第3話 「相対的な勝利」
「疾ッ」
コウキは咄嗟に妖精剣を上にあげた。
凄まじい音を立てて、竜の鉤爪が剣を弾く。コウキは最も簡単に後方へ飛ぶが何とか着地する。
竜は床に降り立ち、コウキと向かい合う形となった。
「デリオロス……ッ!」
コウキは痛む手首で刀を握り直し、敵の全貌を見た。
3メートル以上の個体。二足歩行。鋭く伸びた手足の爪。黒く光る鱗と細身の身体。比較的大きな口と閉じた翼。そして獰猛な牙と黒光する瞳。
そう。瞳は赤ではなかった。
「……目が赤くない。全員入り口に意識――」
しかし、もう既に遅かった。
右側の入り口よりわらわらと人型の魔獣が現れる。武装した赤い瞳のゴブリンたちが60匹以上の軍勢を連れてきた。
「クソ、お前どこまで知能があるんだ」
こちらを観察するデリオロスに語りかける。
コウキ以外の他の5人はゴブリンに警戒し交戦態勢に入った。
「コウキ!一旦こっちは手が離せなくなる、死ぬな!」
それだけ伝えたネイが、ゴブリンの軍勢に向かって進んでいった。
6対60の地獄のような戦いが始まる。
コウキはこちらを観察するデリオロスに、隙を作らないようにしながら一連の流れを思い返していた。
「――、」
おそらく警戒させるためにゴブリンの視線を何度か見せた。
そこから火の玉を飛ばす事でパーティの意識を右側の穴に集中させ、ひっそりエリア内に入ったのは煙幕の時だろう。魔獣は甲状帯が必要なく身体を媒介にしないことからどこからでも魔法発動が可能だ。
視線を集中させるために穴の方から風魔法を繰り出したのかも知れない。風にしたのは“煙幕の中でも方角がわかりやすい”からだろうか。
更には上からの攻撃で全員が驚いている間にゴブリンを侵入させることで、入り口を塞ぐ作戦の対抗策にもなっている。
だとすれば明らかに下級魔獣にはない知性を持っている。
「全部が作戦なら智将だ。魔獣からジョブチェンジすることをお勧めするよ」
伝わらない皮肉が戦いの合図になった。
ドッ、と音が鳴る。
深く唸りながらデリオロスが地を蹴った。床の岩は削れ、凄まじい速度の接近と共に巨躯が手の爪で攻撃をしかける。
「ぐ――ッ」
コウキは黒の刀でこれに応戦。
凄まじい音を立てて拮抗したが、デリオロスは最初の急降下より腕力がなくしっかりと受け止めることができた。両者が睨み合い、続けてデリオロスが反対の爪でコウキを狙った。即座に妖精剣を弾きしゃがむ事で寸前の回避、同時に反対の手で炎魔法を形成した。
「魔法はこうやって使うんだ」
贈る言葉と共に出現した火の玉が、デリオロスの顔面を直撃した。
「――ギァァァァァッ!!」
甲高い雄叫びを他所にコウキはバックステップで距離を取りつつ二度、三度と炎の弾を浴びせる。
3発とも直撃し、デリオロスの周りに煙が舞う。
剣を構えながら相手の状況を見る。仮に魔法が効いていたとしたら、コウキは致命的な一撃を避けながら戦える。
「凶器は手足の爪、あと生え揃った牙か」
ぼうぼうと舞う煙を見ながら至って冷静に分析。
マリードとの修行とデリオロスの特徴について考えていた。
迷宮では閉鎖的な空間がストレスとなり判断力が鈍りやすい。どれだけ強い相手でも攻撃を受けなければ負けない。そしてデリオロスは完全な近接戦闘タイプだ。長い尾を持つわけでもないようだ。
「中距離で削りながらナイアルラで斬りたい所だ」
そして煙は徐々に薄まっていく。
受けた顔面がどうなっているのか確認しようとしたコウキは異変に気付く。
「…………いない」
いいや、正確には違った。
デリオロスは四足歩行のフォームで限界まで体を下げていた。コウキの動揺を確認して直ぐに地を蹴り爪を伸ばしてくる。
一歩遅れて気付いたコウキ。低い位置から接近するデリオロスを見て瞬時に床へ剣を突き刺す。しかしこの判断は過ちだった。デリオロスは剣の直前で床を殴り、速度を殺さないまま回転し蹴りを放つ。
「――ッッッ!!」
