第12話 「独白、絶望、崩壊」



 ――アオイコウキの無意味な独白。


 俺には入学以前の記憶がない。

 だから自分が本来どんな人間かを知り得ない。


 そして何より弱かった。

 否定せず認めてしまうほど心も体も弱かった。


 だから人よりも努力した?

 いや違う。一部の人は俺にそう言ってくれる。

 けどそんなに芯のある理由を持ち合わせていない。


 怖いんだ。何も無い自分自身が。


 ペンで書いたり紙をめくったり音を聞いたり匂いを嗅いだり知識を蓄えたり走ったり剣を磨いたり仲間と話したり辛い思いをしたり痛みを知ったり憧れを抱いたり大きく笑ったり触れて確かめたり。


 そうする事で何かを探しているんだ。

 もしかしたら見つかるかもしれない無くした自分を。


 だから俺は、弱い。

 強くあろうともせず、ただ負けないように、果てないように。

 小さな灯りを守るようにして生きてる矮小な人間だ。


 本当に俺は、小さい。

 与えられた権利や義務を全うする事でしか自分を探せない。

 探してるくせに両親に会う事すら怖くて出来やしない臆病者だ。


 何より鏡で自分の顔を見るのが嫌だった。

 だから人を見る事で関節的に自分を確かめた。

 周りに良い人がいる事は、俺自身の肯定にもなった。


 何度も自分と向き合っても返事が無い。

 だからきっと他人を想う。


 何も無い俺に少しでも意味をくれた仲間を、自分なんかよりずっとずっと尊く感じている。

 2ヶ月ごときの人生しか頭にない俺よりずっとだ。


 この身を削ってでも彼らを大切にしたいと思っている。


 彼らと必ず勝ちたいと願った理由。

 それは大切な仲間の中に何も無い自分の気持ちを足す事で、少しでも尊い仲間に近付ける気がしたからだ。

 自分を好きになろうとしたんだ。


 ――だけど。

 

 全てが限界だった。

 最初から心が折れていたんじゃないかと錯覚する。

 それほどに、迷宮の圧に消えてしまいそうな今がある。


 最初のデロギガスから始まった。あれは死ぬと思った。

 デリオロスとの対峙した時は現実味が無く冷静だった。

 ゴブリンの群れを見た時仲間が心配で壊れそうだった。

 頻繁に遭遇する魔獣を何度も倒して無理をする自分達。

 大結晶スタンピードの時点でもう体が可笑しかった。

 目覚めないテイナ、嗤う声、ストームによる落下。

 守るライラ。何度も何度も異常に固執してくる魔犬。


 歩いても歩いても変わらない道。


 1時間でも発狂しそうな程先頭を歩くのは辛かった。

 だと言うのに、まともな休憩も無しに戦い続けた。


 守り抜くため歩いた10時間。


 俺の身体……いや心そのもの。

 それを支えるのはもう自分じゃなく仲間だけだった。


 涼しい顔をしたり時には感情を見せるライラ。

 文句を言いながらも前を向いて進むロイ。

 誰よりも先んじて人のために動くテイナ。

 人の心と向き合って仲を取り持つネイ。

 それらをまとめ上げて時には叱れるマリード。


 彼らの顔だけで歩いてきた。

 今の俺には、自分自身と向き合う余裕はない。


 怠くて辛くて焦って怖くて哀くて痛くて重くて。

 全部嫌になって吐きそうで心の中で救いを求めた。

 無理に笑いすぎて表情筋が吊ってしまいそうだ。


 それでも仲間が居ればいいと思った。

 否、そうする事で少しくらい自分を褒めたかった。

 

