第3話

「綿貫支店長、ご無沙汰してます」

 男の挨拶に応じて支店長が立ち上がる。

「おお、急にどうした、北川君。君、本店の北川君だよね? あ、わかった。新人社員の付き添いかな?」

 支店長が男の後ろを覗く。誰もいない。

「違いますよ。人事から連絡来てませんか。私が今年ここに配属されたこと」

「ええっ!? なんで君が!?」

 信楽焼似の支店長がすっとんきょうな驚きの声を上げる。あの北川凍矢が、こんな辺境に寄越されたことに驚きを隠せないのだ。かくいう私も驚き、そして蒼褪めていた。


 北川凍矢は本店で私の指導に当たった先輩社員だ。顔がいい人ほど性格が悪いという例に、これほどぴったり当てはまる男も珍しい。他の社員には優しいくせに、後輩には氷のように冷たい態度を取り、矢のように刺さる言葉を容赦なくぶっさしてくる鬼畜社員。あいつが嫌で本店を逃げ出してきたっていうのに、なんでわざわざこっちくんのよ?!


「なんでって僕が希望したからですよ」

 一瞬心の中を読まれたかと思ってビクッとした。北川凍矢は支店長に微笑んでいる。さっきの返しも、支店長の『なんで君が?』に答えたものだった。

「いやあ、上を説得するの大変でした。二年前に希望出したんですけど却下されちゃって。あの手この手を尽くしてやっとここに来たんです」

「それはまた、どうして?」

 北川凍矢は答えない。微笑を浮かべるだけだ。

「たまにはのんびりしたいってところかな? ま、君ならのんびりやっても南川さんの穴埋めくらい余裕でしょう。ついでに鍛え直してやってね。君の席、そこだから」

 支店長は私の隣を指さした。

 最悪だ……。


「いや~ん、なんで南川さんの隣なんですかあ? 私の隣も空いてるのにぃ」

 後輩女子が悔しそうにくねくねと体をよじる。

 私は嫌すぎて身悶えていたが、心の中だけに留めてパソコン画面に瞳を固定した。天敵を視界に入れないためだ。ド近眼の私は北川凍矢を眼鏡のレンズの外に置いていればいい。


「久しぶりだね、南川さん。早速聞くけどさ、どうしてこっちに来てからずっと業績が悪いの? 本店でも有名だよ? 俺の指導が足りなかったのかな」

 北川凍矢は私にプレッシャーをかけてくる。

 自分が悪いなんて微塵も思ってないくせに、と私は聞こえないようにつぶやいた。

「ん。なんか言った?」

「いいえ。北川さん、まさか私の業績が悪いのを気にして、こんな辺鄙なところまで飛ばされてきた、なんて言わないですよね」

「さっき支店長にも言ったけど、俺は飛ばされてきたわけじゃない。ある目的のためにここへ来たんだ」

「なんの目的ですか? 私をいびるためですか?」

 くすりと北川凍矢が笑い、意地悪な笑みを浮かべる。

「君、そういうの何ていうか知ってる? 自意識過剰っていうんだよ」

 私はかっと赤くなって押し黙る。

 冷静さを保とうとキーボードに置いていた指を動かし始める。カタカタと高速で問い合わせのメールに返信を打つ。

「ねえ、南川さん。今日のスケジュールどうなってるの?」

「北川さんには関係ないです」

「どうして? 今、支店長に君の分の業績を埋めろって言われたんだ。だから君の仕事を手伝うのも俺の仕事。大いに関係あると思わない?」

 北川凍矢は私のパソコン画面を覗き込んで言った。

 体が強張り、瞳はますます画面の中央を凝視した。

「き、今日は、この後十時半から内見が一件入っています。ついてくるなら好きにしてください」

「無理しちゃって。本当はついてきてほしいと思っているくせに」

「……っ!」


 心を覗かれたみたいでつい振り向いてしまった。

 すぐそばに意味深な笑みを浮かべた奇麗な顔があった。



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