第9話  「満身創痍の笑顔」



 ――錯綜迷宮さくそうめいきゅうデリオロスゲート。

 地下2階層 “水湿園通路”


 コウキは歩きながら周囲を見渡した。

 映像を送り続ける益獣イプリムの存在がなくなっていると気付く。おそらくこの地下2階層には降りて来てないらしい。


 そして進む道は1階層よりも薄暗くて湿っぽい。だが通路幅はやや広く天井も4メートルはあった。歩く道の所々に水溜りが存在しており、足元に注意しないと転んでしまいそうだ。


 と、考えた矢先だった。


「――っ!」

「ライラ大丈夫か」


 足を滑らせたライラが躓いて、倒れそうなところをコウキが支える。

 2人は横並びで歩いているが明らかにライラの歩行速度は下がっている。歩幅が狭いのに躓いてしまう事から、体幹が弱くなっている事が窺えた。


「本当に休まなくてよかったのか?」

「……ええ」


 少女はできるだけ早くコウキから離れてまた歩き出した。

 まだ通路を進み始めたばかりでここで立ち止まる訳にはいかない。2人は慎重にまた歩き出す。


 道の途中、喋り始めたのはライラだった。


「何故あの時、本当の事を言わなかったの」

「あの時?」

「分かれ道の台詞」


 コウキは過去の自分の発言を振り返った。


『おそらくこの迷宮は、細い道が最も安全だ』


 きっとそこについての言及だろうと考えて、あのメンバーの中でライラだけが気付いていた事を“改めて”悟る。


「細い道が安全なのではなく“何者かに仕組まれている可能性”があるから見晴らしの良い場所を避ける。そうハッキリ言えば良かったと思うわ」


 それを聞いたコウキが少し黙って考える。


「…………気付いてたのか、とは言わないぞ。スタンピードの時に真っ先に“罠だ”って言ったライラも、仕組まれてる可能性を理解してて明言を避けたんだろ」


 核心をつくような返答にライラが言葉を選ぶ。

 2人は足場の悪い道を歩きながら、ゆっくりのペースで会話のやり取りを交わした。


「私は……貴方に合わせただけだわ」

「違うな、きっと俺と似た心境だったんだ。あの瞬間だけは仲間に無駄な心配をかけたくなかったんだろ?」

「…………後でちゃんと話すつもりだった」


 俺も同じだ。とコウキが返して会話は終わった。


 今回の錯綜迷宮の一連の流れは初めてのコウキですらおかしいと思うほどだ。

 調べていた小規模迷宮の基本は、5階層未満で魔獣が弱い順に生息していると言うもの。

 5階層を超える中規模迷宮ですら例外を除いてその基本は踏襲されているのに、デリオロスゲートはまず前提から違っていた。


「これは更に可能性の話だから、妄想と言われたらそれまでなんだが」

「…………」

「もし仮にノアールクラスを狙った攻撃ではなく、誰か個人を特定して襲ってる場合……まぁその可能性は低いけど、そしたらまず俺が標的だと思う」

「ええ」


 ライラは驚く事なく肯定した。

 むしろ仮定が全て正しいのであれば言う通りだろうと考える。決め手はデリオロスの異様な執着だったが態々言葉にはしなかった。


「悪い可能性ばかり広げても意味はないよな。だから明るい話……」


 ライラが立ち止まったのを見てコウキは話すのをやめた。

 即座に精霊剣を呼び起こし、黒より黒い刀を持つ。


 ――おそらく魔獣が来るはずだ。


 ライラは民の剣気たみのけんきを使用して近くの魔獣の数を大まかに把握できる。階級の高い魔獣検知は難しいようだが、逆に反応を示したと言う事は戦えるクラスの魔獣だ。


「何匹だ」

「前方……おそらく15匹」


 多いな、と考えたが表にはしなかった。

 ナイアルラを持つ手は普段の力を無くしている。

 痩せ我慢を続けているが視界も時折霞む。何より頭痛が酷い。戦えはするが油断はできない。


 弱音も控えたいところだ。


「ライラ、壁側にいてくれ。180度の角度までなら守りきれる」

「……ええ」


 どの道今のライラに選択肢はない。

 美しい瞳を一度閉じて、切り替えるように壁側へ向かった。その直ぐ前にコウキが立つ形だった。


