人生最後のSNS投稿

@mikazukiCR

人生最後のSNS投稿

寒い。


あまりの寒さに強制的に目を開けざるを得なかった。深く被った探偵帽のような帽子のつばをクイっと上にあげて視界を確保する。すると、一面の雪景色が私の眼前に飛び込んできた。


私は今、札幌から釧路に向かうおおぞら5号という特急に乗っている。何故空路ではなく陸路を選んだかと言われると、私自身も甚だ疑問だが、何となく特急に揺られて初めて訪れる地の景色を見たかったのだと思う。事実、雪景色は普段見られないものだから、私にとっては新鮮で綺麗なものとして映っていた。


ビールを呷りながら干し芋を食べる。ふと気になって気温を調べると、冬の釧路は快晴の昼であってもマイナス5度という都心では有り得ない数字を記録していた。(海辺なので風は強そうだが。)外の世界は極寒の地であるにも関わらず、私は酒を飲んでいるせいか自然と身体の奥底が熱くなっているのを感じる。


この不自然なコントラストに不思議と趣深さを見いだしてしまう私は可笑しいだろうか?

今の私の燃え上がる熱さを持ってすれば外の雪を溶かすことができるだろうか?


そんなことを考えているうちに自然と口角が上がってしまう。これだから私は世間から除け者にされ、存在しないものとして扱われてしまっているのだろう。事実、私のことは誰の視界にも収まっていない。これは比喩でもなんでもなく、文字通り『私の存在は無かったことにされている』という訳だ。原因はよく分からないが、数年前に仕事を辞めて以来いつの間にか他人に知覚されない人生を送る羽目になってしまった。元々影の薄い存在であることは自覚していたが、まさか本当に視認されなくなるとは夢にも思わなかった。


だが、ひとつだけ私が生きている証明をしてくれる存在があった。そう、SNSだ。本名でやっていたSNSは『私』という存在が消えているので使い物にならないが、『早川』というハンドルネームであれば別の存在とみなされてSNSを使うことが出来るのだ。


学生の頃からSNSは私にとっての生き甲斐であり、理想郷でもあった。(と言っても、私はTwitterしかしていないが。)しかし、私の理想郷を邪魔する者はインターネットの世界にも蔓延っていた。まず、フェミニスト。アイツらはハエのような存在でとても煩わしい。女性の権利にはキーキー煩い癖に、自分が不利になるとほとぼりが冷めるまでダンマリを決める。もしくは、とことん暴論を振り翳してくる。知能は恐らく猿以下なのだろう。それ以外だと、リベラルという派閥も正直気に食わない。リベラルの源流自体には特段文句はないが、リベラルという単語の意味を履き違えている日本人には目が余る。これが海外かぶれというやつだろう。日本人以外に目を向けると、中華系の人種も気に食わない。彼らは日本経済に金を落とす以外に日本に与えるメリットはゼロに等しい。


こんな過激的な発言ばかりしているものだから、ツイートの量に比例してアンチやそいつらとの口論が多発してしまった。私がネトウヨ(ネット右翼)としての活動をし始めた高校生の頃は、ひとつひとつの批判に対して律儀に返信をしていたが、社会人になる前にはすっかり口論する気力も消え去り、大学卒業を期にネトウヨとしての活動も卒業することにした。その時期から今までは鍵アカウントに引きこもり、ネットの友達の他愛もない日常的なツイートをみる生活を送っていた。私もそれに倣って過激な発言どころか自分の日常を語るようになった。人は環境によって左右されるのだな、と実感する日々だったのを覚えている。


記憶を掘り起こしているうちに、目的地の釧路が眼前に迫ってきた。ブレーキによる高い金属音を響かせながらホームに到着する。身支度を済ませて駅に降り立つと、圧倒的な寒さを乗せた風が私を襲ってきた。このままでは凍え死んでしまう、そう思った私は急いで釧路駅構内に駆け込むことにした。


──────


体の芯を暖めたい、その一心で昭和の雰囲気を漂わせている『なつかし館 蔵 釧路駅店』に誘われるように入店した。とりあえず、釧路ラーメンを頼んでから店内を見渡してみる。店名の通り、店内には70~80年代のレコードや曲のジャケット・ポスター等懐かしいものたちがズラりと並んでいる。BGMは勿論、昭和の歌謡曲が流れているが、私よりも世代が若干上のため正直分からない曲が多い。だが、この雰囲気が心地良い。分からないからこそ感傷に浸れることもあるだろうし、世の中何も全てを知っている必要はない。ましてや、知らなくても良い方の事だってある。そう、私が認識されなくなった理由と同様に。


醤油の芳醇な匂いを漂わせた釧路ラーメンが提供口に置かれていた。どうやらそのラーメンは私のものだったらしく、呼出しベルと交換することで、店員にとっては所有者が不明だったラーメンを無事回収することができた。


