白熊と小麦のお姉さん 前編

 ある日の閉店後のこと。

「じゃあ、行ってくる。店の片付けはぼちぼちでいい。」

ヴァレンティノはアルロとルッカを伴って市場へと買い出しに行くらしい。

「はーい!気をつけて。」

ビアンカは台拭きをしながら三頭を見送った。


時刻は夕方の5時頃。あたりには眩しいほどの西陽が差し、水路はオレンジ色にキラキラと光を反射する。

「今日買うものは?」

ルッカはヴァレンティノに問いかける。

「小麦粉と卵、生クリーム、野菜にハム…かなりの量になりそうだな。」

三頭はできるだけ安く、しかし質の良い材料を求めて多くの店をハシゴすることが多い。しかし、小麦粉だけはある店で買うように決めていた。


「邪魔する。」

三頭がやってきたのはヴァレンティノとルッカがいつも小麦粉を買っているあのお店。

「いらっしゃい!」

威勢のいい声が三頭を出迎える。この店を切り盛りしている店主はキアーラという若い女性で、小麦畑のように艶やかな髪が非常に印象的だ。

「小麦粉40kg頼む。」

ヴァレンティノはもう顔馴染みのようで、慣れた様子で注文を申し付けた。

「はいよ!ちょっと待ってね!」

キアーラはいつものように布袋に小麦粉を詰めてゆく。


 この店で販売されている小麦粉は非常に質が良く、そのわりには良心的な値段。しかし気になることが一つ。いつも自分たち以外に客の姿がないのだ。

「最近どうだ?」

ヴァレンティノがそれとなく声をかけると、キアーラは小麦粉を袋に詰めながら困ったように笑った。

「全然だよ。他の店の方が安くで売ってるからね。」

キアーラは布袋に小麦粉を詰め終わると、袋の口をぎゅっと縛って顔を上げた。

「あんたのとこの小麦は香りが違う。他の店じゃこの値段では買えない。」

ヴァレンティノはキアーラに近寄ると、40kgの布袋を軽々と持ち上げた。

「ありがとう。でもね、店たたもうか迷ってるんだ。」

キアーラはちょっと気まずそうに呟いた。

「あ?本気か?」

ヴァレンティノは面食らったようだ。

「まだ決まったわけではないけど、どうしても他の安い店には負けるし、この小麦の生産自体がピンチなんだ。」

キアーラはなんだか寂しそうに、そして申し訳なさそうにそう口にした。

「…そうか。」

ヴァレンティノもまた残念そうに呟いた。


「ま、しばらくはまだ店を続けるつもりだから、また買いに来てよ。」

キアーラは店先まで三頭を送り、そう伝えた。ヴァレンティノは何かを考えるかのように顎をさすっている。

「…明日、何時閉店だ?」

ヴァレンティノはキアーラに問いかけた。

「…え?明日は18時閉店の予定だけど。」

「そうか。明日の20時、リモーネに来い。」

ヴァレンティノはそれだけ伝えると、アルロとルッカを伴って店を後にした。


「こんばんは。」

翌日の20時、キアーラはやや控えめに店のドアを開け声をかけた。

「いらっしゃいませー。まあ入ってくれ。」

出迎えたのはルッカ。ルッカはキアーラを店内へと招き入れた。

「わあ、噂には聞いてたけどいい店だな。」

キアーラはキョロキョロと店内を見回し、テーブルや棚、広いキッチンなどを興味津々で見ている。

「こちらにどうぞ。」

ビアンカが水とおしぼりを持ってカウンターの真ん中の席にキアーラを座らせた。

「ああ、忙しいところ来てもらって悪かったな。」

ヴァレンティノはキッチンで作業をしながらキアーラに投げかけた。

「いや、私もここの店に来たいと思っていたんだけど、なかなか時間が合わなくてねえ。」

キアーラの店は9時開店、18時閉店。リモーネのオープン時間には間に合わず、休日は田舎の方に帰って実家の手伝いをしているため、まだリモーネに来れていなかったのだ。キアーラはメニューを手に取り、楽しそうに一通り目を通すと、

