白熊とお嬢ちゃん 前編

 三頭は朝からリモーネ本格オープンに向けて各々が忙しく動いていた。ヴァレンティノは子供やお年寄りも食べやすいようなレモンリゾットや、お子様プレートを新たにメニューに加えるべく試作中。アルロとルッカは子供向けドルチェの開発を一緒に行なっている。

「こんな感じでどうだ?」

ルッカはアルロに一枚の紙を差し出した。そこには入れ物に岩のようなものが入ったイラストが描かれている。

「壊滅的だな。」

アルロはそのイラストを一見すると、ちょっとバカにしたように笑った。

「あ?じゃあお前が描いてみろよ。」

ルッカはイラッとし、アルロを睨むとペンと紙をずいっと押し付けた。アルロはそれらを受け取ると、するするとペンを動かしていく。程なくして、

「こんなもんか?」

アルロは完成したイラストをルッカに見せつけた。そこには皿に綺麗に盛られた美味しそうなティラミスのイラスト。

「なんでうまいんだよ。」

ルッカは渋い顔でそのイラストをひったくった。ルッカは黙って肩をすくめてみせた。


 その日の午後、三頭は市場に買い出しに出かけた。平日午後の市場も人が多く活気に満ち溢れている。三頭は店々を回り必要な材料を買い込んだ。

「俺は米を買いに行ってくる。先に戻っていろ。」

あらかたの買い物を済ませた頃、ヴァレンティノは人の合間を縫いながら米屋に向かって一頭歩き出した。アルロとルッカは荷物を抱え、ひと足先にリモーネに戻って行った。

 ヴァレンティノは暫くのそのそと歩き、市場の中頃のあたりにある一軒の米屋に入った。

「邪魔する。」

「いらっしゃいませ!何をお探しで?」

米屋の若い旦那は投げかけた。

「リゾット用の米を探しているんだが、いいのあるか?」

ヴァレンティノがずらっと並べられた米を一品ずつ見ながら尋ねると、それなら、とお勧めの品種の米を示した。ヴァレンティノはその米を10kg購入し軽々と肩に担ぐと、店を後にした。

「ありがとうございます!またのお越しを!」

若い米屋の旦那は威勢よくヴァレンティノの背中に挨拶した。ヴァレンティノはリモーネに向かって歩き出した。

「お客さん!いい品入ってるよ!」

「お客さん!どうぞ見てってね!」

左右から威勢のいい声が飛び交う。ヴァレンティノは軒を連ねる店をきょろきょろと見ながら足を進めた。その時、足元にどんという感触を感じた。

「ん?」

ヴァレンティノが足元に目をやると、そこには尻餅をついた4歳程の女の子が、今にも泣きそうな顔でこちらを見上げていた。

「おっと、ごめんよお嬢ちゃん。怪我しなかったか?」

ヴァレンティノは女の子に片手を差し伸べた。しかし、女の子は目に涙をいっぱい溜め、こちらを見上げるばかり。ヴァレンティノは女の子の小さな手を掴み立たせると、少女を道の端に連れて行き、問いかけた。

「お父さんやお母さんは?」

「…逸れちゃった。」

女の子はやっとの思いでそう答えた。

「…そうか。」

その女の子はアンナという名前らしく、最近ヴェネチアに引っ越してきたらしい。少し前に父親と逸れてしまい、父親を探しているうちに迷子になったというのだ。ヴァレンティノは少し考え、その子を伴って市場の中を歩き出した。

「家は分かるか?お父さんの特徴は?」

ヴァレンティノがあれこれ聞くが、4歳の女の子には難しいらしく、分からないと首を横にふるばかり。ヴァレンティノは少女と一緒に市場の中を歩き回り、店の主人や街の人に声をかけてみたが、引っ越してきたばかりのその子を知る人はいなかった。

「参ったな。」

ヴァレンティノは、小さな手を繋ぎ、俯きながらも泣くまいと目に力を入れて歩く女の子を見ながらそう呟いた。そして、女の子とぶつかった場所の近くまで戻ってきたところで立ち止まり、少し考えて、

「腹、減ってるか?」

と投げかけると、女の子は顔を上げこくこくと頷いた。ヴァレンティノは近くにあった店の店主にリモーネの地図と父親への言伝を頼み、女の子を米袋の上にヒョイっと担ぐと、そのままリモーネに向かって歩き出した。


