第3話 猫が遊びに来るシステム

「こちらです」


 ナイスさんが裏口からお店の外へ出る。

 ああ、やっぱりそうか。こっちが近道なんだ。


「はい、着きました。物件はこちらです」


 ふむ。近いね。近いけど……近すぎるね?


「ここ、ですか?」


「はい、こちらがマンションのほうの入り口ですね」


 連れていかれたのは『内須不動産』の裏口……にあるマンションのエントランスだった。

 なるほど……?


「実はこのマンションは1階が『内須不動産』でして、2階から5階を居住区として貸し出しているんですよ」


「貸し出しているということは……?」


「はい、私がこのマンションの所有者でもあり、貸主でもあります。ついでに言えば、『馬風運送』の馬風社長とは幼馴染みでして、部屋に空きがあれば、優先的に馬風運送の社員さんに貸し出しているんですよ」


「そういうことだったんですね……」


 なるほど。

 知らずに来たけれど、この不動産屋に来るのが正解だったってことか……。


「3階の301号室がちょうど空き部屋になっていまして。ああ、ネガティブな理由で空いているわけではなくて、下期に支社のほうに転勤になった社員さんの使われていた部屋が空いてですね、リフォーム後にもたまたま誰も入られていなかっただけですよ。もし気に入られましたら、すぐにでも入居が可能です」


 ナイスさんに連れられて、階段を上っていく。エレベーターのない古いマンションだけど、3階なら別に気にはならない。


「どうですか。内装もきれいにしたばかりなので新築みたいに見えるでしょう?」


 鍵を開けて中に入ると、すぐに大きな窓、そしてバルコニーが見える。電気がついていないのに明るい部屋。フローリングもピカピカで本当に新築のようだ。ベッドやテレビ、冷蔵庫なんかもあって、まるでモデルルームみたい。


「へぇー、これはすごい。即入居可ってことは、もしかしてこの家具やエアコン、冷蔵庫も備え付けってことですか?」


「はい。一通りすべてそろっていてこのままお使いいただけますよ。これは内緒ですが、『馬風運送』の社員オプションですね」


 ナイスさんが口元に人差し指を当てながら、いたずらっぽく笑う。

 誰が聞いているってわけでもないけれどね。


「えー、それは助かりますね。私物だけ持ち込んだらすぐに生活できそう」


「ですが1つだけ問題がありまして……」


 お? やっぱり何かあるのかな?


「このマンションに空きがこの1室しかないんですよ。今年の『馬風運送』の新入社員の方は5名……。あなたが最初に『内須不動産』を訪れた」


 ということは……。


「仮押さえは承っていないので、最初に契約書にサインをいただいた方の早い者勝ち、ということになります」


「なるほど……即決しないとたぶん借りられない、ということですか……」


「おそらくそうなりますね……。ちなみに今のところの所感はいかがでしょうか?」


 絶対倍率高いよなあ。

 うーん、でも今日は見るだけの予定……うーん。


「とっても良いと思います。何も悪いところが見当たらない……」


「ありがとうございます。そういえばペットを飼われるんですよね? どんなペットですか?」


 アンケートのところの条件に、「ペット可」を入れていたのを思い出したらしい。


「そうですね。一人暮らしするなら、やっぱりペットを飼いたいなと。実家では何も飼えなかったので。さっき下で黒猫をみかけましたね。いいですね。猫も飼ってみたいなあ」


「そうですかそうですか。でしたらなおのことこの物件はおすすめですよ!」


 そう言ってナイスさんが窓のほうへボクを誘導する。


「窓、開けてあげてください」

 

 言われるがまま、バルコニーへとつながる窓の鍵を開けてスライドさせる。


「にぁぁぁ~ん」


 吹き抜ける風と共に、でっぷりと太った白猫が、「待ってました」とばかりに部屋の中へと入ってきた。


「え、今度は白猫?」


 太っちょの白猫はフローリングの床をゆっくりと一回りすると、マットレスの上にひょいと飛び乗って、そのまま丸くなって眠ってしまった。


「実は私、猫を飼うのが趣味でして」


「ああ、そうなんですね。下の黒猫も。ボクは初心者なので、飼い方をおしえてほしいかしれないです」


「ええ、もちろんですもちろんです。うちの子たちには特別なしつけをしてましてね。こうして窓を開けた部屋にはお邪魔してもいいと教えているんですよ」


 ナイスさんが白猫のそばに行き、背中を一撫でした。


「というと?」


「社会人になるとペットは飼いたいけれど、一人暮らしで家を空けるから不安になられる方が多いですからね」


「そうですね……。まさにそこが心配でどうしたものかなあと。長く部屋を空けると、淋しがったり、おやつを欲しがったりしますよね」


 ボクの不安を聞いて、ナイスさんがにやりと笑う。


「みなさんそこを不安がられますね。そこでですね、私は住人の方に了解を取っていまして、猫がお好きな方にはこうして窓を開けておけば、このマンションで飼っている猫が遊びに来るというシステムを提供しているんです」


「おお? なるほど?」


「あらかじめご了承いただけた方には、猫の飼育用グッズをお渡ししておくことにしているんです。お休みの日や仕事終わりの時間に、猫が遊びに来たら存分にかまっていただけるという仕組みですね」


「なるほど……ペット初心者のボクでも猫を飼うお試しができるってことですね。それはありがたい!」


「何かあればすぐに呼んでいただければ私が対処できますからご安心ください」


 困ったことがあればいつでもナイスさんに聞けるし、ペットを飼いたい欲も満たせる……。これはすごい……。


 全部条件通りだ。

 むしろ思っていた以上の物件だ……。


「ボク、ここを借りることに決めます!」


 もうここしかないでしょ!


「ナイスですね~。それでは下に戻って契約書の作成に入りましょうか」


 ナイスさんがにこやかに笑いながらボクに握手を求めてくる。


「はい、お願いします!」


 ボクはそれに応えてがっちりと握手をかわした。


 いつの間にか白猫がボクの足元をグルグルと回って、体をこすりつけてきていた。まるでボクの入居を祝福するかのように。

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