第6話 今から神と共に生きることが救いへの道

 かおるは、まるで人形ケースからでてきたような、小柄で色白のおとなしめの可愛らしい少女だった。 

 かおるは、少々はにかみながらも、覚悟を決めたように語り出した。

「皆さん、私の過去を暴露します。

 もしこのなかで、私と同じ体験をした人がいるかもしれません。

 私は、小学校五年の頃、両親が亡くなり、親戚に引き取られましたが、義理の父親からいわゆる性暴力を受け始め、それが自分ではごく普通のことだと認識していました。義理の父は、私の嫌がることを無理に強要することはなかったからです。

 

 中学に入学してからは、勉強に励みましたが、やはり性暴力は続きました。

 ある日、抵抗しようとすると、義理の父親がナイフを持ち出してきたので、もみあっているうちに、私は刺してしまい、少年院送りとなりました。


 幸い、私は勉強ができたので、いわゆる優等生として見られ、一年で退院しましたが、行き場の無くした私は、始めはキャバクラで働きました。

 お定まりのコース、私には反社のヒモがつき、ヒモはストーカーに変わっていきました。

 どこへ逃げても、引っ越しても追いかけてくるので、私はうつ病状態になってしまいました。

 そんなとき、この罪人寄り添いイエス教会を知り、藤堂牧師に最初は反社のストーカーのことだけを話しました。

 藤堂牧師の勧めで讃美歌を勉強して歌い、聖書を一日中読み、お祈りをすると、不思議とストーカーは去って行きました。

 藤堂牧師曰く、聖霊の働きですね。

 聖霊は、風のように神から人へのプレゼントですからね。

 目には見えない、匂いもしない、音もしないし、触感もないが、感じることはできる。

 うつ病の人も、この教会でいろんな人と触れ合うたびに和らいてきました。

 まさに、神様と藤堂牧師のおかげです」

 そう言って、かおるは一礼した。

 

 それを聞いていた会衆は、驚きを隠そうともせず、ポカンとしたような表情で聞いていた。

 特にきよこは、信じられない別世界の出来事としてしか受け止められなかった。

 父親から溺愛されてきたきよこは、唇を半開きにし、衝撃に満ちた表情で、まじまじとかおるを見つめていた。

 ただ一人、藤堂牧師だけが、冷静な表情で

「かおるちゃんの証を終わります。

 かおるちゃんは、立ち直った今だからこそ、告白する勇気を持てたのです。

 ご清聴有難うございました」

 すると会衆から拍手が送られた。

 

 きよこは、藤堂牧師のように、子供を救う活動をしたいと決心し、教会に訪れる未成年者と寄り添うように、話相手になっていた。

 十八歳から芸能界でデビューし、すぐスターの座を獲得し続けたきよこにとっては、信じがたい別世界の出来事ばかりだった。

 しかし徐々に、一度、罪に堕ちた人の悲しみと苦難がわかるようになっていった。

 一度罪に堕ちると、やはり黒に染まってしまい、まわりからもスティグマと呼ばれる負のレッテルを貼られてしまうので、そこから立ち直るのは容易ではない。

また、自分は立ち直ったつもりでも、元の仲間が執念深く誘ってくるケースもある。

 その後、再び元の犯罪の世界に戻ってしまうことも多い。

 再犯率が六割というのも、そのせいであろう。

 藤堂牧師曰く

「洗礼を受けた人は、神によって新しく変えられた。

 後は努力よ。努力しない人は嫌いよ」

 きよこは、その言葉を聞いたとき、ぎくりとした。

 きよこ自身は、芸能界のなかでスターになるに比例して、スキャンダルや睡眠時間を削られることも含め、苦労も多くなっていったと思っていた。

 しかし、そんなのは世の中の苦労とは全く別次元の、きらびやかな世界の中での、ぜいたくさに裏打ちされた苦労でしかなかったのであることを痛感した。

 

