第4話 罪人寄り添い教会によって新しく変えられた

 藤堂牧師は、かおるに発した「努力しない人は嫌いよ」という言葉の意味は、単なるのんびりやや、怠け者は、競争世界であるこの世の中では成功しないという訓戒の意味ではなかった。

 そこにはまるで崖っぷちから下界を見下ろすような、深刻な意味が含まれているのだった。

 努力しなければ、また元のドラッグ中毒に戻ってしまう。

 藤堂牧師は、その例を嫌というほど見てきているので、あえて厳しい言葉で、かおるに葉っぱをかけたのだった。

 

 かおるは答えた。

「はい、努力はしんどいし難しいことだけど、イエス様がいるから大丈夫です。

 もう決して、元の世界に戻りません」

 その言葉に、藤堂牧師はイエス様の背景をみたように、うなづいた。


 きよこ自身、デビュー当時、よくプロダクションの人から言われた言葉

「芸能界は片道切符。一度、世間に発せられたビジョンは、人の記憶に残り、決してやり直すことはできない。

 だから常に前を向いて、新しいことにチャレンジしなければ、すぐ乗り遅れてしまう。

 新人は、毎年次から次へとデビューするので、半年もすればメディアから忘れ去られてしまうのがオチである」

 きよこは、芸能界に入ってから、この世界はどんなに見えない努力が必要かを痛感させられた。

 だから、仕事に穴をあけないように歯を食いしばって頑張り、精一杯歌の勉強もしてきたつもりだった。

 しかし、それとは反比例するように、成功し有名になればなるほど、今度はスキャンダルが、絶えることなく追いかけてくる。

 ときには、家族にまで迷惑以上の危害が及んでくる。

 きよこがアメリカで歌の修行をしたのは、一人娘であるせいなをマスコミから遠ざけるための算段でもあった。


 きよこがデビュー当時、共演した男性アイドルのファンから、階段から突き落とされたこともあった。

「キャハハハ、真っ逆さまのバカきよこめ」

 彼女らのそんな嘲笑を、きよこは哀れなものとして受け止めていた。


 きよこは仕事が終わると、他の芸能人のように、夜通し隠れ家としている行きつけのバーに通うこともなく、まっすぐに母親の待っている自宅に帰宅した。

 手を組んで、目に見えぬ神に

「明日もずっと、幸せでい続けますように」と祈っていた。

 しかし、きよこはこの幸せという言葉を、自分自身を好きでいられるという良心の呵責という意味に置き換えていた。

 祈りが終わると母親に、愚痴を報告するのだった。

「今日、〇ちゃんにこんな意地悪されちゃったの」

 すると、母親の答えはいつもひとつだった。

「あなたが嫌な思いをしたのだったら、今度はあなたがそんなことをしなければいいでしょう」

 きよこは、歌手になるまでは、故郷で一度も意地悪されたことがなかった。

 

 きよこは、両親の愛情を一身に受けて育ってきたせいだろうか。

 きよこ自身も、人に意地悪をすることはなかった。

 例えば新人が楽屋に入ってくる。

 どんなに挨拶しても、たいていの場合は無視である。

 そりゃあ、そうだろう。

 新人がスターに進化すれば、今までのスターは跡形もなく影のように消えていく。

 新人というのは、極めて邪魔ないやそれ以上に危害を与える赤信号のような、驚異的な存在である。

 しかし、きよこは無視され続け、壁ぎわにいる新人に、あえてこちらから挨拶する。

 なぜなら、きよこ自身も新人時代はそうだったから、いや、それ以上に、きよこは困っている人を見過ごすことができないのである。

 新人は緊張のあまり固くなっているが、きよこはそれを見ると可哀そうにと思ってしまう。

「芸能人として成功するという、保証はどこにもない。

 もし成功したとしても、これからいろいろ苦労するんだろうなあ」

 だからこそ、きよこは新人には親切なのである。


 きよこが、コンサートで暴漢に狙われ、頭に軽傷をさせられたときも、母親は

「でも、その子の親も辛かろうに」

 一人娘が軽傷を負ったにも関わらず、加害者を一切責めようとはしない。

 きよこはここに、母親の本当の強さを見た思いだった。

 