「じゃあ、おすすめで。」

キッチンへ向かって投げかけた。



「お待たせしました。レモンクリームピザです。」

ビアンカはキアーラの前にプレートを置いた。

「わあ、美味しそう!いただきます。」

キアーラは目を輝かせながらピザを一ピース手に取り、かじった。

「…!美味しい!レモンのピザは初めて食べたよ!」

キアーラはもう一ピースピザを口に運んだ。

「小麦がいいから生地の食感もいいし、焼き目はパリッとつく。」

ヴァレンティノはキッチンの片付けをしながらそう伝えた。

「うちの小麦がこんなに化けるとはねえ。」

キアーラは嬉しそうにピザを食べ進める。そこに、これまでずっと黙って作業をしていたアルロがグラスを持ってやってきた。

「レモンソーダ。俺のおすすめだ。」

グラスの底からはとめどなく小さな泡が上がり、小麦畑のようにキラキラと輝いている。

「ありがとう、アルロ。」

キアーラはグラスを受け取ると、グラスに口をつけた。

「これ!美味しい!」

キアーラの言葉にアルロはああ、というなんとも言えない返事をして、顔にできた傷を掻いた。そう、このレモンソーダのモデルになった女性こそがキアーラなのだ。そんなアルロの様子をヴァレンティノとルッカはにやにやしながら盗み見ているのだった。


「そろそろデザートどうだ?」

暫く食事を楽しんだ後、ルッカがドルチェプレートを持ってキアーラの元にやってきた。プレートにはレモンのタルトとジェラートが乗っていた。

「ドルチェ!これもうちの小麦を?」

キアーラは受け取ったプレートを見て問いかけた。

「ああ。やっぱり他の店のとは香りが違う。」

完全にヴァレンティノの受け売りと思われるセリフでカッコつけるルッカ。

「ははっ。そうか。」

キアーラは楽しそうに笑うと、タルトを口へと運んだ。

「これも美味しい!うちの小麦はドルチェにも向いてるんだな。」

キアーラは自身が売る小麦を自画自賛すると、どんどんと食べ進めた。



「…で、店たたんじまうって話はどうなりそうなんだ?」

食事が終わった頃、ヴァレンティノはキッチンから出てくるとキアーラの座るカウンター席の横の椅子に腰掛けた。

「ああ、まだ迷っているんだけどねえ。」

キアーラは頬杖をついてため息をついた。


 キアーラの両親は田舎で小麦農家をやっており、栽培だけでなく品種改良なども手掛けていた。彼らの作る小麦は香りがよく、ピザやパスタなどに最適なのだが、市場では他の小麦農家が作る質がまあまあで安い小麦に負けてしまうという。さらに、両親は高齢で農作業自体が難しくなってきているため、キアーラが生産の方に回ろうと考えていた。


「なるほどな。」

三頭とビアンカは納得したように頷いた。

「それで市場の店たたんで、他の店で買ってもらえるところ探すか…。色々考えてたんだ。」

キアーラはそう言うと、グラスに残っていた氷を口に放り込んだ。

「何か策はないんでしょうか。」

ビアンカは困ったように三頭の顔を仰ぎ見た。その時、キアーラの横に座っていたヴァレンティノが口を開いた。

「キアーラ。俺から一つ提案があるんだが。」

「提案?」

ヴァレンティノの瞳はマフィアのようにギラギラと鈍く輝いていた。

「ああ—。」



「えええ!?でもそれって…大丈夫!?」

キアーラはヴァレンティノの提案とやらを聞くと、驚きの表情を見せた。

「ああ、やっぱり売り方は大事だ。どこにでも安売りしていいことは一個もない。こういう時一番大事なのはな…」

「「「ブランディング」」」

アルロ、ルッカ、ビアンカは一様に答えた。



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