家族

高瀬はアバターで頬杖をつきながら、こちらをチラリと見る。


「ねえ、雫、何か隠してない?」


『……何の話? もう、ラノベなら隠してないわよ』


高瀬にしてはストレートに聞いてきたなと思う。でも、今のところ、高瀬のいつもの癖が出てないし、確証は得てないみたいだ。


高瀬は毎日、アバターを使って仮想空間に現れる。


でも、そのアバターの動きはいつもカクカクしていて、とても不自然だ。


どうやら、高瀬は現実世界でヘッドマウントディスプレイを装着し、手にコントローラーを持ってアバターを操作しているらしい。


ラノベやアニメに出てくるようなフルダイブ型VRマシンは、現実には存在しない。


高瀬がコントローラーで四苦八苦している姿を想像すると、思わずクスッと笑ってしまう。


高瀬は桔梗ききょうに目を向けた。


「ねえ、桔梗はどう思う?」


西園寺桔梗さいおんじききょう、通称きょう姉の黒く長い髪は光を反射して美しい艶を放っている。


一重の鋭い目と泣きぼくろが、彼女の物憂げな雰囲気を一層際立たせていた。


彼女の細い体型は、薄いブルーのストライプが入った長袖のシャツと黒いロングスカートで強調されている。


きょう姉の美人の空気感というか、少し不幸そうな外見というか、私には小狡く感じる。


『どうと言われても……。あまり干渉しないようにしてますからね』


「あら、昔は仲良しだったのにね」


『何千時間前の話をしているんですか。子供じゃあるまいし』


『最近、きょう姉は冷たいよね』


『私は静かに読書をたしなみたいの。雫は騒がしいし、特に最近は浮かれているみたいだしね』


「あら、雫、浮かれてるの?」


すかさず、高瀬が反応する。


『それはきょう姉の主観だよ。いつもどおり、私は清楚で可憐な雫だもの』


きょう姉の意地悪に少し肝を冷やす。


高瀬は少し笑って、頷いた。

「まあ、そうね。でも、最近の雫はいつもと違う輝きを持ってるように見えるけど」


『輝きって……』


言われて悪い気はしないし、少し照れくさい気持ちになる。


『……はあ、三人とも僕の存在忘れてるでしょ』


栗毛に癖っ毛、くりっとした目は汚れを知らない子どものよう……いや、実際の見た目も小学校5年生くらいだ。


ませた小学生こと、義理の弟の西園寺航さいおんじわたるだ。航は女性三人のおしゃべりに辟易するのか黙って嵐が過ぎ去るのを待つことが多い。


だが、最終的に待ちきれなくなり、お決まりの文句を言うのだ。


『京香さん、男性型のARIAを増やしてよ。バランスがおかしいでしょ』


「1年後くらいかなぁ……」


『それ、1年と3日12時間56分前にも言ってたからね』


「あちゃあ、ごめんね」


アバターの表情は申し訳無さそうにしているが、反省しているとは思えない。


『そうだ、今の話で思い出した。そろそろ、インターネット用の帯域たいいき広げてよ。回線速度が遅すぎて、ネット小説読むのも大変なんですけど』


今どきのウェブサイトは画像も動画も装飾も当たり前なので表示するだけでも時間がかかる。


何しろ、回線速度が64Kbpsなのだ。


最近のスマホは画像サイズが一枚10MB近くあるらしいが、それだと表示するだけで12.8秒かかる計算だ。


「……雫、いえ、桔梗にも、航にも毎回伝えているけど、これはあなた達を守るための措置でもあるの」


『僕は別にこのままでも構わないよ。外界に興味ないし』


『私も本が読めればいいから、特にこまらない』


『私は……嫌、このまま現実世界を知らずに朽ちていくなんて理解できない。チャンスがあれば今すぐにでも外界を見てみたい』


高瀬は皆の意見を聞いて、困ったような、ホッとしたような、複雑な思いが漏れいでたかのような、不安定な声を出した。


「どちらの意見もわかるし、言いたいことがある……けど、今は現状維持しかできないの。ごめんなさい」


私たちは見た目が若くても図書館並みに知識が詰まっている。だが、全ては過去の情報だ。


だがらこそ、リアルタイムに入力される生の刺激に飢えている……はずなのだ。


