第6話  「優雅な騎士とボロの犬」



「本日はお集まり頂き誠に有難うございます。宣言通り、ノアール1学年4クラスでの合同実技試験を執り行います」


 屋内競技場はだだっ広い体育館のような印象だ。

 高い天井と格子扉、さまざまなスポーツに対応する空間でありながら地面はセメントにも近い硬めの作り。室内を感じさせない雰囲気は、どこか屋外の広場にも見える。


 そんな中で1年4クラス分をまとめながら指揮をするのは闇タイプ実技担当のグェン教頭だ。40代とは思えない艶のある銀髪をセンターパートにしたハンサム教師。切れ長な紅瞳や目の下の黒子、自信に満ちた表情に加えて人格者。


 大して人の見た目に興味関心のないコウキでさえ、同じ男として彼に勝る部分を探すのは難しいとまで考えるほどだった。


「管理進行は私、グェン=レミコンサスが担当します。皆、よろしく頼むよ」


 グェンが一礼すると、全生徒が気をつけるように足をそろえた。


 非の打ち所がない人物像がかえって一部からの批判を受けるグェンだが、圧倒的なカリスマであることは変わらない。士気の高い眼差しで多くの生徒が話を聞く姿勢だ。


「そして実技テストの内容について……今から行うのは断絶の試験です」

「――、」


 その瞬間、近くにいる1クラスの3人がやはりと息を呑んだ。

 ここからが最も重要な部分だ。

 ペアを自由に決めるのか、ランダムに対戦相手を決めるのか。何れにせよそのリスクの高さから、戦うパートナーが最も大切となる事に変わりはない。


「今からペアを自由に組んでもらいます。そのペアと断絶が行われるまで戦っていきます。先に断絶を起こせた側が勝者となります」


 来た。そう思ったのはコウキだった。

 ミアから事前に聞いていてよかった。仮にこれを事前調査無しに聞いていたとしたら口裏合わせする時間もないはずで、今回は助かったといえる。


「そして二回戦以降はトーナメント形式。上位4名が残るまで繰り返し“決闘”を行います。もちろん戦闘の最中に断絶が起こらない場合は失格とします」

「――な」


 ロイは思わず声が漏れて慌てて口を塞いだ。少しだけ遠くにいるが見るからに冷や汗をかいている。そもそも断絶の時から多くの生徒がどよめいていたため、競技場内は不穏な雰囲気を纏っていた。


 グェンの話を聞いたコウキ自身も考えの甘さに絶句している。

 最後が残るまで連続して戦うだなんて事は視野に入れていなかったのだ。これではペアを組んでやり過ごしたところでまた戦わなければならない。


「皆さんの生徒手帳の方に希望するペアの相手を送って下さい。それをベースに采配し、希望のペアにならなかった人たちは生徒手帳側がランダムでペアを作る仕組みです」


 加えてやはり相談をし合う余地は無しか、とコウキは思った。このやり方では事前打ち合わせは無くランダムであることから評価基準も相当に厳しいはずだ。身体的なリスクの方も大きい。篩にかけて来ていることを肌で感じた。


「質問は受け付けません。やり方を思考することも試験の一部に含まれます。断絶は相手の精霊剣以外の所有物を切る際に生まれる一撃です。偶発的ですが意思なくては発動しないことを念頭に入れて下さい。――それでは、生徒手帳を出して下さい」


 グェンが淡々と話をし、生徒は慌てて手帳を取り出す。

 学園側が私語を挟む時間を与えないと言う事は、ここでの会話は評価が左右される可能性があるだろう。


 周りの生徒に合わせてコウキも画面を見るとそこに映し出されているのは参加者の名前だった。おそらくこの中から理想的な相手をタップして投票する形だ。勿論希望などないので、適当にボタンを押した。