コウキの左顔に硬い踵が直撃した。突き刺した精霊剣に預けている体重さえも無視して横に吹き飛ぶ。2、3回バウンドして地面を転げ回った。
「……ぁう………………」
7メートルは飛んだだろうか。
視界がぐわっと揺れて耳が遠くなる。じくじく痛む左顔に治癒魔法を施しながら、力の抜けた腕で状態を起こした。
まだ自分の中に驕りがあるとコウキは思う。
放った攻撃が再利用される選択を考慮せずに相手の反応ばかりに気を回していた。故に、デリオロスに一杯食わされたのだ。
「集中、集中……ッ」
――これは命のやり取りだ。
自分の心に何度も言い聞かせてコウキは立ち上がった。ぼやける視界が徐々に戻った時、前にデリオロスは居ない。知能を持った魔獣の鋭い爪が、背後から斜めに振ってきていた。
「ッ!!」
直ぐに違和感を察知して前方に飛ぶ。しかしギリギリでデリオロスの爪がコウキの脹脛をかすめ、熱い痛みが右足を襲う。そのまま回転して着地。間髪入れずに踵を返し構えたコウキは、続け様にやってきたデリオロスの攻撃を何とか止めた。
妖精剣を握る手首が痛む。
『近接戦闘で相手を見失った場合、探す前に前方等に回避せよ』
修行中のマリードの台詞がここで役に立つ。
姿を眩ませるのはほとんどの場合が左右又は後方等の死角からの攻撃が目的だ。探す頃には遅いと判断し、リーチ分を予測して安全な方に飛ぶ。その後直ぐに死角を確認する事で生存率を上げるというものだった。
思い返しながらコウキは刀でデリオロスの爪を弾く。バックステップをしながら風魔法で斬撃を飛ばす。しかし黒光する鱗には傷がつかない。
「ダメージは無いか」
学びを生かしながら切られた脹脛へと治癒魔法をかけ、回復の時間をとにかく稼いだ。デリオロスには殆どダメージがない。少し怯む程度で、簡単な魔法では相手にならなかった。
デリオロスは休む事なくその獰猛な両手の爪を振り回す。
時には緩急のある蹴りを放ち、体躯を利用した遠心力も相まって凄まじい猛攻が続く。
剣が交わる高い音。
遠くではゴブリンたちの怒号。
爆発や破壊音が明るい空間全てを震わせた。
コウキはひたすら受けるしか無かった。一撃が重たい上に速度も早く、振りかぶる爪を止めては次の攻撃を避け、時折来る足蹴に注意を払いながら動く。足場が良いとはいえ相手との実力差は歴然で、至る所に細かな裂傷が生まれてどんどん後方に詰められていった。
時が進む度に削られる。
縁を切り取るように創傷が増える。
少年の小さな血飛沫が床に模様を作る。
「……時間の問題だ」
止まぬ攻撃の嵐に耐えながら落ち着いて自分を評価した。一歩でもミスしたら致命傷になる上に、このまま続いてもやられる。
だからこそ状況を変える一手に賭ける。
剣で爪を弾いた瞬間コウキが呟いた。
「二式――“
××××××××××××××××××××
――ロイとネイは互いに背を向けゴブリンと対峙する。
「おいネイ!ゴブリンってこんなに筋肉あったかよ!?」
ロイが叫ぶと、ネイが額に汗を浮かべながらゴブリンを見た。
本来のゴブリンは手足こそ一回り大きいが比較的華奢な生き物だ。引き締まっている筋肉とは程遠い見た目をしている。
ゴブリンの中でも成長と共に戦闘特化したものをオーク、巨大なものをトロルと称す。ゴブリンの社会性は種類区別のために、其々顔に異物を入れて特徴的な墨が入る。この顔は刺青も変形もしていない。
どう見てもゴブリンのものだ。
「ボクはゴブリンをかなり近くで見た事ある……!顔はそのまんまだけどこんなマッチョ知らねえぞ!」
「ロイ……すまない、私にも分からない。オークやトロルと言った類の特徴はない。体型だけが変わったゴブリンとしか言えないな」
苦虫を噛むようなネイの表情そして発言に「そうかよ」とロイが告げた。
ゴブリンたちはまだ襲って来なかった。
どうやら肉体が変わっても臆病な習性は変わらないらしい。2人は一度目を合わせてゴブリンを見る。
「コウキが心配だ。最速で行くぞ」
「やるっきゃねーよ」
