第8話  「14歳の恋愛事情」

 


 ――入学から一ヶ月以上が過ぎた頃。


 新規開拓するように猛勉強しながらも変わらずに続けている事があった。

 生活が習慣化されていく時の中で、こればかりは変化よりも継続が大切だ。


「499」


 まだ太陽が登り始めたばかりの時刻。風を切る音と汗の飛沫が宙を舞った。体温が冷める程度に空気が冷たくて、火照る体にはちょうど良い気温と湿度。

 最高のトレーニング日和だ。


「500」


 そしてコウキは最後の素振りを終えた。

 上段、中段、下段、振り下ろしの4セットを各500回、計2000回こなすのが入学当初からの日課。

 だがいつも通りの日常に見えて今回はそうでもない。普段の鍛錬にスパイスのような付き人がついている。


「お疲れ様〜」


 えへへ、と朝から元気満点の金髪少女がそこにはいた。

 友人の妹でありクラスメイトであり親友のテイナだ。緩く巻いた金髪と着崩した制服、ばっちりのメイク。ある意味で朝トレーニングを欠かさないコウキよりも抜かりがないように思う。


「おべんと作ってみた!元気出そーなやつ」

「お、おう、ありがとう」


 食べて食べて〜と箱を持って来るがめちゃくちゃ緑色だ。おそらくブロッコリーだとか、そういう栄養価が高い緑黄色野菜をかなり薄味で調理したお弁当だ。照り焼きが好物の14歳のコウキからしたら半分地獄みたいな内容である。


 とはいえ女の子が弁当を作ってくれる事なんて初めてなので、コウキも満更ではない態度で一口いただく。


「ん、おいしい」

「でしょ!?やっぱイケるクチだねコーキは」


 ただの野菜だという感想しかなかったが、こういうのは空気を読むべきだ。それに普段食べない事を考えれば偶に食べる事は健康的だとも思った。


「どうしよっかなあ、野菜は大きいから毎日二人分くらいは作れるよ!」

「あ、うん。それは大丈夫」


 非常に手間だろうからここは遠慮しておこう。


「そう?いつでも言って!」

「なんか今日テンション高くない?」


 コウキは素直な疑問を投げてみた。当日の朝から練習を見させろだとか、お弁当を作ってくるだとか。明らかにこの一ヶ月では出てこなかった新しい動きだった。


「そう?だってさーこの間はロイ君もコーキも特別生になったんだよ!コーキとか毎日練習してたじゃん?努力報われたみたいで嬉し〜的な?」

「あ、練習してたの見てたんだ」

「もち!」


 芝生に寝転びはじめて足をパタパタと振り、笑顔でお話ししてくるテイナ。その発言に少しコウキはどきっとしたに違いない。照れくさそうな様子で「ありがと」等と小さく呟いていた。


「それに」

「それに?」

「明日はお兄ぃの誕生日なの!」

「あっ…………つまり」

「そう!アタシも誕生日なんだぁ〜!」


 それじゃねーか、とコウキは心の中でツッコミを入れた。



××××××××××××××××××××



 おそらくプレゼントが欲しかった訳ではない。

 素直に誕生日が良い思い出なのだろう。育ちがいいんだろうなとコウキは結論付けた。

 練習も終わりノアール共用のシャワー室から出ると、るんるんのテイナが入り口で待っていた。


「誕生日何が欲しいんだ?」

「え、いいよ物なんて。おめでとうだけ頂戴〜」

「とは言ってもなぁ」


 聞いてしまったからには何かを送らなきゃいけないような、そんな小さな使命感に駆られてしまったコウキである。


「そもそもプレゼントなんてきっと渡したくて渡すくらいの感じだよ?あまり義務を感じるのはよくなくない?」

「たしかに」

「そ、だからいいの。お祝いの言葉が一番嬉しい」


 理屈では分かっていてもやはり何かもどかしい物だ。何となくコウキなりに思考して回答をしてみることにした。


「なら俺が渡したいから欲しい物教えて」

「えっ」


 テイナの表情がやや硬直した。

 しかし、何かを察したのか穏やかな表情となりコウキの目を射抜く。


「それは特別な物?」

「まぁ、お祝いだからな」

「そうじゃなくて……えっと」


 頭に人差し指を置き少し困ったような仕草を見せた。その姿が何となくコウキには印象的だった。


「例えば、ミアさんとアタシ、どっちかにプレゼント渡すならどっちに渡す?」

「――えっ…………それは」


 コウキは突然のミアに硬直した。

 彼女にプレゼントを渡している自分が想像つかない。その上で恥ずかしさもありどこか嬉しさも感じるだろうと、様々な感情は溢れるものの纏まりはつかなかった。故に、黙るしかなかった。


