リモーネ、プレオープン。初日
三頭の厳つい白熊たちは、エプロン姿で頭を突き合わせて最終の打ち合わせ中。
「いいか。間も無く店を開ける。開いたらそこは戦場だと思え。」
ヴァレンティノが凄むと、二頭はマフィアのように眼光を強めた。
「敵は未知数だ。気い引き締めてかからなきゃなあ。」
アルロは眉間の皺をさらに深くし、拳をメキメキと鳴らした。
「いやいや、殺るんじゃねえぞ。」
ルッカはすかさず突っ込んだが、二頭はアドレナリンマックスの目つきで、ロールカーテンのかかるドアの方を見つめた。
「…いくぞ。」
ヴァレンティノは掛け声と共にロールカーテンを勢いよく上げた。そこには家族連れや若いカップル、お金持ちそうな夫人まで十名ほどが列をなしていた。
「意外といるな。」
ルッカがアルロに小さく耳打ちすると、ああと少し眉間に皺を寄せて返した。ヴァレンティノはドアをゆっくりと開けると、つかつかと列の先頭まで歩いて行った。二頭も後を追うようについて行く。
「えー皆様。本日はレストランリモーネのプレオープンにお越しいただきまして、ありがとうございます。」
ヴァレンティノはよく通るいい声で開店の挨拶を始めた。ルッカとアルロはドアの前で会釈しながら話を聞いている。母に連れられて来ていた小さな女の子が二頭に向かって小さく手を振った。二頭はそれに気がつくと、やや引き攣った慣れない笑顔とも言えないような顔で手を振りかえすのだった。
「では、先頭の方から順にご案内いたします。」
ヴァレンティノの挨拶が終わり、三頭はそれぞれ客を連れ立って席に案内して行った。
「こちらへどうぞ。マダム。」
ヴァレンティノは相変わらず慣れた様子で婦人をエスコートしている。
「えーと、何名様で?」
アルロは慣れない業務に苦戦しながらも、なんとか席まで送り届けた。ルッカは客の人数分のカトラリーやおしぼり、水を用意し運んでゆく。
「ご注文お決まりになりましたらあちらの者にお申し付けください。」
ヴァレンティノは数組の客を席に案内したのち、そう告げて厨房へと入っていった。
「よし、次は注文だ。間違いは許されねえ。」
ルッカはそう呟くと、アルロと共に注文票とペンを握りしめて鋭い目つきで辺りを警戒している。
「すみません。」
手前のテーブルから女性の声が上がった。二頭は目配せをすると、ルッカが前に進み出た。
「お決まりでしょうか?」
ルッカは貼り付けたような笑顔でそう告げた。
「ええ。」
女性は一緒に来ていたパートナーと思わしき男性と共に注文を申し付けた。
「レモンクリームパスタセット一つと、レモンチキンステーキとフォカッチャのセット一つ。それと、食後にレモンのパンナコッタとレモンタルトを。以上で。」
メニュー表から顔を上げた女性は、一生懸命メモを取るルッカの姿を興味深げにじっと見つめた。
「えー、パスタセット一つにチキンステーキセット一つ。食後にパンナコッタとタルトだ…ですね。少々お待ちを。」
ルッカはやや緊張した面持ちでメモを復唱し、二人の元を後にした。
「完璧だろ。」
ルッカはアルロとすれ違いざまににやりと笑って見せると、厨房にいるヴァレンティの元に向かった。
「パスタ、ステーキ一つずつ。それからパンナコッタとタルト。3番卓だ。」
ルッカがヴァレンティノの元にメモを届け手短に伝える。
「あいよ。」
ヴァレンティノは乱雑に書かれたメモを睨みつけ、テープでボードの貼り付けると、早速調理に取り掛かった。そのうちアルロもメモを二枚持って厨房にやってきた。
「ヴァレンティノ、レモンパスタセット一つ。5番卓。ルッカはレモンタルト。1番卓だ。」
アルロはそう伝えるとメモをテープで貼り付けた。その時、
「くまさーん。」
背後で遠慮がちに可愛らしい声が呼んでいるのを聞きつけ、アルロはその方へと向かった。
「お決まりで?」
アルロが中腰になり問いかけると、その少女は恥ずかしそうにもじもじとしている。すると母親はおずおずと口を開いた。
「えっと、小さな子でも食べられるようなものでおすすめはありますか?」
自身が想定していなかった質問にアルロは固まってしまった。
「えー…。」
少しの沈黙の後
「全部だ。全部うまい。だが個人的おすすめは…これだ。」
