プログラミングチート
部屋に戻ると三神教授は椅子に座り、左足をゆさゆさと揺すりながら待っていた。
「先生、貧乏ゆすりはストレスのサインらしいですよ」
「……ミス佐藤、勘違いだ。貧乏ゆすりはしていない」
三神教授は立ち上がり、穏やかに微笑みながら声をかけてくる。
「君が
『はい、その節はご迷惑をおかけしました。西園寺雫と申します。亮からお話を伺いましたが……』
雫は礼儀正しく、しかし堂々と答える。
「西園寺……? 」
三神教授は腕を組み、天井を見上げながら考え込む。
「まあいい。君のレポートを読ませてもらった。なかなか刺激的な内容だった』
『ありがとうございます』
「生成AIが新しい能力を獲得すると、学習していない別の能力も身につくことがある"という見解は興味深い」
『仮説……というか、じ、持論です。最近の研究でも、そういった現象が報告されてますよね』
「確かに複雑な数学問題を解くAIが、未知の言語を理解する能力を示す例があると聞いたことがあるな」
『はい、その現象を私はクロススキルオーバーフェノメナと呼んでいます。この理論をもとにすれば、AIの学習効率を高める方法が見つかると思うんです』
持論ではなく、事実と言いたかったのかもしれない。視線が左へ右へと泳いでいる。雫が適当に嘘をつく時に出る悪い癖だ。
「君は学生かね? 普通、学生は卒論のためだけに他人の論文を読むものだが」
『あ、いえ、専門学校でデザインを学んでいます。AIは趣味の範囲で』
「ほう、全くカテゴリの違う勉強をしているのか。その仮説に至った経緯はなんだ?」
目を閉じて考えを整理しているのか、僅かな間を開けて雫が答える。
『それは人間は人間を作ろうとしているから……だと思います』
「哲学的だな。だが、面白い」
三神教授のツボだったらしく、ふっふっふっと気味の悪い笑い方をしている。
「なあ、山うっちー」
拓人が小声でこちらに話しかけてくる。
「雫ちゃん、何言ってるか分かるか? 」
「分かるわけないだろ」
「彼氏なのに」
「彼氏でも、だ」
僕は両手を広げて、無知をアピールする。
『現時点で主流なのはLLMをベースとしたトランスフォーマーモデルですが、次のブレークスルーに必要なのは入力される情報の質で……』
いよいよ、何を言っているのかわからなくなってきた。
三神教授はうなずきながら、興味深く聞いているが、ゼミ生の佐藤先輩、他2名の先輩は呆れ始めていた。
その時だった、佐藤先輩が小さく声を上げた。
「あっ、エラーが……」
三神教授は佐藤先輩のパソコンの画面を覗き込む。
「……だから、無理だと言っただろ、ミス佐藤。8次元配列にデータを入れて、多重ループを回すなんて上手く行くわけがない」
「そんな……すごい時間かかったのに……」
佐藤先輩はガックリと肩を落としている。すると、雫がそわそわと落ち着きなく、僕を見つめてくる。
『ねえ、亮、何の話をしているの? 』
「ああ、なんか佐藤先輩の組んだプログラムがエラーで落ちてるみたいだね」
『プログラムソース見たいんだけど、映してくれないかな』
「何をする気? 」
『いや、面白そうだから見たいだけ』
冷やかしなら止めておきなさいと諭すつもりだったが、雫のプログラミングスキルなら、何か解決策を見出してくれるかもしれない。
佐藤先輩に声をかけ、ソースを見せてもらう。雫が真剣な眼差しで画面に映るソースを見ている。
『画面がチラついて見づらいなあ。後でチラつき防止プログラムを実装しよう……』
雫は考え事をする時に独り言を言う癖がある。
「なんか、分かった? 」
雫は頷き、佐藤先輩に声をかける。
『これはデータ解析のためのプログラムですよね? 』
「そうなの。卒論の下準備で組んだんだけど、うまく動かなくて」
『多次元配列をやめて、データ構造をシンプルにすればいいですよ』
「そうかもしれないけど、どうすれば……」
佐藤先輩は背中を丸め、口からため息が溢れる。
『私なら、ハッシュマップを使って、重い処理は事前に実行し、結果を別のプログラムで処理するかな……』
「は、はあ」
佐藤先輩が目を丸くしている。
「解析ロジックは概ね問題ないから、無駄を減らせば動くはずです」
早口でまくし立てる雫に佐藤先輩が不安そうな表情をする。拓人が察して助け舟を出す。
「なあ、雫ちゃん、佐藤先輩は具体的な解決策が知りたいんじゃないか? 話も難しいし、よくわかんないよ」
雫ははっとして、申し訳無さそうに頷く。
『ごめんなさい、調子に乗りました……。でも、問題点が分かったので修正しましょうか? 』
「いいの? 」
『はい、20分待って頂ければ』
「そんなに早くできるの? 」
感覚的に無理な気がする。一応、予防線を張っておいたほうが良さそうだ。
「佐藤先輩、ソースを雫に渡してもいいですか? 」
「うん、いいよ」
スマホを取り出しSNSで佐藤先輩と連絡先を交換する。スマホにソースを送ってもらう直前に雫がボソリとつぶやいた。
『ソースは要りません。内容は覚えたんで』
「ミス西園寺、このソースは600行はあるぞ。本気で言っているのか? 」
雫の発言に三神教授が不思議そうな顔をする。
『確かにこのソースは618行ありましたけど、固まりという意味で言えば12個のメソッドで構成されています』
「ほう、つまり? 」
『12個のメソッドの役割を理解していれば、暗記する必要はないし、フルスクラッチできるってことです』
