アルロ、レモンを飾る。

 アルロは西陽の差し込む自室のベッドに腰掛け、何かを考えている。

「オリジナルのドリンク、ったってねえ。」

アルロはレストラン リモーネで飲み物全般の商品開発を任されていた。アルロは普段料理なんかしないし、もちろん一から考えるなどしたことはない。しかし、ヴァレンティノから「アイデンティティを持たせろ」などと強く言われていたのだ。アルロは暫くぼーっと天井を見上げ、

「とりあえず店でも見てみるか…。」

と呟くと、皮でできた財布を手に取り階段を降りていった。

 夕方のベネチアの街は夕陽が水路に反射しキラキラと輝き、より一層幻想的であった。アルロは良いアイデアが転がっていないか、きょろきょろしながら水路沿いの道を進んでいった。カフェで優雅にお茶をする婦人たち、公園で遊ぶ子どもたち、ゴンドラで景色を楽しむ観光客。皆がゆったりとした時間を楽しんでいるようだった。アルロはその光景を横目に商店の並ぶ道へと足を進めた。

 夕方の商店は夕飯のメニューに悩む婦人方で賑わっていた。

「それ、もう少し安くならないかい?」

紫のロングドレスを着た婦人は店主に交渉している。

「うちもギリギリなんだ、勘弁してくれ。」

店主は困ったように笑いながら手をひらひらとさせたが、婦人も負けていない。アルロは小さい頃港町に住んでおり、そこは商店がいくつも並ぶ活気ある街だった。アルロは昔母親と一緒に何度となく訪れた、今となってはセピア色に霞んでしまっている街の商店のことを思い出しながら、婦人の横を通り過ぎた。

「なんかないかねえ。」

アルロはあたりを見回しながら呟いた。その時、

「お客さん!お釣り!忘れてるよ!!」

焦ったように声を上げながら走ってくる一人の女性とすれ違った。アルロははっと息をのみ、その女性の方を振り返った。その女性はチェック柄のシャツにジーンズというようなラフな格好であったが、陶器のように白い肌に、小麦畑のように黄金に輝くゆるいウェーブのかかった艶やかな髪は夕陽を反射して何よりも美しかった。


「おい!…おっと、失礼。」

アルロの後を歩いていた紳士が、急に止まったアルロにぶつかりそうになり声を上げたが、傷のある強面の顔を見るなりそそくさと退散していった。はっと我に帰ったアルロの頭には、ある情景が浮かんでいた。そこからは不思議とスムーズに買い物が進み、一通りの買い物を済ませると足早に家路についた。

 「おう、アルロ。買い物行ってたのか?」

一階のオープンキッチンでヴァレンティノが夕飯の支度をしながら投げかけた。辺りにはサーモンの焼ける香ばしい香りが漂っている。

「まあな。もうすっかりシェフじゃねえか。」

アルロは紙袋に入った材料を大きな冷蔵庫にしまいながらふっと笑った。

「そういうお前もな。で、何か思いついたのか?」

ヴァレンティノはサーモンの焼き加減を確認しながら問いかけた。アルロはまあなと曖昧に答えると、自室のある三階へと登って行った。

 その日の深夜、アルロは静かにキッチンの灯りをつけた。

「よし。」

アルロは一人呟くと冷蔵庫をがさごそと漁った。広い台の上にころんと出されたのはレモンと生姜。アルロはレモンと生姜を器用に輪切りにしていく。アルロはマフィア時代、ナイフを使った近接戦闘が得意であったため、包丁さばきはルッカのそれよりは様になっている。アルロは棚を漁り、タッパーを手に取るとレモンと生姜を交互に敷き詰めていった。最後の一枚を並べ終えると、アルロは棚から少し大きめの瓶を取り出した。アルロはその瓶の蓋をばきっと回し開け、タッパーの上でひっくり返した。中の液体はキッチンの灯りを反射しながらゆっくりとタッパーの中に落ちていく。

「こんなもんか?」

アルロは瓶を傾ける手を止め、瓶にぎゅっと蓋をし棚に戻した。タッパーにはねっとりとした液体の中でレモンと生姜が静かに沈んでいる。それは夕陽を受けたヴェネチアの石畳のようであった。アルロはタッパーに蓋をし、冷蔵庫の奥の方へと押し込んだ。


