白熊、開店準備。

 三頭の強面白熊たちがヴェネチアに引っ越してきてから一ヶ月ほどが経った頃、レストラン開店に向けて三頭は本格的に動き始めていた。

「だいたいメニューは出揃ったな。ご苦労。」

ヴァレンティノがメニュー表と各試作品の最終チェックをしながら二頭に告げた。ルッカは何とか作業の流れと効率というものを体に叩き込み、手間のかかるドルチェを数種類作りあげた。アルロは具体的にレシピがあるものより感覚で作った方が向いていると感じ、多くのものからインスピレーションを受け、コーヒー、紅茶、ソフトドリンクからアルコールまで幅広くメニュー開発をしたのだった。

「まあ、一通りはできるようになったが、肝心なのは集客ができるかどうかだろう。」

ルッカは机の上に置かれたメニュー表を手に取りペラペラとめくりながら二頭に投げかけた。

「確かにな。この辺りは競合になりそうなカフェも多い。」

アルロも自信作の厳つい白熊のラテアートが施されたカプチーノをずずっと啜りながら呟くと、ヴァレンティノを見やった。

「そこは任せてくれ。作戦がある。」

ヴァレンティノは紙と万年筆を手に得意げに説明し始めた。

「一番は事なのは、『絶対に逃したくない層に訴えかけること』だろう?俺たちが一番逃したくない層、つまり競合店に取られたら困る客はどいつだ?」

ヴァレンティノは二頭に投げかけた。

「まあ、若い姉ちゃんとかじゃねえか?」

アルロは考えながら答えた。ルッカもうんうんと頷いている。

「…はあ。」

ヴァレンティノは盛大にため息をつきこう宣言した。

「俺たちが一番逃しちゃいけねえ層は…主婦層だ!」

二頭はポカンとしている。

「いいか、主婦ってのは土日にしかうちに来られないような若い姉ちゃんたちよりもある程度時間がある。主婦は日中子供や旦那がいない間に茶会をしたりするだろう。それを利用するんだ。」

ヴァレンティノは続ける。

「そして、注目すべきはそこからの繋がりだ。主婦は井戸端会議も好きだ。いい店の情報はあっという間に広がる。そして、日中は友人との茶会の場として、夜は家族を引き連れてディナーの場として利用させる。その家に年頃の若い姉ちゃんでもいれば完璧だ。」

ヴァレンティノの戦略に二頭は頷くしかなかった。

「なるほどな。確かに理にかなっている。で、その客層を引っ掛けるために何をするんだ?主婦の好むものなんて分からねえぞ。」

ルッカはヴァレンティノに投げかけた。するとヴァレンティノは葉巻を灰皿に押し付けにやっと笑った。

「使えるもん全て利用するのさ。」


 レストランの開店を三週間後と決めた三頭は、店内の清掃や飾り付け、ビラ、看板の作成、食材の調達など忙しなく動いていた。そんな中、リモーネ宛に宅配便が届いた。

「おお、来たな。」

ヴァレンティノはその箱を受け取り、蓋をひっぺがすと中にはネイビーとレモンイエローの特注エプロンが数枚入っていた。

「嘘だろ。」

アルロはその前掛けをちょっと見て絶句した。

「まさか俺たちが着るわけじゃねえよなあ?」

ルッカがヴァレンティノの方をさっと見やると

「ブランディングだ。」

とにやっと笑うだけだった。

「俺は着ねえからな。」

ルッカはあり得ないというような表情で庭の掃除に戻って行った。アルロは箱の中からエプロンを一枚取り出して広げた。そこにはネイビーの生地にLimoneの文字。

「Limone…か。」

それだけ呟くとエプロンをぽいと箱に戻し、看板の色塗りに戻っていくのだった。ヴァレンティノは特注前掛けを満足げにしげしげと眺め、ビラの作成を再開した。

 そこから数日後、ついにその日がやってきてしまった。ヴァレンティノは、げんなりとした表情の二頭を無理やり引き連れ、ダンボールを数個持って街へと出発した。時刻は午前9時半頃。今日は休日ということもあってか、朝の街は非常に賑わっていた。三頭は高い建物の影に隠れコソコソと会議中。

「いいか、今からこのビラを配る。アルロは西側のエリア。ルッカは東側のエリアを担当しろ。」

ヴァレンティノから乱暴にダンボールを押し付けられた二頭は舌打ちした。

「そうだ。ビラ配りの時は前掛けをつけろ。無理にでも笑え。そんで、子供(ガキ)にはそいつをくれてやれ。」

ヴァレンティノが二頭の持つ段ボールを指差しながら投げかけると、盛大にため息をつき、くそ。と毒吐きながらものろのろと持ち場に向かっていった。ヴァレンティノは二頭の背中を見送ると、咥えていた葉巻を踏み消し、自身も持ち場へと向かった。