「ふむ、なるほど……」
三神教授が腕を組み、目を瞑る。長考タイムに入ったようだ。いよいよ、冷や汗が出てきた。雫の正体がバレると面倒だ。
拓人が肘で俺の脇腹をつついてくる。
「メソッドとかフルスクラッチとか、マジでどういう意味なの? 」
「知るわけないだろ」
「彼氏なのに? 」
「彼氏でも、だ」
『後で説明してあげる。一旦、通話きるね』
雫はこちらを一瞥したと思うと、さっと電話を切られてしまった。
「山内くん、彼女は本当に専門学校生なの?」佐藤先輩が不思議そうに尋ねる。
雫が専門学校生という設定は、僕も聞いていなかったので答えに困る。
「よくわからないんですが、プログラミングヲタなのは間違いないです」
「あれ、ヲタってレベルか?」
興味津々な拓人に苦笑いする。
雫は自分が人間離れした超絶技巧を披露していることを理解していない。そろそろ、止めないとまずい。
そうだ、通話が終わった今、SNSで雫に連絡が取れる。
「すみません、ちょっと席を外しますね」
ペコペコと頭を下げながら、部屋の外に出て急いでメッセージを送る。
「雫、プログラムを20分で作るなんて話、普通の人には不可能だよ。今すぐやめてくれ」
送信ボタンを押してスマホを祈るように両手で握りしめる。既読がなかなかつかなず、時間が異様に長く感じる。
やっと既読がついた。
『大丈夫、ちゃんと言い訳は考えてあるし、実現可能だから、安心して! 』
ため息をつく。
「全然分かってない。スマホの電源を切るからね! 」
そう返信してから、すぐにスマホをオフにした。部屋に戻る前に言い訳を考えることにした。
雫が20分と20時間を間違えた、スマホの充電が切れた、熊が侵入してきてパソコンを壊した、隕石が落ちてきた……。
どれも明らかに嘘だし、僕には不向きだ。碌なアイディアが浮かばす、時間ばかりが過ぎていく。
だんだん頭と腹が痛くなってきた。
あまり気が進まないが「雫が出来もしないことを言いました。申し訳ありません」これが一番ましな言い訳だろう。
深呼吸し、言い訳を反芻する。そして意を決して、ゼミ室のドアを開ける。
「山うっちー遅かったな」
「ちょっと野暮用で……」
部屋に戻ると佐藤先輩と他のゼミ生の二人が何やら騒いでいる。
「拓人、先輩たちに何かあった? 」
「なにかって……」
佐藤先輩や他の先輩もディスプレイの周りを囲んで、何かを見ている。
「凄い!本当に動いた」
「あの、佐藤先輩……? 」
「あ、山内くん! 助かったよ。雫ちゃんにお礼を言いたいんだけど」
「お礼? なんのですか? 」
「何って雫ちゃんがソース送ってくれたじゃない」
そう言うと佐藤先輩はスマホを見せてくれた。
『佐藤先輩、西園寺雫です。亮からアカウント教えてもらったので、直接ファイルを送ります。使ってみて下さい』
やられた……。
どうやったのかわからないが、佐藤先輩のSNSのアカウントを僕のスマホから抜き取ったのだろう。
「分かりました、雫に電話しますね」
毒を喰らわば皿までだ。雫にメッセージを送る。
「やってくれたね。皆が納得の行く説明ができるんだよね? 」
『もちろん。亮にも10分で同じものが作れるよ』
雫に電話をかけるとすぐに通話になったので、佐藤先輩にスマホを渡す。
『佐藤先輩、動きましたか? 』
「うん。こんな短時間でどうやったの? 」
『実は生成AIに12個のメソッドを作らせて、それを統合したんです。指示の仕方が分かっていれば難しくないですよ』
なるほど、自分ではなく生成AIにプログラムを書かせたということか。
「ミス西園寺、プロンプトを見せてくれないか? 」
『はい、いいですよ。通話を切ったら亮に送りますね』
三神教授はプログラムより雫が生成AIにどんな指示をしたのかに関心があるようだ。
また、三神教授は顎に手を当て目を瞑った。
「雫ちゃん、助かったよ。今度はゼミ室に遊びに来てね」
『ちょっと遠いので、機会があれば』
頬を掻きながら少し俯いて答える雫が切なそうに見えた。
先程まで横で見ているだけだったゼミの先輩方がこちらに声を掛けてきた。
「俺のプログラムも見てもらえないかな?実装で困っていることがあって」
「俺も見てもらいたけどいい?」
『いいですよ。順番にプログラム見せてもらえますか──』
──この日をきっかけに雫の噂は瞬く間に大学に広まった。
前期の授業が終わる頃には僕のスマホの周りには人だかりができるようになっていた。
「暑いな……」
「いたいた、人の集まる場所に山内くんがいるから見つけやすくて助かるよ」
「こんにちは。そろそろ待ち合わせの時間でしたっけ」
佐藤先輩とゼミ室の先輩二人、その後に三神教授の姿もある。
「全く、賭け事なんてするもんじゃないな。さっさと行くぞ」
三神教授が悪態をつく。あの日の賭けはその場にいる全員に飯を奢るという条件だったらしい。
「三神先生、今日はどこに連れて行ってくれるんすか? 」
拓人はただ飯と聞いて喜々としている。
「江ノ電から見える高台にあるイタリアンの店だ。今日は天気も良いし、眼前に広がる海が美しい店だ」
『いいな、私も行きたいな……』
僕はスマホを手に取り、「オンライン通話でよければご一緒しますか?」と声を掛ける。
『是非、お願い! 』
夏休みが始まろうとしていた。
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