そして歯車は動き出す

柊木てん

そして歯車は動き出す

「幽霊つきの物件ってありますか」

 不動産会社で働き始めて五年目の林は耳を疑った。幽霊つき物件? いやいや、聞き間違いだろう。USENつき物件とでも言ったのだ、きっと。そう考え、心を落ち着けてもう一度問い返した。

「すみません、もう一度よろしいでしょうか?」

「幽霊つきのお部屋です」

 聞き間違えではなかった。そして目の前の客は真剣な顔をしている。からかわれているわけでもなさそうだ。

「えぇと……そうですね、ひとまずこちらにご記入いただけますでしょうか?」

 詳しい希望をきくためのアンケート用紙とペンを渡し、記入してもらっている間にパソコンで検索をかける。うちでも事故物件の取り扱いはなくはないが、幽霊がいるかどうかまでは分からない。むしろ大家のほうがきっちりと供養やお祓いをしているので、普通の物件よりいない可能性の方が高そうな気もする。

 書けました、と渡された用紙には小さくかわいらしい字で希望の地域や賃料などが記入されており、その他の希望の蘭にはやはり〝幽霊つき〟の文字があった。

 仕方がない。理由は分からないが今月の売り上げ目標もあるし、とにかくそれっぽい物件を紹介してみよう。

「それではまずこちらなんですが、駅から近いですしお部屋もご希望条件に合うかと思います。なにせ」

 そこまで言って林はどう勧めるべきか一瞬言葉に悩んだ。

「……マンションの裏が墓地になっておりますので、はい。その、お部屋にもいらっしゃるかと」

 彼女は画面に表示された部屋の写真と、印刷された間取りをじっと見て何も言わない。林は構わず次の物件を差し出した。過去に事故があったという溜池の近く、特に理由もないのに入居しては短期間ですぐ引越してしまう部屋、これから心霊スポットになるかもしれない廃墟の隣。それらを淡々と紹介していると、徐に彼女があの、と口を開いた。

「こういう所にはいなさそうですが……」

 現地に行かずとも分かるものなのだろうか。しかし林には霊感がないので、こちらとしてもいるともいないとも断言できない。そこで逆にきいてみることにした。

「不勉強なもので申し訳ございません。そのような方々はどういった立地を好むのでしょうか」

「多分、人がたくさんいる所かなと……。盛えて人の行き来が多いところは様々な感情が渦巻いているので、寄りつきやすいと思います」

 ――なんだ、それらしいことを言っているが、要は都会に住みたいということか。

 ちょっと安心して、この辺りでは割と都会である駅の近くで探しなおそうとキーボードを叩いた。

「……お客様はどうして幽霊つきがいいんですか?」

 条件を入れ替えて再度検索をかけている間、少しでも物件の手掛かりになればと質問してみる。半分は好奇心からであった。

「……初めての一人暮らしなので、部屋に誰かがいたほうが安心するかなって……」

「あぁ、そう、ですか」

 自分なら一瞬たりとも安心はできない、と思う。

 その後、普通の物件もいくつか紹介し、兎にも角にも内見へ行くことにした。

 最初に勧めた墓地や廃墟の近くは大家に事情を話して、空いている部屋で退去が済んでいる所は全て見てもらったが、やはりいないらしく、物置やベランダを覗いては首を横に振った。バストイレ別、オートロック、宅配ボックス付き。幽霊以外の全ての条件を兼ね備えているのにも関わらず、彼女はそれに固執していた。逆に言えばそれさえあればどの条件も外して良いというくらいであった。

 自分はやはりからかわれているのだろうか、そもそもこの人は本当に〝それ〟が見えるのだろうかと段々不審な気持ちが芽生えつつも、通常の物件に移って四件目に足を踏み入れた時だった。

「ここにします」

 何も入っていないクローゼットを覗きこむや否や、彼女は明るくそう言い放った。

「あ……はい。築年数も二十年未満、中も綺麗で駅からも徒歩十分ですしね、近くにコンビニも銀行もあって便利ですよ。何せ綺麗ですからね、はい」

 林は急に背筋がぞくりとして、一刻も早くここから立ち去りたい気分になり、適当なことを言って店に帰って、客の気が変わらないうちにさっさと契約をまとめてしまった。

 

「ということがあってさ、全く妙な客もいたもんだよ」

 しばらく経ったある日、林はふと思い出して同棲中の依子にその話をした。

「事故物件がよければそれ専門の不動産屋もあるのにね」

「うん。それがどうもうちの地区がよかったみたいで、近くの不動産屋を何件か回ってたみたいなんだ。職場が近いとかかもしれないなぁ。さりげなく大家に様子を聞いたら、特に問題を起こすようなこともなく生活してますよって言ってたけど」

 話しながら小鉢に入った小松菜と油揚げの煮浸しに箸を伸ばす。依子は料理が上手だ。こういうなんでもない一品が、長年インスタント食品に頼ってきた自分の身体にはとても沁みる。

「そういえば……あの辺ってお前の元カレが住んでたあたりじゃないか? 浮気相手と逃げたかなんかで、ある日部屋の中が突然もぬけの殻になってたっていう」

「もう、やめてよその話は。思い出して情けなくなっちゃう」

 わざと不貞腐れたような顔をする彼女がかわいらしくて、ついいじめたくなった。

「いやいや、確かにそう話してたはずだぜ。うちが担当している地域だって言ったら嫌そうな顔してたもん。それに職業柄、住んでる地区とか場所って自然と頭に入ってしまうんだよなぁ」

「意地悪ねぇ」

 早く忘れちゃってよそんなこと、とご飯の最後のひと口を漬物とともにぱくりと口に入れる。

「でもよかったじゃないか。悪い男だったんだろ、酒癖が悪くてギャンブル中毒だっけ? そんなの向こうから消えてくれてラッキーだったよ。お陰で俺と出会えたわけだし」

「はいはい、もうその辺にして。片付けちゃうから」

 そう言って空いた皿を回収していくので、追い立てられるような気分で残りのおかずをかき込み、お茶で流し込む。時計を見ればもう結構いい時間だった。彼女が片付けたがるわけだ。

 流しで食器を洗う音を聞きながら明日の来店予約について確認していると、依子が水道の水を止めてこちらを振り向いた。

「……あなたって兄弟いたっけ?」

「いや、一人っ子だけど」

「そう」

 そう言ってもう一度蛇口を捻った。その先の言葉は水音で聞き取れなかった。

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