 下らない、矮小な人間だ。



××××××××××××××××××××



「全部……お前だな」


 コウキは会話の端でクリークの異常さを感じ取っていた。

 彼は何かゲームをするかのように、引っ掛かるワードチョイスで会話してくる。


 だがその言葉の裏には確実に逃げ道が存在した。

 否定されればそれまでの状況をキープしていた。

 刺激を求めるかのようなギリギリのやり取りで煽られていた。


 だからこそ、会話を続ける事でどこまで知っているのかを探った。怪我を示唆したり、間を作ったり、一言多い言葉で分析した。


 より加えるならきっとアイテムもそうだ。

 コウキが真偽を確かめられると理解して面白がって渡してきている。ライラの事も知っているのであれば、薬草学の知識や今の状況、全てをクリークは知っている。


 知った上で更に煽るような言葉が飛んでくる。


「なァ…………どうだった?」

「――っ!」


 コウキの怒りを留めたのは俯くライラだった。


 肩を組んだ腕が強くコウキを固定する。

 絶対に行くな、そう言われた気がした。


 しかしコウキを止めたのは、ライラの腕が震えていたからだ。前髪で隠れた栗色の瞳が殺意で充血している。


「大変だったろォ?なあなあ、ど〜んな気持ちだ!?」

「…………下衆野郎」


「パレードも!度重なる魔獣も!デリオロスも!ゴブリンも!大結晶も!ストームも!…………全部オレだぜ……?バカ!?あはははははははははッッッ!!」

「――ッ!!!」


 狂ったように話すクリーク=バラモア。

 愉快に両手を上げて天高く嗤う。

 その表情はゴブリンよりも醜悪で、コウキの握り拳からは血が滲む。


「痛そ〜だったなァ?頭カチ割れの女ァ!?ネチネチ友達ごっこに興じてよォ……無策でバカみてェにキレてる魔剣の女も下らねェ!!笑顔作るくらいしか出来ね〜弱者も仕様もねェ!!その状況が今!?この滑稽な構図を作り出してるとは……情けねェ!!!」

「………………お前ぇ、もう喋んな」


 コウキは心の何かが壊れてしまいそうだった。

 道中で幾つ死線があったか等数えられない。

 コイツをやらなければ心が報われない気がした。


 だから剣を呼ぶために右手を出そうとした。

 

「――、」

「駄目」


 握りすぎた血でべったり濡れた手を抑えて止めたのはライラだった。

 先にいる男の笑い声が響く度、湧き上がる殺意が止まらなかった。


「ライラ、アイツは許しておけない」

「今の貴方では勝てない」


 震えて止まらない腕をライラの手が止める。

 動き出しそうな体をライラの腕が止める。


「こんなの勝ち負けじゃねぇだ――」

「――コウキ」


 何よりも言葉がコウキを止めた。

 場違いにも初めて呼んだ名前がコウキを落ち着かせる。


「――、」

「……」


 俯いたライラがコウキを見て2人の視線が交差する。


「……ライラ?」


 少女は消えそうなほど無気力だった。

 瞳から一筋の水が垂れてコウキの腕に落ちる。

 直ぐに滲んでいく様と今のライラが重なる。


 ライラは怒りを通り越してしまっていた。


 全ての憎悪や憤怒を通り越した先にはただ“失いたくない”という願いだけが残ってしまっていた。

 それを叶える術はない。


 この状況で2人が出来る事は一つだけだと。

 コウキも涙を見て心のどこかで自覚した。


「――行かないで」


 仲間の震える声を聞きコウキの怒りは過去最大となる。

 しかし、それを抑える理性も同じだった。


「……ごめん。行かない」


 コウキは力む身体を解く。

 嗤うクリークに勝つ術はおそらく、皆無だ。彼は傷一つない上にこの迷宮にストレスもない。何よりも過去の悲劇を繰り返せる何らかの能力がある。

 今の2人では向かっても命を落とすだけだ。


 人は多くの命の上に立つ。

 立つ人間ができる事……それは生きて生かす事だ。


 学んだばかりなのにまた怒りに任せて繰り返そうとした自分を心で叱責した。

 今の戦闘は無意味だ。


「――っははははッッッ!?あ〜おもしれェ顔……どうだ?冷静にでもなれたか?オイッ!!」

「あぁ……お陰様でな」

「そ〜かよ」


 笑みは消え退屈そうにクリークが呟く。

 何かに飽きたのか、背中を向けて帰ろうとする。


 その姿にコウキが強い疑問を抱いた。


「――何も無しか?」

「あァ?……オマエ、もしかして何も気付いてねェのか?」


 マリードのその言葉は煽りではなく本心の様に見えた。心から興味深そうに横目でコウキを見てまた裂けた笑みを浮かべる。


「おもしれェな、そりャ」

「……何が言いたいんだよ」

「情報も集めらんね〜くらい間抜けだからよォ」

「話にならないな。情報?この試験でかよ」


 迷宮の中、コウキが問いかける。


「さっきと違って“あえて”話に乗るような事はしね〜よォ、引き出したいならもっと知恵絞れや無能」

「――ッ!」


 しかし、片目だけで振り返る三白眼は見透かした様に切り捨てる。そこにコウキの詰めの甘さが露呈して返す言葉がなくなった。


 ――だがこの男は、遊戯を楽しむタイプだった。


「いや……おもしれェかもな。踏まえて教えてやる」

「……?」

「オレは雇われただけで学生じャねェ。つまり故意の殺意もねェからこの場を去る。これで意味わかるか?」

「……分からない」

「あァ?オマエ筋金入りの馬鹿かそれとも疲れてんのか?」


 既に思考の限界もあるが、コウキには何一つ結びつかなかった。だが隣にいたライラが徐々に震え始める。

 何かに気付く程度の様子ではない。


 その疑問は直ぐにクリークが答えを出す。


「雇われて王族直下の学生に紛れ込む方法は?あえて正攻法に近い形でオマエを追い込んでる理由は?直ぐに殺せるのにそうしなかったのは?オレがオマエに殺意がないなら誰がオマエを陥れる?……オマエの敵は、誰だ?」