 そして魔獣はやって来た。


「――、なんだあれ」

「……キルウォロス、小型魔犬ウォロスの成獣」


 その見た目は簡単に言えば狼だが、普通の犬型とは異なった。

 灰色の長毛で頭には20センチほどの刃物が生え、鋭い牙は犬歯が長く、細長い尻尾の尖端は小さな口があり牙が生えている。


 明らかに奇形の魔獣だ。


「ああ見えて速度は並。ただ尻尾の牙、角の刃物、鋭い犬歯、大きくはないけれど硬い爪を自在に使う……攻撃が読みにくい」

「……勘弁してくれ」

「特に尻尾は」


 忌々しそうに睨むライラを見てコウキが嘆く。

 ライラから見て攻撃が読みにくいのか、一般的な説明として読みにくいのかで大きく異なりそうと思った時。


 会話の途中でキルウォロスの1匹が飛び出して来た。


「一乃型“氷刀ひょうとう”」

「尻尾……」


 コウキはできるだけ冷静に特殊魔法帯剣を発動する。

 無駄な動きをできるだけ避けなければ体力は持たないだろう。ジグザグのステップで詰め寄るキルウォロスにタイミングを合わせた。


「――ここだ!」


 ズガァ!と、氷が弾け飛ぶ。

 キルウォロスが小さく鳴いて両断された。


「――ッ!?」


 だが、絶命したはずのキルウォロスの尻尾が胴体と離れ、コウキの右腕に噛みついた。

 直径7センチ程で肉を抉ると言うよりはヒルのようにくっついたそれを見てコウキが驚く。


「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!?」

「絶命時に尻尾が相手を攻撃するわ」

「うおおおお取れない!?」

「威力や害はあまり無いけれど、中々取れず邪魔だわ」


 確かに動く際に邪魔だ、とコウキは思った。


 そんなやり取りを他所に、仲間を殺されて怒り始めたキルウォロスが5匹同時に地を蹴った。素早いと言うよりはトリッキーな動きであらゆる方向からコウキを狙う。


「――ッ!!」


 コウキは1匹を氷刀で薙ぎ、1匹を足で蹴り飛ばし、1匹を左手の風魔法で吹き飛ばした。避ける事は即ち背後のライラを傷つける事になるため、残りの2匹の攻撃をモロに受ける。


 1匹は硬い爪で強く胸を裂き、1匹は左肩に噛み付いた。


「あがッ!?くそ、コイツ――」


 このまま肩ごと食い千切りそうなキルウォロスを右手の氷刀で即座に殺し、倒すたびに独立した尻尾がコウキを狙う。


 続々とやってくるキルウォロスをひたすら攻撃するものの、関節に張り付いたキルウォロスの尻尾や複数の連携攻撃。

 何よりも避ける事ができない状況に削られていく。

 更には攻撃パターンが多い。


 各武器のリーチが全て異なるため咄嗟の判断に想像以上の努力が必要だった。


「はぁ、あっ……はぁ、やべえ、頭回んない」

「――多少なら、私も受けられる」

「はぁ、おい、ぁあ、黙っててくれ……ないか」


 息を切らして剣を構えるコウキに、まともな返事をする余裕も戦略を組む時間もない。ただ守る、その気持ちを頼りに動く方が幾分マシだった。


 時間と共にキルウォロスは数を減らしていくが、同時にコウキへ爪痕を残していった。

 硬い爪が、鋭い犬歯が、時には角の刃物が徐々に命を削っていく。


「ラストォォッ!!」


 こうして最後の1匹を気合いで討伐したコウキは、尻尾の牙だらけで血まみれの身体を持ち堪える。だが堪らなくなって剣を床に突き刺し、息を切らして地面を見た。


 物凄くキツい、そう心で嘆いた。


 俯きながら床を見る目は恐怖で泳いでいる。

 額には嫌な汗が。乾燥した唇は切れて血が滲む。


「――まじか」


 思わず言葉にも出たが、分かっていた事だ。

 しかし感覚以上の危機感と焦燥がコウキを煽る。


「これ……」


 身体は限界に近い。背後に守るべき仲間がいる。

 逃げる事はできない。だが普通の魔獣ですらそれなりに戦える。奥へ行けばもっと酷だろう。そして何より、この絶望的な疲労感を背負っていても進み始めたばかり。


 これ……行けるのか?