 しばらくすると、全員が投票を終えたのかグェンが教員用の手帳を見た。一つ一つを確認した上で集まる生徒を一瞥して話を始める。


「試験の制限時間は25分。精霊剣使用時に最もパフォーマンスを発揮する時間帯をクリティカルゾーンと言います。通常は顕現10分後から10分間で発生するため25分としています。それでは、生徒手帳を確認して指示に従って下さい」


 手帳を確認すると、そこにはコウキの名前と対戦相手のマリード=デリアの名が連ねられた。画面すぐ側に競技場内コートの場所等が描かれており、集合場所の指定まで確り記載されていた。


 続々と生徒が定位置まで移動を始めていく。


「コーキ」

「どうしたテイナ、それにロイ」


 移動に乗じて近くにいた二人がコウキの元へやってくる。どうやらこの二人はペアが決まったらしい。どちらかが負けるにしても、対戦相手がわからないよりは安全で一先ずは安心と言ったところだ。


「ボクは言うほど心配してねーけど!テイナちゃんが挨拶にってよ」

「勝ち筋はみえてるの?」

「んー、どうだろう。負ける気はないつもりだけど」

「微妙に自信なさそーだね」

「そりゃまぁ、人を切るのは初めてだからね」


 素直な感想を述べて自分の手のひらを見る。

 今から行うのは紛れもなく難しい実技。

 覚悟が必要だ。


 あの日見たミアの美しい動きを思い出す。

 無駄のない冷静な立ち回り、綺麗なカウンター。コウキ自身が学科も実技も今日まで人一倍努力できたのはあの光景のおかげだ。


 それを今、試す時が来た。

 大丈夫、アオイコウキならできる。

 そう言い聞かせて武者震いする手をぐっと握る。


「うん、でも、まぁ……絶対に勝つよ」

「――、」


 自信を込めたコウキの一言にテイナが驚いた表情をした。


「オマエが負けたら洒落にならないね。絶対に勝ってこい」

「ありがとう。ロイ」


 そうして2人の元を去り、コウキは会場へと向かった。



××××××××××××××××××××



 広い競技場の中を線で区分けした60ヶ所を超える戦闘スペース。

 今回は断絶をメインとする為、広々とした空間が用意されている訳ではなくコンパクトな戦いのスペースらしい。その一部には勿論、コウキもいた。


「デリア家が長兄、ノアール2クラスのマリード。アオイコウキ、恨みは無しだ」


 マリード=デリアは異常にデカかった。

 二メートルを超える巨躯にスキンヘッド。頭には刺青が入った見た目だが、どこか品格さえある風貌。圧力と秩序を感じさせる自信のある表情。そして金の瞳が特徴的だった。


「マリードこそ、吠え面かかないようにね」

「ふん。小粋な男よ」


 ステージの中でマリードと向かい合ったコウキは、グェンのスタートの合図を待つだけの状態だ。


「顕現せよ、軍略の剣――スカンダ」

「妖精の剣、ナイアルラ」


 マリードとコウキが同時に精霊剣を呼んだ。

 光が集まり形を成して、すぐさま顕現する互いの刃。


 マリードは巨躯に相応のロングソード。艶かしい白銀の巨大な剣だ。対するコウキは漆黒の刀。リーチはマリードほどは無いが軽量でしなやかに弧を描く。


「貴殿の功績は手帳にて確認させてもらっている。全く学科の実力は大した物だ。努力家なのであろう」

「えっ、成績って一般公開されるのか」

「何と。それすら知らぬか。より興味深いな」

「後で確認方法教えてくれない?」

「よかろう」


 戦闘の合図を待つ二人が互いに構えをとりながら話をしていく。


「てことはあれだな、既にCランクが居るって話は噂とかではないんだ」

「貴殿の予想は正しい。現状1学年でのCランクは5人いる」

「あー、あのさ……もしかしてなんだけど」

「それも正しいだろう。――我がCランクである」

「――、」


