白熊、新生活。

 ベネチアの大きな水路の流れる通りから少し離れた場所、シャッターの閉まった一軒家の前に佇むのは、アマルフィから遥々ベネチアまでやってきた元マフィアの三頭の白熊。先ほど街の不動産屋さんで受け取った鍵を使いシャッターを開けた。ガラガラという音と共に錆びと埃が舞った。

「なかなかだな。」

三頭のシロクマの中で一番年長者のヴァレンティノは感心したように呟く。シャッターの向こうは大きなガラス窓になっており、そこから木の椅子やテーブル、奥にはソファ席と広々としたオープンキッチンが覗いていた。

「本当に開店間近だったんだな。」

顔に傷のある最も厳つい顔のアルロはガラス越しに部屋の中をしげしげと眺めた。その横で一番図体のでかいルッカが店内へと続く扉を開けた。

「ちょっと埃っぽいな。」

ルッカは店の中へ足を踏み入れると、鼻のあたりでしっしと腕を振り、近くにあった窓を数箇所開け放った。三頭は店内をじっくりと見て回る。新品のテーブルと椅子、革張りのソファ。キッチンには大きな流しと業務用の冷蔵庫、大鍋も置けそうなコンロ、ピザ釜、酒瓶の入った木箱まであった。ヴァレンティノは開け放たれた窓辺の席にどかりと座り葉巻の煙を吐き出した。アルロとルッカは一通り店内を見て回ると、二階へと続く大きな階段を登って行った。二階には一つの部屋と洗面台、トイレ、風呂などがあった。南側の部屋の扉を開けると何もなくがらんとしていたが、日当たりは良好で、大きな窓からは鼻歌を歌うゴンドラの船頭が見える。ルッカはその窓を開け放ち、埃っぽい部屋の空気を外に逃した。次に二頭は三階へと階段を登った。三階には二つの部屋とトイレ、小さな給湯室のようなものがあった。


 「それで、どうする。」

ヴァレンティノは脚を組み、葉巻をふかしながら上の階から降りてきた二頭に投げかけた。

「まずはここの生活に慣れたほうがいいんじゃないか?」

アルロはヴァレンティノの目の前の椅子に腰掛けながら提案した。

「店の方にはいろいろあるが、上の部屋はガラ空きで何もねえ。」

ルッカはオープンキッチンの棚を漁りながら投げかけた。

「じゃあまずは街に買い出しか。」

ヴァレンティノは椅子を立つと二階へと上がっていった。その横顔はどこか楽しそうであった。二頭は目を合わせ肩をすくめた。暫くして、二階から降りてこないヴァレンティノを不審に思った二頭は、様子を見に階段を上がった。ヴァレンティノは二階の部屋の窓辺で葉巻をふかしながら水路を行くゴンドラを眺めていた。

「俺の部屋に何か用か?」

ヴァレンティノはにやりと笑った。

「おい、この部屋は俺が貰うはずだった。」

アルロは眉間に皺を寄せながら吠えた。ルッカもやられたという表情をしている。

「ん?シマの取り合いは早い者勝ちだろう。」

ヴァレンティノは悠然と煙を燻らす。その時アルロの背後でバタンと扉の閉まる音が聞こえた。一瞬の沈黙。

「くそ、あいつ!」

アルロが気付いた時にはルッカは三階へと駆け上がり、南側の部屋の中に逃げ込み内側から鍵をかけた。

「おいルッカ!南側の部屋は俺のだ。」

階段を駆け上がりながらアルロは怒鳴ったが、時すでに遅し。ぴたりと閉まった部屋の扉の向こうから

「ん?早い者勝ちだろう?」

というルッカのおどけた声が聞こえてきた。アルロは厳つい顔をさらに厳つくしながら西側の部屋の扉をガンと蹴り開けたのだった。


 暫くして三頭は街に買い物へと出かけた。家から数分のところに大きな市場があり、食料品や酒、生活必需品などが並べられていた。

「何が必要だ?」

ヴァレンティノはあちこち店を見ながら二頭に尋ねた。ルッカは、さあなという反応だ。三頭の白熊は元マフィアの幹部。買い出しはいつも下っ端がやっていたため、こういったことには疎かった。

「とりあえず、トイレットペーパーとかあればいいんじゃないか?」

アルロが真剣に答えた。暫くの沈黙が流れる。

「…はあ、そうだな。」

と呆れたようにルッカはアルロの背中を小突いた。

「これいくらだ?」

ルッカとアルロの背後で渋めのいい声がした。

「それは100ユーロだよ。…お兄ちゃんありがとうね。」

二頭が振り返ると、そこにはでかめのサーモンまるまる一匹を抱えたヴァレンティノがいた。

「…!?」

二頭は固まった。

「どうした?次行くぞ。」

ヴァレンティノはサーモンを抱えたまま別の店へと足を進めようとした。

「待て待て待て待て。」

ルッカがヴァレンティノの腕を掴んだ。

「なんだ?」

ヴァレンティノは不機嫌そうに葉巻の煙をふかす。少しの沈黙の後、

「なんで今買った?」

ルッカは呆れたようにサーモンを指差した。

「お前食わないのか?」

ヴァレンティノは訳が分からないというような顔でルッカに問いかける。

「ああ、いや。もういいや。」

ルッカはそのサーモンを奪い取ると、一頭家へと戻っていった。

「一人で食うじゃねえぞ!」

アルロはルッカの背中にそう投げかけ、ヴァレンティノとトイレットペーパーを探しに向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る