第5話 悠太は町の不良に亡きものにされた

 竜夫は、高校中退のフリーターであり、金銭には恵まれていなかった。

 かといって、勉強し直して高校受験をする気力もなかった。

 そして、悠太を自分の子分のように扱おうとし、万引きを命じた。


 悠太は「それはできません」と、断固として断った。

 その途端、竜夫は悠太の左目をげんこつで殴り、大けがをさせた。

 それは目の周りに五センチほどのあざができるほどの、大けがをする羽目になった。

 悠太は、そのことを公園で知り合った仲間に言うと、仲間五人が竜夫に謝るように強要した。

 仲間の迫力に負け、竜夫は悠太に「すみません」と頭を下げた。

 しかし、このことが大きな悲劇になるとは、誰も想像していなかった。


 その頃から、竜夫は悠太に「学校へ行くな」と無茶なことを命じていた。

 悠太は、このことは母親である悠子にも言えず、毎日通っていた中学にも通えなくなり、不登校状態が一か月続いた。

 悠子と恋人は、なぜ悠太が学校に行かないのか、問い詰めたが悠太は口をにごすばかりで、竜夫の存在を語ろうとはしなかった。

 悠太は、悠子の前では明るく振舞い、妹の面倒も見ていたので、悠子はいつかは登校するものだという希望的観測を抱いていた。

 しかし、悠太の不登校は一か月以上も続いた。


 ある日、悠太はケータイで竜夫から夜中に呼び出しを受けた。

 そのとき、仕事から帰ってきた悠子は、悠太と一緒に食パンを食べていた。

 悠太は悠子に、ジャムを塗った食パンを差し出し

「半分食べる?」と勧めた。

 その会話が、悠太との最後の会話になろうとは、悠子自身も想像もしていなかった。

 悠太は、母親が止めるのも振り切って、竜夫の誘いを受けてジャンパーをひっかけて出かけて行った。

 あのとき、強く止めていれば、悠太が殺されるなんて悲劇はなかったかもしれないと、のちに悠子は強く自分を責めた。


 悠太は竜夫から、なんと三十箇所のナイフでの刺殺後があった。

 ちょうどそのとき、悠子は帰宅したばかりであった。

 いつもは帰宅すると、悠太が部屋にいて、うどんやラーメンを用意して待っていてくれるのが、日常だった。

 ところが、明け方になっても悠太は帰宅していない。

 悠太を探しに行こうとドアを開けた途端、警察から電話があり、悠太の死を知らされた。

 悠子は、足元が崩れ落ちて卒倒するのをこらえ、警察の事情徴集に応じることにした。

 のちに捕まった犯人竜夫と、悠子の間には一面識もなく、もちろんなんの接点もなかった。


 竜夫の後の供述によると、竜夫は悠太の左目を大けがさせたとが原因で、悠太を慕う仲間からリンチを受けるかもしれないという、被害妄想に襲われたという。

 しかし元いじめられっ子であり、そのいじめに一度も勝つこともできず、解決の道も見出せず、いじめから逃避するしかなかった、いじめの敗北者であった竜夫は、被害妄想と絶望感から、悠太の殺害計画を立てたという。 

 悠太は竜夫から睡眠薬を飲まされ、竜夫から顔から腹に至るまで、三十箇所以上も刺殺されたのであった。

 一部のマスメディアは、母子家庭である悠子のことを、ネグレスト気味であり、悠太は家には居場所がなかったのではなかったのではないかと、酷評した。

 確かに、悠子は昼も夜も働いていたので、悠太の成績をとやかく言うことはなかったが、仲のいい親子であったことには変わりはない。

 なのになぜ、こちらに非があったかのように報道されるのだろうか。

 そういうことも相まって、悠子は竜夫に恨みの炎を燃やした。

 未成年ということもあり、少年法で守られている竜夫は、一年もすれば少年院から出所してくる筈である。

 竜夫が少年院から帰ってくると、復讐してやる。悠太と同じ苦しみを味わわせてやる。その攻撃的な感情だけが、生きているエネルギーであった。


 悠子は、一部始終を藤堂牧師に話し、できたら竜夫が少年院から出所してきたら、復讐を考えていると心の内を話した。

 藤堂牧師は、即座に

「聖書の御言葉に

「復讐は神のすることである。人間は手を汚してはならない」(ローマ12:19)