  きよこは「私がスターであり続けていることができたのは、私の歌声がそういった罪人の心の救いになっていたのではないか」と思うようになった。

 きよこの歌声は、陽光に照らされた花びらのように、明るくてまるで風に舞うような爽快さがあると批評されたことがある。

 それが、罪を犯した人の希望になっていたのではないかと想像した。


 また、自分は立ち直ったつもりでも、元の仲間が執念深く誘ってくるケースもあるが、きっぱりと断ち切る勇気が必要である。

 いくら元の悪仲間が「あんたの住む世界は、悪の世界しかないんだよ」と脅しまがいのことを言われても、耳を傾けてはならない。

 大丈夫、イエスさまがいるから、イエス様が新しい世界を開いてくれる。

 藤堂牧師曰く

「私たちは洗礼を受けることにより、神によって変えられた。

 これからは、神と一緒に人生を歩むことはできる。

 あとは自分の努力だ。努力しない人は嫌いよ」

 きよこはその嫌いという言葉の裏に、努力しなければ、まるで氷の山を滑り落ちるような危惧感があると想像した。

 かつてきよこが君臨していたスターの座も、競争世界であった。

 しかし、そのようなきらびやかな世界とは比べものにならない、地味でいつ自分が罪の世界に戻っていくかもしれないという危惧感に満ちた苦労であるに違いないと痛感した。

 少しでも油断すると、途端に足を滑らせ、元の世界へと戻っていく、そんな恐怖にも似た思いを常に背負っていると思うと、別世界とはいえ背筋が凍る思いだった。

 しかし、別世界、異次元だと思っていた犯罪に巻き込まれることは、誰にでもある。

 有名スポーツ選手が、最も信頼していた側近が実はギャンブル狂でありギャンブルの借金のために、自分は横領された被害者であるにも関わらず、まるで自分までが犯罪のグルになっていると疑われるという事件があった。

 犯罪に巻き込まれることは、決して他人事、対岸の火事ではなく、いつ火の粉が襲い掛かってくるかは誰にもわからないのである。


 思い返せば、きよこの人生はなんときらびやかだったのだろう。

 田舎の学生時代は、人気者であり、挫折といえば私立中学の受験に失敗したことくらいだった。

 両親と兄貴の愛情を一身に受け、十八歳から芸能界にデビューし、半年後にはスターの座を獲得し続けたきよこにとっては、信じがたい別世界の出来事ばかりだった。

 きよこの長所は、母親譲りの自分を傷つけたひとに対して

「それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう」

の言葉通り、きよこは一切、復讐を考えたりはせず、かわって相手を哀れむほどだった。

 幸い、きよこの周りには犯罪を犯す人はいなかった。

 これも、きよこの人柄だったかもしれない。

 徐々に、一度罪に堕ちた人の悲しみと苦難がわかるようになっていった。

 藤堂牧師曰く

「犯罪者に幸せな家庭の人は、誰一人いない」

 確かにそうだろう。

 いじめにあっても、不条理なことに見舞われても、家族が味方になってくれる。

 そういえば、きよこは幼い頃ぜんそくだったこともあり、小学校五年のとき、グループ学習から疎外されたこともあった。

 そのことを母親に言い、母親から担任に言うと解決した。

 いや、解決といっても、次回はまともに行動できるようになっただけであるが。

 現代は、一人一台OAの時代であるから、グループ学習はそう存在しない。

 いや、もし存在したとしても、この多様化社会において通用しないだろう。


 人は誰でも、自分の置かれた環境が自分に合っていると、自分が良い人だと思いがちだが、それは間違いではないか。

 もしかして、友達も含めて周囲が自分に合わせてくれていただけなのかもしれない。

 そして、今まで周囲と合っていたのは、過去の人間関係に恵まれていたから、合わせることができたかもしれない。

 愛してくれていた家族、恵まれた地域環境というバックアップがあったからこそ、自分はまわりにうまく溶け込むことができたのかもしれない。

 

 しかし人間勝手なもので、周囲と合わない人を疎外しようとする。

 やはり、相手のことを思いやることが必要不可欠である。

 一歩間違えれば、自分も周りと合わない人になり、疎外されるときが訪れる筈なのだから。


 きよこは、罪人寄り添いイエス教会のことを歌にした。

    「へベル(一瞬)の明日」

 人にはみな様々な涙と 心の痛みがある

 へベルのときを生きる今 もうやり直しはできない


 あのとき 感情に走ってさえいなければ

 後悔してもあとの祭り


 罪の身代わりの十字架を背負ったイエス様を信じるだけで

 救いの明日が開かれる

 イエス様がいるから 大丈夫

 これからはイエス様と共に へベルのときを生きていこう

 ハレルヤ

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

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