第13話 「ねぇ、キスして」



 鋭利な剣で切断された二つの頭。

 魔獣から夥しい程の血飛沫が舞う。


「――、」


 ライラは身体を真っ赤に染めながらこの血も赤いのかと軽蔑した。


 側にいるコウキは座ったまま2人は返り血で血塗れになっている。

 何も気にせずライラはポツンとコウキの前へ行くとしゃがんで目線を合わせる。首を傾げると毛先から赤い雫が滴った。


「立てる?」


 真っ赤な血塗れのライラが、赤黒い血染めのコウキに語りかける。


 その時だった。


「――ぇ」


 コウキがライラに飛びついて抱きしめた。

 反動で2人は後ろに倒れ、少年がのしかかる様な体勢になる。


 男性の体重、人の鼓動と温もりがライラに伝わった。


「ちょ、まって――コウキ!?」

「――、」

「…………コウキ?」


 何事かと焦るも、ただ無言で抱きしめるコウキ。

 これが邪な気持ちではないと感じてライラは徐々に心配が勝った。


「……どうしたの」

「ライラ」

「そうだよ」


 真っ赤に濡れた2人は耳元で会話する。

 何を思ったのか、抱かれたライラもコウキの背に手を回した。

 コウキの広い背中が臆病に跳ねるのを感じて当たり前だが人だと安心する。


 同時に尊さと切なさが押し寄せたのは、全てが繋がって心が通じ合っている気がしたからだ。

 感じる程に幸せに、繋がる程に辛くなった。


「……俺は、死ぬ事にした」

「――っ!」


 コウキは耳元で優しく呟いた。

 いつもの声に戻った安心と、内容による不安でライラの心が砕けそうになる。


「震えてるのに?」

「弱いんだ。仕方ないだろ」

「だからこんなことするの?」

「それは違う」


 赤黒い2人は裸でも何でもなく、やや粘性のある血で繋がっている。

 魔獣を通して繋がるコウキの身体が皮肉だとライラは感じていた。


「じゃあ何。さっきから囁いて。お年頃?」

「流石に初めてだよ。身体が動いたんだ」

「そう。何でだと思う?」

「……離したくないんじゃないかな、あと」

「あと」

「…………独りになる思うと怖い」


 コウキの震えた声に、ライラが様々な感情を寄せた。今日の記憶がフラッシュバックして、そしてもう一度コウキ自身の抱えきれず溢れる感情に、少しでも自分の器で受け留めたいと思った。