瞬間、2人が地を蹴った。
「スタンチク、行くぞ」
ロイは自身の精霊剣に呼びかけた。
ショートソード型、やや分厚く深い紅の色に白の装飾が散りばめられた剣は、相手の支配拘束がベースの能力だ。
「バインド」
相手の動きを瞬間だけ留めるスタンチクのバインド能力は、ロイ自身の成長と共に拘束時間が1秒から最大2秒になっている。このたった1秒の差は戦闘において大いに優勢となった。
対象とした一番近いゴブリンを拘束。
気付いたゴブリンはもう既に動くことは出来ない。最速で接近したロイの赤い剣が振り下ろされる。
「ヒィァァァッッ――」
ズザァ!と音を立ててゴブリンの血が舞う。
ロイは直ぐ視線で能力の対象を変更。
振りかぶって後頭部を狙う隣のゴブリンの動きを止め、腕を切り落とした。
2匹のゴブリンが膝をつき叫ぶ。その姿に怯んだゴブリンたちだったが、仲間意識があるのも奴等の特徴だ。感情は怒りに変わり、複数のゴブリンが襲いかかる。
「――分かってたけどキリがねぇッ!しかも硬いぞ、両断する力だったのに倒しきらなかった!」
「あぁ、既に実感している!!」
ロイが交戦しながらネイに語りかけ、銀髪の美丈夫は返事をした。
ネイは白銀のレイピアを構え素早く動く。本人の速度もさることながら、能力は相手のスピードを下げると言うものだ。しかもロイとは違い距離さえ詰めれば複数も対象にできる。
加えて二つあるギフテッドの一つ、“
これは場合によって必中効果をもたらし、ゴブリンたちに最短最速で攻撃を仕掛けることができた。
「刺突も斬撃も……浅い」
ものすごい速度で周辺5匹に襲いかかるネイの精霊剣アキレスは、ゴブリンたちを大きく怯ませるが致命傷には至らない。
ネイは方法を変える為に“あえて”速度を落とすゴブリンの対象を1匹に変更した。精霊剣が能力に応じるように輝く。距離を確認しレイピアを立てて虚空を斬ったのが合図。
瞬間、地を蹴った。
「ならば――」
ズガガガガガガガッ!と。
それは目視ではすべてを理解できないほどの猛攻。
1匹のゴブリンは既にロイの前には居なかった。否、細切れの状態で肉片と化した。ボトボトと落ちる鈍い音が続き、ゴブリンだけでは無く背後のロイすらも驚く。
「おまッ!? 今の速度何だ、減速が能力じゃなかったのかよ!!」
ゴブリンと対峙しながらロイが言う。
「すまないが詳しくは後だ。1匹ずつ確実に葬る事にした」
――ネイのアキレスの能力は本来速度低下だ。
指定したものを減速する事ができるがネイ自身が早くなるわけではない。故にロイが加速するネイに驚きを見せた。上昇や加速などの強化は本来、
しかし、ネイはこれを“減速”のみで克服する。
それがこのアブソリュート・ゾーンだ。
まずは自分と対象までの“空間”を減速させ、相手ではなく“自分”を減速させる能力の二重併用が成された。能力の服従は基本乗算傾向にあり、マイナス空間の中で動くマイナス物体がプラスになる原理だった。
既にマイナスのゴブリンは減速対象エリアを出ない限り、事実上倍の倍になった超速度を誇るロイの猛攻について行くことはできない。逆に言えば、ロイもそのエリア内でしか加速不可能である。
これはテイナの負を乗算した正の付与能力からヒントを得ているが、ネイにそれらを説明する余裕は今はなかった。能力の二重併用は集中力と精神力と肉体を大きく削る。まだ成長期の少年には特に荷が重い所業だ。
「私の
輝くレイピアの剛速剣が、挽肉の山を積み上げていく。
――時は遡りテイナとライラも2人で行動する。
「本っ当〜に、気持ち悪い」
「ええ」
ゴブリンは無類の女好きで目利きも良い。
金髪ロングでほどよい肉感のあるテイナ。そして薄飴色の髪にスレンダーなライラのビジュアルは、奴等の興奮材料の一つと言っていい。わらわら集まり下卑た笑みで2人を囲み始めた。
テイナはアメノサグメを横向きに翳し、目を閉じて唱える。
「――――神託。言霊の調べを還す。“弱者であれ”」
