとメニュー数も増え、テラス席もできた効果もあってか三頭が予想したよりも多くの客が訪れたのだった。三頭で全てを賄うのはギリギリ。それに思ってもいなかった弊害も起きた。それは平日のレストラン営業の時間。

「ヴァレンティノ!リゾット10いけるか?」

「10だ!?」

「ヴァレンティノ、こっちもリゾット3つ。」

「リゾット2つ追加。あとカプチーノ。」

「嘘だろ。」


レモンリゾットは11時から14時までのレストラン営業の時に、カプチーノしか頼まない紳士、淑女がランチに食べやすいものをというコンセプトで作られたものであった。しかしここまでリゾット地獄になることは作った本人も想像していなかったのだ。

「…はあ。なんでこう極端なんだよあいつら。」

ヴァレンティノはぶつぶつ言いながら米を煮続けるのであった。


「とっても美味しかったわ。だけど…リゾットだけでお腹いっぱいになってしまってカプチーノが飲みきれなかったわ。ごめんなさいね。」

レストラン営業の時間に来た淑女は、会計の時に申し訳なさそうに話した。その言葉をヴェレンティノは聞き逃さなかった。

「14時からカフェ営業もやっております。フードの提供はないですが、ドリンクだけ、ドルチェだけの注文もできますので、良かったらそちらもご利用ください。」

と説明した。さらにヴァレンティノはアルロに頼んで、各テーブルのメニューに平日の営業形態を説明した紙を挟ませた。

「あいつ必死だな。」

ルッカは一頭呟いた。


 その後さらに数日の営業を続けた頃、ヴァレンティノの地道な努力の甲斐あってか、平日のレストラン営業の時間に来る紳士淑女は少し減り、14時からのカフェ営業の時間にカプチーノを楽しみに来ることが多くなった。そして、お昼時には市場の若い衆がランチに来れるくらいの余裕ができたのであった。



 リモーネが本格的に営業をスタートして数週間が経った頃、平日の昼1時前に毎日のようにやってくる一人の青年がいた。彼は近くの市場で青果店を営んでいるらしい。

「レモンパスタ一つ!」

空のように青い目をした爽やかなその青年は、いつもカウンターの端の席に座り、もりもりとランチを食べると20分ほどで帰ってゆく。


ある日、その青年はいつものようにカウンター席に通された。

「メニューお決まりですか?」

ルッカが問いかける。

「…あ!えーと、レモンラザニアで。お願いします。」

青年の声にはいつもの快活さがなく、何か考え事でもしているかのようであった。ルッカはあまり気にすることなくオーダーを取ると、キッチンへと引き上げた。


次の日、例のごとくその青年はリモーネにやってきた。

「いらっしゃ…いませ。」

青年を出迎えたアルロは、その顔を見て怪訝そうに眉を顰めた。

「カウンター席にご案内します。」

アルロは青年をいつもの席に通す。壁際の席にちょこんと座る彼は目の下に大きな隈を作ってげっそりとしていた。

「ご注文お決まりで?」

ルッカがカウンターから投げかける。

「…ホットコーヒー。濃いめで。」

青年の声に覇気はない。

「かしこまりました。」

ルッカはそう返しながら青年をちょっと見やる。青年はため息をついている。


「なあ、あいつ大丈夫か?」

「なんだかげっそりしてるな。」

アルロとルッカはカウンター内で青年に聞こえないようにコソコソと耳打ちし合う。


「おい、お前ひどい顔してるぞ。ヤクでもやってるのか?それとも借金か?」

カウンター席の方からヴァレンティノの遠慮ない声が聞こえた。ヴァレンティノは水とおしぼりを手渡しながら青年に話かけている。

「あいつ…!」

「おい、堅気にそんなこと言うんじゃねえよ。」

ルッカとアルロは驚いてヴァレンティノの方を見やり、しっしと手で払う仕草をしながら小声で投げかけた。

「…あはは、ちょっと色々ありまして。でも借金もないですし薬もやってないですよ。」

青年は困ったように笑いながらそう返した。

「…そうか。ならいい。」

ヴァレンティノはそれだけ言うと、青年の肩をポンと叩いて別の席にオーダーを取りに向かった。


「コーヒー。」

アルロはカウンターの前からコーヒーカップを差し出した。

「ありがとうございます。」

青年はカップを受け取ると、じっとその中を覗いた。そこにはひどい顔をした青年がぼんやりと映っている。

「はあ…。」

青年は深くため息をついた。

「どうした。何かあったのか?」

カウンター越しにアルロは問いかけた。青年は濃いめのコーヒーを一気に煽ると、はあと息を吐き、意を決したように口を開いた。

「実は…」




「なるほどな。それでその顔か。」

「そいつとっ捕まえて山にでも埋めりゃあいい話だろ。」

「いや、アマルフィの海に沈めたらいい。」

いつの間にか青年は三頭の厳つい熊に囲まれ、辺りは物騒な言葉が飛び交う尋問のような空気になっていた。

「山!?海!?ちょ、ちょっとそこまでは…ははは。」

青年は冷や汗をかきながら愛想笑いするしかない。青年は俯き、空になったコーヒーカップの底をじっと見つめながら

「でも、もう諦めるしかありません。勝てませんよ。」

と少し悲しそうに呟いた。

「「「あ゛?」」」

三頭は眉間に皺を寄せ唸った。

「ひい。」

青年は青い顔で小さく鳴いた。

「ありえねえだろ。」

「お前はタマ無しか!?あ゛?」

「その根性叩き直してやる。」

アルロは青年の胸ぐらを掴み睨みをきかす。ルッカは指をぼきぼきと鳴らしながら青年に詰め寄った。そして、

「今日の夜、お前の店閉めた後にここに来い。いいな。」

ヴァレンティノは有無を言わさない様子で青年にそう伝えると、キッチンへと消えていった。青年は青い顔で何度もうんうんと頷いた。












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