第11話 「削れていく精神」
――
地下2階層 “水湿園通路”
湿度のある澱んだ大気。
薄暗い光に照らされる茶色の道。
床には所々苔や水溜りがあり、長く続く通路の壁は所々に小さな風穴が開いている。
現在。迷宮攻略班すらも未到の地であるデリオロスゲートの2階層で、アオイコウキは身体に張り付いた魔獣の置き土産を振り払っていた。
一通り治癒魔法で傷を塞ぎ、特殊な制服は復元魔法で元に戻す。
しかし黒髪や顔は泥で汚れ、黒い瞳は左瞼がやや下がったままだ。
これは治癒魔法では回復しきらない疲労と強度のストレスが原因だった。
「――ぁ、くそっ……本当に、何なんだこの尻尾」
「背中は私が取る」
キルウォロスの尻尾を取ってくれたのは薄飴色の頭をふんわりのボブにしたライラ=ナルディアだ。栗色の美しい瞳、高く小さい鼻、薄い唇。スレンダーな容姿は人形のような出立ちだが、今は疲れの色を示していた。
2人は降りたった迷宮の地点から10キロ以上歩いていた。
その最中で何度も何度も魔獣に襲われている。
ライラはサタン化の弊害で精霊剣と回復ができない上に、疲労と倦怠感に襲われている。
6時間この状態が続くそうで、最低でもまだ3時間は元に戻らない。
「――ぁるけるか、ライラ」
「……少なくとも貴方よりは」
「何いってんだ。俺は元気だよ」
にっこりと笑うコウキをライラの冷たい視線が見つめる。
今の彼女は人の表面を見ていない。
現在はスタートから7時間も先頭を歩き、ハードな戦いを乗り越えまた過酷な迷宮を進んでいる。長い休みは挟んでいなく、閉鎖的で死と隣り合わせの空間がコウキの体力と気力をごっそり削っている。
コウキの痩せ我慢は限界を超えていた。
身体の節々に影響が出ている。震えが止まらない関節、力の入らない瞼の筋肉、一定を保たない脈拍や冷や汗、口の渇き。変わらず視界は時折ブレており、指先の感覚が無いことから爪が割れていることに気付いていない。
「どうして無理して笑うの」
「無理はしてないぞ」
「そう」
それでもコウキは明るい顔をやめなかった。
表情の少ないライラと共にいて今自分が暗くなったらいよいよ心が悪い事を考えすぎて廃人にでもなるだろう。
確かに心配させたくなくて笑った。
それは自分にも言い聞かせているような笑みだとコウキは確信している。
「行こう」
そして2人はまた歩き出す。
歩行の速度を落とさないようにはしているものの、2人とも満身創痍と言っていい。彼らなりのペースでの進行だった。
「この階層はあまり入り組んでない。1階よりも目的地につきやすいはずだ」
「ええ」
「それに皆の事も心配だな。マリードたちなら大丈夫だろうけどな」
「そう」
「あと2階の魔獣も、戦えなくはない。頻度があまりに多いから大変だが」
「ええ」
――自身の不安を否定したいのね、とライラが思う。
疲労の分だけコウキの言葉が増えている。きっと絶望的な状況に精神を持っていかれないための暗示だ。
だからライラは、彼が何を言っても今は受け入れてあげようと考えた。
その上で心の中では状況を整理した。
まず、入り組んでいないことは確か。
一階は明らかに遠回りの迷路なのに対して2階の方が本来の迷宮に近い構造。メリットは目的地の早期到着だがデメリットは魔獣の数。パレードが起きても死ぬ上に強力な魔獣との遭遇率が高く、数で押されやすい。
次に、マリードたちはおそらく無事だとライラは考える。
安全とまでは言わないが、今までの異常が元に戻ると仮定したら1階層の攻略は彼らなら可能だ。後述になるが今回の異変はおそらくアオイコウキに対して行われている。
最後に、魔獣の頻度。これはもう黒で違いない。
組織を形成する魔犬の類はテリトリー意識があるはずなのに頻度が高すぎる。更には一番弱っている私を狙ってこないとライラが体感した。明らかに弱者を狙う隙があるのに、試練を与えるかの如く彼を追い詰めている。
ダメ押しで補足するなら、キルウォロスが多すぎると言うよりも……他の魔獣が少なすぎる部分にライラは危機感を感じている。明言を避けるが状況は最悪だ。
これらを話せば、今のコウキは明らかに心が折れる。
どのみち進まなければならないので、言葉ではない導き方で行くしかなかった。
「……魔獣」
「何匹だ」
「17匹」
「了解だ」
ライラの“
「貴方の精霊剣……出現が独特だわ」
「そうなのか?皆と同じに感じるけど」
「魔剣みたいなモーションはない。でも、色を感じない」
「……色?名前がない事が原因か?」
形容し難いが色と言うよりも何処か冷たいものを感じる。表情があるとするなら真顔のような印象をライラは受けていた。
「来た」
――キルウォロスの群れが現れる。
――満身創痍で対応する。
――ただ歩く。
――キルウォロスの群れが現れる。
――無我夢中で対応する。
――ただ歩く。
――キルウォロスの群れが現れる。
――限界突破で対応する。
――ただ歩く。
もう何度戦ったのかも覚えていないほどに。
頭痛と吐き気を催してしまうくらいに。
擦り切れた布の心で鉛のような足を動かした。
そして、少し広い道に出た。
「ライラ…………大丈夫か」
「…………ええ」
「開始から10時間……流石に休まないと」
2人は気付けばものすごい時間を歩いていた。
途中の水分補給を除けば休みは無かったと言っていい。
故にコウキもライラも衣類こそ修復できているものの中身はボロ雑巾のそれと変わりない状態だった。
「――って、おい、本当に大丈夫かよ。休むぞ」
「平気」