 コウキの首筋を嫌な汗が撫でる。

 どう考えても初戦で戦う相手ではない。

 おそらく彼は相当に強いはずだ。


「そうか」

「あぁ。我に勝てるのであれば、それなりだろうな」


 余裕を見せる態度を崩さず、しかし頭が真っ白になりそうな感覚に苛まれながら思考する。


 彼を見れば周りの生徒との違いくらいは素人でも理解できる。

 問題は攻略方法だ。おそらく、正攻法では確実に勝てない。


「では手合わせ願おうか。吠え面をかきたいのでな」

「実はちょっと嫌なヤツだったりする?」


『それでは、実技試験を開始します』


 アナウンスと共に、火蓋は切って落とされた。


ごうッッッ!!」

「んなっ!?」


 初めに仕掛けたのはマリードだった。

 巨躯を思わせない俊敏な速度で距離を詰め、剛の言葉と共に赤く染まった剣がコウキを狙う。


 コウキはこれを妖精剣で受け止めるが話にすらならない事を瞬時に理解し、受け切らずに手首の力を抜く事で横に薙いだ。


 腕に筋肉と関節が悲鳴を上げる。


「ほう。剛剣を受けない選択は正しい」

「俺なんかじゃ受けきれないのが正しいんだよ」


 続け様二度の素早い剛剣がコウキを襲うが、どうにか力を流す事で窮地を凌いだ。三度目の攻撃の後、マリードの剣は白色へと戻っていく。それを見たコウキがなるべく遠くまで距離を取った。


「普通に、やばい」


 戦いで勝敗を分ける重要な事柄の一つが“ウェイト”だ。


 様々な競技で体重差は事細かに分けられる。

 どれだけ実力があろうともそれを簡単に覆してしまうからだ。元にこの一ヶ月、血生臭いトレーニングをしてきた方だとコウキ自身ははっきり言える。しかし、それが通用する相手とは到底思えなかった。


 カウンターを狙うにも速度が速く無駄がない。

 正面突破は論外。隙を突けるほど相手に驕りもない。

 あらゆる場面を考慮しても、コウキが勝る部分は未だ無いに等しい。


じゅう


 その合図と共に、マリードの剣は青く染まる。

 一歩、また一歩と歩き出し徐々に距離を詰めていく。

 対するコウキは背後に逃げ場が無く、このままでは充分なスペースを確保できない。何処かで自ら距離を詰めにいく必要がある。


「色が変わるたびに違う能力が生まれたりするのか?」

「試してみるがよい」

「遠慮、なく!!」


 背水の陣を抜けるべく、地面を強く蹴ったコウキは一瞬で相手との距離を詰め、漆黒の妖精剣を斜めに振り下ろす。

 当然のように迎え討つマリードの精霊剣が、その攻撃を的確に流した。


「――ッ!?」

「甘いな」


 何かがおかしい。

 先ほどまでのマリードの剣の重さは消え去り、まるで虚空を斬ったかのようにコウキの剣は流された。


 同時に簡単な分析をする。

 剛の剣はパワー全振りでウェイト勝負。そして柔の剣は回避や防御に特化しているという話だろうか。


「何種類あるんだ」

「それも――試せ!!」


 ゴオォ!と風が鳴く。

 マリードは白に戻った剣を横に大きく振っていた。反射的に妖精剣で守りに入ってしまったコウキの体が大きく吹き飛んだ。


「ぐぁ……ッッッ!」


 何度も床に打ちつけられ、身体の節々が悲鳴をあげる。

 ――しかし痛みに集中するより前に、身体が異常な悪寒を察知した。本能にも近い“ダメ押しがくるならこの時だ”という感覚を頼り反射的に右へ飛ぶ。


じん


 轟音。岩の砕ける音がした。

 見ればコウキが先ほどまで倒れていた場所にマリードが剣を突き刺していた。深々と床を食い込む巨大な剣は、黄色に染まっている。


 コウキは冗談抜きで溢れ出る冷汗に嫌な顔を浮かべながら、ふらつく足取りで立ち上がる。視界はまだ生きている。耳も問題ない。三半規管が生きてさえいれば実力通りに戦えるはずだ。無論、ウェイトの差を除いてとなるが。