 本音が頭に浮かぶ。


 横目でライラを見た。綺麗な髪色と瞳にコントラストを作る、疲労と心配の表情。

 とても印象的でそんな顔をさせてしまうくらい情けない自分に嫌気がした。


「…………何してんだ俺は」


 コウキは無理に顔を上げて剣を消失させ、笑う膝を押し止めて立ち続けた。くっついた尻尾を全て剥がし、床に捨てて己に治癒魔法、ついでに衣類へ復元魔法をかける。


「――行こう、ライラ」


 できるだけ心配させない笑顔を作っていた。



××××××××××××××××××××



 迷宮の入り口。

 ヴァランドル=エル=ドルマン伯爵はくしゃく主催の仮設部屋。

 20名近くいる貴族を数えるのはグェン=レミコンサスだ。視線だけで人数把握すると与えられた己の席に腰掛けて映像を見る。


 直ぐに注がれたヴィンテージワインを一口含み、タンニンの主張と熟した無花果の香り、燻製のような後味に身を委ねる。

 身の丈に合わない年季の暴力はむしろ心地よくグェンを包み込んだ。


 美味い、素直にそう思える味である。


「おかわりは」

「いいや大丈夫です」


 50年近く眠らせたフルボディのそれを、葡萄ジュースのように振る舞おうとする召使にストップをかけた。

 一礼して居なくなる支給係を見送って呟く。


「貴族の嗜みは、私には少々荷が重い」


 だとしてもグェンも人である。

 飲んでみたかったワインがあれば舌鼓といきたかった。一口飲めただけで充分に楽しめ、身に沁みてしまった寝酒の安ワインが恋しくなったところだ。


「――さて」


 グェンはやりたい放題の貴族と遊女に囲まれた視界をシャットアウトした。

 目の前の映像のみを見ながら、過去を振り返る。


 ――それは一ヶ月以上前の事だった。


「これは……」


 グェンの元、王の大宰相だいさいしょうが遣いを出すと伝令が届く。


 大宰相といえば君主を支える事実上の王国のトップだ。

 ヴァーリアの国政は2人の大宰相と4人の宰相から下へ続いている。


 宰相だけでも目にする事なく死に行くのが殆どだと言うのに、その上の大宰相の命など一学園の教頭如きが受けるものでは無い。


 本来、学園の制度や改正は王から大宰相、宰相、ヴァランドル伯爵を挟んで学長や教頭の元へ伝えられていく。つまり全てを無視して末端に直属の遣いが来ることは異例の事態であり、グェンに莫大なプレッシャーを与えていた。


「……私に何をしろと言うのだろうか」


 実はグェンは宰相1人との繋がりがある。

 伯爵も踏まえて今年のカリキュラムを見つめ直す制度変更に関わっていた。


 だがそれは王の要求に対し学園が具体的なアプローチを見つめ直すためであり、決して教頭が実権を握っているわけでは無い。


「――それにこれは……何故、宰相と伯爵への報告も禁じられるのだ。大宰相殿、国の中で一体何が起きている」


 その日手紙を読んで当日を迎えるまでグェンは一睡もする事ができてなかった。

 眠れない夜が続いた当日、遣いの者である女性はグェンにこう言った。


「試験の人選を、断絶成功回数に変更せよ」


 たった一言。それだけを告げて去った。

 グェンは当初話の意味が全く理解できていなかった。大宰相の命であるから考えるよりも忠実に動くしか無かった。


 だが、グェンはその過程で徐々に鱗片を見る。

 真実まで辿り着けずとも、仮説を導き出す事は容易に出来てしまったのだ。それはグェンが国の根幹を一部知る人物であるからこそだった。


 この試験には国政が深く絡んでいる。

 それを思わせないように貴族を利用している。


 何か事が起これば、それが黒に違いないと。

 

 ――時は戻り豪奢な仮設部屋。


「――ッ!?」


 グェンは映像を見て思わず立ち上がった。


「…………やはり、君か」


 汗が滲んで様々な仮説が徐々に色付いていく。

 そしてグェンは多くの違和感に気付き確信した。


 今すぐにやらなければならない事。

 それは紛れた狼を探す事だ。

 この空間は最初の人数と現在の人数が異なっている。

 静かに歩き、1人の中年の元へ歩いて膝をつく。


「――伯爵。火急でございます」


 映像には落ちていくアオイコウキの姿があった。

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