落ち着いて席に戻ると、店内だけではなく、ラーメンが入った器までも昭和や平成初期を思い起こす青い陶器となっており、店主の拘りを垣間見ることが出来た。それはさておき、早く暖まろうじゃないか。私はササッとお祈りをしてラーメンを食すことにした。


──────


財布以外が温まった状態になり、駅の外に出てみることにした。駅舎を背にして少し歩いてから振り返ると、東京駅に似ても似つかない、いや仙台駅にも到底及ばないであろう古びた赤いレンガでできた駅が、哀愁を漂わせながら私を迎えてくれた。


きっと、昔は真っ赤なレンガで住人たちから愛されるシンボルだったのだろう。雪に埋もれてて見づらかったが、壁には【120th】と刻まれた跡がある。釧路駅の始まりだなんて、今を生き抜く住人たちの誰が想像出来るだろうか。門出を祝うセレモニーは、きっと多くの市民や駅関係者に囲まれ、この釧路のレンガたちもさぞ喜んだことだろう。


だが、人はその存在が当たり前になってしまうと、いつしか隣に居てくれることのありがたみを忘れてしまうものだ。だから私はお祈りという形で、この壁に畏敬の念を示すことにした。刻まれた文字に手を触れた後、釧路駅全体を見渡せる場所まで後退りをし、手を合わせて祈るように会釈程度に頭を下げた。この瞬間だけは人に見られる心配がないという事実に感謝をしている。何故駅舎に対して頭を垂れているかは正直よく分からないが、誰かに自分の頑張りや生きた証が認められないということが【悲しい】ということを私は知っているし、その当たり前になっている存在たちに対して、私たちはもっと感謝するべきだとも思う。私はその感謝の代弁者でもあるのだ。


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赤レンガに背を向けて、街に繰り出すことにしてみた。街全体が雪に埋もれており、その全貌を掴むことは出来ない。街中には特に用もないので、今晩泊まる予定の宿に入り、15時になるタイミングを見計らって早々にチェックインを済ませることにした。


今晩泊まる宿は、昔ながらの旅館といった外装をしている。入館する際も、雪に埋もれた街灯の乏しい光が私を迎えてくれていたものだから、その雰囲気も相まって中を拝見していない段階であるにも関わらず、古びた旅館なのだろうと決めつけてしまった。(釧路は日が沈むのが早いから街灯がつくのも早いらしい。)


だが、やはり偏見というものはあまりにも良くないもので、チェックインを行った本館は確かに古びた内装だったかもしれないが、我々宿泊客が泊まる別館は、明らかに近年リフォームをしたばかりといった様子になっていた。張り替えたばかりの壁一面の檜の匂いや、綺麗に敷き詰められた絨毯がその証だろう。部屋の鍵を開けると、和のテイストを重んじた内装になっていることが確認できた。1人で泊まるには十分な広さと落ち着きを得られること間違いない。


自室にて一息つくや否や、私はこの地を訪れた目的を達成するために、トレードマークの探偵帽を深く被り、ベージュのトレンチコートを羽織って外に出ることにした。外は相変わらず冬の寒い風が吹き荒れていたが、冬のカラッとした気候のおかげか空は快晴だった。いつもはうんざりするほどの日の眩しさだが、今日に限っては大変有難い。何を隠そう、私はこの世界三大夜景のひとつと呼ばれている釧路の夕陽と夜景を見るためにこの地を訪れたのだ。今日ばかりはいくら快晴だろうと困らない。晴れ渡る空が私の歩みを祝福してくれているように感じる。時刻は15時半、釧路の空は快晴から夕陽を迎え始めた。夕陽を一望できるスポットは幾つかあるが、その中でも米町公園の展望台を目的地としていた。理由は特にないが、強いて挙げるとするならば、土地が開けているおかげで人口密度が薄くなりそうということぐらいだ。綺麗なものはなるべく独り占めしたいというエゴによる考えだろう。目的地までは徒歩で40分弱ほどかかる距離だ。決して歩けない距離では無いが、北国はいつ夕陽を迎えるか正直不透明なところが多い。急がねば。そう思いながら、夕陽が映えるスポットまでの足取りを早めることにした。


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弱い身体に鞭を打ち、競歩なら余裕で反則になっている体勢の早歩きを敢行した結果、なんとか夕陽に間に合うことができた。夕陽に向かって歩みを進めていたので、その素晴らしさは何となく感じることが出来ていたが、改めて夕陽を見つめると、世界三大夜景に選ばれるだけの景色が拡がっていた。


空全体を真っ赤に染める夕日の色。これには大気中の水蒸気が関係しているそうだ。釧路は市街地の奥に湿原が広がっており、その湿原の水蒸気と海の水蒸気があわさり、空を真っ赤に染める要因となっている。海に沈むというロケーションと、水蒸気の多い釧路の気象条件が合わさった結果がこの景色なのだろう。釧路が世界三大夜景(夕陽)に選ばれた理由は、大航海時代の口伝による所が大きいという説がある。釧路港に来た外国船の船乗りたちの口コミによって、釧路の夕日の美しさが広まっていったという訳だ。


私はこの綺麗な景色を収めようと、なけなしの退職金から奮発して購入した一眼レフカメラを取り出し、この景色が最も綺麗に映る角度を探してシャッターを押した。


『カシャッ』


やはり周りは人が少なく、更に遮蔽物も少ないので、軽快なシャッター音が良く空に響いた。景色が綺麗に映ったことを確認して一眼レフカメラを大事そうにしまう。カメラを仕舞うと同時に、夕陽もその役割を終えたかのように沈んで行った。(夕陽は陽の光としてではなく私を感動させるために存在していたのだろうか?)