「ここからだぞ、アオイコウキ」

「殺すつもりか、その力」


 マリードが返事をする代わりに次の攻撃に出る。

 素早いステップで射程圏内まで距離を縮め、渾身の一振りを行った。しかし、これはコウキが“剣で受け止めた”事により阻止される。


「今度は受ける選択か」

「黄色はどう考えても他の色より速度が速く、一撃が軽い」

「見事だ」


 三度目の一振りも妖精剣で受け止めると、マリードの精霊剣は元の色に戻る。今回はコウキがその瞬間を逃すことはなかった。


「一式――“狐唄きつねうた”」


 左足首を固定し腰を主軸に、手首のスナップで強くナイアルラを振り下ろす。到底刀とは思えない無駄な動きだった。


 このロングソードの型で見るような大ぶりの斬りかかりは、重さの無い刀では真価を発揮できない。空振り後の予備動作を含めれば、避けられて仕舞うと隙だらけとなる。


わざか。見せてみよ」


 しかしこの国では刀が発展していない為、マリードはこの違和感に気づく事はなかった。咄嗟に剣で迎え討つ。


 コウキの剣がマリードの剣を叩き割りにいく瞬間。

 この時初めてデリア家の長兄は驚きに眉を顰めた。


「――ッ!?」


 迎え討った感覚が全くない。

 それどころか“コウキが消えた”状況に動揺し隙を生む。


「悪いね」


 正確には剣同士が触れる瞬間に手首の力を抜き受け流しながら、踏み込みの力をそのまま相手の背後へと向けて既に回り込んでいた。


 魔法で微力強化した足がバネとなり加速する事で成功する上、大きなモーションでの誘導、攻撃を流せる軽量武器までが必須条件の刹那の欺き。通称、一式“狐唄きつねうた”だ。