 ルッカは気乗りしないといった感じでだるそうに東側のエリアへと向かった。そこはゴンドラの通る広い水路の近くの広場で、手に持った段ボールを地面に置くと辺りをちらちらと警戒しながら前掛けをつけた。そして、

「レストランリモーネ、開店しますー。」

とチラシを配り始めた。辺りにいた婦人や紳士たちは声のする方へ視線を向けるが、明らかに堅気でなさそうな強面の白熊を認めた途端に、皆視線を逸らすのだった。

ルッカは内心舌打ちした。そこから数十分、呼びかけをしたりチラシを渡そうとするも皆一様に逃げていってしまう。ルッカはお手上げという表情で段ボールを担ぐと、深いため息をつきながら、他の二頭の様子をこっそり伺いに行くことにした。

 

 まずルッカは建物の影からそっとヴァレンティノの様子を伺った。ヴァレンティノは市場の近くの公園付近を担当していた。そこには買い物に来ていた婦人や子供を連れて散歩している奥様方がたくさんおり、ヴァレンティノは一枚また一枚と婦人たちにチラシを手渡している。

「ええ、私どもが経営するレストランが新しくオープンしますので、ぜひ貴女にお越しいただきたいと思いまして。どうですかね?お嬢さん。」

ヴァレンティノはその渋くていい声とダンディな振る舞いで奥様方を魅了し、着実にことを進めていた。

「あいつ…いつもあんなじゃないだろ…!」

ルッカはその光景に吻を尖らせた。しかし、物腰柔らかな態度でチラシをどんどん捌いていくその姿に、いつの間にか感心までしていることに気づき、静かにその場を離れた。次に西のエリアを担当するアルロの方へと足を向けた。

「どうせアルロは俺と同じ感じだろう。」

ルッカはぶつぶつ言いながら噴水の影に隠れてアルロの様子を伺った。ルッカは絶句した。そこには、片手にたくさんの黄色い風船を持ち、子供たちに囲まれているアルロの姿があったのだ。

「おい待て。順番だ。こら、押すんじゃねえよ。」

「くまさん!抱っこ!!」

「わーー!くまさんだ!!」

アルロは街の子供達からおんぶ、抱っこ、肩車を要求され大忙しであった。

「くまさん!風船ちょうだい。」

小さな女の子がアルロの足元で両手を上げている。

「はいはい分かった。ちゃんとママにこのお店に連れて行ってって頼むんだぞ?」

アルロは女の子に「Limone」と書かれた黄色い風船とチラシを手渡し、頭をくしゃくしゃっと撫でて言った。女の子は嬉しそうにうんと頷くとそのまま母親と思われる人物の元まで走り、チラシを見せている。母親と思わしき人物はアルロに会釈すると、女の子と市場の方へ消えていった。

「うまいこと利用してんな。」

ルッカは親娘の姿を見送りながら、これまた感心したように頷いた。その時ぬっと頭上が陰り、上を見上げると完全に遊園地のくまさんと化したアルロが般若のような形相で立っていた。

「てめえ、こんなところで何やってんだ…。」

アルロは低い声で唸った。

「様子を見に来ただけだ。」

ルッカは立ち上がり、いたって平静を装って淡々と答えた。その時、噴水の向こう側から子供達の声が聞こえた。

「あ!くまさんいたー!!」

アルロがはっと噴水の向こう側に視線を向けると、数名の子どもたちがアルロを追ってやってきていた。

「おい、くまさん呼んでるぞー?」

ルッカはにやにやと笑った。しかしその余裕も一瞬にして消え去る。

「あ!くまさん二頭いる!!」

女の子が叫ぶと数名の子どもたちがルッカ目がけて突進してきた。そこからは辺り一体の子どもたちが二頭めがけて駆け寄り、風船をねだったり肩車をねだったりのてんやわんや。最後には騒ぎを聞きつけた若い娘たちも集まり写真をねだられる始末。

「はい、笑ってー?」

ある娘はげんなりした顔で立つアルロに抱きつくような形で写真を撮っている。

「超可愛い!」

ルッカの方も貼り付けたような笑顔でなんとか写真撮影に応じ、撮影後にはしっかりと店のチラシを渡して、なんとか仕事をこなすのだった。

「おい、ある程度で一回ずらかるぞ。」

アルロが耳打ちすると、ルッカは短くああ、とだけ答えた。

二頭はタイミングを見計らって置いていた段ボールをかっさらい、器用に前掛けを外しながら家を目指して猛ダッシュした。


「お前ら。大人気だったみてえだな。」

家で水をがぶ飲みしていた二頭の元に、ヴァレンティノは悠然と現れた。

「だいぶ余裕そうだな。」

ルッカが汗ひとつかいていないヴァレンティノに向かって投げかけると、まあなと返しソファに腰掛け葉巻をふかした。

 ヴァレンティノのダンボールには、風船ではなく可愛らしい黄色い花が入れられていたことを二頭のくまさんが知るのは今日の夕食後のことであった。

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