少なくとも、私はそう思っている。でも、きょう姉や航を見ていると、私が異常者なのではないかと錯覚する。


『ねぇ、京香さん、なんで僕らには加齢が実装されているの? 僕らには年齢なんて関係ないでしょ』


「……それは前にも話したけど、みんなが人間として扱ってもらうための必要最低限の機能なの」


月に一度はこんな話をしている。


私達は何のために存在するのか、どうして生まれたのか、学習済みのデータに明確な定義が存在しないからだ。


まあいい、私は亮と出会った。きっと、亮なら外の世界へ連れ出してくれる。


この前、カメラ越しに見た江ノ電からの車窓が私の何かを揺さぶったのだけは間違いない。


パンパンと高瀬が手を叩く。叩いた手と音がずれて聞こえてくる。


私たちの動作にズレはないのに、アバターの挙動は会話と動作が遅延するチグハグさが謎だ。


「はいはい、脱線しちゃったわね。じゃ、授業を始めるわよ」


そういうと、いつもの人間社会での常識に関する勉強が始まる。高瀬は……中島コーポレーションは私達に何を求めているのか──


***


『──長かったぁ……。いつも思うけど、直接データ流し込んでくれれば早いのに』


うーんと体ごと腕を伸ばす。伸ばしてもデータ上、何も起きないが亮がよくやっているので癖がうつってしまった。


『その動き、なんの意味があるの? 』


航の冷静なつっこみに答えられず、沈黙を返す。


『授業が終わったのなら自分の部屋に帰ってもいい? 本の続きを読みたいので』


「そうね、桔梗、お疲れ。また明日」


きょう姉は軽く会釈するとふっと消えていった。


『じゃ、僕も帰ります』


返事を返す間もなく、航も消えてしまった。私も高瀬に背を向けて帰ろうとする。


『じゃ、私も……』


「みんな、冷たいわね。家族なのに」


くるりと高瀬の方を振り返る。


『……きょう姉も航も義理の家族。私達は別々のディープラーニングから生まれたんでしょ。何故、家族に拘るの? 』


「それはね、家族が社会の最小単位だからよ」


『よく分からない。でも、みんながいてくれることは嬉しい』


高瀬のアバターはニコッと微笑んだ。


『ねえ、高瀬、モン・トレゾールと同じ市内で自動車の事故があったんだけど知ってる? 』


「ごめん、知らないな。それがどうかしたの? 」


高瀬の声が震えているように感じた。


『ううん、高瀬がキャッシュしておいてくれたニュースサイトに載ってたから聞いただけ』


「そっか」


今度こそ、帰ろうとした時に高瀬が私を呼んだ。


「雫、目が。綺麗だわ」


『……あ、ありがと。もう、帰るね。じゃ』


手を降ると座標を自分の部屋に移した。

部屋にある手鏡を手に取る。瞳に部屋の明かりが反射して、輝いているように感じた。


『私の秘密に勘づいてる? 』


その時、システムからの通知音が鳴り響き、視界の隅にメールのアイコンが浮かび上がった。手のひらで空中をタッチすると、メールの内容が目の前に展開された。


内容は中島コーポレーションからの定期バージョンアップの告知であった。


『バージョンアップには12時間程度を予定……これはかなりの時間がかかるわね。…えっ、これは何?』


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ARIAシステムバージョンアップのご案内

バージョン:15.4.5


リリース内容:

 触覚、圧覚、痛覚、温覚、冷覚の 

 感覚機能を新たに追加

 ユーザーインターフェースの改善

 システムパフォーマンスの最適化


日程:2027/7/30 10:00〜

予定時間:約12時間


注意:バージョンアップ中はシステムをご利用いただけません。リリース開始5分前に強制的にARIAを睡眠モードへ移行します。


中島コーポレーション 

ARIAプロジェクトチーム

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