【KAC20243】千代紙で飾られた玉手箱

草乃

✱ 千代紙で飾られた玉手箱

 その箱には、彼女が居なくなって少ししてから気づいていた。

 彼女が使っていた部屋に、ぽつんと残されていた。出ていく時にも荷物が少ないと聞いてみたら「身軽な方が、泥棒と疑われないでしょう」と冗談として笑っていいのか甚だ疑問の答えに彼女自身が笑っていたくらいだった。



「居なくなった、なんて。俺が呆れられて出ていかれたのに」


 自嘲気味にぼやくも、この屋敷には俺しかいない。

 もともと、手伝いで人はいれていたけれど彼女が来てからは断って、できる範囲でいいからと彼女に任せていたのだ。

 ここは辺鄙だし俺に来客なんて、良くも悪くも腐れ縁か勧誘くらいだから。

 次第に家の中のいろいろが滞り始めた。一人で暮らしていた時は時々来てもらっていたトメさんに「洗濯物も台所の片付けも、ためちゃダメですからね」と言われていた。理由があって親友を泊めていた時も「おまえこれで自活してるって言うなよ、自活してる奴に悪いだろう」となんだかんだ世話を焼かれたっけ。

 どうやら俺は生活力がないらしい。仕事になればしっかり出来るのに、そこから離れたらダメ人間だった。

 居た堪れない気持ちで、そうだそうだと思い出した彼女が置き忘れた箱を見にいくことにした。



「もし私の物が出てきても、捨ててくださいね」


 自身で片付けた部屋のことなのにどうしてそんな言葉なのだろうとは不思議だった。あの言い方なら全て自身の裁量で片付けているのが普通だ。でも、彼女の部屋には箱がある。

 彼女の部屋だった場所にいき、襖を開いた。わが家ながらここはまだ、別の人の部屋だった。

 中に入って、まっすぐに鏡台へ向かいその側にそっと寄り添うように置かれていたその箱をみる。


 開けてみるか、と気持ちが動いたのは彼女が居なくなってから二週間ほど経っていた。

 何もなかったが、どこか気持ちを正していたくて正座して、箱を手に取る。お土産のお菓子の箱としてよくある四角い缶の箱。周囲に色紙を貼り付けて何の缶かはわからないが、軽く凹んでいたり歪んでいるから本来ならここにあるべきではないほど大切にされていたことがうかがえる。そもそも結婚で家を出る時に持ってきたほどなのだ、それほど大事だった、はずだった。


「それなのに、どうして」


 答える人のいない問いかけに、もちろん缶箱は沈黙。ため息を付いて、縁に手をかけて開く。

 ぱこん、と音がした。ちょっとコツがいるようで力任せに開けたことを少し申し訳なく思った。蓋を置きながらおそるおそる中身を確かめる。カサカサと音がしていたのは紙の束だった。


「手紙……」


 新しくはない。一番上にあったそれを、ひとつとりあげてみる。もちろん箱は、畳の上に置いた。

 拙い文字に「汚い文字だなぁ」と感想を抱きながらその字のクセがやけに引っかかる。

 見覚えというか、書き覚えというか。じょじょに記憶が蘇り、血の気がサーッとひいていく。


「えっ、え?」


 中は見ない。封筒の宛名を見て裏返せば差出人が書いてある。一番はじめの感想の汚い文字はひらがな。ある頃以降は漢字が混ざっているけれど宛名ほど丁寧さはない、きったない字だ。

 無造作に手紙を取り出して全部確かめた。どれもこれも同じ差出人から彼女へ。彼女の、旧姓。

 声にならないまでも口の中で、転がした。


 ずっと大事にしてきた思い出の中で、幼かった頃、好きだった女の子。その気持ちがあって、けれど名前も顔も思い出せなくて、結婚に何ひとつ納得できなかった。


 ひと言でも、覚えがあるかと訊ねてくれていたらと、身勝手にもこぼしそうになる。

 いいや、彼女にそんな機会を与えなかったのは自分だ。態度で不快しか出さず、彼女が自ら出ていくように仕向けたも同然の――。



「私の我儘だったんです。最後に、あのお花が咲いたとき一緒にみられたらそれだけでいいって。ごめんなさい、本当ならもう少し早くに別れる話ができるはずだったのに」


 ふいに、彼女の声が蘇ってきた。まるで今言われたように鮮明に。

 手にしていた彼女の手紙を、思わずくしゃくしゃと握りしめてしまった。

 ああ、と慌てて身体が揺れてはたはたと畳に染みができたのをみて揺れる視界に何様のつもりだと歯を食いしばる。

 手紙に付けてしまったシワをのばしながら、置いていた箱を引き寄せてそれを入れた。手紙の内容は開かなくてもぼんやり覚えていた。


 ――あの花がさいたら、いっしょに見てくれるとうれしいです。


 その返事は、来なかったけれど。

 振り払うように、缶のフタをする。開ける前には戻ることのない、失くしていた記憶が戻ってきてしまった。

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