「ね、そういう事!アタシ“友達”からはお祝いの言葉で、その、充分というか」

「悪い」

「――っ」


 テイナの表情は段々と陰りはじめて、コウキの謝罪を気に話が終わる。

 しばらく会話ができなさそうなので「先行く」とだけ伝え、湯冷めしないうちに髪を乾かすべく自室へ戻った。


「何言ってんだろう。自分に冷めそう」


 真顔で呟く声を、たまたま聞いていたロイは静かにその場を去った。



××××××××××××××××××××



 風魔法を使い自室で髪を乾かしていると、普段寝ているはずのロイがいない事に気づいた。

 しかしすぐに扉を蹴破るほどの勢いでロイが入ってきた。


「びっくりした。めずらしく朝早いな」

「あぁそうだな。少しいいか?」


 表情の多いロイが珍しく真剣にこちらを見つめてくる。何かあるなと考えてコウキは風魔法を止めた。


「真剣な話か?」

「大マジだ」

「何かあったのか」

「自分の心に聞いてみな!って言いたいところだけど、オマエとはそれなりの仲だから苦手なのは理解してやる」

「え、何なんだ」


 コウキは素直に疑問を抱くとロイが歯痒そうに頭をわしゃわしゃと掻きむしった。

 首を左右に振って目を合わせる。


「オマエ、好きな人いるか?」

「……………………………………は?」


 コウキは開いた口が塞がらなかった。

 女性関連の話はした事があっても、恋愛の話など今まで一度もない。ロイの様子がおかしい事は明白だった。


「だから、好きな人いるかって」

「え、待って何急に、俺のこと抱こうとしてる?」

「ちげーよ!いいから答えろ」

「好きな人は」

「今誰か過ったろ。ナイチチだな?」


 図星すぎて言葉に困った。確かにミアを連想したのは間違いではなかった。まだミアの事ナイチチと呼んでるのか、とも思ったが何か怒られそうなので本質を避ける話はやめておく。


「確かに過ったんだが……好きかどうかまでは」

「知る術がない、と。そう思うんだよな?」

「そ、そうだけど」

「けど、なんだ?」

「ど、どうしたんだよロイ。ちょっとおかしいぞ」


 思った事を言うと、ロイはガシッとコウキの両肩を掴む。


「おかしいのはオマエだ」

「な、なんだよ」

「中途半端でいいのか?その気持ちが」

「ミアに対してか?仕方ないだろ、まだそんなに」

「そんなに仲良くないと誰が好きか分からないか?オマエ、付き合える可能性の有る無しの話をしてないか?好きだから近づくのではなく、付き合える感じかどうかを知った上で好きになろうとしてないか?」

「な、お前――」

「ボクが間違ってるか?目を見て答えろ」


 部屋に反響する、真剣なロイの言葉にコウキは平静を取り戻した。

 何かから逃げるようにしている自分に気付いたのだ。それが何かまではコウキには分からない。


「いいか。オマエはボクなんかよりずっといい男なのかも知れない」

「……」

「才能もあって諦めない。毎朝くだらねーと思うくらい大真面目に努力してやがる」

「それは自分の為だ」

「そうだな。でも自分とそれだけ向き合えるなら人とも向き合いやがれ。オマエを見てくれてる人たちが、いつか居なくならないように、安心してオマエを支えられるように、他人にも努力を分けろ」

「ロイ……」


 ロイは怒りの感情ではなくあくまでコウキを諭すように言った。

 彼がここまで真剣に話をすることは過去にない事例だ。


「周りには辛くて苦しい、でも好きで居たい、そんな気持ちをずっと殺さなきゃならない奴だって居る。そうやってモジモジしてる奴が悪いと思うか?ボクは違うと思う。世界と一緒で強い奴が変えていくべきだ。オマエに隙が無ければ、他人が好きになる余地もねぇって事くらいは覚えとけよ」

