第8話 誰がために君はいる?

「いいか、パット! あの女は危険だ!!」


 登校中。

 慣れとは恐ろしいもので、いつもの様に迎えに来た公爵家のファビュラスな馬車でくつろいでいると、ズズイッとレイモンド様が迫ってきた。


「あの女って、アンジェの事ですか?」

「そうだ、あの平民聖女だ」


 詳しくは事情を聞いていないので詳細は不明だが、ヴィオレッタ様が悲惨な運命を辿る元凶となるのが『平民聖女』なだけあって、アンジェに対するレイモンド様の当たりは強い。


「今のところ、特に危険だと思う様な事は何もしていないですよ? クラスの皆とも、何なら僕より打ち解けてますし」

「本当にクラスのか?」

「……言われてみれば、男子生徒に囲まれてる事が多いですかね?」


 貴族社会に不慣れなアンジェはどうしても人との距離感が近くなりがちで、そこが貴族教育をしっかりと受けてきたご令嬢方に違和感を与えてしまう様だ。

 男は単純だからね。


「ダメだ! ダメだぞパット! 既に懐柔されかかっているじゃないか!?」

「懐柔って……、レイモンド様がアンジェの事をそんな風に言うのはやっぱり…

「レイモンド様じゃない! 『レイ』だ! 私達は友達だろう!」



 レイモンド様がこの調子なので、最近たまに彼の事を『レイ』と呼ぶようにしているのだが、正直言って全然慣れない。


 ちなみに、いつの間にか僕は『パット』と呼ばれている。

 了承した記憶はもちろんない。



「……レイがそんな風に言うのは、前に言っていたヴィオレッタ様の『人生を狂わす元凶』がアンジェだからですか?」


 僕が『レイ』と呼ぶのを聞いて満足げに頷いていたレイモンド様だが、その後に続く言葉を聞くと、徐々に顔色を曇らせていった。


「ああそうだ。あの女はとにかく危険なんだ。底が知れない。パットには近付いて欲しくない」


 レイモンド様の言う『平民聖女』と、僕の知っている『アンジェリカ』が、どうも一致しない気がするんだけどな?


「一度目の生では、不覚にも私も今のパットの様に聖女に心を許してしまったのだ。今思えばあれが失敗の始まりだ。気が付けばどんどん聖女に惹かれ、その言葉を鵜呑みにする様になってしまった」

「……って事は、レイはアンジェが好きだったの?」

「んなっ!?」


 首まで真っ赤になったレイモンド様が後ろに仰け反る。ピュアピュアかよ。



「いや……自分でも、分からないんだ」


「え?」


「確かに私は、一度目の生では盲目的に聖女を信じ慕っていた。しかし、それが自分の好意からだったのかと言うと……分からない。言い訳がましく聞こえるかもしれないが、あの時は何か熱病にでも浮かされたかの様にまともに物を考える事が出来なかったんだ」


「…………」


 そう言ってうつむくレイモンド様が嘘をついているとは思えない。

 僕相手にいまさら過去を取りつくろったって仕方がないし、これは本当の事なのだろう。


「今にして思えば、私以外の皆もおかしかった。ヴィオレッタの婚約者の王太子殿下も、……マクスウェルもそうだ」


 マックスも? ……っていうか、王太子殿下がヴィオレッタ様の婚約者!?


「ま、待って下さい。王太子殿下の婚約者とか、初耳なんですけど!?」

「ああ、まだ公に発表はされていないが、王都の貴族の間では周知の事実だ。ヴィオレッタは王太子殿下の婚約者に内定している」


 そんな大物のヴィオレッタ様が、卒業式で断罪? あり得ないだろ……?


「その状態で卒業式で断罪なんて、ヴィオレッタ様は一体何をしたんですか?」

「聖女を害しようとした」


 物騒!!


「いやしかし、結局それは冤罪だったのだ。在学中に聖女を虐めていたという話もあったが、それも恐らく冤罪だ。……そんな事にも気付いてやれず……私は……」


 

 強く握り締めた拳をガタガタと震わせるレイモンド様の顔は蒼白で、これは軽くすべき話ではなかったのだと、僕は深く後悔した。


「レイ……」


 どうしていいか分からず、とりあえずかけた声にレイモンド様が顔を上げる。

 顔色は酷く悪いが、その瞳には困惑した顔の僕がうつっていた。



「パット……。頼む、私の側にいてくれ。初めてなんだ、こんなに楽しそうにヴィオレッタが学園に通い続けているのは」


 こんな下級貴族で、年だって下の雑魚みたいな僕に、完璧な令息であるはずのレイモンド様がひざまずくようにして縋り付いている。


「マクスウェルも聖女も、私の知っている彼らとは何かが少し違うんだ。きっと、未来はいい方へ変わっている。だから……頼む」


 私の側にいてくれ—— と、続くレイモンド様の言葉に、僕は頷いて曖昧な笑顔を返す事しか出来なかった。




 だって、何だかレイが僕と一緒にいるのは、あくまでも『未来を変える為』だけなんだと、改めて突きつけられた様な気がしたから——。

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