「帰ったぞ。」

ヴァレンティノの声に気がついた二頭はドアの方へと視線をやった。

「おお、遅かったな。…あ!?」

アルロはヴァレンティノが米袋と一緒に女の子を担いでいる様子を見て素っ頓狂な声を上げた。ヴァレンティノはキッチンまで入ると米袋と女の子をそっと下ろした。

「おい、そいつも食材か?」

ルッカは女の子を指差しながら問いかけた。食材という言葉を聞いてアンナは一瞬顔を青くした。

「おい、やめろ。迷子だ。保護した。」

ヴァレンティノはことの経緯を二頭に説明し、父親がこの店に迎えにくるまで保護することにした。


 アンナとヴァレンティノがリモーネに到着してから30分ほど、未だ父親は迎えに来なかった。

「パパ、どこ行っちゃったんだろう。」

カウンターで水の入ったグラスを両手に持って座っているアンナは不安そうに呟いた。

「心配するな。じきに来る。」

キッチンで何やら作業をしながらヴァレンティノはそう返した。ルッカとアルロは何かをコソコソと会議し、頷くとヴァレンティノにある提案を耳打ちした。

「…なるほどな。」

ヴァレンティノは片眉を上げてニヤリと笑った。

「アンナ、ちょっと待ってな。」

ヴァレンティノがそう投げかけると、アンナはちょっとキッチンの方を覗いた。そこでは三頭が各々作業をしている。大きな体で器用に調理をしていく厳つい白熊たちの姿に、アンナは興味を示した。十数分して、ヴァレンティノは料理が綺麗に並べられたプレートをアンナの前に差し出した。

「好きなだけ食べろ。」

「わあ!」

そこには新作のリゾットやくまの顔の形をした小さなハンバーグ、サラダなど数種類のメニューが綺麗に盛り付けられていた。アンナは目をキラキラと輝かせ、そのプレートをまじまじと見つめた。

「冷めないうちに食え。」

ヴァレンティノがスプーンとフォークを手渡すと、アンナは小さい手を伸ばした。

「いただきます。」

アンナは律儀に手を合わせてからスプーンを手に取り、リゾットを口へと運んだ。

「…!美味しい!!」

アンナは満面の笑みを浮かべながらヴァレンティノの顔を見た。アンナは一口ごとに感嘆しながら次々に料理を口へと運ぶ。その光景を見て、ヴァレンティノは

「そうか。」

と嬉しそうに呟いた。どんどんと食べ進めるアンナの手がふと止まった。

「どうした?」

ヴァレンティノは調理器具を洗いながらちらっとアンナの方を見やって投げかけた。

「ううん。なんでもないの…。」

アンナは少しバツが悪そうにもぞもぞとしている。ヴァレンティノは残り少なくなったプレートの料理をちょっと見やって気がついた。

「お前。野菜嫌いなのか?」

ヴァレンティノの言葉にアンナの肩がピクっと動き、おずおずとヴァレンティノの方を見上げた。

「…うん。」

アンナは小さな声でそう漏らした。

「野菜も食べないと大きくなれないぞー?」

近くで作業していたルッカが横からアンナをつんと突いた。

「分かってるけど…。」

アンナは俯きながらフォークでトマトやキャベツ、人参の入ったサラダをつつく。その様子を見ていたヴァレンティノはすっとアンナの目の前に置かれたプレートを取り上げた。

「あ。」

アンナは、ヴァレンティノを怒らせてしまったと思い、おろおろとしている。すると、ヴァレンティノは小鍋にサラダを投げ込み、煮込み出した。キッチンにはコンソメやトマトのいい香りが広がる。暫くして、ヴァレンティノはアンナの前に小さなスープ皿を置いた。

「ほら。生よりは食べやすい。食ってみろ。」

それは、さっきまでサラダだった野菜たちがクタクタになるまで煮込まれたスープだった。アンナはちょっと不安そうにスプーンを手に取ると、ゆっくりとにんじんを口に運んだ。

「…!?美味しい!!」

アンナはスープのボウルをじっと見つめながら声を上げた。ヴァレンティノは満足そうにふっと笑った。




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