第21話 「具現解放」
旗を挿し終えたブロンクラス。
スタート地点を目指して果ての城を出た道の途中。
「もどろう」
「……は?」
走る足を止めたのは先頭を進む少女だった。
「待ってくれ。まだ1人目覚めてな――」
「もどろう。キオラ」
キオラの前には振り返るミア=ツヴァイン。
白髪の少女の隣には目覚めたグレイオス=ヴァリアード。
グレイオスの肩に担いでいる眠ったままのラン=イーファン。
一行は疲労困憊といった様子だ。
「言っただろ。私情は捨ててくれないか」
「こーきが心配」
「知ってる。でも今はデスフラッグ、試験中だ」
「こーきが心配」
「うるさいッ!!僕だってそうだッッッ!!!」
キオラが怒鳴る。
同時にミアの胸ぐらを掴んで強く睨んだ。
鋭い緑の眼光が普段見せない怒りを露わにする。
「アンタが気にかけてる程に僕だって心配なんだッ!これだけ戻りそうな踵を何度も前に向ける度、僕が僕ではいられない気がするくらいにはなァ!!……分かるか、あそこには大切な僕の家族まで居るんだぞッッッ!」
「こーきが心配」
それでもミアは表情を変えずにキオラを見る。
「旗は刺した。1人でも戻ればクリア。グレイオスいる」
「――おいミア…………正気か下衆野郎。仲間1人残して、目覚めない仲間担いで帰れってのか?」
「仲間を信じてる、だから大丈夫」
ぐっとキオラの手の力が強まった。
ミアを持ち上げ、こめかみを震わせて迷宮の通路で叫ぶ。
「ならコウキたちを信じて僕らは帰るんだよッ!これ以上わがまま言ったら許さないッ!コウキもテイナも僕たちも、全部が、全部が無駄になるッ!信じて進めよ!!!」
「…………」
「…………」
「…………ぃ」
持ち上げられたまま少女が小さく呟いた。その声が霞んでいてキオラには届かない。
体は脱力し顔はどこか違う方を見て、肩が震えている。様子がおかしいとキオラが力を抜こうとしたが、それよりも前にミアがもう一度言った。
「今のこーき……信じれない」
「――、」
キオラの手から力が抜ける。
そのままミアが床に座って俯いた。魂が抜けた少女と、虚を突かれた少年が黙る。
ただ静寂が4人を包み込んだ。
「……仲間は信じてる……だから、任せて大丈夫」
「――、」
「こーきは信じれない、信じたい、一番……でもむり」
「――それは」
「キオラは信じているの、本当に?」
キオラは言葉を返す事ができない。
「あの目を見て、本当に?」
誰よりも心と魂を見たキオラは答えられない。
「こーきは、帰ってくるの?」
目の前が真っ白になってその場で立ち尽くす。
ノアールから消えそうな魂が一つ生まれて知覚する。
また頭が真っ白になる。
「ごめん。わたし、いく」
ミアが立ち上がってもキオラは動けない。
誰を優先して誰を助けるかなんて線引きできない。
「ごめん、みんな」
ミアが通り過ぎてもキオラは動けない。
人が人である以上、全ての人が救われる権利を持つ。
「…………」
ミアがいなくなってもキオラは動けない。
救える目の前の命を危険に晒してまで戻るのか。
キオラは分からなくなった。
大切な仲間と大切な家族と大切な学園。ある程度平和な世の中はただ守られているだけに過ぎない。こうやって外に出てしまえば平和などない。学園の目標を仲間と遂行するために家族を失う可能性。それでも信じているから大丈夫だなんてそんなのは理想論でしかない。
キオラが難しく考えたからこそ、人の感情が一番分からないグレイオスですら分かってしまう。
難しい話ならキオラは直ぐに解決できる。これはきっと単純な話だ。
「行け」
ただ一言、グレイオスが呟いた。
ハッとしたキオラが彼を見ると、表情のない顔色でキオラを見ていた。
いつもの彼の真顔がそこにはある。
「…………グレイオス……あん」
「行けッッッ!」
「――ッ!」
キオラは気がつくと走り出していた。
不器用に躓きながら、進むたびに失ったものを拾う様にして、徐々にその走りは体幹を戻していく。
どこまでもどこまでも。
ゆっくりいなくなっていく仲間をグレイオスが見る。
「……グレっちやさしーね」
「疑問。人の気持ちなど分かるはずもない」
見送った2人は迷宮をただ真っ直ぐに進んだ。
共感も心配も必要ない、なぜなら信じているからだ。
××××××××××××××××××××
コウキの瀕死を見て以降また同じ事が起きるのではと心が揺れている。
――油断した。
そう思った時、マリードは足元のストームに落ちる寸前だった。咄嗟に助けるため飛び出したネイに救われたが、それが影響してネイは神経毒の攻撃を受けた。マリードの足首も捻挫でその場はうまく動かない。
「――くそッ」
「ネイくんッ!」
「テイナちゃん、待て!」
慌てて解毒薬を飲むネイを守ってテイナが吹き飛ばされ、魔獣が追撃を行うのを阻止したロイも毒突きに落ちる。ドミノ倒しの様に崩れそうな状況を打破すべく、やっとマリードは相手の隙から反撃のチャンスを得た。