 沈黙が過ぎる。


 誰も話さないのに「ぴんぽ〜ん」とクリークが言う。


 盛大な拍手と嗤い声が響いた。

 無反応のコウキに飽きたのか、嗤うのをやめて話す。


「大正解。オマエの敵は王族。――国そのものだ」


「――――、」


 全てが、本当に全てが真っ白になった。

 意味を理解するのに戸惑って、言語が頭の中でばらけてしまった。手繰り寄せて離れる意識を戻す。


 少しずつ少しずつ、現に戻る。


「――、」


 戻ったコウキは自分が膝を落としていると気付く。

 ライラが心配そうに屈んで体を支え、両手が地面に落ちない様にしてくれていた。


「部外者が紛れるなんて学長でも学園でも五大貴族でもできねェんだよ。この学園の実権は全て王族にあんだ。わかると思うがオレは魔獣遣い、王族の命でいる訳だァ」

「…………」


 喉を切られたかの様に言葉が出なかった。

 言葉の意味が徐々に理解できても、行動の意味が分からない。


「その際の命令はこ〜だ。アオイコウキを全国放送されている中で“違和感なく排除しろ”だとよォ?やりすぎねェギリギリの調整がしんどかったがオマエらが落ちるとは思わなくてなァ?」

「…………」


 楽しそうに話すクリークにも感情が湧かなかった。

 自分が何をしたのか、どうして自分なのかを考えた。


「映像イプリムがいない所で死なねェように、上階へ上がる時点では死にかけるよォに、今削らせてもらった訳だァ。お望みどォり、この先は目的地に着くぜ。その前に1匹でけェのがいんだがな」

「…………どうして」


 ここで漸くコウキは言葉を発した。

 違う意味で震える手と泳ぐ目を、ただ辛そうにライラが見ていた。


「あァ?オマエが狙われる意味の話かァ?雇われだから知らねェよ、どうせ死に逝く人間になんて興味もねェしな」

「なら何で、今俺に話すんだ」


 コウキが言うとクリークは当然かの様に振る舞った。


「……は?面白ェからに決まってんだろ」


 答えは『娯楽』でしかなかった。


「オマエはどうせ死ぬ。確定だァ。全て手は打ってある」

「でもここにはライラもいる。こんな話を聞く対象外の人間が居るなんてマズいと思わないのか」


 コウキは途切れそうな頭をフル活用して会話した。


「そ〜だな。だが生きて帰れても信じる奴ァいね〜だろ。それにオレは“アオイコウキに関わる仲間の生死は問わない”とも言われてんなァ」

「――ッ!」


 それが本当ならどこまでも下衆な王族の手口だ。

 そしてコウキは初めて今日、涙が出そうになった。


 ――ぐっと押し殺すが脳から消えない光景がある。


 自分の死よりも、絶望よりも、哀しみよりも。

 ただ純粋な笑顔をみせる親友の姿に胸が苦しい。


『でもボクは誓ったんだ。数万人の中で生き残った命だ。最後まで守ってくれた家族のために、満身創痍の自分を拾ってくれた王の騎士になる。この身尽きるまで生きて国に貢献するってね』


 ――駄目だ、深く考えてはいけない。

 