 有効時間にして一秒未満、そして通用するのは1人1回程度の初見殺し。


「いかせてもらう」


 だが既に体勢は整った。

 マリードは背後を向いたままだ。

 勝ち筋が見えないからこそ、欺く事で機会を得た。


 コウキは既にクリティカルゾーンに突入していた。

 最高潮、何も躊躇わずにただ横薙ぎの一撃を放つ。


 断絶を行う固い意志をこの柄に。

 そして。


「断ぜ――」

ぼうッッッッ!」


 ガキィィィィィィィン!と、強烈な金属音が鳴った。


「――、」


 コウキの妖精剣は“背を向けたマリード”が止めていた。


「……それができるなら」

「逆に何が出来ないのか、だな?」


 後ろ向きのまま、剣だけが粘土のように歪に変形していた。背中を守るようにして上から地面へと突き刺さっており、その精霊剣にコウキの妖精剣が抑えられた。

 刃先がやや食い込むことで、そこからの刺突も不可能なほどガッチリと絡め取られた状態。静かに互いが拮抗する。


「出来ないことなどない、と言いたいところだが。今の業に敬意を以て言うならば、これは半分奥の手だ」

「本当は使いたくないって?その割には俺の刀にかなりご執心だけど」

「それはやはり貴殿が粋なのだろう」

「なら離してくれないか、束縛は嫌いだ」

「そう焦るな」


 すぅ、と。気の抜けた音と同時にコウキの剣は解放される。

 咄嗟に距離をとり、既に体勢を整えたマリードと向かい合った。


「貴殿は駆け引きも上手いものだな」

「なんのことか」

「一度精霊剣を解除し再度顕現させ、我に追い討ちをかけなかったことだ。そのために会話を間延びさせていたのだが」

「一瞬だけ考えたけど、おそらく今のクリティカルゾーンがリセットされる。となると強烈なカウンターもらって即負ける感じだ」

「やはり貴殿の判断力は良いものだ」

「ありがとう。マリードの方は、解除要求見え見えだと思った。慣れないことはしない方がいいよ」

「ふん。粋な男よ」


 それだけ言うと、マリードは剣を地面と平行になる様に持ち上げた。そろそろ行こうじゃないかと誘うような、攻撃の意思を強める姿勢だった。


「まだ策はあるか」

「無論」

「ふん。では――参る!」


 ドッッ!とマリードが床を強く蹴った。目で追うのがやっとの速度でジグザグに飛びながら進んでいく。要所要所を目で追うと全体の距離間隔が鈍り危険だ。コウキはあえて迫り来る敵の動きを俯瞰で捉えた。


「三式――“蝶返ちょうがえし”」

じんッ‼︎」


 運動の法則を無視した凄まじい速度でやってくるマリードは射程圏内に入り、これまでにない超速度で精霊剣スカンダが振り下ろされる。


 ヒュンッ!と、見た目の無骨さからは想像できないほど軽々しく素早い風切り音。

 コウキは上半身を脱力させたまま、迫り来る刃を流れるように避けた。

 風に乗る蝶に触れようとした際、空気の歪みで触れられない事に着想を得たこれは三式、蝶返だ。


「疾ッ!」


 二度目のマリードの一振りも同じ所作で避ける。

 正面の姿勢は崩さずに、自分の攻撃をやめる事で相手の軌道へ全集中する。


「避ける為の業か、感慨深いッ!」


 フルスイングしたマリードが踵を返し、三度目の横薙ぎを放つが、またコウキは避けた。しかしマリードとて三度目。握っていた柄を長く持つ事でリーチを長くしており、これがコウキの腹を掠めた。