すぐ隣を歩くライラが何もないところで躓いた。
咄嗟に支えるコウキも目眩がするがなんとか堪え、ライラの腕を肩に回して運ぶ。
本来であれば顔と顔との距離が近くなったことや、迷宮とは思えない花の香りに包まれる場面だが、勿論感じ取る余裕は無かった。
「――ライラ、もう振り解く事もできないか」
「……なに、何か言った?」
「いいやなんでもないよ」
ここでコウキの心が一度持ち直した。
なんとしてもライラを守り切らなければならない。折れてはいけない。
そう覚悟した時だった。
「…………学生か?」
「誰だ?」
第三者の声が前から響いた。
こちらに気づいたのか、やや駆け足で進んでくる。
徐々にシルエットが浮き上がり、驚いていたコウキは安堵した。その姿は同じ制服の学生だったのだ。
「……ノアールのアオイコウキとライラか?」
「――君はたしか……」
「あぁ、ルージュクラスのサポートで入ってる。クリークだ……ってか、オマエら大丈夫なのか?」
目の前までやってきて2人の異常さに少し戸惑うクリーク=バラモアが心配の声をかける。よく見るとアウターはルージュクラスのもの。銀の髪に三白眼が特徴で外面に困りそうな容姿だ。
だが見た目よりも穏やかにみえる表情だった。
「大丈夫……ではあるな、今は。クリークこそ大丈夫か?他のメンバーは?」
「いやいや、オマエらこそ他のメンバー大丈夫か」
「ちょっとな……大結晶のスタンピードで凄く色々あって」
コウキが思い出したくもない最後の投石ゴブリンの顔を想像して不愉快になってしまった。しかし新しい人間と話せるのは内心ではリフレッシュになる。
「……そうか。オレも回避してたはずがゴブリンの群れに囲まれた」
「なるほど、それでか?」
「いや……正直に言うと、剣気の魔獣回避失敗が原因でガミアの奴らとうまく行かなくて仲間割れした……その、身内の事情だから詳しくは言えないが」
「大丈夫、こっちもあまり詳しくは言えない。終わったら話でもしたいんだけどね。この通り、怪我がひどくてな」
明らかに疲れているコウキ。
そして会話する気力もないライラ。
見かねたクリークがポーチから何かをコウキに渡そうとする。
「……これ、効くかわからないが一応魔獣除けだ。あとは回復薬っていうポーションみたいなものだ。例えば魔法が効かなくても少しは回復する」
「…………」
クリークが様子のおかしいライラを見て察したのかそう言って二つの道具を差し出した。
コウキはガミアとの過去を思い出した。
クリークは無関係だったがルージュから得体の知れないものを受け取るのに戸惑う。
「まぁそうなるよな。うちのクラスは悪評ばかりだから疑ってくれて構わない。ただ一応持っておけ。どうしようもなくなったら背に腹は変えられない」
「いや、すまない。もらうよありがとう。今はちょっとだけ人間不信なんだ……許してくれ」
「問題ない。流石にこんな場所に落ちたら切羽詰まるだろ。オレも必死だからこれ以上の助力はできないが、今のオマエらよりは大丈夫だ。強く生きてくれ」
「ありがとう」
例を言うと肩をポン、と叩かれて労いの言葉を残した。
クリーク=バラモアはその場を去る。
コウキは実際に手に持っていたポーションが安全である事がわかっていた。ポーチにしまう前に魔法による色調変化を試して確認済みだ。
そして魔獣除けの方もおそらく問題ない。
ごく普通の瓶の玉で、蓋をあげると中身のペーストが乾燥するまでは魔除けになる。
――だから、言葉を放った。
「クリーク」
コウキが振り返ると、クリークはその場に立ち止まる。
振り向かずに話を聞く姿勢だ。
「どうして目的地の方角から歩いてきたんだ?」
「……待て、疑われてるのか?その先右を曲がれば通路がある。そこからオレは来てるから正確には目的地からじゃない」
「すまないな。俺が疑い深いだけだから答えてくれると助かるが……何故目的地と反対に進むんだ?」
「それは、正直ズルい事を言うならオマエが来た道に魔獣がいないからだ。地上への出入り口があるかもしれない」
ここまでのクリークの言い分は仮説段階だが筋が通ってる。
問題ないからこそ、コウキが本題に進む。
本題は会話の違和感についてだ。
「なら何故俺たちの大結晶がゴブリンだと分かった」
「大結晶はゴブリン以外にもあるのか?知らなかったな」
「話を変えよう。回復魔法が効かないって何故わかる」
「ライラが足を怪我してる。本来は治せるものだ」
「怪我してるのがライラとも、足とも言ってないが」
「歩き方で知ったんだよ」
「……目視できる時点では止まっていたけどね」
「もういいか?平行線だ。気持ちはわかるが急いでる」
少しの沈黙が流れて、クリークが先を行こうとした。
コウキは確信してしまった事実を言葉に出した。
――なるべく抑えた怒りが声色に出る。
「なんでお前……俺たちが“落ちた”こと知ってんだ?」
クリークが足を止めた。
体感では物凄く長い3秒の沈黙が場を制す。興味深そうにクリーク=バラモアが呟いた。
「……そうか、そうだよな。ここで否定して落ちた事が予測だと切り出してもそのパターンならまずオマエたちを見た時に出入り口から来たかどうかを聞かなきゃいけないって話だ」
「そうだな。確実なミスは、そこだけだ」
また沈黙が続いてクリークがやっと振り返った。
三白眼は心変わりしたかのように醜悪な視線を送る。
「…………ひィ」
――裂けた笑みを浮かべながら。
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