ある作業員の日常

ありさと

第1話 塚本彩美の場合

 家賃を半年も滞納し、痺れを切らした大家がマスターキーを使って1LDKのアパートの一室へ踏み入れば、そこにあったのはカラカラに干からびた女の遺体だった。

 大型の家具家電類が何もない、がらんどうの室内には遺体が横たわる薄いマットレスと小さな折りたたみテーブルが一つだけ。

 何も吊るされていないガラス窓から室内を朱に染める真冬の夕日に照らされた遺体には不思議な事に腐敗臭や虫などはなく、その非現実的な光景を目の当たりにした大家は暫くの間、戸口から全く動けずにいた。

 

 大家から通報を受けた警察が遺体を調べると、その手足の指が数本不自然に欠損している事が発覚した。

 また、去年の夏から秋にかけて彼女の銀行口座から十二回にわたり計五百万円近くが同じ名義人の元へ送金されており、警察は事件性ありと判断し彼女の死因の特定を急いだ。


 しかし程なくして警察は、彼女の死因に他殺の可能性は見られないと結論付けた。

 決め手となったのは遺体の解剖結果。

 彼女の胃や腸から本来有り得るはずがないあるものが大量に見つかったからだ。


 検証の結果、それらはトイレットペーパーの芯、DMダイレクトメール、それに督促状の類である事が分かった。

 当然だが全て食べ物ではない。

 しかもその中に人間の指の一部と思われるものが見つかり、DNA鑑定でその指が彼女自身のものである事が証明された。


 年始に発覚した独身女性の不審死。

 警察の見立てはこうだ。

 去年の十月。彼女は生命線である水道を止められる。既に電気とガスは止められており、都会とはいえ全てのライフラインが絶たれた状況に彼女は陥る。

 トイレのタンク内に水がなかった事や、ベランダに置かれた風呂桶や鍋類には凍った雨水が溜まっていた事から、おそらくこれらで渇きを凌いでいたと思われる。

 遺体は寒さを凌ぐためか季節がバラバラな衣類を何枚も重ね着し、手には靴下を履いていた。

 しかし厳しい寒さに身体は末端から冷えきり、脱水に加え極度の飢餓状態におかれた彼女は常軌を逸した行動を取った。

 そして図らずとも食物と水分を時間をかけて減らし続けた結果、まるで即身仏の様な異様な遺体が出来上がったのだ。


◆◇◆◇


 大家に呼ばれた特殊清掃員は、腐臭も体液もゴミもほぼない綺麗な現場を見て、作業は自分一人で充分、かつ半日かからずに終わると見積もった。

 当初提示された金額よりもはるかに安い見積書を見た大家は安堵したものの、この身寄りのない元入居者の後始末に大きな溜息を吐いた。

 家賃を半年も滞納した挙句に孤独死。しかもミイラの様な気味の悪い遺体を見ただけでも気分が悪いのに、遺体の第一発見者となったせいで警察から取り調べまで受ける羽目になった。

 敷金は今回の清掃で全て飛び、次の入居者には事故物件である事を伝え家賃の値引きまでしなくてはならない。

 そして告知義務がなくなっても、人の噂が完全に消える事は決して無い事を彼はよく知っていた。


 清掃当日。

 部屋にあるものは全て処分するよう指示された男は、小さな折りたたみテーブルの上に置かれた真っ白な封筒の束を丁寧にビニール袋へ入れた。例え処分するものであろうと、明らかに個人が大切にしていたと思われる遺品を乱雑に扱う事は、この仕事について長い経験を持つ男には出来なかった。

 封筒の表面には銀色で『happy wedding』それは結婚式の招待状だった。

 まさかこの中に現金等があるとは思えなかったが、念の為一つ一つ封筒の中身を確認する。

 ふと目に入った新郎の名前は権正久哉。

 男は知らなかったが、その名は全国各地で多くの被害を出しているにも関わらず、未だ行方が掴めていない結婚詐欺師が使っていたいくつもある偽名の一つだった。

 男はその挙式の日付を見て、何とも言えない気分になった。

 何もない部屋にポツンとある小さなテーブルの上にうず高く積み上げられた招待状。

 この部屋の住人は何もないこの部屋で数ヶ月もの間、何を思って生活していたのだろうか。

 玄関脇の鞄の中にあった財布の所持金は僅かに三円。運転免許証の名前は塚本彩美。本籍地は地方の県で、生年月日は自分より五つ下だった。ブスではないが地味で平凡な顔立ちの女性。この写真の彼女はたった一人でこの部屋で死んだのだ。

 男は残された一円玉三枚と運転免許証をそれぞれジッパー付きのビニール袋に入れて封を丁寧に閉じた。


 こんな風に感傷に浸る事があまり良くないのも男は充分に理解している。

 男はここよりもっと酷い現場も経験してきたプロだ。

 親に置き去りにされた幼い兄弟の痕跡を消した事や、凄惨な猟奇殺人の現場の清掃等も行ってきた。

 しかしいくら場数を踏んでも、心なく事務的に作業をするような事は男にはどうしても出来なかった。


 清掃を終えた男は、いつもの様に重い溜息と共に肺の中の空気を全て吐き出した。タバコの煙は冷たい空へと細く登る。

 健康のためにせめて電子タバコに替えてはどうかと男の妻は言うが、男にとって仕事を終えた後に点けるタバコの火は、一種の弔いのような意味を持つ。

 空へゆらゆらと溶ける煙を見ながら、男はいつもの様に心からの冥福を天へと祈った。

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ある作業員の日常 ありさと @pu_tyarou

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