女神を降ろしたテイナの足元が金色に光る。
光の円が賜ったのは今回、発動者のテイナ単体。これには二つ理由があった。
一つ目は弱者を転じた強者の能力だ。
言語の反対を体現するアメノサグメは、行動が複雑になる程に使用後の負荷が高い。今回は強者所謂“身体能力”全ての上昇。これを複数人担うのはリスクが大きい。
二つ目は単純だ。
ライラにはバフなど必要ない。
「ルシフェル」
言葉が聞こえて直ぐ10匹のゴブリンが死ぬ。
この魔剣ルシフェルを前にして、奴等が意味や意図を理解することは不可能。その上、死する瞬間すら感情を残す事が許されない。
ネイのように高速で止まったのではない。自分と対象者の時そのものを止めて葬った。魔獣が死んだ事に気付くことは一切なく、魂すらも浄化されないまま屍となる。その為、倒れたゴブリンは肉体を残さずに消失する。
「……5級魔獣なのに10匹で限界だわ」
「ラ、ライラさん……怖っ」
恐ろしいのは俺たちの方だ、とゴブリンの誰かが思う。
「私の剣は魔獣に特化した魔剣。これが本来の力」
「そっ、そうなんだ……」
確かにそうかも知れない、とテイナは思った。
ライラは対人戦闘ではこれほどの力を発揮することはできない。それは世界の恩恵である精霊剣が人にはあるからであり、時を司るとはいえ体感では速度上昇のソレにも近い。
「相手が弱ければ負けることはない」
加えて、ライラのルシフェルは使用者が未熟故に高い階級の魔獣にはまだ対応しきれない。逆に言えば、ゴブリン程度の魔獣にライラが負ける未来はない。
「アタシも頑張らなくちゃ!」
テイナは純粋な身体能力の上昇と抜群の戦闘センスに身を預けて徐に戦う。魔獣を軽く薙ぎ払い、葬り続けた。
6人の中で女性陣は最も安定した戦いぶりだった。
――マリードは自主的に5人から離れ1人になった。
「剛ッッッ!!」
能力を存分に使う為である。
「ふん」
マリードの軍略剣スカンダは戦い方に応じて剣の特徴を変化させる事ができる。それらは発光する色で区分けされ、時には姿形すらも変化する。
これにはメリットしかないようにも見えるが、実はそれなりに大きなデメリットが存在する。
まず、一種類ごとに回数は3回である事。
次に、一種使用後は5分のインターバルがある事。
最後に、一度使った能力はどの種類も翌日まで使えない事。
だが戦に恵まれたデリア家の長兄マリードにはこれらのデメリットが一切かからない。それこそが――、
「――
脅威のギフテッド、選定戦順だ。
これはその昔、無能とされていたギフテッド。
後に戦の王デリアが真価を見出したとされる能力だ。対象の精霊剣のあらゆる順番を使用者都合で変更できると言うもの。
直ぐに聞いただけでは強さが全く分からないが、対精霊剣同士ではあまりにも規格外の能力。使い方を正せば攻撃の順番すらも変更可能で、二番の攻撃を一番に変更できるマリードに精霊剣のカウンターは殆ど通用しない。
更に自身の剣の攻撃順番……つまり使用回数も自由に選べてしまう。これがマリードのデメリットを全て克服する。何度も使った攻撃を無理矢理0回にする事ができる為、3回おきに消失することも無ければ使用した形跡も残さないので、無限に能力を使用可能だった。
「ヒィィァァァァァァッッッ」
最早「嫌だ!」とすら聞こえてしまうゴブリンの断末魔。一度薙ぎ払う毎に確実に2匹以上が両断されており、筋骨隆々のゴブリンでも14歳とは思えないマリードの筋肉には至らない。
堅実なマリードが己を過信する事はない。
早く片付けなければコウキを救えない。だがリスクを抑えて確実に葬るには時間が必要。しかしその道を選ぶ事を厭わない。コウキへの心配は、信頼が全てを払拭する。
「貴殿らには、死よりも怖いものがあるか?」
背を向けて死に往くゴブリンに問いかける。
『負けを認めるより、勝ちにこだわっていたいからだ』
あの日、生死云々よりも敗北を恐れた魂を回想して。