「ごめん。俺にはロイの言葉を全て受け入れる事はできない」

「おま――」

「でも、分かった。分かるまでは必ず覚えておく」


 真剣なロイの眼差しにやられたコウキは今の台詞を心に留めた。

 留めた上で、理解する努力をしていこうと考えた。


「まぁ、一旦はそれで見逃してやる」

「ありがとな」

「オマエ、本当に分かって――」

「分かってるよ、俺なりに」


 コウキが言葉を遮る。

 少し強い彼の口調にロイが言葉を選んだ。


「…………どうする気なんだよ」

「ミアをか?それともテイナの話か?」


 話の核心をあえてコウキは剥き出しにする。

 普段のやり取りで察する事ができないご都合主義の鈍感さが欲しい。そうコウキ自身も羨んだほどだ。実際はそうなることも無くある程度の理解はとうに出来ていた。


「おま……」

「見てたんだろ、シャワー室の件」

「し、知らねえよあんなの」

「ロイは優しいな。俺なんかよりずっとイケてるよ」


 コウキはそれだけ言って部屋を後にした。


「格好つけやがって、バカがよ」


 ロイも言い過ぎたと、それなりに反省するのだった。



××××××××××××××××××××



 その日は三人、何となくぎこちない感じで夜を迎えてしまった。

 内容としては二次応用魔術理論が始まったり、精霊剣のクラス別実技試験があったりとそれなりに充実した1日だった。しかし朝からてんやわんやで身にならず、ついでにコウキの用事も相待って時間が長く感じた。


「はぁ」


 こんなに1日が疲れたのは人生で初めてだった。

 今日は初めての事尽くしで明日の朝トレにまで響きそうな程だ。


 そして寝る前の最後。

 やるべきことのために生徒手帳を開く。これも、初めての事だった。


《今何してる》


 メッセージ欄で簡潔に文を打つと、返事はすぐに来た。


《ベッドにいる》


 流石はギャルだ、打つ速度が尋常ではない。コウキはそう思った。メッセージ欄には“テイナ”の文字が書かれており、これがテイナとの正真正銘初メッセージである。


《明日朝会えないか。話がある》

《何時?》

《朝トレの後》

《うーん。授業前はお兄ぃと予定ある》

《そっか》


 コウキは言葉に詰まった。計画では朝トレの後にお話をしようと考えていたのだが。仮にそれが出来ないとなると以降はロイが一緒になる。次にちゃんと話せる機会を考えるしかない。


