第2話


 二年前、私は新宿本店にいた。あそこで扱う物件はのだ。でも、あそこには天敵の意地悪な先輩がいて、私はたった一年で逃げ出した。異動願を提出し、人材不足の都合で三年は異動なしの契約にハンコをついて、今の支店に配属された。ここが嫌でも、お荷物でも、あと一年はここにいなければならない。


 私はパソコンのスリープを解除し、昨日下見した物件情報をフォルダに分けて整理する。一件を『有』フォルダに、二件を『無』フォルダにドラックして移動させた。


 今日は十時半に内見が一件入っている。『有』フォルダに最近入れた物件だ。これも今朝の憂鬱の種だった。


 今度あれと目が合えば、次は何をされるか分からない。

 気分は最悪だった。


 この界隈の物件には、およそ少ないとはいえない頻度で紛い物が混じっている。紛い物と言っても、公には何の問題もない。事故物件でもない。一見ごく普通のアパート。けれども、私に言わせれば問題大ありという物件が。


 今日案内する物件もその一つだ。条件はいい。駅から徒歩五分の1DKで家賃は五万六千円。近所にスーパーが一件。百円ショップが一件。自転車でいける距離に中古書店と古着屋もあり、お金にあまり余裕のない、電車で通勤通学をする若者の一人暮らし向け。リフォームしてから三年と浅く、内見すれば即決もあり得る物件だ。


 でも、私が内見前の下見に行った時、玄関のドアを開けた瞬間から良からぬ気配を感じた。


 いる――という感覚。


 最低限の写真を撮り、できるだけサラッと見て帰るつもりだった。キッチンの棚や洗面台の収納、バストイレを見る時は特に緊張した。何かいたらどうしよう。おっかなびっくりで指先はずっと震えていた。


 キッチンには何もいなかった。風呂場もトイレも大丈夫。和室の押入れを開けたとき奥の隅っこにソレがいた。小さな男の子が膝を抱えて泣いている。ギョッとして心臓が縮んで痛い。男の子は私に気付かず啜り泣く。シクシクと静かに泣いている。同情。かわいそうにと思ってしまった。それがいけなかった。相手に気付かれてしまった。目が合ってしまった。瞬間、男の子は形相を変えて襲ってきた。所々欠けた歯が真っ赤な血で濡れていた。私は腰を抜かして尻もちをついた。目を開けると男の子は消えていた。


 涙がこぼれた。泣きじゃくりながらアパートを飛び出した。


 まだ下見の時だったからよかった。あんなことが内見の時に起きれば最悪だ。私の奇妙な行動で契約できるものも出来ない。他を見せてと言われるか、他の店に行ってしまう。


「え、うそ。なんでなんで? きゃ~~っ」


 業績一位で褒められた後輩が口許を両手で押さえて黄色い声を上げている。


 彼女の視線を辿ると男が店舗のドアを押し開けたところだった。時刻は十時。外から春風が舞い込み、いかにも仕事の出来る人間と言わんばかりの颯爽とした態度で男は入店した。さっき支店長が話していた新入社員だろうか。それにしては風格が違う。


 モデルみたいにスタイルが良く、シックな黒地のスーツに、程度を弁えたネクタイ。柳眉にこやかな瞳。その目と合って、私は思わず身を縮め、パソコン画面に顔を隠した。


 なんであいつがこんなとこに……!!

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