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帰路の途中、私は自身の醜い人生を省みていた。綺麗な景色を収める度、その美しさを誰かに共有したいと思うと同時に、自分が生きていることを誰かに認めて貰いたくなってしまう。今回も例に漏れず、どうしても自己顕示欲が湧き上がってしまっていた。インターネット上でしか認知されなくなるという事実は、いくら元々ぼっちであった私とてさすがに堪えるものがある。流石にネットぐらいは私が生きているという証を残したいし、それを誰かに許してもらいたいと願うようになっていった。


だが、正直言って何時までもそれを思い続けることが苦行になってしまっている自分がいる。今の私は、【美しい景色を出汁に、承認欲求を満たしている】状態なのである。それと同時に、写真を投稿することが義務のように感じられてしまうし、その癖投稿せねば承認欲求が満たされない。そんな自己矛盾に苛まれる日々を送っていた。私の承認欲求を満たす道具として使われてしまっている絶景達には本当に申し訳なく思ってしまう。


だからこそ、私は今日でSNSを辞める決断をしようと考えた。確かに、世界の誰からも認知されない人生を送ることにはなるが、それよりも本来景色は誰のものでもないし、誰かの承認欲求を満たすために扱われて良いしろものではなく、もっと神聖なものとして在るべき存在ではないだろうか。(景色が何故神聖かと言われると難しいが、自然という大きな存在実感していると、自分がちっぽけのように感じられて全てを包み込んでくれるような感覚に襲われるのだ。これが自然派の思想なのだろうか。)いや、景色に限らず、私が腹ごしらえに食べた釧路駅構内のラーメンもそうだ。決して、ラーメンも私の承認欲求を満たすために提供されたものではない。


つまるところ、元凶はこの一眼レフカメラにあるということだろうか。カメラというもので写真を撮り続けてしまう限り、私の承認欲求を満たしてしまう存在が発生し続けてしまう。そうか、私はこのカメラを捨てる勇気を持つことが、この負のスパイラルを脱出する鍵になるという事か。


──────


そう思った後の行動は早かった。


予約した旅館の一室に戻り、カメラを分解しようとした。だが、カメラには退職してから今までの数年間の思い出が全て詰まっている。せっかくだからと、分解する前に幾ばくか思い出に浸ることにしてみた。退職直後に訪れた浜松の日本三大砂丘のうちの一つ、中田島砂丘。あそこは人が少なくてとても気持ちが良い風が巻き起こっていた。他にも、岐阜の下呂温泉の様子も写っている。今と同じ冬に訪れたが、今の釧路よりも雪が積もっているし、東海地方の冬シーズンも舐めてはならないと学んだ日でもあった。そんな美しい風景たちの写真を1時間ほどかけてゆっくり観察をし、記憶を思い起こす作業をした。記憶を掘り起こす作業というものは意外と楽しいもので、その景色たちを見ながら記憶と共に感傷に浸ることが出来ている気がした。きっとこれは自然と景色のおかげなのだろう。


一通り景色を見終えて記憶を鮮度の高い状態にした私は、今度こそカメラを分解することにしてみた。すると、大事なものは写真ではなく記憶だと言わんばかりに、躊躇いなくその作業を行うことができた。私はスマートフォンのカメラで自称写真家としての活動を辞めた証であるカメラの残骸たちを撮り、最後の更新としてSNSにその証を投稿した。


ようやくSNSに開放された私は、スマートフォンを置いて旅館のご飯とお風呂を堪能することにした。その時既に、時計の針は20時を指し示していた。時間というものは無情にも早くすぎてしまうものだな。放心状態で自室にて提供される日本食を口に運び、無心で露天風呂に浸かっていると、 ただただ時間を浪費しているような感覚に陥ってしまう。だが、何だか心が晴れ晴れとしている気もする。今なら私は何者にでもなれるのではないだろうか?


やはり、私はこのSNSに囚われた人生に終止符を打つべきだったのだろう。自身の選択が間違っていなかったと思うと、概念的な話になるが満たされたような気持ちになってくる。


今の私は幸せだ、そんな夢見心地の状態で床に就くことにした。今日の布団は何だかいつもよりも暖かく、全身を包み込んでくれているような感覚に陥った。布団の温もりを実感しながら、その布団と温もりに意識が吸い込まれていくように私は眠りについた。

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