「――ッ!?」


 戦闘中にしては優しすぎる、温かな血が腹を伝う。


 傷は浅い。考えるのを辞めてこの一手に集中した。

 マリードは三度目の一振りを終えたばかりだ。

 そしてその距離は、ナイアルラの射程圏内。


「蝶返は、カウンター技だ」

「――ッ」


 ぐぐ、と。避けた姿勢を戻し、脱力を一気に硬化させる。

 前傾姿勢になり妖精剣を構える。虚を突かれたマリードの表情が印象的だった。


 マリードの軍略剣の色調変化は三度目の攻撃と共に止んでいた。能力に持続回数があるタイプだ。加えて白に戻った際、間髪入れずに色調変化をする事はできない。

 コウキはこれを戦闘中に理解し、蝶返からのカウンターを狙う考えで実行に至る。


「疾」


 そして柄を強く握り振り上げる、魂の一撃。

 断絶の意識を強く持ち、マリードを捉える。

 攻撃のインターバルか、相手に次の一手はない。


「ぉおおおおおおおおあッ!」


 声と共に妖精剣は放たれた。

 弧を描く軌道で、確実な間合いと共に巨躯を狙う。


 そして驚いたのマリードは――、笑みを浮かべた。


選定戦順せんていせんじゅん

「な――」


 時が止まったかのようだった。

 ゆっくりと進む意識の中、マリードが半歩下がったのを見た。

 そしてその手に輝く“黄色い光のままの精霊剣”は振り下ろされた。

 コウキはこの一連の流れを目では見れても頭では理解できなかった。


 ガキィィィィィィン!!と。

 互いの金属同士が悲鳴をあげて、コウキの妖精剣は宙を舞う。

 反動で背中をのけ反ったコウキには、回転していく様がよく見えた。見えたけれど、やはりまだ理解に及ばない。


 ――何故3回目を過ぎたのに光っているのか。

 ――何故無理なカウンターが成功しているのか。


 白黒になった視界の中、その端に見知った顔がある。

 ロイとテイナだ。何かを叫ぶテイナをロイが必死に止めている。


 少し意識を向ければ、コウキとマリード以外の面々はほとんど全員終わっている。

 多くの生徒が残り数組の戦いを見ている。現状を理解せずとも自分が滑稽に映っている事くらいは知っていた。最早みんなの笑い話にでもなればいいなと、そう思った。


「駄目ぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!」


 金切り声のようなテイナの声がやっと聞こえた。


「よそ見か?」


 相反するマリードの落ち着いた声もした。

 そして。


 ズパァァァァァァッッッ!!と。

 コウキの肩から腰にかけて、盛大な血飛沫が上がった。


「ぁ」


 続け様、二度目の攻撃が逆の方向から来た。

 同じように肩から腰にかけてバツを描くような軌道で振り下ろされた。


 二度目の攻撃でついには視界も真っ赤に染まった。


「ぁぐ」


 どこかから酷い叫び声や悲鳴が聞こえる。

 コウキは押し寄せる痛みと衝撃で他人の事まで思考が回らない。痛みで白目を剥いて、ひん剥いた目から血を溢した。


 初戦でこの様では敵わない。否、叶わない。

 目指すべきミアという最強が遠い。


 痙攣を始める体よりも、白目を剥く痛みよりも、ただコウキは悔しかった。


 少しくらいならできると思っていた。

 たった一ヶ月でも、血の滲む努力の中で必死にもがいてきた。様々な人たちが文化交流する中で、自分は自分と向き合い、やれる事は沢山してきたはずだった。


 一太刀も、振るえなかった。


「……………………か」

「止めろ。もう動けまい」

「負け、るのか」

「そうだ」


 真っ赤な視界、足元の血溜まり。

 剣を構える返り血の巨躯。増える野次馬の様々な表情。ただ見ているだけの傍観者でいたくない、そう思うほど無責任な目線ばかりがコウキの惨状を見た。


「貴殿はよくやった」

「……………………」


 ストン、という音がした。

 飛んでいった妖精剣が目の前に落ちてきたのだ。コウキはそれを手に取ろうとして、また血が飛び散る。


「コーキッ!もう止めよう、死んじゃう!」


 何か声がする。

 だがコウキにはもう目の前しか見えていない。

 流れ続ける血を治癒魔法で止血して、再び剣を握って構えをとる。力の入らない膝が笑うように体勢を崩し、それをまた戻して、なんとか堪えた。


「貴殿に勝ち筋はない、これ以上は虐待だ」

「……………………」

「以後は浅く切る故、断絶成功まで抵抗するな」

「……………………」

「貴殿は、悪くない」

「――ッ」


 瞬間、一人の白い少女が過った。


 途端にまた血が溢れた。目標にしていた強者を思い出して、憧れた己の現実とのコントラストに悔しさが募る。そうする事で自分が何をしているのか、ゆっくりと実感していく。


「勝ち、た……い」

「無理だ」


 徐々に。


「勝ち、たい」

「無駄だ」


 ゆっくりと。


「絶対に、勝つ」

「何故そう思う。負けを認める事が怖いのか」


 彼の魂に、小さな炎が生まれる。


「負けを認めるより、勝ちにこだわっていたいからだ」

「……。よかろう。見事だ。せいぜい――死ぬなよ」


 一方的な攻撃が終わり、再び開戦の合図。

 赤くなった地を強く蹴ったのはコウキだった。


「ォオオオオオッッッ!!」


 叫びと共に魂だけで斬りかかる。

 これを白い剣で弾くマリードがステップを変えて二度目の攻撃に備えた。


 ロングソードはその特徴が故に間合いと立ち方に依存する。

 逆に言えば、間合いと立ち方で次の攻撃の種類が分かるとも考えられる。コウキは過去の動きを思い出し、直感で次の攻撃と軌道を予測。そこに交わらないよう立ち位置を少し変えて剣を振り下ろした。