とあります。

 仮に復讐が成功して犯人が死んだとしても、悠太君は返ってくるわけでもないし、いや、それどころかかえって、他人を傷つけてしまったということで、悲しむ一方ですよ」

 悠子は即座に答えた。

「そんなことは、今までさんざん聞かされてきたことです。

 頭のなかでは理屈としてわかっていても、心が言うことを聞かないんです」

 藤堂牧師は、即座に手を組んで祈り出した。

「天にまします我らの父よ。

 どうか悠子さんが、復讐の炎という悪魔の誘惑から解放させて下さい。

 復讐が成功するということは、あなた自身も、加害者と同じ罪人になるということになるんですよ。

 そうなれば、神様も悠太君も悲しみますよ。

 どうか、神の恵みがありますように」

 悠子は、藤堂牧師に

「祈って頂いて有難うございます。復讐に捉われていた自分から解放され、気分が少し晴れました。

 私は一度だけ、小学校のとき、友人にさそわれるままに教会のクリスマス会に参加しましたが、そのときと同じ、きれいな空気が流れていますね。

 私はこのままでは、憎しみからうつ病になってしまうのではないかと、危惧していました。なんだか、心が洗われた気分です」

 悠子は、藤堂牧師に一礼をして、教会を後にした。


 次週、なんと礼拝に悠子が出席していた。

 悠子は、元大スターきよこを見たときは驚きの表情をみせた。

 きよこの娘せいなの自殺の件においては、ふれることはなかった。

 このことは、教会員全員がそうであった。

 家族の自殺というのは、自殺された家族が悲しみと世間の偏見を負って生き続けるしかないのでる。


 藤堂牧師は諭すように悠子に言った。

「子供の頃に亡くなった子は、誰でも全員天国に昇るといいます。

 今頃、天国の悠太君は、悠子さんを見守ってくれていますよ。

 悠太君はこの地上である世の中で苦しむこともなく、真直ぐに天国に昇ったのです。

 悠太君の肉体は地上では灰になりましたが、魂は天国で生き続けています。

 だから悠太君に恥じないように、私たちも真直ぐに生きるべきですね。

 さあ、これから二人で祈りましょう。


 天にまします我らの父よ

 私たちはいずれは悠太君の元に行く筈ですが、その前に神と共に生きていきたいです。イエスキリストの名において祈ります。アーメン」


 悠子は答えるように語った。

「そうですね。悠太の魂は天国へと昇ったんですね。

 私もいずれは、天国で悠太に再会できますね。

 でも復讐したら、天国に行けなくなり、永遠に悠太とも会えなくなる。

 犯人を殺しても、悠太がこの世に戻ってくるわけでもなく、かえって悲しませるだけ。私は、天国の悠太を目指して生きていきます」

 藤堂牧師は、ほっと安堵したかのようにうなづき、ハレルヤと笑顔になった。


 一方、丸井きよこは母子愛をテーマとした作詞をし、youtubeに流し始めた。


   「いつの日かあなたの元に旅立つ日まで」

 見上げれば あなたの笑顔が見える

 あなたはいつも 雲の上から私に手を振ってくれている


 あなたの心を抱きしめながら 生きてきたつもりだった

 ある日 あなたは手のひらをすりぬけるように

 私の目の前から 消えていった


 あなたの魂は 汚れないまま天国へと旅立っていった

 この地上を卒業したあなたは 涙も痛みもないまま

 今 天国で生きている


 いつの日か私も旅立つ

 その日まで 見守っていてくれるあなたを

 今朝も見上げるわ おはようと

 

 かつてのアイドルの子守歌などと批判されながらも、注目を浴び始めた。

 今のきよこは、せいなの自殺以前に歌っていたファンタジックな恋の歌は、もう歌えなくなってしまった。

 アメリカで売上一位になったジャズの歌も同様である。

 しかしその分、悲しみとそこから立ち上がった深みを帯びた歌を、披露することになった。

 刑務所にもきよこの歌が、流れ始め、囚人特に女囚の涙を誘った。

 

 そんなとき、罪人寄り添いイエス教会で、初めて訪れたきよこをきーよと呼んだ十八歳くらいの少女が、礼拝の後、藤堂牧師の許可を得た上で、あかしを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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