 翌日、アルロはヴァレンティノ、ルッカと共に街へと出かけた。ヴァレンティノは残り少なくなってきた葉巻の補充をし、ルッカは勉強の一環だと言い張り、ドルチェリーアでいくつかのドルチェを買った。アルロは酒を割るためのソーダ水を買ったくらいで、何となくぶらぶらと二人の買い物に付き合っていた。

「そうだ、小麦を買いに商店に寄らせてくれ。」

帰り際、市場の近くでヴァレンティノは二頭に伝えた。何でも新作のピザを作るというのだ。二頭は、ああ、と承諾しヴァレンティノについていった。

「いらっしゃい!ああ、ヴァレンティノさん!」

若い女店主は威勢よく挨拶した。

「ああ。また小麦を頼む。今回は15kgで良い。」

ヴァレンティノが慣れた様子で注文をすると、若い女店主ははいはいと返事をし、ちゃきちゃきと小麦を布袋に詰め出した。

「知り合いか?」

ルッカは問いかける。

「ああ、ここの小麦は金額の割に質がいい。お前も小麦はここで買ったらいい。」

ヴァレンティノは若い女店主の働きぶりに感心しながら呟いた。ルッカはへえ、とあまり興味なさそうに返した。

「はい、今日は16ユーロね!」

若い女店主は15kgの布袋をよいしょっと持ち上げヴァレンティノに手渡した。

「ああ。」

ヴァレンティノは若い女店主に金を渡し布袋を受け取ると同時に、ちょっと屈んで

「わざわざ袋を持ち上げなくていい。腰が壊れちまうぞ。」

と囁き、二頭を引き連れて店を後にした。

「あ…はい。」

若い女店主はやや顔を赤らめながら、その背中に向かって一人呟いた。

 アルロは一人不機嫌であった。

「どうした、アルロ。腹でも痛いのか?」

ルッカは先ほどから渋い顔で黙りこくっているアルロに向かって投げかけた。

「いや。何でもねえよ。」

その顔をじっと見てルッカはにやっと笑った。

 その日の深夜、アルロは再びそろそろとキッチンの灯りをつけた。静かに冷蔵庫を開け、奥の方に鎮座するタッパーを取り出した。台に乗せ蓋を取ると、キッチンにはレモンと生姜の爽やかな香り、そして蜂蜜の甘さが広がった。アルロは頭上の棚からグラスを一つ取り出し、タッパーから粘度の高いシロップをスプーンで掬い入れた。グラスの底に落ちてゆくシロップは黄金色に輝き、グラスを斜めに傾けるとゆっくりとその内側を伝い波のような模様を描き出した。

「はあ。」

アルロはため息をつくとグラスを持ったまま、冷凍庫を引き出した。そこには小さめの氷がザラザラと入っている。アルロがその氷を掬い、シロップの入ったグラスの中に沈めると、氷とシロップは底の方でゆっくりと溶け合っていく。次に冷蔵庫の扉を開けると、右手側のドアポケットには昨日街で購入した牛乳瓶が一本と、透明の瓶が並んでいる。アルロは眉間に皺を寄せながら小麦屋の若い女店主のこと、ヴァレンティノとの会話のこと、ルッカのにやにやした顔などを思い返した。

「ミルクなんて甘ったれたもん、俺らしくもねえ。」

と自笑気味に呟き、透明の瓶を手に取り扉を閉めた。アルロが透明の瓶の蓋を親指の爪で弾くと、シュッという音をたてて王冠がカランと台の上に落ちた。アルロはシュワシュワと弾けるソーダ水をグラスに注いでいく。するとグラスの中ではシロップとソーダ水がゆっくりと混ざり靄を生み出した。一瓶分のソーダ水を注ぎ終わると、アルロはタッパーからレモンと生姜の輪切りをつまみ出し、ナイフでちょっと切り込みを入れてグラスの淵に飾った。

 こうしてアルロは小麦畑のように輝く、ジンジャーレモンスカッシュを完成させたのであった。このドリンクのモデルとなったあの女性と頻繁に会うようになることをアルロはまだ知らない。








 

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