 ――きっとそれでも、貴方は変わらないだろうけど。


 ライラが腕を強く握り返す。

 コウキの黒髪からポタポタと垂れる返り血が、耳元で煩く反響していた。


 この瞬間が続けば、彼を殺さずに済むだろうか。

 そう思った時には言葉が先に出ていた。


「ねぇ」

「なんだ」

「キスして」

「――、」


 コウキは臆病者だ。

 自分から仕掛けたくせに肩が跳ねて震えている。きっといろいろな事を考えてる。例えば……。


「何でだ?」

「この瞬間を止めたくなったの」

「分からない」

「分かってるはず。逃げてるだけ」


 コウキはライラを抱いたまま黙り込んだ。

 ライラも言うだけ言ったので、それ以上手助けは無い……はずだったが、あまりにも不憫なので助けてあげる事にした。


「誰かを想うのなら、辞めればいい」

「……見透かされてるな」

「本当に死ぬ覚悟があるのか位にはね」


 真顔で言うと、間を置いてコウキが話し出す。


「これはライラのお願いか?」

「ちょっと?そうだけど責任は互いにあ」

「責任は持つ。だから俺のお願いも聞いて欲しいだけ」

「なに?」


 コウキはぐっと強く彼女を抱き寄せた。


「お願いはライラの方が終わってからするよ」

「不公平よ」

「嫌ならしない」

「ズルいわ」


 コウキの声が耳元で心地よく動く。

 あと一日はこのままで居たいなんて淡い期待を抱く。有限の時間が惜しくなっていた。


「約束しないか」

「今日のことは誰にも言わない、でしょ?」

「正解だ」

「それがテイナへの口留と思わせながら、さっきのことをロイに漏らさない様にしている事まで見えてるわ。これを許可したら、貴方が死ぬ意思すら周りに言えない事も」


 ここまでバレバレの演技よ、と言った。

 図星だったのかコウキは「ごもっともだ」と伝えてきて、もう一度最初からお願いを言う様にも伝えてきた。


 全てにおいてズルい男だと思った。

 これを認めれば、きっとコウキは誰にも知られずに目的を全うしてしまう。


 ――だけどもう一つだけ、貴方を救う手段がある。


 ライラは強く確信している。そうすればコウキの計画を邪魔できる。

 だから、この要求は了承して構わなかった。


「いいわ」

「ありがとう」


 コウキは床に倒れるライラから体を少し離して向かい合った。

 いよいよ押し倒した後の体制になる。


 栗の眼と黒の瞳が交差し向かい合うと、コウキの髪から血が垂れる。それがどこか妖艶な空気を纏う事実にライラの瞳が揺れる。落ちる血を気にも留めず、ただ目と目で見つめ合った。