《誘うの下手か!朝トレの前でいいよ!》


 なんて気遣いの文章が来てしまった。


《いいのか、相当早いけど》

《いいよ、お弁当作る時間だし。実は今日作りすぎたから、明日はもう大丈夫なんだ》


 これもテイナなりの気遣いだろうか。なんて事を考えてみたが埒が開かないので一旦甘える事にした。


《それじゃ、朝トレの前に》

《うん。早いから寝るね。おやすみ》

《おやすい》


 誤字ったが、一旦はこれでよしとしよう。

 コウキは深々と布団にくるまって1日に感謝して眠った。



××××××××××××××××××××



 朝が来た。

 今日の天気はおそらく快晴だろう。ほとんど雲もなく空気の澱みも感じない。在り来たりに表現するならば、澄み渡る空とはこの事だ。

 いつもトレーニングしている公園で珍しくコウキは手持ち無沙汰にしていた。何となくソワソワするのは、これからテイナと会うからである。


「おまたせ〜ごめんもしちょっと遅れた?」


 元気なギャルが登場する。

 昨日よりもより早い時間というのに、バッチリ着崩したスタイルとメイクが完璧だ。女の子ってめちゃくちゃすごいんじゃないだろうか、とコウキは場違いな感銘をうける。


「五分前だ」

「あ、そっか。なら良かった」

「うん」

「で、どうしたの?」


 ニヤニヤと、相手に気を遣わせない明るさで聞いてくるテイナにコウキはたじたじだ。苦笑いを浮かべながらも一度気合を入れ直してテイナの目を見る。


「テイナ」

「えっ、ななな、なに?」


 突然目を合わせて名前を呼ばれテイナは素直に焦った。


「話がある」

「それは知って、ます、はい」

「ですよね」


 締まらない会話を繰り広げているように見える。純粋にコウキは緊張していた。

 構想は練ったのに何から話せば、どう話せばいいのか分からない。


「昨日の、その、事なんだけど」

「え?」

「だから昨日の……ミアの事で、話がある」

「あ……」


 テイナの表情がやや曇る。

 誕生日にまで聞かせる話ではないのかも知れない、等と考えたがそれでも決めた事だ。貫くしかない。


「俺は……ミアの事が」

「まって」

「え?」


 テイナが片手で言葉を制して目を見つめる。


「アタシ、コーキの事すき」

「え?」


 まってまってまってまってまって、と。

 コウキは自分のプラン通りに進めようとしていた流れを全て覆される。

 何に誰に待ってほしいのかすら分からなかった。とにかく待ってという言葉が頭の中を駆け抜けた。


「いつからかとかは分かんない。キッカケはコーキがマリード君に倒されたとき……な気がする」


 テイナは自分の過去を思い出して言った。それから気持ちを整理して、とにかく伝えたい事を思うままに話始める。


「毎日たくさん努力してるの、振り向いてもらいたくて。こんなに努力してるんだからミアさんのことが好きって分かっていても、アタシが告白するよりも前に言われたらどうにかなっちゃいそうで。脈絡なかったんだけど……どうしても言っちゃった」


 ぽろぽろと言葉が溢れていく。


「そもそもコーキだって分かったくせに、いつも何となくではぐらかして女の子側から動くの待ってるみたいで凄くみっともないとか思ったり、でもかっこいいし、毎日一回は褒めてくれるし、次はどこを褒められるんだろうって楽しくなったりとかして、でもミアさんの事になると鼻の下伸ばして、ばっかみたい」


 顔を真っ赤にしたテイナが目を瞑りながら、思った事をただ言葉にしていく。

 支離滅裂な台詞をただ茫然とコウキは聞いていた。


「試験の時もう死んじゃうのかもって本気で思って、コーキの代わりに役に立たないアタシの命が無くなってコーキが復活しないかなとか気持ち悪いお願いしたり、勝った時だって自分のことのように嬉しくなって飛びついたのに、コーキなんて言ったか覚えてる?ミアだよ、ミア!どうして側で苦しい思いをして見ているのに見ず知らずの人を囁くんだろうって思ったりしてすっっっごく苦しかった!」


 緊張で震えるテイナがコウキと目を合わせた。


「でも、それ以上に大好き」

「――、」


 美しい瞳に射抜かれ緊張する。

 止まったように感じる時の流れは次第に動き出した。


 コウキは振り返って「話の殆どが愚痴だ」と思った。そう思うくらいには冷静になれた。自分以上にパニックなテイナを見ていると心が落ち着き、感謝の念を抱き始める。


「…………ありがとう」

「あー神様殺してください何言ってんだろうアタシもうやだ」

「情緒不安定か」

「だって、本当、今すぐ帰りたい、むりしぬ」

「もうちょっと待ってくれないか」


 半泣きのテイナを引き留めてコウキは彼女の目を見た。


「俺は、ミアの事」

「うわあああああああああああああ」

「聞け」

「……はぃ」


 テイナが黙る。黙った上で腹を括った。


「俺は、ミアの事は好きじゃない」

「ほらああああああああああぁぁぁぁ…………ん?」


 大泣きしたと思えば突然泣き止み大きな疑問を抱いた。


「俺はミアの事を好きじゃない。あくまで恋愛的な意味では」

「ん?ん?ん?…………え???」


 どゆこと、とミアが理解に苦しんでいると、コウキは話を始めた。


「ある馬鹿の友達に言われてちゃんと考えたんだ。でもやっぱりミアを好きなこの気持ちは憧れのままだ。それ以上でも以下でもない。何故なら、ミアが男だとしても少なからず似た気持ちになっているからだ」


 用意していたありきたりな言葉は真っさらに消えてしまった。

 代わりに心からの言葉をテイナに伝える。


「でもこれだけは知ってほしい。だからと言って、恋愛感情に発展しないとは言い切れない。もっと知りたいと思う自分がいる。その最中で何かがあるかも知れない。でも今は強くなりたいからミアを知りたいだけだ。ああなりたい。俺がミアに抱く感情は自己実現欲求のソレに近いんだ」

「つまり……別に好意的に立ち回ろうとしてないって事……?」

「そうだ。何なら、あの日以来連絡もとってない」


「最後にミアって呟いたのは……?」

「俺の勝ち負けの原動力が、おそらくミアだからだ」

「えまって、ならアタシのこの告白って」


「まぁ……言葉を選ばないなら……ハヤトチリと言うか」

「うわああああああああああああああああああころして」


 テイナ暴走モード。

 芝生に蹲り足をばたつかせる。耳を真っ赤にしてうおおお、と唸り続けている。

 時折芝生をパシッパシッと殴ってはまた唸り始める。


 コウキは一旦、一部始終を見届ける事にした。


「落ち着いたか?」

「むり」


 蹲るテイナの側に腰掛けコウキが話しかけた。


「テイナは知らぬそぶりでいつも人のことを考えている。俺はそんなテイナのことを尊敬している。毎日褒めるのは、ごめん恋愛的な意味はない。美しい在り方をする人が、ちゃんと褒められる世界でいたいって願望に近い」