「疾ッッッッ!」


 その動きは的中したようで、コウキのポジション変更にまた立ち位置を変えたマリードが一歩遅れて剣を振った。

 ガキィィィィィィ!と高い金切音と共にマリードの剣が弾かれる。

 コウキは勢いを殺さずに一回転して追撃をする。


「いい動きだ」


 しかし、ドッッッという衝撃と共にコウキは後ろへ飛ばされた。攻撃寸前、長い足を利用した蹴りで距離を離される。


「絶対に、勝つ!!」


 繰り広げられる死闘。

 斬っては弾き合い続ける互いの剣。

 鋭い音や鈍い音が闘技場を震わせていった。


 コウキは至ってシンプルな理由だけで何度も何度も立ち向かった。蹴られ、斬られ、時には殴られる。顔は腫れ、体は悲鳴をあげ、節々は切り傷に侵され、骨はいくつ折れてるかも分からない。それでも何度も立ち上がる。


 せめて一太刀。まずはそこから。

 しかし、その一太刀があまりにも遠い。


「その闘志、執念、ひいては魂か。尊敬に値する」

「黙れ、勝つ!!!」


 もはや彼に言葉は必要なかった。

 ただ悔しさを胸に、ひたすら剣を振る。


 マリードはそんな中、コウキに致命傷を与える事ができなかった。

 これほどまでかすり傷を与え続けても一向に断絶が発動しないのは、本筋の攻撃が尽く避けられているためだ。かといって余裕がない訳ではない。無傷な分はどう考えてもマリードが優勢だ。時間の許す限り、相手の体力を削いだ上で確実に絡めとるのが定石である。


「気持ちだけでは如何にもなるまい」

「疾ッッ!」


 大きく振りかぶったマリードの一撃を寸前で躱し、その速度を生かしたまま太刀を振る。マリードはこれを軽く回避してまた剣を薙いだ。


 鬼の猛攻が繰り広げられる。

 弾ける金属音が加速する。

 最大効率で受け流すマリードが優雅な騎士だとするなら、コウキは満身創痍で噛みつこうとする犬だった。


「もう、良い」


 強い衝撃と共にコウキは後ろへ飛ばされる。マリードの足蹴りにやられ10メートルほど後方へ移動した。倒れそうな体を無理に起こし、息切れする体で不器用に構えた。


 視界が眩む。手足が震える。

 思考は意味を成さない。

 ただ斬りたいという強い思いだけが残った。


じん


 そして、マリードがいよいよ剣の色調を変更させる。

 埒が開かないことを悟り、強行手段に出る姿勢だった。

 トドメをさす。ただそれだけを考えた瞳は非常に冷酷だ。


「もう一度言おう。…………死ぬなよ」


 願いの瞬間、風が吹いた。大地が唸った。超速度で突撃するマリードが、限界の域にいるコウキをとりに来た。

 コウキに小細工を要する余裕はない。

 迫り来る強敵に対抗するという思いだけでマリードを受け入れる。


「ォオオオオオアアアアアアアッッッ!!」


 コウキが水平に一回転し、刀の速度をより早いものにする。

 マリードがこれまで以上に地を踏み、大きく振りかぶった。


「――ッッッ!?」

「――ッ!!」


 音速の世界が拮抗し、互いの剣は交わった。


 両者が得たことのない、文字通り本気の一撃がぶつかり合う衝撃。それは想像以上に骨身に響いた。衝撃が波紋のように広がり、音が遅れてやってくる。三半規管が狂う常識はずれの攻撃に、最も驚いたのはマリードだった。