 もう一度。

 この地獄の様に美しい瞬間を留めて。


「キスして」


 目を閉じる。


 遠くでコウキの顔が蹲った。


「――、」

「――、」


 長い長い時間は、不本意な結果に終わる。


「ズルいわ」

「何処とは言われてない」

「ズルいわ」


 コウキはライラの額にキスをして、上から優しく髪を撫でた。血で濡れた髪と薄飴色のコントラストが幻想的だと感じていた。


「次は、俺のお願いだ」

「……おでこが腑に落ちないけど、なに」


 コウキがもう一度目を合わせて深呼吸した。


 ――ライラの考えていることは、何故かよくわかる。そう思って美しい顔を見る。

 だからこそ、絶対のお願いがあった。

 今後の自分の彼岸の為に。


 そして、ライラの思惑が失敗に終わる。


「……死ぬ時に、俺をとめないでくれ」

「それはっ――んっ!?」


 同時に、願いの方は成就した。


「――、」

「――っ!?」


 ――唇と唇が触れ合う感触が続いた。

 この日初めて知った2人は離すタイミングを知らない。


 大切な瞬間を奪いながらバタバタと暴れるライラの手を繋ぎ上に拘束する。

 徐々に互いの瞳は閉じて、いよいよライラもただ受け入れた。


「「…………………………」」


 体感以上に長く、何度も続いた。

 この一瞬を切り取る様にいつまでも繰り返す。

 2人は魔獣の血だけではなく本当の意味で繋がっていく。


 きっとこの満たされながら失う感覚は言語化できない。

 形にすることも追うことも助けることも拒絶された。


 ――どうか彼の心が救われます様に。


 だから少女はただ累ね祈るしかなかった。



××××××××××××××××××××



「ズルいわ」

「何がだよ、流石に天寿は全うしたくらいの気持ちだ」

「ズルいわ」


 コウキが床に座っている。

 その中には小さく埋まる華奢な体があった。ライラがずっと下から睨んでいる。


「また塞ぐぞ」

「流石にセクハラ」

「いやすごいよね、キスで10分ぐ――ァしぬ!?」

「死に行く泣き虫にしては偉そうだわ」


 強烈な肘を喰らって先に死ぬところだった少年。不愉快そうな顔で収まる少女。

 彼らは真っ赤だった血を水魔法と風魔法で洗い流し、仲良く乾かし終えたところだ。


 最後にコウキが後ろから抱きしめると、借りてきた猫の様にライラは黙った。

 花の香りを身体に刻みつける少年に、終わりの予感を切なく想う少女の図だった。


「ライラ、ありがとう」

「……ありがとう」

「もう名前で呼んでくれないのか?」

「――っ!? ちょっと何なの!!」


 顔を真っ赤にして振り返るライラにコウキがはにかんだ。少し高鳴る胸を抑える。

 だがすぐにその目を見てどうしても変えられない事実を確信してしまう。


「――本当に、死ぬ気なの」

「うん、覚悟はできてる」


 今のコウキの瞳を例えるなら、光がありすぎる様な目だ。

 この場合、落ちた時のコウキよりも判断を変えにくい。おそらく彼の中では完結してしまっている。


「唇を奪っておいて?」

「約束だぞライラ、言いたくても言っちゃ駄目」

「でも……」

「でもじゃないよ。長いことしたのは悪かったよ」

「そう言う事じゃない!!」


 やはり顔を赤く染めながらライラが慌てる。

 仲良くなるとこう言うキャラだったのか、もっと早く知りたかったな。なんて事を思いながらコウキは笑顔だった。


「約束は守るし、お願いは聞くつもり。ただ、私も私なりに攻略はしなきゃいけないわ」

「それはその通りだよ。俺も基本は勝つつもりだ。きっとその過程に何かがあるから、その時は邪魔しないでくれればいい」


 クリークの事だ。

 おそらく確実な一手を残しているとコウキなりに確信があった。


 今思い返せば、クリークは傲慢な態度をとっている様に見えて手際も良く誘導も完璧なタイプだと言える。

 コウキたちはストーム落下というイレギュラーが無ければ、手のひらで踊らされていた事にすら気付かない。

 きっと想像し難い斜めの角度で殺しにかかるだろう。


「私以外が阻止するかもしれない」

「その時は別にいい。俺とライラだけの約束だから」

「……内容が不穏じゃ無ければ悪い気はしないわ」

「ビミョーに……デレモード?」


 強めに殴られた所でコウキは立ち上がった。

 名残惜しそうにしたライラも、頭を振って切り替え立ち上がる。


「この先が地上に繋がってる」

「ええ。ポーションは飲んだ?」

「飲んだ、だけどそれだけじゃ足りないから……これも飲む」


 コウキがポーチから小さな丸い玉を取り出した。緑と赤で練り込まれた薬草のペーストの様な物だった。


「……なに」

「兵糧丸だ」

「ひょうろ?」


 疑問を浮かべるライラの前で、腹を括ったコウキがそれを口に運んだ。

 栗の瞳がそれを見届けて、コウキが説明をする。


「にぶいちで死ぬらし」

「吐け今すぐ吐きなさい!!!」


 コウキの口の中に細い指が入る。

 もう珍しさも減ったが、感情的な必死の形相でライラがかき混ぜた。

 しばらくモゴモゴしていると、出てこない事よりもヒトの口の粘膜の感触に冷静になったライラが手を離す。


「舐めちゃ駄目だぞ」

「舐めないわよ!!!」


 びたびたの手で顔を叩かれて唾液まみれになる2人。

 俯瞰で感じるタイミングが同じなのか、同時に笑っていた。


「死ぬは言い過ぎたけど、逆効果になる可能性があるんだ」

「そうね。コウキは流石に死ぬリスクを負わないわ」


 理解はあったのになぜ吐かせようとしたのかは不明だ。


「その兵糧丸、の効果はどれくらい」

「これは忍者?が使ってた薬みたいで、疲労の完全回復と身体強化を得るらしい」

「……リスクの大きそうな薬だわ」

「そうだね。アルコールと同じで、適合しない人は三日三晩動けないらしい。試す余裕が無くて……本当にやばい時に飲もうと思ってね」


 それで身体はどう、とライラが聞いた。

 コウキ自身の調べでは不適合はすぐに身体に斑点が出来るそうなので適合はしている筈だった。


「大丈夫そうだ。でも効果の方は1時間をかけて徐々にだからまだ分からない。あと、嘘ついちゃったけど適合確率は2%だ。キセキ」

「……真実を言われても私は従うから、もう嘘はつかないでくれる?」


 あれ、とコウキが思った。

 想像とは違う反応に少し違和感を覚えながらライラを見る。別に変わった所はない。


「……優しくなった?」

「いいえ。……止めても無駄だと折れたわ」

「なんかごめんなさい」

「謝罪はいらない。悲しくなるだけ」


 その時ライラはコウキと目を合わせなかった。彼女なりの気持ちがあるのだろうと、謝罪の代わりにお礼を言っておく。


「ありがとう」

「……一応伝えたし変わらないけど、もう一度言うわ」

「え、なんだ?」

「貴方の心が動いた時の話」

「心?」


 ライラはとぼけるコウキに変わらぬ臆病さを見出す。これこそが彼らしさでもあるのだろうが、時にはむず痒くなるものだ。


「コウキ……全てが敵になっても、私がいるわ」

「――っ、……あぁ、覚えてるよしっかり」


「貴方が突然どうしても生きたくなって、そのせいで世界から追われて全てに見放されても、私たちは貴方の味方。味方が全員消えても私は味方。神に誓う。だから――」

「うん。ありがとう」


 満遍の笑みで笑う少年の目を見てしまった。

 見ない様にしていた、ブレない瞳の奥底を。


 ――貴方の心はもう戻らない。


 ――ごめんなさい。


 謝罪が必要だったのは私だと、自責の念に苛まれた。

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