「貌ッッ!!」
貌の剣は自在剣だ。ロイへ次の一手を打とうとするニナ=デリオロスを絡め取り、そこにガミアが武炎帯剣を打ち込んだ。これによりロイの解毒薬も間に合うが、効くまでには時間を要する。
一瞬だ。
たった一瞬で2人だけになった。
それを機に、魔獣はマリードへ集中攻撃した。
「――ッ」
「ハゲッッッ!!」
鉤爪がマリードの顔を刻む。
尻尾に苦戦するガミアが大声で叫ぶ。
魔獣が楽しそうに嗤うのを見て憤りを感じた。
「腐れ外道共、お前たちに生きる価値な」
左目が潰れたことで距離感を失った。
その隙をニナ=デリオロスは逃さなかった。
振り下ろすマリードの右腕が魔獣により切り飛ばされる。
ぐるぐると宙を舞い、倒れているテイナたちの側に落ちた。
同時に朦朧としていたテイナの意識が戻った。
「…………テメー、今すぐ逃げろ」
マリードは意識が飛びそうになるのを堪える。
尾と戦うガミアが真剣な声で伝えてきたが、彼の真横を尻尾が狙った。
「集中しろと、言ったのは貴殿だろう……」
マリードが残った左手を伸ばし、闇魔法の玉でガミアを狙う尻尾を弾いた。
それに不快感を感じた魔獣が腕を振る。
「――ま」
驚くガミアと目が合う。
優しく微笑んで直ぐマリードの腹に鉤爪が貫通した。
テイナが動けないまま咄嗟に叫んだ。
「マリード君ッッッッッ!!!!!!」
魔獣が嗤う。遠くに居たコウキに声が届いた。
「――テイナ?」
「…………」
「……そんな」
側で交戦中のライラとシュウメイはいち早く気付いた。同時にコウキが何をするのかまで判断し、全ての感情を抑えて戦闘により集中した。
「――ぁ」
こうして少年は理解した。
「2人……とも、悪い」
その表情は何かを抑えている。
「いってらっしゃい」
ライラの返事と共に、コウキが地を蹴った。
コウキの視界には倒れるテイナ、ネイ、ロイの姿がある。それを見てこみ上げてくる怒りが憎悪に変わるも途端に冷静になった。
これ以上の感情の暴発が何を示すかくらい、コウキにも分かっていたからだ。
――絶対に殺す。
視線の先の魔獣はコウキが飛ばされた地点よりもっと奥の方まで移動していた。ここからでは距離がある。
「クソ、遠く移動しすぎだ」
魔獣は貫くマリードをガミアに投げ飛ばした。
倒れるガミアに目も合わせず、テイナたちの方向へとデリオロスは歩いていく。
戦闘で疲弊したコウキはそこに間に合わない。
だが、テイナたちの前に現れる1人の男がいた。
「――キオラ」
先には満身創痍で妹たちを庇おうとするキオラの姿。
そして、コウキの前には歩みを止める1人の少女。
「――っ!」
「……はぁ、はぁ」
少年の前で息を切らす泥だらけのミア=ツヴァイン。
進行を止められたコウキは、何を言っていいのか分からずに無言だった。
するとミアが話し始めた。
「こーき、生きて」
「生きてるよ」
「こーき、死なないで」
「死なないよ」
「わたしに、あなたを信じさせて」
「――、」
「神じゃなく、わたしに誓って。帰ってくるって」
「…………」
大きな瞳がコウキを捉える。
真っ直ぐな台詞に返す事ができない。
そもそもコウキは彼女に嘘をつけない。今は生きてる、今は死なない。最初は言葉の綾で返せたというのに、それを汲み取ったミアの言い回しを否定も肯定もできず声が出ない。
「――ごめん」
暫く考えて出た回答がこれかと、コウキも自分を情けなく思った。
少女の揺れる瞳に映った自分が大きく歪んでいる。
「誰も死なせたくない……ミア。ライラたちを頼む」
「こーき」
ミアはコウキを見捨てない。だが、もうそれ以上言葉を交わすことはできない。死なせたくない事が本心だと把握できて仲間を頼まれたからだ。
今ミアにできる事はこれだけしかないのだ。
少年に寄り添う道では無く、より多くの仲間を救う選択。
――もっとわたしが側にいたら、変えられたかもしれない。でもわたしができること、今はこれだけ。
コウキはミアの前を通り過ぎた。
こうなることは少女にも分かっていた。それでも過ぎ去った後のミアの表情は酷く歪んでいた。
「…………」
少年は走り出す。
満身創痍の友人が守る、仲間たちを救いに。
疾走の中で精霊剣ナイアルラを顕現して構える。
この黒より黒い刀と向き合う事はほとんどなかった。
ただ、勝ち続けるよりも負けない勝利に拘る道徳観。
希望しかない世界より絶望の中でも生き抜く価値観。
大切な友を守るために、矮小な自身をも断つ倫理観。
全てに精霊剣が強く応じた。
共通した視座はコウキと刀の繋がりを与え答えを出す。
――これが一つの到達点。
「絶対に、殺す」
又の名を、衣鉢の相承。
「具現解放」
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