アルロはメニュー表のある品をとんとんと指差しながら答えた。
「ふふ。そうですか。」
母親はくすくすと笑うと、メニュー表を指さしながら注文を申し付けた。
「かしこまりました。」
アルロは短くそう言うと、厨房へと引っ込んでいった。
「レモンチキンステーキとフォカッチャ一つ。くまちゃんココア一つ。」
アルロは淡々と伝えたつもりだったが、自信作の注文が入り心なしかその声は嬉しそうであった。
「あいよ。」
ヴァレンティノも、アルロの厳つい顔と「くまちゃん」とのギャップにちょっとだけ声が上擦ってしまった。それを隠すかのように、
「アルロ、くまちゃんの前にこれ、3番卓に持って行ってくれ。」
と言うと、トレーを二つ手渡した。
「ッチ。あいよ。」
アルロは軽く舌打ちし、トレーを軽々と持ち上げ3番卓へと向かった。
「お待たせしましたー。えー、パスタは?」
アルロはどちらに置くかで迷っていると、女性の方が小さく手を上げた。アルロはトレーに置かれた皿を器用にテーブルに並べていった。パスタは濃厚なレモンクリームに輪切りレモンと生ハムが添えられており、サラダとスープ付き。レモンチキンステーキは、さっぱりとしたレモンソースとガーリックの香りが食欲をそそる。もちろんセットはサラダとヴァレンティノ自慢のレモンフォカッチャ付きだ。
「ごゆっくりー。」
アルロが皿を置き終え立ち去るその背後で、その女性はわあ。と嬉しそうに声を上げた。
「見て!本当に美味しそう!!」
女性は男性に向かって満面の笑みで投げかけると、早速フォークを手に取り器用にパスタを巻いて口に運んだ。厨房付近で、三頭は時間が止まったかのように息を顰めじっと睨みを効かせた。
「ん!美味しい!!!」
女性が声を上げた。
「本当かい?」
一緒にいた男性もチキンを切りながら、にこにこと笑いかける。
「ええ!レモンの香りが本当に爽やかで。」
女性は二口、三口とパスタを口に運ぶ。男性も柔らかなチキンを口に頬張った。
「わあ、これもうまい!食べてみなよ。」
男性は自身の皿を女性の方に進め、なんでこんなに柔らかいんだなどと目を輝かせている。
「っしゃ。」
ヴァレンティノはその光景を見てガッツポーズしてしまいそうなほどであったが、次から次に舞い込む注文に追われ、静かに喜ぶと再び忙しなく厨房で調理を進めるのだった。
ルッカは前日に仕込んでいたレモンタルトを冷蔵庫から取り出し、ナイフで器用に切り分けてゆく。何度も練習を重ねて粉の配合などを変えていった結果、サクサクしっとりなタルトが出来上がっていた。そして、お皿に乗せると生クリームやミントをトッピングした。
「レモンタルトです。」
ルッカは1番卓に座る上品な婦人の前にタルトを置いた。
「まあ、ありがとうね。白熊さん。」
婦人はそう言うと、少女のように微笑んだ。ルッカもそれにつられて、どうも。と返した。
アルロはキッチンでミルクを温めココアを作っている。くまちゃんココアとは、アルロが子供向けに開発したドリンクメニューで、子供向きと言えども、ベルギー産の上質なココアパウダーを使った本格派。アルロはこのメニューを作ることを内心楽しみにしていたのだ。
「よし。」
アルロが小さく呟くと、後ろでヴァレンティノがチキンステーキとフォカッチャを盛り付けながら
「これも一緒に頼む。」
と投げかけた。
「お待たせしました。」
アルロはシルバートレーに乗ったチキンとフォカッチャを子連れの母の前に置いた。
「ありがとうございます。」
母親は小さく礼を言った。
「ココアです。」
アルロはそう言うと、カップを子供の前に置いてくるっと回した。
「わあ!ママ見て!」
「あら、とっても可愛らしいわ!」
子供と母親は目を輝かせながら嬉しそうに声を上げた。置かれたカップには、くまちゃんの形のミルクフォームが暖かなココアの上にぷかぷかと浮いていた。
「ごゆっくり。」
アルロは親娘の純粋な喜びの声に嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちになってしまい、ぺこりと手短に頭を下げ厨房に戻っていくのだった。
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