××××××××××××××××××××
この時、デリオロスには誤算があった。
ゴブリンと他の連中には実力差がありすぎる。
御伽話で退治する程度の感覚で殆どのゴブリンが呆気なく死んでいく。
デリオロスにはそれなりの知能がある。
故に焦っていた。
――早くコイツを殺して他を倒さなければならない。
そんな意識の元、吹き飛ばしたコウキに猛攻を浴びせている。目の前の男はガードや回避がやっとであり、自慢の爪は少しずつ肉を削いでいく。塵も積もればというやつだ。
限界速度で対応していく。
徐々にコウキの体は後方へ下がる。
落ちていく小さな血痕が削れ行く命を現す。
だから彼は場面を変える一手が必要だった。
――これは二番目に開発して即座に封印した業。
ロイの隙を生む能力を応用し考案した一式“狐唄”
白い蝶と優雅なミアの戦闘が重なった三式“蝶返”
そして。
「二式――“
これは、テイナの身体強化から着想を得た二式だ。
「疾――ッッッ」
瞬時に解放された。剛風がコウキを包んだ。
戦闘中のテイナが「二式!?」とコウキの異変に気付くが、コウキの元には届かない。
デリオロスに汗腺があるのならきっと頬を伝うはずだ。目の前の獲物の速度と力が急激に上がったからだ。
ガンッガンッギンッ!と先ほどとは異なる大きな音を立てて、コウキがデリオロスの攻撃を受ける。パワーバランスが互角の位置までやってきた事を現していた。
「――――ッ!!」
だが速度は別だった。
二式を開放したコウキの方がデリオロスよりも一寸勝る。下がっていた足取りは少しずつ進み始めていく。
目で追うのがやっとの限界速度の攻防が交差する。
デリオロスは混乱していた。突然人が変わったような動きを瞬時に理解する程の知能までは備わっていない。
「疾ッ!――はぁッ!!」
改めるが二式“扇鷲”は封印された業だ。
理由はシンプルで、魔法の身体強化を基盤にする為。
魔法は人体の瞬間的な強化ができても永続的な強化は原則不可能というのが常識だ。故に、無理な行使は身を削るだけだ。
最初コウキは業の開発途中でテイナが強化を可能にすると聞きこれを思い浮かべた。実際は魔法強化する力を誤ったり、上手く機能しない上にその後の肉体疲労が激しく、テイナに辞めるよう伝えられる事になる。
身体強化は恩恵なしで叶えられるほど単純ではない。
寧ろ恩恵を受けている側ですら複雑でリスクが大きい。
何度も言われて止められたが、コウキは二式の枠を削る事なく三式以降を考案。
いつか体現できるようにと願った。
「コーキが……デリオロスを押してる!」
「――、」
遠くにいたテイナの発言は、ライラを驚かせた。
コウキが力を上げた事は理解しているが、実技試験の実力や対峙した時から逆算して、どれだけやってもあの魔獣とは互角が良いところだろうと思っていた。寧ろ、負けるだろうから応戦しなければならないと考えた。
「――おい、アイツなんかパワー上がってねぇ!?」
「……何が起きているんだ」
残党交戦中のロイとネイもこれに気付く。
凄まじい猛攻はスピードだけではない。明らかにパワーの上昇が確認できる。それも一段階程度の話ではない上に、ウェイト差のある相手を真正面だけで押している。
「ふん」
そんな中、修行を共にしてきたマリードだけが笑う。
「ォオオッ!!」
剛速且つ重たいコウキの回し斬りが、遂にデリオロスの巨躯を捉えた。
血飛沫が舞い一瞬の隙が生まれる。
「――ラァァ!!!」
逃さぬ追撃がデリオロスを襲う。
一挙手一投足に全集中するコウキは、精霊剣使用時に最もパフォーマンスを発揮する時間――、クリティカルゾーンに突入していた。
徐々に詰められ遂に防戦となったデリオロスはより一層後方に下がるしかなかった。真正面からやり合うと言う事は逃げる選択肢を捨てると言う事。完全に自分が勝つ、そういった傲慢により逃げる隙がなくなった。
「マリード!」
「マリード君!」
「――貴殿ら、終わったか」