「…………それ、あまり嬉しくない」

「だよね。でも嘘はつけないから、俺が言えるのはここまでだ」


 テイナは顔を見せないままで呟いた。

 籠った声だが、それなりに元気はありそうだ。


「でも好きな人居ないんでしょ?」

「そうなるね」

「なら、アタシを好きになればいいじゃん」

「え?」

「何でもない!」

「それは未来の俺が勝手に決めるだろうな」

「聞こえてたのかよ、キザ!バカ!アホ!」


 依然寝転がったまま。

 パタパタと地面を蹴ったり空いた手で隣のコウキを殴りながら反抗の意思を示す。


「で、俺なりのテイナへの気持ちなんだけど」

「……え?」

「ちょっと、その、起きてくれないか」

「今メイク崩れてるから直視はしないで」


 そう言いながらテイナは体を起こし、しゃがんでいるコウキに合わせて向き合うように座った。

 しかし目までは合わせずにずっと斜め下を見ている。


「目、閉じててくれないかな」

「えっ…………まってコーキそう言うやつ?ごめん今だと皮膚環境問題とか歯磨き10回したかったり」

「多分違う。俺まで恥ずかしいからヤメテ」

「あ、はい」


 すっと目を閉じたことを確認する。

 しばらくしてコウキの手がテイナの髪に触れる。

 テイナの肩が跳ねて小さな震えがコウキにも伝わった。

 

 そして、


「あけていいよ」

「……うん」


 瞳を開けると、そこには小さな鏡を持ったコウキの姿があった。

 その鏡に映るのは――、


「………………………………ぁ」

「うん、似合ってるよ」

「髪飾り」

「そう。初対面以来ずっとつけてなかったから」

「――っ」


 不意にテイナが涙を流した。

 全てを我慢していて、この場だけはと留めていた物が溢れるようにして流れていく。


「ぅ、あ」

「そんなに泣かなくても」

「ぁあぅ……うっさい……ぁぐ……ぁ」


 何をしていたんだろう、そう思った。

 こんなにも世界は尊くて、こんなにも好きな人には変わらない良さがある。自分はそれ以上を求める事に毎日必死だった。私は一体、何をしていたんだろう。そんな気持ちが何度も渦巻いた。


 初対面から覚えてくれていた。実技のある次の日から壊れるのが嫌で外していた髪留めは、自分ですら入学式だけつけていた事を忘れていた。でもそれをたった一人、好きな人が覚えている。こんな日はきっと素敵な日だ。それなのに私は相手を悩ませたり振り回したり決めつけたり。散々愚痴まで言った嫌な女だ。


 それでも毎日気にかけてくれたり、今も嫌な顔せず似合ってるだなんて。これだけでも幸せな一日だ。焦ってばかりで恥ずかしくて情けなくて嬉しくで不愉快で幸せで、とにかく意味もなく涙が止まらなかった。