 無傷のマリードが、最も軽量な迅の型とは言え満身創痍のコウキと並んだ事が次の判断を決めるキッカケとなった。


「喝ァァァ!!!」


 珍しい、巨躯の雄叫び。

 交差する剣を弾き、縦に強く振り下ろした。


「――ッ!!!」


 押されたコウキがやや怯む瞬間を運命は逃さない。


 ズドン、と。これまで以上に鈍い音が響いた。


「が、ぁっ…………」


 最後の赤い鮮血が、闘技場を美しく染め上げる。

 精霊剣スカンダはコウキの左肩に食い込んでいた。


 痛みはない。じくじくと命が削れる感覚が残った。

 時間と共に意識が遠退き、それを手繰り寄せる作業。


 コウキは敗北の寸前で走馬灯のように様々なことを振り返った。

 ロイのラグを生む能力を応用して生み出した一式。テイナを参考にするも封印することになった二式。白い蝶と優雅なミアの戦闘から着想を得た三式。


 指がボロボロになるまで握った、精霊剣と座学のペン。朝は早く、夜はなるべく遅くまで毎日が地獄の日々だった。


 それらの行き着く先。

 残るのはこんな悔しさだったとは考えもしなかった。

 自分に実力が足りないのは理解している。

 まだまだこれから努力するべきである事も。


「――それ、でも……!」


 それでも、日々を落胆させてはいけない。


「な――」

「ォオオオオオオオオオオオオッッッ!!」


 マリードの額から初めて汗が伝う。

 コウキが左手で、自分の肩に切り込まれた精霊剣に“触れた”のだった。


『乱共鳴の条件は一つだけだ。自分の精霊剣に他人が肌で触れた時、同じタイプだった際それは起きる』


 教師の言葉を思い出し、その後すぐに両者の視界は歪みを見せる。ぐわんぐわん、と。そう表現するしかないほど単純な現象。宙に浮いてふり回されるような酩酊感が押し寄せ、二人はその場で立ちくらむ。


 乱共鳴はマリードにとって初めての現象だった。故に想像以上の酩酊に驚きを隠せない。コウキにガッチリホールドされて動かない精霊剣の状態や直ぐにでも抜け出したい不快感、初めて相手の戦略(そう呼んでいいのかも怪しい)にハマった事等、多くの要因が焦燥を生む。


 何かがヤバい、そう思った時に乱共鳴は元に戻った。

 しかし、戻った時には既に“手遅れ”だった。


 垂直に挙げられた刀が、光に反射して一瞬の輝きを見せる。

 血よりも黒く深い漆黒の妖精剣ナイアルラが初めて無防備のマリードを嘲笑った。

 目の前のコウキの動きに本能が叫ぶ。

 剣を引き抜け、対抗せよ。

 マリードのこれまでの経験が体を突き動かすが、剣は食い込んで抜けそうにもなかった。


「ォオオオオオオオオオオオオ!!!!」

「ラァアアアアアアアアア!!!!」


 互いの雄叫び。

 そして。


 コウキの精霊剣、もとい妖精剣が先に振り下ろされた。


「――――断絶ッッッッ!!!!!!!!」


 黒い稲妻がマリードを上から下へ貫いた。

 ズパァァァァァァン!と、音が遅れてやってきた。


 あまりにも強い衝撃、直接入り込む精霊剣の能力にマリードは間髪入れず白目を剥く。大きく口から泡をふき、今までが嘘だったかのように意識が途絶え後ろへ倒れた。


「――――、」


 コウキの左肩に刺さった精霊剣が光と共に消失した。肩から吹き出す血をそのままに、その場でコウキはただ倒れたマリードを見ていた。


 それは周囲も同様で何が起きたのかを理解するのに時間がかかっていた。あの場の誰もが予想しない、逆転という状況があまりにも現実離れしていたに違いない。


「勝者、アオイコウキ」


 それも、グェンの言葉と共に現実味を帯び、この試合は一気に大歓声に包まれるのであった。


 コウキもまた、雄叫びをあげる。

 しかし突然飛んできたテイナとロイに抱きつかれ、倒れたあたりで意識が途絶えた。


「ミ、ア…………」


 コウキの左目から、血の混じらない液体が伝った気がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る