戦闘を終えて微笑しながらコウキを見ていたマリード。
そこへ、ゴブリンを殲滅させた4人がやってくる。
「あれ二式だよね!? 魔法の人体強化は不可能じゃ――」
「左様だ」
テイナの言葉に応えたマリード。ロイとネイ、そしてライラまでもが戸惑った。あれが身体能力向上じゃなければ何なのだろうか。幻を見ているのか、精霊剣の能力か。
各々が考察をする前にマリードが言う。
「故に、正式には3分の1が人体魔法強化である」
「…………3分の1……?」
より分からなくなったネイが眉を顰める。
マリードは軽く頷くと、圧倒的優勢のコウキを見た。
「あれはハイブリッドだ。右足と左足、軸足になる方に魔法強化。力を左右する腰は闇魔法の拘束で筋肉を固定。……そして上半身は、軌道を風魔法で追い風として加速させている」
「…………は?」
ロイが間抜けな声を出した。他3人も、声には出さないが同じ心境なのか、あっけらかんとした表情。
そしてテイナがマリードに問う。
「3種同時併用……?って、可能なの……?というか意味が全く分からないんだけど」
「まず、同時併用は可能だ。空気中に弥素があり、魔法を練る甲状帯が生きていて、媒体とする身体の範囲内である限りは魔法に制限はない」
「てことはコーキは今、すごく頭を使って3種類の魔法を使用?しながら、原理はよく分かんないけど実質二式を発動?してるのかな」
疑問の多いテイナだった。
「殆ど間違いはないが“すごく頭を使う”という点は少し異なるな」
「待て、ボクでも分かるぞ。3種の魔法をあんな時間同時に使ってたら綻びが生まれるぜ」
「左様だ。だからこそコウキは3種類のタイミングを個別にして使い分けている。よく見ることだ。同時に魔法が必要なのは“斬る瞬間”だけになっているだろう。頭を使う時はその時だけである」
「――っ!」
慌ててロイがコウキを見る。
交戦中のコウキは加速の際に人体魔法で足の強化を、踏み込みの際に闇魔法で腰の強化を、振りかぶる際に風魔法で速度の強化を。そして攻撃が当たる際に、それら全てを最大出力している。
「コウキは足、闇、風、全体の順を意識した足運びを染み込ませ繰り返している。これにより、相対的な身体強化を完成させた。これが新しい二式、扇鷲である」
「…………理屈は理解したがそれは可能なのか。いいや現に起きているから、可能なのは分かるが……私から見てもあそこまでとは驚きだ」
肯定派のネイが珍しく素直に受け止めきれない。
「武を学べば老躯でも巨体を落とすように、必要なのは力の踏み込みや体重移動だ。それらは攻撃の瞬間のみ必要であり、永続的ではなく極めて断続的なものにする事で最大効率化される。それを逆に利用して、同時併用を一箇所にまとめている」
全員もう言う事はなさそうだった。
納得よりも実際に起きているから仕方がないような様子だ。
ここまで軽々しく言ったマリードも、血生臭い修行を思い返して補足する。
「あれは才能で片付くものではない。負けず成し遂げたい魂が作り出した努力の賜物である。血を吐くような修行中はずっと“頼ってくれるテイナにも心配され悔しい”と言っていた」
「――、」
テイナが言葉を止めたままコウキを見た。傷だらけで尚も突き進む姿に、強さがあるのかは分からない。ただその目は“敗北”の色だけは示さなかった。
確信できるのは絶対的な勝利ではない。
負けないと言う、相対的な勝利。ここにコウキの本質を感じとる。
「デメリットは……あるんだよな」
「あぁ。分けているとはいえ、常時魔法の使用だ。気付かないか」
ロイの言葉に答えるマリードを見て、ネイがハッとする。
整った顔の顎に手を当てて呟いた。
「魔法の使用中は……能力が鈍り断絶を起こせない」
「そうだ。故に、必殺を捨て力を得た諸刃の剣でもある」
「ならコーキはもしかしたら倒す前に魔法の集中力が消えるって事!? それは助ける必要があるんじゃ……」
ネイの言葉にマリードが応える。心配して動こうとするテイナを止めた上で、楽しそうに笑っていた。