 また、きよこは当時はライバル状態であり、犬猿の仲とスキャンダルになっていた女性歌手が、衣装ケースに口紅がないと困っていると、自ら寄り添い

「私のでよかったら使って」

と自分の愛用している口紅を差しだしたという。

 これには、ライバル歌手もなかば驚き

「きよこさんにはお世話になりました。きよこさんって、人形か妖精みたい」

 そういった意味では、きよこは人格者だったのであろう。


 きよこは、毎週「罪人寄り添いイエス教会」に通うことを勧められ、ピアノ奏楽を任されることになった。

 きよこは、幼少の頃、少しピアノを習っただけだが、持ち前の頑張りで、藤堂牧師から讃美歌を借りて、練習したおかげで、一人前に弾けるようになっていた。

 礼拝の後の食事会には、率先して信者にお茶を配ったり、ときにはきよこ手作りの肉じゃがやポテトサラダを持参した。

 きよこの料理は、煮干し味がきいていて、どの料理も好評だった。

 教会員からは、きーよと呼ばれ、女性からも強面からも親しまれ、すっかり溶け込んでいった。

 初めは化粧もせずスッピンだったきよこの唇に、ピンクのルージュが飾られていた。


 罪人寄り添い教会は、少年院出身者や刑務所出身者が、更生を目的に通ってくることで有名であり、マスメディアにも取り上げられたほどである。

 幸か不幸か、芸能界以外の世界を知らないきよこは、いわゆるめくら蛇に怖じずで、一般人が震え上がってしまうような人でも、まるでガラスケースから飛び出た人形のように、目をパチクリしながらも、平静を保っていた。


 きよこが、罪人寄り添いイエス教会に行き始めてから、三か月たったとき、ある四十歳後半の中年女性悠子が現れた。

 悠子曰く、八年まえに当時中学一年だった息子を刺殺されたという。

 

 息子の悠太は、小学校六年のとき、九州から都会に転校してきた。

 悠太は、なんとこの教会の近くにある藤堂牧師と同じ中学に通っていたのだった。

 しかし、悠太は中学一年の終わり頃、この近辺の川沿いで刺殺されたのだった。


 当時は世間を騒がせたが、犯人である竜夫は悠太の死後、三日目に捕まった。

 竜夫は、当時十八歳の未成年者であり、いわゆる反グレなど組織の人間ではなく、おとなしいパシリ専門のいじめられっ子であり、義理の父親と日本語の不自由な外国人である実母との元で生活していた。

 義理の父親は世間体を守るため、竜夫は犯人ではないと言い張った。

 竜夫は、高校は定時制に進んだが、すぐ中退し、コンビニなどでバイトをしていが、それも勤まらず行き場がなかったのだろう。

 その腹いせと将来に対する絶望感から、当時人気者だった中学一年の悠太に暴力をふるって大けがをさせた。

 すると悠太の友人が、竜夫に謝罪を強要したが、このままでは自分が、世間から抹殺されるなどという被害妄想を抱き、酒の力を借りて悠太を刺殺したのだという。


 マスメディアは、当時未成年者であるにも関わらず、犯人を庇い立てすることなく、目隠しをした写真を実名入りで公表した。

 悠太には身体じゅう、顔も含めてなんと三十箇所の刺殺のあとがあった。

 マスメディアは、このような残虐なことをした犯人竜夫を、未成年として庇い立てする必要はもはやないと判断したのだろう。

 

 被害者である悠太は、九州の島の出身であり、バスケットボールのうまい人気者であった。

 大人からも子供からも評判がよく、島一番の人気者だった。

 母親の経済的都合で、都会に転校することになり、奇しくも罪人寄り添いイエス教会の近くの中学に転校することになったのだった。

 悠太家族の見送りのときは、なんと島の仲間である五十人が集まり「ファイト悠太」の垂幕まで飾って見送ったというほどの人気者であった。


 悠太は、転校した都会の小学校にすぐなじみ、バスケットボール部で活躍していた。

 しかし、中学に入学する頃、悠太は家庭に居場所を見つけられず、そこから逃げるように夜の公園へとでかけて行った。

 公園には、未成年がたむろしていた。

 ストリートダンスやバスケットボールの練習をしたりして、夜十一時になると解散して、それぞれ自宅へと戻っていくのだった。

 しかし悠太は、夜十一時を過ぎても、一人でバスケットボールの練習をしていた。

 そんなとき、悠太より五歳年上の竜夫が、悠太に声をかけてきた。


 悠太と竜夫は、初めはゲームをしたり、また竜夫はお腹をすかせた悠太に牛丼をおごってやったりする先輩後輩の間柄だった。

 いつしか、悠太は竜夫を兄のように慕うようになっていった。

 しかしこのことは、竜夫の思うツボだったことに、純真な悠太が気づく筈もなかった。


 

 



 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

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