「ぅ……ぅぐ」

「めっちゃ俺が泣かせたみたいになってる」


 お前が泣かせたんだろ!と力ない拳でコウキを殴った。

 コウキは動かないままただ泣き止むのを待っていた。


「俺だって女の子にプレゼント笑とか初めてなんだよ」


 うるさい、とまた力なく殴る。


「店員さんすっごく無愛想で緊張したよ。友達にプレゼントですって言ったのに」


 そこは彼女って言えや、とまた殴る。


「俺の気持ちは伝える。テイナとは友達だ。だけどやっぱりどんな友達より特別なんだ。だから、プレゼントは渡したいから渡す。そうさせてくれないか」


 ついには、殴ることすらもやめてしまった。

 もう反抗することができない。真っ直ぐな思いに射止められ、言葉も行動も意味を失ってしまった。だから思いで返すしか、テイナにやれる事はなかった。


「――、」


 コウキの目の前に柔らかな花の匂いが漂う。

 鼻腔を刺激する、甘い香りと細い髪。腕の中に収まった細くて柔らかい肩。少し濡れた頬が首筋に当たってむず痒い。冷たいのに暖かい、人の温もり。


「好き。すこしだけこのまま――」


 コウキは仮初の時間を静かに受け入れた。



××××××××××××××××××××



 早朝トレーニング後、寮に戻るとルームメイトが可笑しかった。


「馬鹿は風邪引かないって話、ありゃ多分嘘だね」


 鼻にティッシュを詰め込んだロイが何やら自虐ネタを披露している。

 登校前はいつもこうやってコーヒーを楽しんでから教室に向かうのが日課なのだった。


「ボクさー今日熱がある訳ではないけど幻覚を見たんだよ。昨日あんなことがあったのに、テイナちゃんとオマエが抱き合ってんふごっ!」


 ブッッッッ!と勢いよくコーヒーをぶちまけてロイの顔は茶色に染まった。焦ったコウキが側にあるタオルをロイにぶん投げる。


「冗談でもその事を口にするな!多方面が傷つく!」

「おっおう。流石のオマエも改心したんだな。ボクぁ嬉しいよ。それでこそ男の中の男。ポリシー、大事にしてこ」

「鼻にティッシュ詰まってんのに器用に話すな〜この猿」

「誰が猿じゃボケェ!引っ掻き回すぞ!!」

「猿みたいな言い回しするあたり乗り気だなこの猿」


「その“この”って部分にデッケー悪意があるなこのタコ!」

「なぁ、知ってるか?ロイのIQはおそらく60はある」

「んお!それもしかして結構あんじゃねぇの?」

「タコは70ある」

「おおおおおおおおおおい低いんかい!流石にタコ以下は無いだろ!」

「でも人も80-100くらいしかないらしいな」

「それはタコがすごいな!そうだな海の賢者とか言うもん!」


「で、何の話だっけ?」

「忘れたよ!もういいよ!」


 ロイは話を逸せば怒っている理由すら忘れる説、立証。

 これからは積極的に応用していこうと心に決めた。


「とりあえず休んでろよ、流石に悪化するとまずいだろ」

「いや、行くよ。ボクが居ないと授業にならないだろ」

「自己肯定おじさんじゃん。イタ客だよ」

「何の話をしてんだよ!」


 コウキにもよく分かってないので一旦スルーして、本気で学校にこようとするロイを止めることから始めなければならない。


「マジな話するとうちの学校は休む分にはマイナス評価にならない。むしろ参加して途中退場が減点で最も非効率だ。体調か悪いなら早いところ直すのが吉だぞ」

「あぁ、わかってる。でもボクは人よりも学科が弱いんだ。せめて参加ポイントだけでも」

「弱点みたいに言ってるけど勉強しないだけじゃん」

「体調悪いんだから痛いとこつくなよ」

「そう言うところやぞ」


 簡単にツッコミを入れて、とにかく、と言葉を紡いだ。


「保菌者は今日は来るな、分かったな?」

「人を病気みたいに」

「病気だろ!」


 元気そうではあったが一旦休んでもらう事になった。

 コウキは寮を出ると、生徒手帳を取り出して操作しながら教室に向け歩き始める。

 その最中で本来見るはずのない光景を目にしてすぐに歩みを止めた。


「んえ、キオラじゃん」

「コウキか」


 目が合った金髪の美丈夫。彼はキオラ=フォン=イグニカだ。

 今日は前髪の無いストレートの長髪を後ろで一つ結びした格好だ。緑の瞳と機嫌の悪そうな鋭い眉、プライドの高そうな出立ち。加えて白色(ブロン)を示す知性のケープがより一層彼の世界観を作り上げていた。


「あのさ、確か他の色階級クラスには入れないんじゃなかったっけ?」


 そう。最も疑問に思った事は白色ブロンであるはずのキオラが黒色ノアールのエリアにいる事だった。本来はエリア毎に自己完結するため態々行く必要がない事や、そう言った交流に関しては中央エリアで行われるはずだった。


「教室に行かなければ自由。申請を出せばそれも可能だ。生徒手帳を読め」

「へーそうなの、今聞いたからいいや」

「変わらないな」


 コウキにとってウィキオラさんはあまり知らない事を教えてくれる友達だった。キオラもキオラでお節介な一面があるのか、説明する事を厭わない良い関係と言える。


「……本当に得たのだな」

「んぇ、ああ、そうだね」


 キオラは暗黒のローブに刺さった特別生のブローチを眺めながら呟く。察したコウキが返事をすると、キオラの胸にも特別生のブローチがついている事を確認した。


「キオラこそ、頑張ってるみたいだな。噂によく聞くよ」

「妹だろう。テイナは無駄話を好む性格だ」

「とかいってお兄ちゃん的には誇らしかったり?」

「不躾だ」


 出、出〜ッ!困った時不躾奴〜〜〜!


