第4話 セレーネとルーナ

 猫のいる風景。


 これから新生活が始まる。

 とても楽しくなりそうだなあ。



 あれ? この白猫、よく見ると何か咥えてる?

 窓から入ってきた時は何も咥えてなかったような。


「なんだい? それ、ボクにくれるの?」


 白猫が執拗に頭をこすりつけてくるので、しゃがんであごを撫でてみる。


 白猫は、ボクの手の平にぽとりと咥えていた何かを落とした。


「なんだろ……鍵? これって、ここの部屋の鍵じゃない、ですよね?」


 部屋の鍵にしては古めかしい……。金庫の鍵とかそういうものだろうか。


「なんですか? 何をおっしゃっているので?」


 ナイスさんがボクの手の平を覗き込んで首をひねる。


「え、これですよこれ。今そこの白猫が咥えて寄越した鍵です」


「鍵? 何ですか? 失礼ですが手の上には何もないように見えますが……」


 この鍵、ナイスさんには見えていない、のか?

 そんなことが?


「内見も済んだということで、下で契約書を作成しましょうか。入居にあたって説明すべきこともありますし」


「……はい」


 とりあえず謎の鍵をポケットにしまい込む。

 ナイスさんに連れられて、301号室から退室……ふと中を見ると、さっきの白猫が窓の右隣の壁紙に爪を立てていた。



* * *


「はい、説明は以上になります。これで書類の記入も終わりです。あとは先ほどお伝えした書類をご用意いただければ正式な契約成立となります」


 今日この場では終われないんだ。

 なるほど、保証人のサインやら印鑑証明やら知らないことも多いな。


「入居予定は1週間後でよろしいですね? それまでにこちらでも諸々準備しておきますので、必要書類の準備をお願いいたします」


「お父さんただいま~。あ、お客さん。どうもこんにちは~」


 制服姿の女の子がお店の入り口を抜けて入ってくる。


「こ、こんにちは」


 ナイスさんの娘さんか。中学生? 高校生? ナイスさんって、いくつなんだ……。


「おかえり。接客中だから粗相のないようにな」



「にゃぁぁぁぁん」


 いつの間にかさっきの白猫がやってきていて、ボクの足元で鳴き声を上げる。


「あら、セレーネ。ご機嫌ね。え、そうなの? この人が?」


 娘さんがボクの足元にしゃがみ込み、白猫と会話を始めてしまった。

 ちょっと痛い子なのか。けっこう美人さんなのに……。


「そう、選ばれたのね」


 娘さんが突然立ち上がる。


「鍵、受け取ったんでしょう?」


 鍵。

 さっきの鍵のことか?

 この子、いったい……。


「あなた、セレーネに選ばれたのよ」


「セレーネ?」


「そう、この猫の名前。セレーネは女神様の生まれ変わりなの」


「あ、ああ、そう、なんだ……」


 やばい子に絡まれてしまった。

 ナイスさん助けて……っていない! 書類持って奥に行っちゃったの⁉


「あなた、わたしのことをちょっとかわいいけど、猫と話をする厨二病の痛い子だと思ってるでしょ。ちょっとかわいいけど」


 ちょっとかわいいって2回言った。


「いや、そんなことは……」


 ちょっとしか思ってません。

 とは言えない。


「わたしの名前はルーナ。セレーネとともにあなたを導く者」


「は、はあ……」


「あなたの名前は?」


「はい……ボクは牛山吾郎うしやまごろうと言いますが……」


 ルーナさんは、まるで値踏みするように頭の先から足元までじっくりと観察してくる。女の子にこんな表現使いたくないけど、目つきが怖い……。


「素材はまあまあね……でもホントにこの人でいいの?」


 またしゃがみ込んで白猫のセレーネと話をしている……。


 もう適当な理由をつけて帰るか……。

 あーでも、ナイスさんの娘さんということは、ここに住んだら毎日顔を合わせる可能性があるわけで……ちょっと憂鬱になってきた。


「いいわ、吾郎。いくわよ」


 いきなり呼び捨てかよ。


「はい?」


「行くって言ってるの。さっさと準備なさい」


 ルーナさんは少しいらだったように床をドンと踏み鳴らす。


「行く、とは……ボク、部屋の仮契約も終わったんで家に帰ります……けど」


 もう解放してくれー!


「鍵」


「はい?」


「だから、受け取ったんでしょ? セレーネから鍵を受け取ったんでしょって聞いてるの」


「は、はあ。鍵ってこれのことですか?」


 ポケットの中から、鍵を取り出してルーナさんの前で振って見せる。


「ホントだったわ……。吾郎、あなた選ばれたのよ」


 この子はさっきから何を言っているんだ?

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