第9話 騎士団長長男の婚約者の記憶
私の婚約者様は本当に愚かな人でした。
あの人が変わってしまったのはいつからだったかしら。
幼い頃から婚約を結んでいたこともあって一緒に過ごしてきた時間はそれなりに長いほうだと思います。
彼はとても素直な方でした。
何事にもまっすぐで誰に対しても平等で。
私のことは恋人とは言えずとも家族のように接してくださっていました。
素直がゆえに、貴族らしい考え方や習慣に不慣れな部分があり、思ったことを口にしてしまう
そんな彼を時に慰め、時に叱り、時に導き、どこか姉弟のような親愛関係を築けていたと思っていました。
彼はいつも
「ありがとう!本当に君は頼りになる!」
「なるほど、そういうことだったのか!つい俺はこう思っていたんだ…」
「さすがは俺の婚約者様だ!…」
「君が頭脳で俺を導いてくれて、その代わり俺は体だけは頑丈だからどんなやつらからも守ってあげられる!」
そんなことを言ってくださいましたわ。
彼が変わり始めたのはあの子のせいかしら?
私は直接の関りがなかったから詳しいことは知らないのだけれど。
ただ、日に日に彼の様子がおかしくなっていったことには気が付いていました。
どこかいつも上の空で話していてもどこを見ているのか視線が交わりませんでした。
話すこともあの子のことばかりで言葉も支離滅裂。
…そうかと思えば突然昔のように戻って私に優しくしてくださるしあの子のことなんて気にする素振りもありません。
気が触れている…というより何かにとりつかれているように見えました。
疑惑が確信に変わったのはあの日だわ。
あの日、彼は明らかに様子がおかしかった。
学園に着いた途端、なにかに囚われているかのようにあの子の元へ向かっていった。
つい先ほど、学園に入る寸前まで私と話をしていたのに。
彼はどんなに忙しくてもどんな用事があっても私の話を遮ったり途中でどこかに行ったりすることはありませんでした。
長く一緒にいたこれまでの間にたったの一度も。
だからこの日のことはとても記憶に残っています。
もうこの頃には学園での彼とあの子の噂は耳にしていました。
優しくて素直な彼のことだからどんな相手にも真摯に接した結果でしょう、そう思っていました。
彼はボロボロな布切れをもって現れました。
「あの子の制服をこんな状態にするなんてどういうことなんだ!」
全く思い当たる節がありません。
「本当にそれを私がしたと思っているのですか?私がそのように人を貶めるような辱めるような行為をすると?伯爵家の名に懸けてそのような愚かは行為は私致しませんわ。…そのようなことをする人間だと思われたことがひどく残念です。」
あまりのことについ口調が強くなってしまいました。
…どうして貴方が傷ついたようなはっとした顔をするのかしら?
この日から私は彼と距離を置くことにしました。
だってそうでしょう?彼はおかしくなってしまったんですもの。彼自身の意思とは別に人を傷つけてしまうなら私はそばを離れるべきだと判断しました。
しばらくしてあの子がいなくなったことを知りました。事故だそうです。
あの子は多くの方の恨みをかっていましたからきっと…。
彼と私の婚約は解消しませんでした。
心のどこかで期待をしていたのかもしれません。
あの子がいなくなってからというもの、憑き物が落ちたように昔の…いえ以前の彼に戻りました。
彼は色々と記憶はあいまいであるものの、私へのこれまでの不誠実な態度は覚えていたようです。
誠心誠意償っていくとおっしゃいました。
私はあの頃のように彼を信用することができる日が来るのでしょうか。
毎日のように彼は私が好きだと伝えたものを送ってくれるようになりました。
あの日の様に会話を遮ることもありません。相変わらず不器用ながらも素直に想いを口にしてくれます。
それが何事もなかった頃のようで、ただそれだけで幸せに感じてしまうのです。
過去は消えません。ですが、彼の行動が私の心をたしかに少しずつ慰めてくれることも事実なのです。
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