 真っ直ぐに国を信じて努力するロイにだけは。

 今後コウキの態度から事実を悟られてはならない。


『天上についても、記憶が無いことや家族が殺されたこともそうだけど、意味なんて何だって良いんだよきっと』


「――――、」


 ――どんな拷問を受けてもいい。


 だからロイの信じる道を閉ざさないでくれ。

 最初の友達だ。この命で全部を嘘にしてくれ。


『今笑えてこれからも笑う、生きて国に恩返しする事がボクの目標だ』


 ――世界は醜い。


 14歳の心はもう限界だった。


「――ぅっ…………だめだぁ……っ!」

「――ッ!? コウキ?」


 コウキは人生で初めて哀しさの涙を流す。


 家族だと思ってしまった友の信じる道がこんなにも腐っているなんて、それが自分の命で償うなんて、でも自分の命で償えると“安心”しているなんて。


 ただ哀しかった。


「おいおい、見苦し〜ぞ流石によォ?命惜しくて泣いてんのかよみっともねェ」

「――加害者のお前に何がわかるッ!!」


 ライラは泣きじゃくるコウキを抱きしめて怒号を浴びせる。


 コウキの涙は彼女自身も突然の事で困惑した様子だった。

 こんなことで壊れてしまうほど限界だったのだろうか。

 一部の原因は、何となく理解していた。会議の時点である程度ロイの事情を知っていたからだ。


 ノアールは彼に背負わせすぎたのか。


「――多分、ロイの事を考えているんだね」

「うっ……ぐっ……ぅぁぁ……………」


 ライラが正面からコウキを抱いて撫でているのは少なからず彼のプライドを守るため、そしてこれ以上醜悪な世界を見せないためだ。


「――きもちわりィな。シラけたぜ。まぁ精々、派手に死ね」

「……貴方はどこへ行くの」

「地下だ。魔獣を調教しにいく。もう仕事は終わったんでなァ。しばらくは楽しめそォだ」


 それだけ言うとクリークは去るために歩き始める。

 だが、気怠そうに歩くその足が一瞬止まったのをライラは耳で感じ取っていた。


「一つ言っておく」

「なに」

「今バラしたのはオレの気まぐれだァ。此処は人目に付かない。王族はオレも殺したいほど嫌いなんでね」

「それは……私たちを殺さないと言う事?」

「やるべき事はやった、その男だけは死ぬ様になってる。それだけだ」


 クリーク=バラモアは去っていく。

 ただ嘆くコウキの声が長く長く響いた。



××××××××××××××××××××



 ――暫くして向かってくる1匹の巨大な魔獣。


「コウキ、貴方は強いよ、大丈夫」

「……ライラ。ロイが……言ってたんだ……」


 正面からコウキを抱きしめ胸に収めるライラが、泣いた後のコウキの頭を撫でる。

 コウキは恥ずかしげもなくそれを受け入れた。


 できるだけ優しく撫でる度にライラが思う。


 ――こんな地獄でこの手が何回、彼を救えるのか。


 ――あと何回争えば命を落とさずに戻れるのか。


「ロイはお国に、王に感謝して、命を捧げるって」

「うん。そうだね」


「記憶が無い俺は、ロイが初めての家族なんだ」

「そうだね。2人を見てるのは好きだよ」


 一回、二回、撫でる度にコウキの存在が遠くなる。


「信じる先が俺の死だって、そんな事知ったら……っ」

「言わなくていい。考えなくていいよ」


「ロイが知ったら、全部壊れちゃうんだ……」

「大丈夫、大丈夫だから」


 また鼻声になるコウキを落ち着かせる。


「……争うったって、国に勝てる訳ない」

「争わなくていいよ。生きればいいよ」


「きっと逃げても……また狙われるかな」

「私たちがちゃんと守るよ」


 ライラは撫でながら徐々に嫌な可能性を考える。


「でも――、安心してるんだ」

「……コウキ?」


 撫でる手を止めた。

 最悪の可能性が頭の中で広がっていく。




「――俺の命だけで平和になるよね?」




 顔を上げたコウキの目には、既に光はなかった。


「――、」


 ライラはもう一度強くコウキを抱きしめる。

 だが、深淵を覗く栗の瞳が全てを悟ってしまった。


 ――無数の努力で無理した体。10時間以上休まず歩いてやっと到達した目的地の代償。閉鎖空間で度重なるストレス負荷。仲間の負傷。争い続けた傷。極度の疲労。守り続け無理して暗示した心。信じてきた国の陰謀に伴う親友への強い想い。その対価として求められ意を決した14歳の小さな命。


 ――ごめんなさい。


 ――貴方の心はもう戻らない。


「コウキ……全てが敵になっても、私がいるから」


 虚には何も響かない。


「届かなくていい。覚えていてくれれば、それで」


 響かずとも自分が聴いたと立ち上がる。


「今まで守ってくれて、ありがとう」


 これから先の戦いには、きっと意味がない。

 何故ならコウキの覚悟はここで決まったからだ。


「――ルシフェル」


 ライラは目の前に現れた巨大な魔犬を睨む。

 頭が二つの魔獣、オルトロスへ向ける美しい刃。


「ぶっ殺す」


 完全回復を遂げたライラが中級魔獣を駆逐する。

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