「また失礼な事を考えている顔だな」

「キオラだけ毎回微妙に心読むのやめてくれる?」


 兄妹揃って人の心や感情の機微を読む事に特化している。

 イグニカ家はホスピタリティやメンタリティを売りにしているのだろうか、と無駄な事を思考した。


「お兄ぃ〜!お待たせ、ってうお!コーキ!おはよ」

「おはようテイナ」


 扉から勢いよく出てきたテイナと挨拶をする。

 今朝の出来事を思い出し、気まずい雰囲気が流れるのかと思ったが杞憂だったようだ。ごく自然に挨拶を交わせたので以降は安心して会話ができそうだ。


「そういや授業前にキオラと予定あるって言ってたな」

「うん、そーなの!でももう終わったんだ」

「あぁ、そうなのか?兄妹水要らずって感じだろうし俺先行こうか」

「いや、居て構わない。せっかくの機会だ」

「そ、そう?」

「お兄ぃもコーキが居て嬉しいって!」

「翻訳ありがとう」

「も、とは何だ。も、とは」

「まあまあ」


 キオラの背中を押しながらテイナと教室を目指した。


「そーいえば、ロイ君は?」

「あーね。体調不良だ」

「えぇ!?」


 テイナが恐ろしいほど驚いた。

 多分、体調を気遣ったと言うよりは馬鹿でも風邪引くのかと言いたげな感じだ。


「あれだけ稚拙ならとても体が弱いようには見えんな」

「異論、反論、共に無し」

「ロイ君の評価厳し〜」

「テイナ。交友関係は自由だが気をつけろ。男はどうしようもない生き物だ」

「男に言われても……あと、ロイ君よりコーキの方がどうしようもないケダモノかもよ?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながらイジってくる。

