第10話 宰相の長男の記憶

 弟は昔からどこか夢見がちだった。

 小さなころはそんな弟が羨ましくもあった。

 夢見がちで素直で貴族としての責務など囚われていないようで、自分とは違う世界を生きられていることに。

 だがそれではいけないと、そのままでは生き抜けないと弟が理解することはなかったようだ。

 理解していれば姿で再会することはなかっただろうに。


 学園はとうに卒業したが、忙しい父に代わって弟の動向は常に把握するようにしていた。

 なにせ血を分けた兄弟だとは思えない程に弟は世間に疎かった。

 父も母も不安をこぼすほどに。

 自分がこうだと思ったこと以外を見えていなかった。

 高位貴族としてあるべき姿ではなかった。きっと弟は生まれる身分を間違ってしまったのだろう。可哀想にも感じていた。


 あるころから弟は平民に入れあげているようだった。

 たかだか普通の平民1人を囲おうと本当ならばかまわなかった。

 まだ婚約者もいないんだ、学生の間に将来を約束できる相手に出会うなんて、夢見がちな弟らしいとさえ感じていた。

 だがあの子は…あれは、あれだけはだめだった。

 学園に在籍していながらも出生は不明。

 入学するまでも、今の生活も全く足が辿れなかった。

 我が公爵家の情報網をもってしてもつかめない素性になにか大きな力が動いているのではと恐怖を覚えてしまった僕はあれについて探るのではなく、弟を律することにした。


 いつまでも得体の知れない存在に惑わされていてはならない

「自分をしっかり持て。」

 嫡男ではない弟はある程度自由に結婚ができる

「多少身分はどうであれ、次男のお前の結婚にとやかく言うつもりはないよ。でもあの子はいけない。」

 学業にも専念せず、色恋沙汰にうつつを抜かしてなにをしている

「貴族としてきちんとわきまえろ。」


 どの言葉も弟には届かなかった。


 私が学業や交友関係、私生活について口にすればするほどまるで子供のように嫌がる素振りをみせるようにさえなってしまっていた。

 もう私はどうすればいいのかわからなかった。

 しかしある日から勉学に勤しみ、少しずつではあるが社交も行うようになった。

 聞けばあの娘になにかを焚きつけられたらしい。

 きっかけはどうであれ、喜ばしいことだ。

 このまま正しい道へ行ってほしいと思っていた。

 この時はまだ。

 だが弟はどこまでも愚かでどこまでも夢を捨てられなかった。

 特にあの娘が死んで…いや消されてからは特に。

 あのままきちんと学び続けていればあの娘の異常さに気が付けていただろう。

 きちんと社交をしていれば周りの意見も聞けただろう…そんな後悔ばかりが募る。

 私は父や母のように弟を完全に切り捨てることはできない。仕事で忙しい父、社交に忙しい母に代わり、兄弟でありながらもどこか親子の様に可愛がってきたつもりだ。

 …でも僕がしなければならないだろう。

 未来の王や王妃の敵となりうる存在に成り下がってしまった弟。


 あぁ、譫言ばかりでもはや自我もないであろうに。

 願わくば、この弟の来世は彼の夢見る幸福な人生でありますように。

 そう願って私は僅かに息をするまだ温かいその首にゆっくりと手をかけた。

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