「全く不要だ。あ奴にはもう一段上がある。それも、今回は使う必要も無いであろう」
「はぁ――ッッ!!」
「ギァァァッッッ!」
コウキの喝が響く。
デリオロスの血が舞う。
足、腰、腕、全体。強化、闇、風、全部。
繰り返し脳内で唱えながら、幾度となく確実に斬り込んでいく。これ以上速度を上げる必要はない。安定させて続ければ削れる。デリオロスは既に怯えている。
集中を削がないように連撃を浴びせながら、死ぬ気で食らいついた修行を思い出す。柄を握りすぎて抉れた手も、上手くいかず1人で泣いた夜も、全てはこの瞬間の為にある。
辛くて仕方なくて何度も吐いた。胃に入れないと力にはならないから吐いてでも食べた。勝てないマリードにねじ伏せられる度、試験で追い詰められた瞬間の痛みまで重なった。
『貴方の実力では選ばれない』
床に伏す時、ライラの冷たい目をいつも思い出した。
『カリキュラムに恵まれ選ばれたと言っていいわ』
選ばれたのは偶然。でも何かを成し遂げたかった。
『せめて賢者でありなさい。聡明であると意識し続ける事』
賢者とは何か、愚者や道化になっていないか悩んだ。
『選ばれたのなら、変えられない無駄な怒りの時間をほんの少しでいいから建設的な時間に変えるべき。怒ってても構わない。けれど、それだけで何かが変わる訳ではないのだから』
あの言葉の後、素直な部分は認めるとライラは言った。しかしコウキは心の底では納得などしていなかった。
悔しい気持ちを殺して、吐き出す先を業に求めた。
絶対に勝つ。これはコウキにとって絶対に負けたくない事の現れだ。敗北したくない強さは、ただ勝利を得る強者には分からない。それは同じようで異なる。
コウキは、敗北の味を知っている。
「疾――――ッッッ!」
一閃。
コウキのなまくらの刃は、漸くデリオロスの胸を深く抉る。裂傷まみれのコウキを上塗りする返り血が舞った。
「ギィィィィィィァァァッッッ!」
より大きく竜が鳴く。断末魔が空間を支配する。
遂に堪えきれないデリオロスは地面を蹴り、高く高く飛び上がる。逃げる場所なら上しかないが、上に逃げてはもう行く場所はない。きっと渾身の一撃が来る。
――コウキは二式を解除する。
「……ミア。力を貸りる」
――瞳を閉じ全身を脱力した。
「……試験では叶わなかったからな」
――それは今まで一度も成していない業(わざ)。
「三式――“
――脱力したまま上からやってくる魔獣と対峙する。
デリオロスは確信した。相手の“魔法”が解けた。
故に、この落下速度と爪の攻撃は確実に決定打となる。
コウキは何も考えなかった。到達するは無の境地。
目指すは白。他靡く髪と蝶の舞。秒を捉える反撃の刃。
「ギャガァァァァァァァァァァァァッッッ!」
豪速落下で振り下ろされた爪。コウキは流れるように一歩下がって避ける。まるで宙に舞う綿が掴めないのと同じだった。降りてきたデリオロスと黒い視線が交差する。
下から上に、無駄を全て削ぎ落とした一振り。
「断絶」
光は一瞬。音は遅れてやってきた。
ズザァァァァァァァッッッ!!!!と。
大地が震え、黒い稲妻がデリオロスを両断した。
たった一撃。デリオロスは言葉も何も残さない。
ただそこにあるのは初めての敗北と肉塊、無意味な屍だけ。元より意味などない。同族含め生きるものを無差別に喰らい、利用し合うだけの社会性を持つ奴等には生きる価値などない。本来の姿に戻っただけだ。
だから悲しむことなど一つもない。
コウキは一度は対峙したソレを、見ることもせずに歩き始める。コレとは違って、彼には仲間がちゃんといた。
「皆、無事か!?」
血まみれのコウキは満遍の笑みで手を振った。
――ノアール開始1キロ地点。進行度2%未満。
――デリオロス1体及びゴブリン60体を討伐。
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