 今朝泣かせた分の仕返しをされてるなと肌身で感じ取った。コウキがバツの悪そうな顔をしていると、キオラが真っ直ぐの瞳でこちらを見る。


「何れにせよ、妹を傷つける奴は許さん」

「だってさ〜、あはは、シスコン過ぎ」

「なんだろう……上手く笑えねぇ」


 キオラも冗談である事は理解しているのか、それ以上はコウキを困らせると判断して話を逸らした。


「ところでランクは確認したか?」

「あ、そっかそっか。それ確認するために生徒手帳開いたんだった」

「え、コーキ確認してなかったの?アタシロイ君とコーキのランクすぐ見ちゃった」


「どうも生徒手帳見る習慣がついてないんだよな」

「いいねそれ、そのままで居ていいよ?」

「どう言う意味?」

「別に〜」


 変なやり取りを終えるとキオラに操作してもらいながら自分のランクを確認した。


【アオイコウキ: ランクC/ Pt 1568/ 序列2032】


「んおおお、ランク上がってる」

「当然だ。ここを押すと、同じ色階級内での序列や詳細も表示される仕組みだ」


【黒序列495/ 成長速度B+/ 予備試験0/ 依頼0/ 特別生】


「すげぇぇぇぇ!」


 男の子としての感動が勢いよく押し寄せた。

 自分の成績が詳しく可視化されるのは強いモチベーションに繋がるものだ。コウキは嬉しそうにテイナにも見せ、無邪気に喜んでいた。


「よかったねぇコーキ」

「あまり驕らないことだ」


 おばあちゃんのような笑顔で宥めるテイナと厳しめのキオラ。二人のランクが何となく気になったが、あまり人の事情を聞くのも野暮なので抑えた。


「ランクと総合ポイントは異なる。総合ポイントはPt表示で常時加算され本人のランクによって上昇率が変わる」

「ランクが高いほどテストとかの総合ポイントも多く貰えるんだな」

「ああ。だがランクを上げるためには10段階の評価項目を全て10にする必要がある」

「つまり評価不足でDランクのままだけど1800Pt保有している生徒も居るって話か?」


「大袈裟に言うならそうだ。序列はPtの方で反映される」

「ポイントが低い人がランクアップするとどうなるんだ?」

「一気に保有Ptが上がる仕組みだ。Dランクで1800保有してるなら、ランクアップと共に軽く2000ptは超えるだろう」

「なるほど」


 簡単な話、レベル制限下で経験値がマックスでも数値は蓄積されるということだ。

 レベル上限を解放した時に、過去の努力もちゃんと数字となって反映されるようなものだった。


「Dランクでの10段評価項目は2種。Cランクからは4種の40点評価となる。理論、社会の座学2項目に加えて戦闘、魔法の実技2項目で計40点だ」

「ランクアップと共に細分化される仕組みなんだな」

「そうだ。評価される瞬間は学業の何処かに隠れている。心して挑む事だな」

「ありがとうキオラ」

「例には及ばん」


 二人のやりとりを黙って見ていたテイナが、突然「あ」と何かを思い出す。


「おべんと忘れちゃった……‼︎」

「おいおい、大丈夫なのか?」

「まー今日は学食でいいや。そうだお兄ぃ、まだ時間あるよね?」

「授業まではまだ余裕があるな」

「購買よってこうよ!ノアール限定黒胡麻サラダがあるよ」


 購買にはそんなものがあるのか、とノアールの生徒であるコウキも驚きだった。ともあれ購買自体は道なりにあるので少し寄る分にはいいだろう。キオラが得体の知れないサラダなんて食べるとも思えないが。


「なんだと……!」

「あれ、もしかしてキオラさん……」


 そんな馬鹿なと思うコウキだった。


 この兄妹は実に読みにくい性格をしている。

 天真爛漫だけど繊細なテイナや、不機嫌そうに見えて面倒見の良いキオラ。

 絶妙なバランスはどうやって生まれているのだろうか。

 そう思いながら、黒胡麻サラダを嬉しそうに持つキオラを眺めていた。


「キオラも野菜が好きなのか」

「野菜が嫌いな人間が居るのか?」


 居ると思うぞ。と考えたが水を差すのも違うので「それもそうかもな」と言葉を濁しておいた。


「ところで」

「何だ?」

「妹と何かあったのか?」

「ぐはっっっ」


 想像していなかった角度の発言にコウキはHPを半分以上持ってかれた。ゲームで言うならオレンジゲージくらいにはなっているだろうか。


「妹を見ていれば何となくわかるものだ」

「そんなもんなのか?特に何かあるとかではないよ」

「だろうな。嫁入り前に傷物にしていたら僕が殺してる」

「物騒だな」

「僕はアンタを信用している。コウキ、引き続き妹を頼む」


 遠くて購買のおばちゃんと仲良く話をするテイナを見つめながら、キオラは力強くそう言った。


「任されました。とりあえず守るつもりだけど、テイナ自身も心配いらないくらいにはしっかりしてると思うよ」

「いつの世も、兄は下の子が心配なものだ」

「へぇ。なんかいいよな、そういう関係」

「失礼を言ったか」


 キオラはおそらく家族の記憶がないコウキに気を回したのだろう。問題ない、とだけ伝えた。楽しそうにこちらに来るテイナに手を振る。


「とりあえず、いつもありがとうキオラ」

「何の礼だ。覚えがないな」


 気障ったらしく吐き捨てる。

 歩き始めてすぐ教室と中央エリアの分かれ道まで辿り着いた。


「じゃ、この辺で」

「お兄ぃ、今日はありがとう!」

「構わん。行け」


 さっと手を振り、帰ろうとした矢先。


「そうだ、コウキ」


 キオラが最後にコウキを呼び止めた。

 コウキが振り返ると、少し楽しそうな表情の美丈夫。


「もう知ってるかも知れないが、特別生にはミア=ツヴァインも居る」

「――、」

「デスフラッグでは互いに切磋琢磨し合えることを期待している」

「勿論だ。よろしく頼むよ」


 それだけ告げると、キオラは早々に帰っていった。

 コウキは来たる運命のデスフラッグまでの猛特訓を決意した。


「コーキ、うれしそう」

「そうかな」

「ふふ、かーわい」


 馬鹿にするような声色で覗き込むテイナを14歳の少年は直視できない。

 代わりに、伝え忘れたことをテイナに言う。


「テイナ」

「んー?」

「誕生日、おめでとう」

「うん、ありがとっ!」


 振り返った少女は満遍の笑みで返した。

 いつもよりキラキラした粒子が飛んでいるのは誕生日効果だろうか。それともプレゼントした髪留めが輝いているのか。考えても仕方のない事は置いといて、これにてテイナの生まれた一日は幕を閉じることとなった。


「あ、キオラにおめでとう言ってないや」


 男友達なので、もうそこは割愛しよう。


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